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リリスの決意

「断る。私はもうあなたの部下じゃない。命令を聞く義務は無いはずだ」


 リリスは要求をはね除けるように、きっぱりと答えた。


「……戦争が終わって、世界なんかどうでも良くなったのか? 昔の君はアスターが作った平和が戦争で壊されるのが嫌だと。だから争いを早く終わらせたいと僕に力を貸してくれたのに」


 ルドの言葉は真実だ。

 アスターの死後、戦争が始まり師匠フリージアは宮廷に招かれた。彼女は宮廷魔法使いとなり戦争に赴き、彼女についていったリリスもまた戦った。

 呼ばれた師匠は最初、王宮に行こうとはしなかった。戦況が激しくなって渋々赴いたのだ。

 反対にリリスは自分の力が戦いを早く終わらせるなら、役立てたかった。

 師匠は大戦中に亡くなった。彼女は戦い続けるリリスをずっと心配していた。


『お前に何かあったら、アスターが悲しむ』


 それが師匠の口癖で、彼女は最期までそう言って、リリスに戦いから降りるように言っていた。

 しかしリリスは従わなかった。

 アスターは世界を守り、平和を作ったのだ。その平和を守りたかった。それがアスターに対するせめてもの報いだと思った。


「どうでも良いなんて、思っていない。けれどシオンはアスターではありません。今の彼はただの子どもです。子どもなんです」

 リリスは絞り出すように言葉を出した。

「アスターは父親から魔族は殺せと育てられてきた。そして女神に認められ使命を与えられた。……本当はそんなことしたくなかったのに、旅立つことを勝手に決められた」


 父親から思想を押しつけられ、女神からは使命を与えられた。そこにアスター自身の意思は無かった。でも彼は旅立った。


「それでもアイツは使命を果たした。魔王を倒したんです。自分の命と引き換えに。……だったらもういいじゃないですか。今生では好きなように生きても。普通に平和な毎日を送らせてもいいじゃないか。生まれ変わってもまた戦えというのなら、そんなの女神の加護じゃない。呪いだ」

 リリスは女神に対する怒りを込めて、言い切った。


「私は彼に自由に生きて欲しい」

「じゃあ、世界はどうなっても構わないとお前は言うのか、銀の魔女」

 ルドは緑の瞳を細めて睨む。しかしリリスは怯まなかった。


「そんなことは言わない。アイツが守った世界は、築いた平和は私が守る。それが守られた私に出来ることだから…」

 彼女はルドに向かって、はっきりと言った。


「だから、私が魔王を倒します」






 バサバサと翼がはためく音がして見上げると、上空に自分の周囲をくるくると回るカラスがいた。

 リリスの使い魔の一匹だった。普段、屋敷で飼っていて、何か起こったときに飛ばすようにミモザには言い聞かせていた。


「ミモザからの伝言か?」

 リリスが手を上げると、カラスは降りてきた。肩に降り立ったカラスが嘴を開く。


「申し訳ありません、リリスさま。シオン坊ちゃんがいなくなりました!」

「何だって…!?」


 嘴から聞こえてきたカラスの声はミモザの声そのものだった。

 このカラスは相手の言葉、声の調子をそっくりそのまま真似ることができる。カラスの前で伝言を話すと覚えてくれて、自分の声をまねて相手に伝えてくれるのだ。


「リリスさまが屋敷を出られて、私が目を離したほんの少しの間にいなくなってしまったんです。屋敷中を探し回したけれど見つからないのです! 私、屋敷の外に坊ちゃんが出て行ったんじゃないかと心配で…」


 カラスがまねるミモザの声は少し涙ぐんでいた。


「もしかしてと思ってカラスを飛ばしましたが、リリスさま、シオン坊ちゃんはそちらに行っていませんか? 空間を移動できる魔導具の鍵を持っていない坊ちゃんが、リリスさまを追いかけるなんて不可能だとわかっています。だけど、シオン坊ちゃんはリリスさまと一緒に行きたそうにしていたので…」

