オークションへ
舞台の上に置かれた檻の中に入っていたのは、全身を真っ白な毛皮で覆われた雪男だった。二メートルに近い巨大な体躯を、檻の中に押し込められ窮屈そうだった。
「こちらザブル山脈の雪深い山奥で発見された、雪男であります。健康状態は良く、怪我もありません。雪男自体、人が入ることの出来ない、吹雪が年中吹き荒れる秘境で暮らしているとされ、こちらは下界に迷い込んできた大変貴重な一体となっております。まだ子どもですので、素直で従順です。教育するのもよし研究に使ってもよし。それでは500万から!」
競売人が木槌を叩くと、会場の面々が次々に手を挙げ、金額を口に出す。
1000万と誰かが口にしたのち、それを最後に後に続く者がいなかった。
静かになった会場を見渡して、競売人が声を上げる。
「他に誰もいらっしゃいませんか? では1000万で決定いたしました! おめでとうございます」
木槌を叩く音が会場に響き渡った。
舞台の上の檻が動かされ、舞台袖に撤収していく。中に入っていた雪男は去り際にうめき声を上げていた。しかしそれも小さくなって聞こえなくなる。
何を訴えていたのか、リリスにはわからなかった。
……オークションは日が暮れてから始まった。
リリスは街の中心にあるカジノに訪れると、オークション会場に赴いた。
こっそりと陰に隠れて時折現れる客を観察したあと、警備員に招待状を見せると、非公式のオークション会場に連れて行かれた。
公式のオークション会場が地上にあるのに対して、今回の会場は地下にあった。
かなりの人数が集まっていたが、広々としているので窮屈さは感じない。客はすべて仮面をつけており、リリスも渡された仮面をつけて部屋の隅で競りを眺めていた。
それから一体何時間経ったのだろう。
商品として舞台上に立たされる、少数種族たち。
仮面をつけ顔を隠した人々が、次々と金額を告げていく。その光景に異様さを感じて、リリスは気持ちが悪くなっていた。
早く帰りたい。リリスの我慢が限界を迎えそうになったとき、最後の商品が現れた。
「それでは皆様お待たせいたしました。こちらを見に訪れた方も多いのではないでしょうか。本日の目玉商品にして最後の一品、勇者の生まれ変わりです!」
競売人が仰々しく声を上げた。会場がざわつき、リリスは顔を上げた。
男に連れられて、少年が舞台の上に現れた。
小柄でまだ筋肉もついていない、それどころか脂肪もついていない痩せた少年だった。
彼は首輪をはめられていた。首輪には鎖がかけられており、その先を運営側の男が握っていた。さらに手枷もはめられており、罪人のように自由を許されていなかった。
男に促され、少年は正面を向いた。
髪の色は黒。肩口まで伸びており、手入れがされておらずボサボサだった。
瞳の色は、伸びた前髪で隠れて、よくわからなかった。
自由を奪われている形であっても、彼の態度は毅然としていた。それどころか反発するように会場の人間を睨んでいるような気配を感じた。
あいつに似ていない、と率直にリリスは思った。
それどころか勇者の生まれ変わりと言われても信じられないほど、どこにでもいるような子どもに見えた。
競売人の男が声を張り上げた。
「こちら、勇者の生まれ変わりの少年でございます。年は13。前世の記憶はまだ思い出してはおりません」
「前世の記憶を思い出していない? なら、どうして勇者の生まれ変わりと断定することができるのかね?」
会場側から声が上がった。その質問を見越していたように、競売人は少年の傍らの男に目配せする。
「こちらをご覧下さい。女神の紋章でございます」
鎖を持った男が、彼に腕を上げさせた。おお、と会場がざわめく。
少年の右手の甲に、花びらを模したような紋章が刻まれていた。リリスは息を呑んだ。昔見た、アスターに刻まれた紋章と同じものだったからだ。
「皆様もご存じのように、勇者アスターの右手の甲には、女神に選ばれた証である紋章が存在していたと言われています」
「しかしだな、それは本物か? 出品者が模様を刻み入れたのでは無いかね?」
また懐疑の声が上がる。競売人はその質問を待っていたと言わんばかりに口元を歪ませた。
「もちろん偽物ではございませんとも。女神は勇者に加護をお与えになりました。その加護は、どんな怪我もすぐさま治るという驚異の治癒能力です」
少年の隣に立って鎖を握っている男が彼の背後に回った。おもむろにナイフを取り出すと、刃を少年の頬に当てた。
嫌な予感がした。少年の体が一瞬、強ばったのが見えた。
「その加護を今、お見せいたしましょう!」
「やめろ!」
リリスは思わず叫んでしまった。予感は的中した。
男が勢いよくナイフを引いた。白い頬に赤い線が刻まれ、少し遅れて血が流れ落ちた。
落ちた血が、少年の質素な白い服に赤い染みを作った。
少年は痛みから反射的に顔を動かしたが、背後の男が鎖を短く持ち直して引っ張り、それを止めた。頬の傷が会場側の人間に見えなくなるからだ。少年はつり上げられるように立たされた。
そしてリリスは見た。頬の傷が、時間が巻き戻るように治っていくのを。
アスターがカップの破片で傷ついたときに、その傷が治ったのと同じ光景だった。
「これぞ女神の加護でございます! これがこの少年が本物であることの証拠でございます! ――――それでは始めましょう! 1000万から!」
会場の興奮が最高潮に上がった。
次々に金額が提示されては、それを上回る数字がすぐさま上がっていく。
金額を告げる皆の声は今までよりも大きく、弾んでいた。会場側の人間たちは少年が勇者の生まれ代わりだと信じたのだ。
リリスは舞台の上に立たされている少年を見つめた。
興奮が蔓延した会場を前に、彼は呆然としていたようだった。やがて力が抜けたのか、がっくりと俯いた。何かを諦めてしまったように。
その瞬間、今の今まで胸の奥で燻っていた何かが爆発した。
リリスは手を挙げていた。
「2億」
特に声を張り上げていたわけじゃ無かった。しかし、会場は冷や水をかけられたように静まりかえった。
その金額は、現在、提示された金額を遙かに上回っているものだった。いきなり金額をつり上げるのはルール違反だとリリスは知っている。しかし早く終わらせて、この場から離れたかった。
リリスの周りにいた人間が彼女を振り返る。仮面のせいで彼らが何を訴えているのかわからない。だが、リリスは気にしなかった。
「2億だ。他に私と競い合いたい者はいるか?」
声は上がらない。ぽかんとした競売人が我に返ったように木槌を鳴らした。
「ほ、他に誰かいらっしゃいませんか?」
競売人が促しても誰も声を上げない。彼は辛抱強く待ったが、木槌を持ち上げて叩いた。
自らの購入者が誰か決まった音に反応して、少年が顔を上げた。
初めて視線が合った瞬間だった。