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その後の世界

 何かを掴もうと、腕が天井に向かって伸びていた。

 カーテンの隙間から差し込む光で、もうすっかり日が昇っていることに気づく。

 ぼんやりとした意識が徐々に覚醒し、リリスは静かに腕を下ろした。

 鮮明な映像だったから、一瞬、今居るここがどこかとわからなくなってしまいそうになった。ここはリリスの部屋。自分はベッドの上で眠っていた。あれは夢だったのだ。

 コンコン、と控えめにドアを叩く音がした。


「おはようございます、リリスさま。朝食の準備ができております。いかがなされますか?」

 使用人のミモザの声だった。

「ああ。今行く。少し待っていてくれ」

 リリスが答えると、かしこまりましたと返事がした。


 ミモザの気配が遠ざかっていくのを感じながら、リリスは体を起こす。眠ったはずなのに、疲れていた。頭が重い。

 立ち上がって、床に散乱している魔導書を避けながら鏡に近づいた。

 鏡の前の自分は、夢の中の幼い少女姿では無い。

 身長もぐんと伸び、ヒトが見たら二十歳ぐらいの女性に見えるほど、外見は成長した。

 あの頃とは変わったと思うが、背中まで流れる銀の髪、紫色の瞳。日に焼けていない白い肌、なによりエルフ特有の尖った耳はそのままだ。

 彼が今の自分を見たらどう思うのだろう、と時折考えることがある。彼は同じ年だと何度も言っても、自分を何かと子ども扱いしていた。驚くだろうか。

 リリスは苦笑した。あんな昔の夢を見たから、くだらない妄想をしてしまう。早く支度をしないとミモザを待たせてしまう。

 リリスは着替えを済ませると、カーテンを開けた。外の光に思わず目を細める。


「馬鹿アスター。結局君は帰ってこなかったな」



 リリスの元からアスターが旅立って三年後、見事、彼は魔王を打ち倒した。

 しかし彼がリリスの元に戻ってくることは無かった。

 アスターの一撃は魔王を消滅させたが、魔王の一撃もまた彼の命を奪うものであったからである。両者は相討ちだった。

 怪我が即座に回復するという女神の加護を以てしても、魔王が最期に放った力は強烈だった。彼の体は骨も灰も残さず消滅し、握っていた聖剣だけがその場に残っていたという。

 魔王が消えると魔族全てが消滅した。魔族の侵攻に追い詰められていた世界は、アスターによって救われたのだ。


 人々は彼を讃えた。女神の紋章を見て、アスターに魔王討伐の任を命じた当時の聖王国国王は彼に勇者の称号を与えた。

 勇者とは、世界を滅ぼす魔王に立ち向かった勇気ある者。

 そして人々に生きる勇気を与えた者、という意味だ。

 その後、数々の英雄が生まれたが、勇者の称号は与えられていない。勇者はアスターだけの称号で、勇者と言えば彼のことを指す。

 アスターは、歴史上唯一無二の存在になった。



 リリスにアスターの訃報を伝えたのは、彼と共に魔王と戦った魔法使い、フリージアだった。

 白い霧が漂い人々を迷わせる森に入り、フリージアはリリスが住む小屋までやってきてくれた。自分に何かあったときにリリスを頼むとアスターに頼まれていたらしい。

 そしてリリスは訪れたフリージアと共に森を出た。21歳のときだった。

 彼女に弟子にしてもらい、魔法を身につけた。修行として彼女と共に世界各地を巡った。

 アスターが守った世界を、彼が作り上げた平和な時間の中で見て回った。

 しかしそんな時間は長くは続かなかった。



 着替えを済ませ、居間に訪れるとテーブルの上にはすでに朝食が並べられていた。


「おはようミモザ。いつもありがとう」 


 礼を言うと、ミモザは微笑んだ。


 ミモザはこの屋敷で働く使用人で、ウサギ姿の獣人である。

 見た目は二足歩行をしているウサギそのものだ。

 天井に向かってピンと伸びている長い耳。黒い瞳は丸くて大きく、灰色の毛並みの上にエプロンドレスを着ている。

 身長はリリスよりも少し小さいぐらいだが、ずんぐりむっくりとした体型に長い耳のせいで身長以上に大きく見える。圧迫感を覚えてもおかしくないが、ウサギと同じ愛らしい外見で、怖いとは思わなかった。

 彼らの聴覚はヒトよりも優れていて、ヒトが聞こえない遠くの物音にも敏感だ。

 リリスがやってくる頃合いを気配で察知しているのか、スープは温めたばかりのようで、うっすら湯気が出ていた。

 ミモザはラジオをつける。いつもリリスが聴いている番組にチャンネルを合わせてくれた。


『ラジオの前の皆さん、おはようございます。本日は45年目の終戦記念日であります』


 ノイズが晴れて聞こえてきたアナウンサーの言葉から、もうそんな季節か…と彼女はぼんやりと思った。


『勇者アスターが魔王を討ち滅ぼし訪れた平和。しかしその平和が長くは続かなかったことを皆さんは当然、ご存じだと思います』

 リリスは朝食のパンを口に含みながら、話を聞いていた。


『はじまりは小さな争いでした。北の小国であったアガート帝国が急激に力をつけ、近隣の国を侵略し強大化、大陸の覇者になろうと聖王国への攻撃をはじめました。やがて争いは激化し、大陸中の国々、ヒト以外の数々の他種族をも巻き込んで110年も続いた大戦になったのです』