「そんな馬鹿な…」


 屋敷から王都までどれだけ距離があると思っているんだと、リリスは反論しようとして止めた。


 朝、ふわりと空中を飛んでいたシオンの姿を思い出したからだ。

 そのとき彼は確かこう言っていた。


『少なくとも、遠く離れていてもリリスの元に飛んでいくぐらいは出来るようになったよ』


 嫌な予感がした。まさかリリスが出かけた後に、ミモザの目を盗み屋敷から力を使って飛び立って王都に向かったのではないだろうか。

 そんなことあるわけないと否定しようとしたが、魔獣を退治しに森に赴いたときも、彼はついてきたという事実がある。

 ルドとの電話の会話はシオンに聴かれていた。彼はリリスが王都の勇者像の前で待ち合わせをすることを知っていた。


「どこに行く?」

 背を向けたリリスに、ルドが尋ねる。

「……広場の像へ。もしかしたら、シオンが来ているかもしれません」

 答えながら、リリスは駆けだした。






 シオンは青銅の勇者の足の部分に背を預けて、赤く染まった空を眺めていた。

 間近で見ると青銅の勇者は、想像の数倍大きかった。地上で見上げることを考慮されて作られたからだろう。

 勇者の銅像は台座そのものが人の身長よりも高くなっていて、像そのものには人の手が触れられないようになっている。

 そんな台座にシオンが腰掛けているのは、彼が力を使って飛び乗ったからである。


 勇者像は王都の人にとっては、もう風景の一部になっており、誰も見上げる者などいなかった。だから誰もシオンがそこに座っていることに気がついていなかった。

 シオンはぼんやりと、空を見ていた。


「……なあんだ。リリスも同じだったんだ」


 自嘲するように呟くと、途端に気持ちが落ち込んだ。

 シオンはリリスが屋敷を出て、すぐに彼女を追いかけた。

 彼女からは屋敷に残るように言われたし、彼女の言い分もわかっていた。しかし落ち着いて待つなんて出来なかった。

 屋敷から王都までの距離がどのぐらいあるか、シオンはよくわからなかった。王都の方角もよくわかっていなかった。しかしあの時リリスと訪れた王都の風景を思い出すと、ふわりと体が軽くなった。

 気がついたら、シオンは王都の街並みを上空から眺めていた。


 ……彼は自覚していないが、リリスの鍵と同じ、空間転移の力を使っていた。魔法ではなく彼自身の異能の力で瞬間移動したのだ。

 シオンは上空から王都の外れの公園に立っていた、リリスを見つけた。

 彼女を見つけるのはたやすかった。上空からは黒いとんがり帽子は目立っていたからだ。

 リリスは石碑の前に立っていた。彼女の横には、金髪の男が立っていた。この男がルドなのだろう。

 シオンは気づかれないように、彼女から離れた場所に降り立った。樹に隠れてそっと様子を伺う。




 二人は何やら話していたが、話の内容は風の音が大きく上手く聞き取れなかった。しかし二人が並んで立っていて話をしている姿に、シオンは胸の内がモヤモヤするのを感じていた。

 リリスはとんがり帽子をかぶっていて身長差をあまり感じないが、相手の男はリリスよりも背が高い。リリスも相手の男も特別大きいわけではないのだが、シオンはリリスよりも背が高い男にうらやましさを感じてしまった。


 オレだって、あと数年もしたら、リリスよりも大きくなれる…はずだ。


 胸の内で対抗意識を燃やしながら二人を眺めていると、風がやんだおかげで男の声が聞こえてきた。


『リリス、彼は前世の記憶を思い出したのかい』


 シオンは驚いた。男は自分のことを尋ねたからだ。

 二人の会話が聞こえてきて、ルドが自分を帝国に渡したくないから、リリスをオークションに向かわせたのだと言うこと、リリスはその言葉に従い、自分を助けてくれたのだとシオンは知った。


