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強襲

 低い男の声が真後ろから聞こえた。

 シオンは背後の気配に暴れようとしたが、体をがっちりと固定されて動けなかった。


「シオン!」

 目の前のリリスが叫ぶ。彼女の背後に、もう一人、見知らぬ男が忍び寄っていた。


「――――!」


 危険を知らせようとしたが口を塞がれて声にならない。

 男の影が彼女の体と重なると、リリスの顔が歪んだ。そして膝をついて地面に倒れた。

 彼女の背後に立った男の手にはナイフが握られていた。それが真っ赤な血でぬれていた。

 倒れた彼女の腹部から少し遅れて、血が広がっていく。


「……これが同胞をあれだけ屠ってきた魔女か。あっけないものだな」


 男が吐き捨てるように言った。

 冷たくリリスを見下ろしていた男の視線が、シオンに向いた。


「本当にこれが勇者の生まれ変わりか? まだ子どもじゃないか」


 目の前の男の姿は、どこにでもいる通行人と同じ格好だった。人混みに紛れてしまえばすぐに忘れてしまいそうな、特徴の無い格好、顔立ちをしている。

 背後から返事が聞こえた。


「いや、間違いない。手の甲に紋章も浮かんでいる。買い取った魔女もそばにいた。試しに傷をつけて、女神の加護が発動するか試してみるか」

「女神の加護か。どんな傷も治るのなら、運びやすいように手足をもいでしまうのはどうだ?」

「やめておいた方がいい。傷は塞がっても、手足がまた生えてくるかはわからないからな。これはきちんと教育を施せば、我ら帝国の強大な力になる。欠陥を作って、長く使えなくなっては元も子もない」

 男たちの会話が、流れてくる。


 自分のことを話しているのはわかる。しかしそこにはシオンの意思など無いような口ぶりだった。まるで物のような扱いだ。

 それは勇者の生まれ変わりを捕まえようと、自分を追ってきた人狩りたちと同じ態度だった。追われていたときのシオンは、そんな彼らに怒りと恐怖を抱いていた。捕まれば、自分は人として扱われなくなると感じていたからだ。

