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デートに誘われて

 目を開けたリリスを青い瞳が見つめていた。


「……シオン?」


 リリスは顔を起こした。動いたせいで、瞳にたまっていた涙が頬を伝って流れ落ちた。


「泣かないで、リリス」


 少年のまだ筋肉の付いていない細い手が伸びて、リリスのまなじりから涙を拭った。


「急に泣き出したからびっくりしたよ。怖い夢でも見た?」

「……ああ、そうだ。夢。夢だったんだな…」


 リリスはようやく、今の状況を自覚した。

 先ほどまで見ていた光景は夢だ。リリスが師匠のフリージアと共に旅をしていたときの思い出。旅の途中に王都に立ち寄って、勇者像を眺めていたときの記憶だった。

 今、現在のリリスは自分の部屋にいて、机の上で腕を枕にして眠っていた。変な格好で眠っていたせいで、体が固まっていた。


「大丈夫か、リリス。どっか具合でも悪いのか」

 シオンがのぞき込むようにこちらを見ていた。

「ああ。少し眠たかったから昼寝をしていただけだよ」

「また徹夜してたんだろ? ダメだぞ。ちゃんと寝ないと」


 シオンの言うとおり、リリスは最近、夜通し研究をしていた。

 それも彼のため、前世の記憶を封印する霊薬を完成させるためだ。

 賢者は自分の魔力のこもった葉を分けてくれたが、霊薬の作り方までは教えてくれなかった。

 だからリリスは過去の文献を参考にしながら、霊薬の作り方を模索していた。

 時間を忘れて研究に没頭してしまうため、夜も眠らず朝まで起きてしまっていた。朝食はシオンやミモザたちと食べているが、食後、ぼうとしていると睡魔がやってくる。そのせいで昼は眠っていることの方が多くなっていた。

