回想:別れの実感
聖王国王都、中央広場。ただ広い空間の中央に勇者の銅像が建っている。
勇者の銅像は、彼が魔王を討伐した一年後に建てられた。聖王が勇者を讃え、彼の偉業を未来永劫に残すためだった。
青銅の勇者は聖剣を地面に突き刺し、その両目は遙か遠くを見据えている。
魔王を倒し彼はいなくなってしまったが、世界を見守っているという意味が込められているという。
そんな勇者の銅像を、リリスは見上げていた。
魔王が討伐され、アスターの訃報を告げにやってきた魔法使いフリージアと共に森を出て旅立ってから三年後、リリスは王都にやってきた。
現地の人々にとって、勇者像はすでに日常の風景に溶け込んでいるようで、今や誰も彼を見上げる人間はいない。銅像の前に立って、まじまじと彼を見つめているのはリリスだけだ。
「やあ、アスター。久しぶりだ。三年ぶりか? さすがにもう日にちは数えてないよ」
リリスは銅像に向かって話しかけた。
「立派になったものだな。見上げる首が本当に痛い。君と別れて三年、さすがの私も少しは背が伸びたが、背丈が伸びきっても、もう手は届かないね。君、大きくなりすぎだよ」
銅像は土台そのものが高く、成人男性の背丈以上にあった。その土台の上に固定されている勇者の銅像を地上の人間は触れることも出来ず、見上げることしか出来ない。
「君がいなくなって、私は君の仲間のフリージア殿に弟子入りしたんだ。今、師匠と一緒に修行の旅をしている。ここにはたまたま立ち寄っただけなんだ」
フードをかぶり銀髪と尖った耳を隠しながら、リリスは銅像に語りかける。周囲の人間から見たら観光客の子どもが、観光名所を眺めているぐらいにしか思われないだろう。
「驚いただろう? この私が森の外に出ているんだ。色々な場所に行って、色々な人と会ったよ。世界は怖いものとばかり思っていたけど、そんなことはなかった。優しい人も多かった」
リリスの声は雑踏のおかげで周囲に聞こえていないようだった。時折すれ違う人間が、訝しげに振り返るぐらいだ。
「旅をしていたら君の話をよく聴いたよ。皆、君のこと強くて優しい、人格者みたいに言うんだ。不思議だ。君、そんなヤツだったか?」
青銅の勇者は、リリスの記憶にあるアスターとあまり似ていなかった。勇者は鎧を着込んでいて、リリスはその姿のアスターを見たことが無いから余計にそう思うのかもしれない。
だが、顔つきが凜々しすぎる気がした。アイツはもっとへらへらしていた。
それともリリスと別れた後は、顔つきが変わってしまったのかもしれない。
「私はね、アスター。君が死んだことが信じられなかったんだ。君はこの世界のどこかにいて、ひょっこり私の前に現れるんじゃないかって心のどこかで思ってた。なのに中々帰ってこないから、迎えに行っているつもりだったんだよ。……でも、君はどこにもいなくて…。今、やっとわかったよ」
熱いものがこみ上げてきた。
「君は死んだんだね、アスター。もう会えないんだ…」
勇者像がぐにゃりと歪んだ。視界を涙が覆ったからだ。
リリスは勇者像を見つめ続けることが出来なくなって、下を向いた。
「……もし、あのとき、私が君を引き留めていれば、君は命を落とすことは無かったのかな…」
そうしたら、世界は魔王によって滅ぼされていただろう。こうして銅像に語りかけているリリスもいない。
しかしそんなことはどうでも良かった。
世界なんてどうでもいいから、リリスはアスターに帰ってきて欲しかったのに。
気持ちを自覚しても、もう遅い。
「わ、わたし、君に何もしてあげられなかった。ごめん、アスター。ごめんね…」
アスターともう会えないと認めると、後悔が押し寄せてきた。
彼がやってくることが本当は楽しみだったのに、素直になれずにいつも突っぱねていてばかりだった。
本当は、一緒に暮らしたいって言われたとき、びっくりしたけどすごく嬉しかった。
アスターと毎日一緒にいられるかもしれないと思うと、夢のようだと思ったのに。
気持ちを言えずに、アスターはいなくなってしまった。
重力に従って落ちた涙が、石畳に染みを作る。
―――泣かないで。
ふいに声が聞こえた。
「……アスター?」
―――泣かないで、リリス。
「どこ? どこにいるの?」
周囲を見渡してみたが、リリスを気にしている人間は誰もいなかった。
リリスはもう一度銅像を見上げた。しかし銅像が声を発するわけが無い。
そこで初めてリリスは気がついた。銅像の遙か上、空は雲一つ無い快晴だった。その空が彼の瞳の色と同じだと言うことに。
強い日差しにリリスは目を細めた。そのまま視界が白に染まり、銅像も何も光に包まれて見えなくなった。