『シオンの中の勇者アスターの記憶を呼び起こしてくれ』


 ルドがリリスに向かって、そう言った。

 彼女がどんな返答をするのか聴くのが、怖かった。だからシオンはその場から離れて、王都に戻った。

 けれどどこにも行く場所なんてないので、勇者像の台座に座ってぼんやりと空を眺めていた。




 ハハハとシオンは笑ってみた。

「結局、リリスもオレのこと勇者の生まれ変わりとしか見ていなかったんだ」

 声は誰にも聴かれること無く、空に消えた。


 紋章が手に現れてから、人々は自分のことを「勇者の生まれ変わり」としか見ようとしなかった。自分を捕まえようとした人狩りたちも、自分を買おうとしていた人間たちも。

 小さい頃からずっと世話をしてくれたマリー先生だって、紋章を目にした途端、豹変してしまった。

 リリスはハーフエルフで自分も売られそうになった過去があるから、人買いたちが嫌いで、正義感から自分を助けてくれたのだとシオンは思っていた。

 だからリリスは自分のことを勇者の生まれ変わりなど関係なく、見てくれていると思っていた。

 ……なのに。


 シオンは段々腹が立ってきて、顔を上げた。青銅の勇者は前をまっすぐに見据えていて、凜とした顔つきをしている。

 そのスカした顔が、余計にシオンを苛立たせた。


「お前のせいだ。お前のせいで、オレはどこにも帰れない…!」


 苛立ちにまかせて勇者の銅像の足を蹴り飛ばしたとき、声がした。


「シオン? そこにいるのはシオンですか…?」


 幻聴かと思った。彼女がこんなところにいるなんて、あるわけないからだ。

 しかしシオンは地上を見下ろすと、修道服を着た女性が自分を見上げて口をぱくぱくさせていた。


「どうしてそんなところにいるの、シオン。危ないわ。降りていらっしゃい…!」

「マリー先生…?」


 体の線を覆い隠すような、ゆったりとした修道服。頭にかぶっているベールの隙間から明るい茶色の前髪が垂れていた。


「やっぱり動いてはダメ。ハシゴか何か持ってくるから、ちょっと待っていて…!」

 マリー先生は、オロオロとその場をぐるぐると回っていた。


 三十代前半ぐらいの年なのに、先生はパニックになりやすい。返って、周りにいる子どもたちの方が冷静になるぐらいだ。

 シオンは彼女が幻覚ではないと確信した。

「落ち着いてよ先生。今、そっちに行くから」


 シオンは台座から飛び降りた。きゃあとマリー先生が悲鳴を上げる。シオンは落下スピードを力を使って遅くし、着地の衝撃を和らげた。

 力のコントロールが上手くいったことに、シオンは息を吐いた。そのとき、シオンはぎゅっと抱きしめられた。


「シオン! あなた、今までどこにいたの!? 心配したんですからね! いいえ、説教は後です。どこにも怪我はない? 大丈夫?」


 いつも通りのマリー先生の様子で忘れてしまっていたが、彼女が自分の近くにきたことで、シオンは首を絞められた苦しさを思い出した。シオンはとっさにマリー先生の肩を突き飛ばした。

 力が強かったせいか、マリー先生は地面に尻餅をついた。シオンはそのすきに距離を取ろうとして、背後から悲痛な声に呼び止められた。


「待って、シオン。私はあなたをずっと探していたのよ…!」

 ぴたりと足が勝手に止まった。

「どうして…? オレのこと、殺したいほど憎いから…?」

 あれからずっと思い悩んでいたことを聴くと、マリー先生は困惑したようだった。


「何を言っているの? あなたは私の家族の一員よ。家族が子どもを心配するのは、当たり前のことでしょう」


 マリー先生の瞳は潤んでいた。その顔をシオンは何度も見たことがある。

 自分が脱走して、彼女に見つけられ捕まえられたときだ。マリー先生は説教をしながら、泣いていた。シオンがいなくなったことに心配し、無事に見つかってほっとして安堵したときに彼女は泣くのだ。

 そこには、あのとき自分を殺そうとしていたマリー先生はいなかった。

 シオンが知っている、いつもの彼女がいた。


 彼女に近づくと、手を差し出して引っ張り起こした。

 立ち上がった彼女は、シオンの頬を平手で打った。先生は自分をキッと睨みながらも、瞳からポロポロと涙を流していた。


「……ごめん、先生」


 彼女に自分への殺意は感じられない。

 ただの悪夢だったのかもしれない。先生が自分を殺そうとしたのは、自分が悪い夢を見て勘違いをしていただけかもしれない。シオンはそう思ってしまった。


「一ヶ月以上探して、今度ばかりは見つからないかと諦めかけていました。私はとうとう、あなたが帰りたい場所を見つけたのかと思っていましたよ」

「帰りたい場所…?」

 彼女の言葉の意味がよくわからず、シオンは首を傾げる。


「覚えていないの? 幼い頃のあなたはよく言っていたじゃないですか。早く帰りたい、と。どこかに誰かが待っているような気がする、と。覚えていませんか?」

「……そうだっけ」

「あなたが小さかった頃ですからね。覚えていないのも無理はないかもしれません」


 そういえば、そんなことを言っていたような気がする。

 ここではない、どこかに行きたいという漠然とした理由でよく孤児院を脱走していたのは覚えている。そのたびに、目の前のマリー先生に連れ戻されていた。


「私はあなたが亡くなった親御さんの元に帰りたいと、寂しがっているのだと思っていましたよ。もしかしてあなたが帰ってこなかったのは、探していた場所を見つけたからですか…?」


 シオンが思い出したのは、白い霧に覆われた大きな屋敷だ。

 孤児院を逃げ出して、オークションからリリスに連れ出された後は、この屋敷がシオンの家になった。

 優しい使用人のミモザ。

 屋敷の主人、銀の髪に紫の瞳をしたハーフエルフのリリスの姿を思い描いて、シオンは首を横に振った。


「ううん」

「そう。では、私たちの家に帰りましょう」

 先生がシオンに手を差し伸べた。


「でも、皆、怖がっているんじゃないの? オレ、学校壊してみんなをケガさせたんだよ」

「シオンがやったなんて、皆、思っていませんよ。それどころか、皆、あなたがいなくなって心配しています。だから早く帰りましょう」


 シオンは兄弟のように育った他の孤児たちの姿を思い出して、涙ぐんだ。

 潤んだ瞳など見られたくないので慌てて涙を拭い、彼女の手を取る。思った以上に力強く、腕を掴まれた。

 マリー先生は薄く笑っていた。


「やっと捕まえた。次は逃がしませんよ、勇者の転生者」


 一瞬にしてシオンの背筋は凍った。彼女はもう片方の手にナイフを持っていて、先端を自分に向けていたのだ。


「あなたはどうやったら死ぬのかしら。心臓をひと突きすれば、忌々しい女神の加護は発動しないと思う? 試してみましょうか」


 先生がナイフを持った手を頭上に掲げた。シオンは彼女の手を振りほどこうとしたが、びくともしなかった。


「雷よ!」


 そのとき鼓膜を震わす轟音と共に白い光が視界を覆った。シオンは思わず後ろに下がり、足を滑らせて尻餅をついた


「大丈夫か」


 眩しい光が去り目を開けると、目の前に銀色の長い髪が風になびいていた。リリスが自分を守るようにこちらに背を向けて立っていた。



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