 今も、霊薬の作り方を考えていたら眠くなって頭が動かなくなったので、睡眠を取っていたところだった。


「……シオン、私は何か寝言を言っていたか?」

「ううん」


 シオンが首を横に振る。良かったとリリスはほっとした。アスターの名前を呼んでいなくて良かった…と。


「ところで、どうして君は私の部屋にいるんだ?」


 リリスはシオンを見る。シオンは勝手知ったると言う風に、いつのまにか部屋の隅に置いてあるイスを運んできて座っていた。


「え? だってリリス言ってくれたじゃないか。部屋の扉は開けておくから、いつでも来ていいって」

「……まあ、言ったけども」

「何だよ、オレ、仕事さぼってないぞ。ちゃんと掃除も洗濯もミモザさんに言われたこと全部終わらせてから遊びに来てるんだからな」


 仕事をしていないと思われるなど心外だ、と言わんばかりの主張だった。うん、と小さくリリスは頷く。

 別に、遊びに来いとは言っていないよな。

 …そう内心、反論しながら。



 確かにリリスはシオンに言った。

 悪夢を見て眠れないとき、眠りたくないときにいつでも部屋においで、と。

 そう言った次の日の夜。森も寝静まった頃合いに、シオンはリリスの部屋を訪れた。

 小さな気配に気づいて扉の方を見ると、彼はうっすらと開いた隙間からこちらをじっとのぞき込んでいた。


『こんばんは。シオン』


 リリスは彼を招き入れたことを覚えている。

 暖かいミルクを入れてあげ、リリスは彼が落ち着くまで話をした。

 シオンはリリスの昔話を聞きたがったので、リリスは師匠フリージアと修行の旅をしていた頃の話をした。

 シオンは楽しそうに聴いていたが、途中から睡魔がやってきて、うつらうつらとし始めた。

 彼は眠りたくないと嫌がっていたが、リリスはシオンを自分のベッドに眠らせた。自分は研究のため起きていて使わないから、占領されてもかまわなかった。

 彼はうなされている様子も無く、よく眠っていた。眠るとさらに幼く見える彼の寝顔を見て安心しつつ、研究を再開した。

 朝、彼は飛び起きて、顔を真っ赤にしていた。本人は眠るつもりはなかったのに寝てしまったことを恥じているようだった。


 そして次の日の夜も、シオンはやってきた。また次の日の夜も。

 最初の方の彼は、自分の部屋に入ってくるのに遠慮をしていた。ノックもせずにこちらの様子を伺っていた。

 しかし何度も訪れるとそんな繊細さは無くなってしまったようで、シオンは少しずつ居座るようになっていった。


 シオンと約束した夜から二週間経った。

 最初は眠れない夜にやってきたのに、最近では夜ではなく昼にリリスの部屋に訪れるようになった。

 曰く、最近、夢を見ないのだそうだ。それは良いことだった。

 しかし、なぜ昼にもやってくるのかはわからない。


 別に用事は無いようで、彼は研究にいそしむリリスを無視して他愛のない話をし始めたり、リリスが研究に没頭して相手にしてくれないときは、本棚から勝手に本を引っ張ってきて読んでゴロゴロしていた。

 たまに散らかっている部屋を掃除してくれるときもあるが…。遊びに来ているというヤツらしい。

 そろそろ何か一言、言っておかないといけない。リリスは小さく覚悟を決めた。



「シオン。確かに私はいつでも来ていいと言った。だけど、用もないのに遊びに来るのは止めてくれないか」

「えー」

「えーじゃない。それに君にとっても良くないだろう。君が私の時間を邪魔すれば、その分、前世の記憶を封印するのが遅くなるのだから」

「…………」

 シオンは黙った。わかってくれたかと思ったとき、彼はポツリと呟いた。


「用ならある」

「それは何? 言ってみなさい」

 リリスが促すと、シオンはイスから立ち上がった。


「デートしよう。リリス」


 こちらをまっすぐに見つめるシオンの瞳は真剣そのものだった。

 しかしリリスは彼の口に出した単語の意味を、上手く思い出すことが出来なかった。


「でーと?」

「うん」

「それは逢い引きの意味で合っているか? 年頃の男女が一緒にどこかに出かけるという」

「そ、そうだよ」

 シオンはリリスの視線を避け、窓辺に近づくと窓を開けた。


「リリス、最近部屋にこもりっきりだろ。たまには外に出ようよ。今日はいい天気だし、風も気持ちいい。部屋にこもりっきりなのは良くないよ」


 柔らかな風が部屋の中に入ってきて、カーテンを揺らした。

 穏やかな陽光に照らされて、シオンが笑う。その笑顔を目にした途端、過去の記憶がフラッシュバックした。





『なあ、リリス。外に出たいとは思わないのか?』


 アスターの声だった。まだ魔王退治の旅に出る前の彼。アスターと出会って、しばらく経った頃の記憶だ。

 彼は屋敷に改築する前のリリスの小屋の中にいて、イスに座っていた。


『こんな森の奥でずっと小屋の中に引きこもって、街に出たいと思わないのか?』

 当時のリリスは彼の正面に座っていて、アスターの腕の傷を消毒していた。


『思わないよ。街なんて人間がうようよいるだろう。私は人間が嫌いなんだ』

『人狩りが怖いんだろ?』

『ふん!』


 図星だった。カっとなったリリスはアスターの腕の傷に直接、消毒液を流した。彼は金縛りに遭ったように体を硬直させる。悲鳴も出せないほど、悶絶していた。


『怖くない! ただ人間は私たちを平気でだまして、傷つける。物扱いするから嫌いなだけだ』


 体を震わせていたアスターは、しばらくして消毒液の痛みが抜けたのか、口の端を無理矢理持ち上げてニコッと笑った。歪な笑みだったが、怒るのではなく笑ったので、リリスは困惑した。


『人間は、そんなひどいヤツばっかりじゃないよ。もしリリスを傷つけようとする悪い奴が現れたら俺が守ってやる。だから、外に出てみようよ。こんなところで一人でいるのは良くないよ』


