外への誘い
「おはよう、銀の魔女。45年ぶりだね。僕のことわかるかい?」
銀の魔女とは戦時中に呼ばれていた、リリスの異名だ。
その呼び名を口にした声は青年のものだった。少し人を喰ったような口調にリリスは昔を思い出した。
「ルドでしょう。自分でそう名乗ったのではありませんか」
「よかった。実はわかってもらえないかと不安だったんだ。時代も変化して、お互い色々あっただろう? ハーフエルフである君はあまり変わっていないかもしれないけど」
「思い出話がしたいなら他を当たって下さい」
「つれないなあ。そろそろ僕が送った手紙が届いている頃だろうと思って電話したのに」
「この封筒はあなたが?」
「中は見てくれたかい?」
促され、リリスは封筒を開けた。中身を見てリリスは驚いた。
「これは…」
「ああ。オークションの招待状だよ。秘密裏に手に入れたんだ。君は外に出ないから知らないだろうけど、今度、ラルズールでオークションが開かれるんだ」
「ラルズール。あの娯楽都市の」
通称、眠らない街。
ラルズールは街の中心に貴族が主催しているカジノがあり、昼夜を問わずに賭け事で賑わっている街だ。一夜にして億万長者になる者、全財産を没収される者、光も強いが闇も深い街である。
「ああ。オークション自体は今まで定期的に開催されている。だけど時折、大々的に周知されない、一部の顧客に向けた非公式のオークションが開かれること、君も知っているだろう」
「ええ。過去にあった人身売買が法で禁止されたことで、オークションとして形を変えて続いているのですよね」
昔は奴隷の売買が禁止されていなくて、ヒトはヒトによって売り買いされていた。
人間だけでなく、エルフや獣人、人魚など少数種族たちも捕獲され売られていた。今は禁止されているが、一部の蒐集家、貴族、魔法使いなどの根強い声に応じて、人身売買の場は非公式のオークションとなって継続している。
「そうだよ。ラルズールのオークションは歴史ある貴族たちが主催しているから、中々取り締まりに踏み込めなくてね。……まあ、この話はいいだろう」
ルドは話を戻した。
「その非公式のオークションで今度出品されるものが、今、とても話題になっているんだ。僕の耳にも届くほどね」
「何です、その話題になっているものって」
彼はもったいぶっているようだった。リリスが若干イラつき始めたとき、彼は言った。
「勇者の生まれ変わりだよ」
一瞬にして頭が真っ白になった。リリスは受話器を持ったまま、固まった。中々声が返ってこないのを見越してか、ルドが話を続けた。
「勇者の生まれ変わり。転生者。君も知っているだろう。女神の選ばれた人間は前世の記憶と培った力を引き継いで転生する、と」
「それは、そうですが…」
困惑する。なんと返事をしたらいいかわからない。
「偽物に決まっています」
リリスはそう答えるしかなかった。
勇者は歴史上唯一無二の存在だ。その生まれ変わりを名乗り、右手に女神の紋章を自ら刻み、富と名声を集めようとした者は時折現れた。
しかしそのどれもが詐欺師であったことを、リリスは知っている。当然、ルドもわかっているはずだ。
「そうかもしれない。でも今度は本物かもしれない」
ルドの人を試しているような言葉に、リリスは声を荒げた。
「あなたは私にどうして欲しいのですか。まさか競り落としてこいとでもいうつもりですか。私はもう、あなたの部下じゃ無い。命令を聞く義務は無いはずだ」
「まさか。僕はただ情報を教えてあげただけだよ。君が気になるだろうからと思ってね。だって勇者アスターは君の友人だったんだろう」
電話の向こうで、彼の小さく笑う声が聞こえた。
「行くも行かないのも君の勝手だ。でも決断は早めにね。今度と言ったが、そのオークションが開催されるのは、実は今日の夜なんだ」
リリスが招待状を見ると、彼の言った通り、開催日時は今日の夜だった。
彼女の返事も聴かずに、じゃあね、とルドは電話を切った。
リリスは受話器を置いた。
テーブルに戻ると、冷めてしまった紅茶を下げ新しく温め直したものをミモザが目の前に置いてくれた。
「どこか、お出かけなさるのですか?」
ウサギの獣人であるミモザの表情は、実はわかりづらい。常に微笑んでいるように見えるのだ。しかし一緒に暮らすようになって、リリスは彼女の表情の変化を読み取ることができるようになった。今、彼女は不安そうな顔をしていた。
すぐには答えず、リリスは紅茶に口をつけた。温かい紅茶が体に染み渡って行くにつれ、少し冷静さを取り戻してきた。
ルドが何故、この情報をリリスに伝えてきたのかわからない。
彼は自分が気になるだろうからと教えてあげたと言っていたが、リリスが知る彼は善意でそんなことをする人間じゃ無い。何か目的があるはずだ。
このままオークション会場に行けば、自分は彼の計画通りに動くことになるだろう。
だからと言って無視して、いつものように家にいることはできるのだろうか。
考えている時間は、あまり無かった。
紅茶を飲み干すと、リリスはミモザに声をかけた。
「悪いがミモザ、帽子をとってきてくれないか」
「やはり、お出かけなさるのですね」
「ああ。久しぶりに街に行くよ。今日中には帰ってこられないかもしれない」
「私もお供いたしますわ」
久しぶりの外の世界。一人で人の中に、しかも人を売買するような人間たちの中に赴くのだ。不安だが、そのオークションで出品されている者の中に、彼女と同じ種族もいるかもしれない。そんな光景を見せたくは無かった。
「いや、大丈夫だ。さあ、黒のとんがり帽子を取ってきてくれ」
その帽子は元々、師匠のフリージアがかぶっていたものだった。
師匠が魔王を倒す旅に出ていた頃から使っていたものだから、随分と年季が入っている。初めてフリージアと出会ったときも、彼女はそれをかぶっていた。
師匠のフリージアが亡くなった後、リリスがそれを譲り受けた。この帽子をかぶっていると亡くなった師匠がそばにいてくれるような気持ちになる。
「よくお似合いですわ。リリスさまと初めて出会ったときを思い出します」
帽子をかぶると、ミモザが懐かしそうに言った。リリスは少し苦笑した。
「では行ってくるよ。留守を頼む」
「いってらっしゃいませ」
ラルズールまで行くには森を抜け街に行き、列車を乗り継いでいかねばならない。
しかしそんなことをしていたら日が暮れてしまうので、リリスは鍵束を取り出した。
中の一本を選び出すと、それを屋敷の外門に差し込んだ。
この鍵は魔導具だ。
魔導具とは中にあらかじめ魔力がこめられている道具のことをいい、一定の手順を踏めば道具ごとに決められた魔法を放つことが出来る。
魔導具のおかげで魔力を持たない人間でも魔法が使えるし、魔法使いにとっては膨大な魔力消費が必要な魔法も、魔導具の補助のおかげで魔力をそれほど消費せずに高位魔法を扱うことが出来る。
この鍵には設定した空間と空間をつなげる魔法が施させており、選んだ一本はラルズールへの空間をつなげる鍵である。
「鍵よ。森から石畳へ道をつなげ」
小さく呪文を唱えて鍵を回し、リリスは門を開けた。
ぐにゃりと木々に囲まれている風景がゆがみ、リリスが門から出ると、人々が行き交う街が広がっていた。
見知らぬ人が見たら、彼女は大通りに面した家から出てきたに過ぎない。
リリスは空間転移の魔法が成功したことを実感しながら帽子を目深にかぶり直すと、オークション会場を探しに雑踏の中に混ざっていった。