 捕まるのはこれで二度目だ。一度目に捕まったときは、これからどうなるのかと頭は恐怖でいっぱいだったのに、今は違う。男たちの会話がどこか遠くに聞こえる。

 シオンの頭の中は真っ白だった。

 彼の目は倒れているリリスから離れられなかった。

 彼女は、彼女自身の血だまりの中に伏して、ピクリとも動かない。


 どうして、とシオンは心の中で声を漏らした。どうしてリリスは倒れているんだろう。

 今日はリリスと一緒にデートにやってきた。二人きりで一緒に出かけることを、自分はとても楽しみにしていたはずなのに。どうしてこんなことになってしまったのか。

 自分は何も出来なかった。リリスに危機を伝えることも、身を挺して彼女を守ることも出来なかった。先に捕まってしまったから。

 どうして俺は捕まっているんだ。こんなはずじゃ無かったのに。


 ――――悪い人間が現れても守ると約束したのに。


 体が熱くなった。体中の血液が沸騰しているかのようだ。視界がチカチカと点滅する。

 シオンは力を込めて男の腕の中で頭を振った。


「おい、暴れるな。本当に手足を切り落として――――」


 男は最後まで言い切ることができなかった。強引に頭を動かしたシオンが男を視界に入れた瞬間、彼の体は吹き飛ばされたからだ。

 男の体は壁にぶつかって止まった。衝撃をもろに受けた彼は、意識を失いそのまま倒れた。


「……勇者の力か!」

 もう一人の男が、シオンから距離を取った。


 体が自由になると、力が今にも溢れ出てきそうな気配を感じた。

 神学校を壊したときと同じ感覚だった。このまま力を解放すれば、男だけじゃない。この周辺が壊れてしまうのがわかる。

 しかしどうでもよかった。力が溢れるなら溢れてもいい。それで周囲がどうなろうが、関係ない。


 だってコイツはリリスを…。


「落ち着け、シオン」


 ポンと肩を叩かれた。

 後ろを向くと、リリスがシオンの両肩に手を置いて立っていた。


「怒りに身をまかせるな。力に飲み込まれるぞ」

「り、リリス…!?」


 驚くシオンに対して、彼女はニヤリと口元を歪ませた。自分の背後に立っている彼女は平然と立っており、腹部の刺された傷もなかった。


「何で…!?」

「よく見なさい。アレは私か?」


 促され、先ほどまで倒れていたリリスの場所を見てみると、彼女の体だったモノは土人形になっていて、ヒビが入り崩れていた。血だまりの赤が青色に変わっている。


「君たちが見ていた私は幻だよ。幻覚を見せていたんだ。心配をかけてすまなかった」

「銀の魔女、貴様…!」

 男がナイフをこちらに構える。リリスはフンと鼻で笑った。

「私を魔女呼ばわりするか。ならばそれ相応の覚悟はあるんだろうな」


 リリスがパチンと指を鳴らすと、土人形が残した青い血だまりから無数の青い蝶が生まれた。それらは飛び立ち、男に向かって群がった。

 男は慌てて取り出したナイフで蝶を払ったが効果は無い。どんどん蝶は増えていき、男の体はすっぽりと覆われ見えなくなってしまった。


「ぎゃあ!」


 男の悲鳴が上がる。しばらくすると蝶たちは飛び立っていった。

 しかし男が立っていた場所には誰もいなかった。

 蝶たちがいなくなって、石畳の上に残されていたのは一匹のカエルだった。

 緑色の小さなアマガエルだ。


「……カエル?」

「うん。無力化するために変身させた。ほら、物語の魔女はよくヒトをカエルにしているだろう? 魔女と呼ばれたのだから期待には応えないとね」


 ヒトであったときの意識は残っているかはわからないが、カエルはゲコゲコとなくと、後ろ足を蹴って小さく飛び跳ねた。


「さてシオン。そのカエルを捕まえてくれ。毒を持っていない個体だから触っても大丈夫だ」

「何で」

「野放しにしておくわけにはいかないだろう。聴きたいこともある。……もう一人は逃げてしまったようだからね」


 シオンは吹き飛ばした男の方を見ると、そこに彼の姿はなかった。意識を取り戻し、仲間を見捨てて逃げ出したようだった。


「それに私はカエルが苦手なんだ。実を言うと触りたくもない」

「じゃあ、何でカエルになんかに変身させたんだよ…」

「だって魔女と呼ばれたから…」

「真面目かよ」


 シオンはぴょこぴょこと動くカエルを捕まえると、リリスはシオンに小さな巾着袋を手渡した。その際、リリスは露骨に目線を合わせようとしなかったので、本当に苦手なのだとわかった。

 中にカエルを入れ、ぎゅっときつく巾着袋の紐を縛り姿が完全に見えなくなって、ようやくリリスはシオンの方を向いてくれた。


「君を連れ去ろうとした彼らは、おそらく紛れ込んでいた帝国のスパイだ。会話の内容から、勇者の生まれ変わりである君を連れ去り自国の兵力にしたかったようだな」


 シオンはリリスが喋っている姿を、ぼうと見つめる。

 彼女の体は傷一つ付いていない。ナイフに刺された傷口も無い。幻覚だったから当たり前だ。


「君が無事で良かった」


 彼女が、不器用に微笑んだ。

 リリスが生きていて良かった…という気持ち以上に、別の感情がシオンの中で膨らんだ。

 捕まるまで敵の気配に気づけなかった。小さな体は簡単に拘束され、彼女を守るどころか守られてしまった。ここで戦いに慣れていたら反撃できたかもしれないが、今の自分はろくに剣すらも握ったことがない。

 シオンは自分が情けなかった。






 突然シオンの瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちて、リリスはぎょっとした。


「ど、どうした? どこか痛いところでもあるのか? 怪我でもしているのか? ちょっと見せてみなさい」

 あたふたするリリスに、シオンは涙をこぼしながら首を横に振った。


「違う。オレ、悔しくて」

「悔しい?」

「だって、何も出来なかった。リリスのこと守れなかった」

「守る…?」

「外に出て、もし悪い奴が現れたら俺が守ってやるって言っただろ?」

「……!」


 リリスは驚いた。

 それを言ったのは、シオンではない。アスターだ。

 まだリリスが少女の頃、小屋に引きこもっていた自分に外に出ようと誘うとき、アスターが安心させるために言ってくれた言葉だ。

 もしかして、記憶が一部蘇ったのか…とリリスの心臓は跳ね上がった。


「違う。違うよ、シオン。君はそんなこと言っていない」


 リリスは彼の言葉を否定した。そう強く言わないと、アスターの記憶が現れるのではないかと怖かった。


「だいたい君が私を守るだって? 違うよ。私は銀の魔女。この国一番の魔法使い。もう、守られるだけの存在じゃなくなったんだ」


 勇者の仲間のフリージアに弟子入りし、魔法を習ったのは、アスター亡き後何も出来なかった自分に後悔したからだ。そして大戦の初めから終わりまで戦い続け、リリスはこの国一番の魔法使いと呼ばれるようになった。