 そこでリリスは彼が自分を心配していることに気がついた。

 人里離れた森の奥で、たった一人で暮らしている自分のことを彼は心配しているのだと。

 だから外に出ようと言っているのだと。

 しかし、当時のリリスはダメだった。

 いくらアスターが自分を安心させようとしても、森の外は父を殺し母と自分を攫おうとした人間たちがいるのだと思うと、怖くて仕方が無かった。

 しかもその恐怖を抱いていることを、目の前の少年にも知られたくなくて、リリスはぶっきらぼうに返事をした。


『断る』

『えー』





「リリス? どうかした?」

 シオンの声にリリスは過去の記憶を振り払うように、首を横に振った。

「いや、何でも無い」


 どうして今、アスターのことを思い出してしまったんだろう。

 無意識にシオンの笑顔に、アスターを重ね合わせてしまったのだ。


「さっきの話だけど、すまないが断る。理由は三つだ」

 リリスはシオンの顔面に指を三本立てて見せた。


「第一はさきほども言ったとおり、私の時間を奪うことは巡り巡って君のためにならない。霊薬を完成させる時間が遅れるのだから。君の願いが叶うのも、その分遅れてしまうぞ」

「じゃあ反論させてもらうけど、ずっと部屋の中にこもっているわりには、完成できてないじゃん」

「……うぐ」

 リリスは言葉を詰まらせる。


「気分転換も必要だと思うけど? 頭をすっきりさせた方が何か閃いて完成が早くなるってこともあるだろ」

「……ゴホン! 二つ目だ」

 咳払いをして、強制的に次の話題に変えた。


「でーとの計画は? どこに行くつもりだ?」

「それは…」


 次に言葉を詰まらせたのはシオンの方だった。思いつきで深くは考えていなかったようだ。

 そのまま言及していけば帰ってくれそうだな…と予想を立てたとき、思わぬ人物がシオンの味方になった。


「それなら私に妙案がありますわ」

 開けっぱなしの扉の近くに、ミモザが立っていた。 


「ごめんなさいリリスさま、盗み聞きをするつもりはありませんでしたが、何やら楽しそうなお話が聞こえてきたので、つい耳をそばだててしまいましたわ。ミモザも混ぜて下さいまし」

 リリスが許可を出すと、ミモザが部屋に入ってきた。


「デートということでしたら、シオン坊ちゃんのお洋服を買いに行って下さいませんか、リリスさま」

「服?」

「ええ。シオン坊ちゃんが今着ている服、屋敷にあった男性用の服を着てもらっているのですが、体格に合っていないでしょう?」


 今、シオンの着ている服は、初めて出会ったときに着ていたものではなかった。オークション会場で着ていた服は奴隷のような粗末なものだったので、すぐにミモザが着替えさせたのだ。

 屋敷にあった男性用の服というと、リリスの父親の服しかなかった。

 父親が死んで100年以上経っているがどうしても捨てられず、リリスは劣化防止の魔法をかけて保存していた。

 とりあえず、これを着ていればいいと差し出したのだが、成人男性が着る用だったのでシオンが着ると体格よりも一回りほど大きかった。

 服を着ていると言うよりも着せられていると言ってもいいほどブカブカで、余った袖は折り曲げて、ズボンのウエストはベルトをきつく締め上げることで調整しているようだった。