 戦争が激化し始めた頃、リリスの師匠フリージアは魔王を倒した英雄の一人として、国の要請を受け宮廷魔法使いとなった。当時、彼女の弟子であったリリスもフリージアについていった。

 そして帝国との戦いに参加した。



 技術革命はアガート帝国で発生した。

 帝国は魔王の領地の近くにあり、魔族の侵攻で力を失っていたが、その魔王が勇者によって討たれたことで魔王領を手に入れることが出来た。

 その土地から取れる数々の魔石を帝国の人間たちは加工し、機械を作り上げた。

 当時は魔法が全盛期の時代だったが、機械の登場は魔法が使えない人間たちにも簡単に下位魔法と同程度のことができ、機械は普及、発展するようになった。

 勇者が活躍した時代は、剣と魔法の時代だった。

 しかし今、剣は時代遅れの武器となっている。剣よりも兵士の基本装備は歩兵銃になってしまった。

 機械の普及はすさまじく、魔法王国とも呼ばれるほど魔法が栄え発展した聖王国でも、機械は社会に根付いていった。聖王国では帝国と違い、機械は魔法に完全に置き換わること無く、両者は両立した文化になっている。

 帝国は歴史の浅い国だが、機械と科学技術の台頭で、聖王国と対抗できるようになったのだ。



『異世界の魔族との戦いの歴史よりも、先の大戦の戦争期間が長いというのは何という皮肉なことでしょうか。命を賭してこの世界を救った勇者アスターが知ったとき、どう思われるのでしょうか。皆さん、想像してみて下さい。勇者は嘆き悲しまれるはずです』

 そんなヤツだっただろうか。リリスは嘆き悲しんでいる彼の姿を想像することはできなかった。


『皆様、あの戦火を忘れてはいけません。この平和がこれからも続くように本日は祈りを捧げましょう』

 リリスはスープの入ったカップに手を伸ばそうとするのを止めて、目を瞑ろうとした。が。


『どうかこの世界に、女神さまの加護あらんことを』

「消してくれ、ミモザ」


 アナウンサーの最後の言葉にリリスは目を開けた。言われた通り、ミモザはラジオを消してくれた。

 全く、と彼女は内心愚痴をこぼした。

 女神に祈ったところでどうなるというのだ。自分は何もせずヒトにやらせるようなヤツなのに。

 内心毒づいた後、リリスはスープをすすった。



 今、リリスがいる場所は、幼いとき彼女が住んでいた小屋である。

 正確に言うと、小屋を改築し二階建ての屋敷になっている。来訪者は滅多にこないものの、屋敷の土地を区切るため、門も設置し庭も整備してある。

 リリスと使用人のミモザしか住んでいないものの、屋敷は広い面積を持っていた。

 小屋を屋敷に改築したのは、大戦が終わってからの頃だ。

 それ以前は、リリスは師匠フリージアが亡くなったあとも宮廷に残り、聖王国のために戦い続けた。


 そして長い長い戦争が終わった45年前、彼女は宮廷を去った。

 理由は単純だ。大戦が終わった後、リリスは働き続けて疲れていたからだ。

 エルフの血を引き、ヒトの寿命よりも長く生きた彼女の力は師匠フリージアを超えるほど強大になっていた。

 いつのまにか、この国一番の魔法使いと呼ばれるほどにまでなっていった。

 そんな強力な力を持つリリスに休みはなく、戦時中の空を飛び回った。いつしか味方からは勝利を確信され、敵からは恐れられる存在となっていった。

 そして戦争が終わると、張り詰めた糸がプツリと切れてしまった。

 終戦後、リリスは宮廷魔法使いを辞めて、幼い頃住んでいた小屋に戻ってきた。疲れ果てた彼女は誰とも関わり合いたくなかった。

 リリスは今や、186歳になった。

 ヒトでいうならば、隠居生活というものを彼女は送っていた。



 リリスが朝食を食べ終えた頃を見計らって、ミモザが食後の紅茶と一緒に一通の封筒を手渡してきた。


「リリスさま宛に郵便ですわ」

「私宛て? 珍しいな」


 屋敷に引きこもりはじめの頃は郵便も来ていたが、今は滅多に来ない。大戦が終わって時間が経つに連れ、こんなところに彼女が住んでいると知る人間も少なくなってしまったからだろう。

 受け取った封筒には、差出人の名前が書いていなかった。

 不審に思ったが、何か細工がしてある様子も無さそうだったので、とりあえず開けてみようとしたとき電話のベルの音が鳴り響いた。

 ミモザが慌てて取りに行き、しばらくしてからこちらに顔を向けた。


「リリスさま。お電話です」

「私か?」

「はい。ルドといえばわかると、相手は仰っていますが…」


 その名前に、リリスの全身に緊張が走った。その名は宮廷魔法使いだった頃、リリスに命令を下していた上司のものであった。

 リリスは居留守を使いたい気持ちになったが、彼のことだ。自分がここにいることなど把握しているだろう。リリスは席を立つと、渋々受話器を受け取った。


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