「謝らなければいけないのは私の方だ。君は普通の子どもだから、私が守らなければいけないのに、君に怖い思いをさせてしまった。……すまない」


 リリスは自分を恥じた。

 もしかしたら魔獣にまた襲われるかもしれないと出かける前の自分は危惧していた。それを、自分がシオンを守ればそれでいいと決めていたのに。

 敵は魔獣だけでは無かったのだ。

 非公式のオークションで勇者の生まれ変わりが欲しい人間は、たくさんいた。リリスが買い取ったからと言って、諦めきれない人間がいることを考えなければいけなかった。


「普通の、子ども」

 シオンの目から涙が止まった。彼はじっと己の手のひらを見つけた。


「そうだよな、何言っているんだろうな、オレって。リリスを守るなんて…。何故かわからないけど、言った気になってた…」

 シオンは自嘲するように笑った。しかし目元を乱暴に拭うと、顔つきが引き締まっていた。


「でも、今のままじゃダメだ」

 彼は、ぎゅっと拳を握りしめた。

「オレ、強くなりたい」

 リリスをまっすぐに見つめ、宣言するように彼は言った。






 日が暮れてから、リリスとシオンは屋敷に戻ってきた。

 そして次の日から、シオンはリリスの部屋に訪れてくることは無くなった。夜にやってこなくなったし、昼、仕事を終わらせて遊びに来ることも無い。


「リリスさま、朝食の準備ができましたわ」

「わかった。すぐに行くよ」


 扉の向こうからかけられたミモザの声に、リリスは返事をした。シオンがやってきてからは、なんだかんだ彼に呼び起こされていたので、シオンの声ではないことに不思議な気分になった。

 今日も霊薬の研究で寝ていないので、リリスは返事をしたとおりにすぐに部屋を出ようとした。しかし思いとどまって、窓に近づいて外をのぞいた。


 リリスの部屋は屋敷の二階にある。下をのぞくと屋敷の周囲をシオンが走っていた。

 あの出来事があった次の日の朝から、シオンは走り込みを始めたのだ。


『体力を作りたいんだと言っていましたわ。なんでも、いざというときにリリスさまを守れるために体を鍛えたいんですって』


 彼が走り込みを始めた朝、シオンの姿が見えないことをミモザに聴くと、彼女からそう説明された。


『ミモザは嬉しいです。リリスさまとシオン坊ちゃんが仲良くなってくれて』


 彼女はシオンの行動が微笑ましいように見えていたようだったが、リリスは複雑な気分になっていた。

 屋敷から外に出たミモザがシオンを呼び止め、タオルを渡す様子が見えた。汗を拭いたシオンがミモザの後をついて屋敷に入っていく。

 自分もそろそろリビングに行くとするか、と足を動かそうとして、部屋の隅に置いた虫かごに視線を移した。中には一匹のアマガエルが入っている。


「そろそろ一週間か。君の処遇も決めないといけないな」


 リリスの声に反応したように、アマガエルが虫かごの壁に手を置いた。ヒトであったときの意識はおそらく無いはずだ。

 ……あったら、どうしよう。

 罪悪感が芽生えそうになって、いやいやコイツはシオンを帝国に連れて去ろうとしたスパイだ、とリリスは思い直す。


「薬の生成方法も完成した。あとは実際に作るだけだ。作ってシオンに薬を飲ませた後は…」


 シオンの前世の記憶を思い出さないように完全に封印すれば、覚醒した力も封印され、女神の紋章も消えるはずだ。

 そうすればシオンは普通の子どもに戻ることができる。彼を彼の日常に帰すことができる。そしてその後は。


「ルドに会いに行く」


 宮廷魔法使いとして働いていたときのリリスの上司、そして彼女に勇者の生まれ変わりがオークションに出品されたことを伝えてきた男だ。

 彼はどうしてそのことを伝えに来たのだろう。その意図をリリスはまだ把握していない。魔獣、帝国のスパイの出現、それらと関係があるのだろうか。

 シオンの問題を終わらせた後、リリスは彼に会いに行くことを決めたのだった。


 


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