 とりあえずはコレで過ごしてもらうとして、後でちゃんとしたものを買い揃えてもらおうと思っていたのだが、ゴタゴタしていて忘れていた。


「さすがに古すぎるからなあ…。服など私に了承を取らずとも、買ってきていいのに」

 リリスがミモザだけに聞こえる声でひっそりと伝えると、ミモザがふるふると首を横に振った。


「本人に遠慮されてしまいましたの。服なんて着られたら、それでいいからって。ですからリリスさま自らが買って渡してくれたら、坊ちゃんも受け取ってくれると思いますわ」

 なるほど、とリリスは頷いた。しかし多感な年頃の少年に似合う服などわからない。


「……だったらミモザも一緒に」

 リリスはミモザも誘おうとしたが、彼女は首を横に振って断った。


「いいえ。シオン坊ちゃんはリリスさまと二人きりになりたいのですよ。……坊ちゃんは王都へ行ったことがありますか?」


 こそこそと話していたミモザが、今度は大きな声でシオンに話しかけた。いきなり自分に話題が向けられて、シオンは若干びっくりしながらも答えた。


「な、無いよ。オレ、行ったことない」

「でしたら決まりですね。王都にお買い物に行ってきて下さいまし」

「み、ミモザ!?」

「ホント!? オレ、王都に行けるの!?」

 強引に事を決められ焦るリリスとは反対に、シオンの瞳は輝いた。


「すげー! オレ、ずっと王都に行きたいって思ってたんだ!」

「ふふ。王都はこの国で一番、賑わっている場所ですからね。色々なお店もあって買い物も楽しいですよ。デートにぴったりですわ」

 にっこりとミモザが微笑む。

「わかった。楽しみだなあ、王都」


 シオンが年相応にはしゃいでいた。その姿を見ると、リリスは何も言えなくなってしまった。

 しかし王都か、と内心ため息をついた。先ほど夢の中で行ってきたばかりだというのに。

 リリスはこっそりとミモザに尋ねる。


「……集落の様子はどうだ?」

「特に何事もないようですわ。あれ以来、化け物を森で見かけたという事も無いようです」

 そうか、とリリスは頷いた。


 シオンに伝えようと思っていた三つ目の理由は、魔獣のことだった。

 リリスはミモザを通じてロップ族の集落の様子を尋ねている。あれから二週間は経っているが、新たな魔獣が現れた様子は無いらしい。


 リリスはシオンに勇者の紋章が現れたことと、魔獣の出現は偶然ではないと考えている。

 もしかしたら、魔獣が彼を狙っている可能性だってあるのだ。

 だとしたら彼を外に出すのは危険だ。

 しかし王都に行くことを楽しみにしているシオンを見ていたら、ダメだと強く言うのは忍びなかった。


 ……もし万が一、魔獣が出てきても私がシオンは守ればいい。それでいいじゃないか。

 リリスは心の中で決意した。


「わかったよ。でーとにふさわしい格好に変えてくるから、二人は下に降りてくれ」

「さ、シオン坊ちゃん。リリスさまのお着替えの邪魔になってしまいますわ。部屋を出ましょうね」

「き、きがえ…!」

 さっとシオンの頬に朱が混じったのが見えたが、ミモザにぐいぐいと背中を押されて、二人は部屋から出て行った。





「リリスさま、そのお姿は…」

 十数分後、現れたリリスを見て二人は絶句していた。


「ああ。シオンの保護者に見られるように姿を変えてみた。どうだ? きちんとお婆さんに見えるか?」

「ええ、見えますが…」

 リリスは胸を反らせてみようとしたが、腰の曲がった今の姿ではできなかった。


 今、彼女は変身魔法を使って、80ぐらいの老齢の女性に姿を変えていた。

 つやの失った銀の髪、肉が落ちしわが目立つ顔、そして何より普通の人間の耳。

 これなら誰が見てもハーフエルフだとは思わない、普通の老婆としか見ないだろうとリリスは自分の魔法の出来が上手くいったことに惚れ惚れしていた。


「な、なんでばあさんになっているんだよ!」

 あんぐりと口を開けていたシオンが、ようやっと言葉を思い出したように声を上げた。


「私と君では家族という設定で周囲を納得させられないだろう? この姿ならお婆さんと孫が一緒に買い物に来ているように見えて、不審がられることもない」

「家族って何だよ! デートだぞ、デート!」


 シオンは怒っているようだった。

 リリスは首を傾げる。自分の年齢は人間に当てはめて姿を変えると……すでに人間の平均寿命は超えているが……老婆になるのは必然なのに、何故シオンが驚いているのかリリスにはわからなかった。

 しかしミモザも、わかりづらいがむすっとした顔をしていた。


「私、今回はシオン坊ちゃんの味方をしたいと思いますわ。そのままのリリスさまでいいと思います」

「しかしミモザ、周囲に不審に思われたらどうするんだ? 未成年を連れ回していると誰かに通報されたら。私は嫌だぞ、王都で捕まるのは」

 知り合いに知られたら、たまったものではない。


「考えすぎですわ。もう少しシオン坊ちゃんの気持ちも考えてあげて下さいまし。坊ちゃんはリリスさまをデートに誘っているんですよ?」

「考えてるよ。考えているから、この姿に変えたんだ」

 ミモザがため息をつくと、やれやれという風に首を振った。


「リリスさまは私よりも長生きしていらっしゃるのに、こういうことには疎いのですね。さあ、悪いことは言いません。早く姿をお戻し下さい」


 ミモザに強く言われて、リリスは渋々、部屋に戻った。



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