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約束

「……オン、シオン、……シオン!」


 何度も名前を呼びかけることで、ようやくシオンが目を開けた。


「すまない、起こしてしまって。でもひどくうなされて、つらそうだったから」


 リリスは彼の額に浮かんでいる汗を手ぬぐいで拭った。ベッドの上で荒い呼吸を繰り返していた彼は、そこでようやくそばにリリスがいることに気がついたらしい。

 シオンはされるがままになりながら、弱々しい声を上げた。


「……ここ、は?」

「私の屋敷だよ。ロップ族の集落での出来事は覚えているか? あの後、倒れて目を覚まさない君をこちらに運んだ。君は三日も眠ったままだったんだ」


 あの森で襲いかかってきた魔獣をシオンが倒した後、彼は倒れ目を覚まさなかった。

 どうやらロップ族たちはリリスたちがやってきたので宴を開こうと計画していたらしいが辞退し、リリスはシオンを屋敷に連れ帰った。それからミモザと交代交代で彼の様子を見守っていた。


 シオンは三日間も目を覚まさなかった。その間も何やら悪夢を見ているらしく、ずっとうなされていた。

 汗を流し苦しそうな呼吸を繰り返し、時折悲鳴を上げる少年を見守るだけなのはつらく何度も呼びかけ起こそうとしたが、彼は目覚めようとしなかった

 魔獣による怪我は女神の加護によって、すでに回復している。魔獣の毒もまた治っているはずだから、目覚めない原因は怪我では無いはずなのに彼は起きようとしなかった。

 手を握り、何度も呼びかけてようやく彼は目を覚ましてくれた。リリスはほっとした。


「俺、戻ってきたの?」

 弱々しい声で尋ねてきたシオンに、リリスは頷いた。

「ああ。戻ってきたよ。屋敷に」

 シオンは深く息を吐いた。安堵しているようだった。


「礼を言わないといけないな。君が魔獣を倒してくれたおかげで森に残されていた彼女を助けることが出来た。ありがとう。私も君に助けられた。……しかし守ってくれたことには礼を言うが、どうしてあんな無茶をしたんだ?」

「……魔獣を倒した? オレが…?」

「覚えていないのか?」

「……お前を突き飛ばしたとこまでは覚えてるけど、その後はよく覚えてない…」


 リリスは思い出す。彼が一太刀で魔獣の命を刈ったことを。

 あのときの彼の雰囲気は、子どものものではなかった。

 そして倒れる前に自分を見つめていたシオンは、まるで…。

 遠い記憶の中の彼の姿が浮かび上がってきて、リリスは思考を振り払うように首を振った。


「……水と、そうだな、睡眠薬も持ってこよう。怪我が治っているといっても、君は大けがをしたんだ。薬を飲めばぐっすり眠れるから…」

「待って、行かないでくれ、リリス!」

 シオンがイスから腰を上げようとしたリリスの腕を掴んだ。


「オレ、あっちに戻りたくない! もう夢なんて見たくないよ!」

「夢…?」

「化け物とずっと戦っている夢。殺しても殺しても現れて終わらない。……すごく現実感があって怪我をした痛みも生々しくて、どっちが現実か夢かわからなくなりそうだった…。夢の中に戻りたくない。オレ、眠りたくない!」


 掴まれている腕が痛かった。肌に爪が食い込む。それほど必死なのだというのが伝わってきた。


「わかったよ。でも君は三日も飲まず食わずだったんだ。眠らなくてもいいから、水分ぐらいは取っておきなさい」

 リリスは心細そうな彼の頭をそっと撫でると、水を持ってくるためにイスを立った。






 窓の外は真っ暗な闇が広がっていた。今は深夜だ。

 明かりはシオンのベッドのそばに置かれているランプだけだ。彼とその傍らにいるリリスの周りだけがぼんやりと明るい。

 部屋の中は静かだった。外からときおり虫の鳴き声が聞こえてくるぐらいだ。

 上体を起こし、シオンが水をゆっくりと飲んでいた。少し落ち着いたようだった。


「暇なんだけど。何か話してよ」

「……そう言われても、子どもに読み聞かせる寝物語なんて思いつかないぞ…」

「ガキ扱いすんな」

「じゃあ、魔法理論の話でもしようか」

「つまんない。眠くなりそうだからダメ」

「……要求が多いな」

「オレ、リリスの話が聴きたい」

 シオンはコップを枕元の机に置いて、リリスに向き直った。


「前から聞こうと思っていたけど、リリスはずっとこの屋敷に暮らしているのか? こんな誰もいない森の中で」

「え? ……ああ、そうだよ」


 リリスはシオンに自分の身の上話をした。

 自分はヒトの父とエルフの母との間に生まれたハーフエルフだということ。

 ここは元々父の暮らしていた小屋で昔は家族三人で暮らしていたこと。そして二人が死んだ後も、この小屋で暮らしてきたことを。


「父さんと母さんがいなくなって、一人になって寂しくなかったの?」

「寂しかったよ。でも友人が出来たから寂しさを紛らわせることができていたかな」

「友達? どんなヤツ?」

「ヒトだよ。ヒトの男の子。魔族を退治しに来たと言って、私を殺そうとしてきた。ひどいヤツだろう?」

 リリスは当時を思い出して、喉を震わせて笑った。


「誤解が解けた後、アイツは度々小屋にやってくるようになってね。私のことが心配で…とかなんとか言っていたけど、父親との修行から逃げてきていたんだ。私は人間不信に陥っていたから何かとアイツを突き放そうとしたけど、それでもめげずにやってきた。……私はいつの間にか、彼が来るのが楽しみになっていた」


 でも今は、アスターはやっぱり自分のことが心配でやってきていたのだろうとも思っている。彼は泣かせてしまったことを謝りに戻ってくるようなヤツだったから。


「でもその友達もしばらくしたら、いなくなってしまった」

「どうして?」

「そういう時代だったのさ。魔王が暴れていた時代だったからね」


 リリスはそう言うことでごまかした。

 魔王退治に行ったと説明したら、シオンに自分の前世が今語った友人だと悟られてしまうかもしれないからだ。

 シオンが俯いて、眉間を抑えた。


「大丈夫か?」

 顔を上げたシオンはうっすらと微笑んだ。

「……ちょっと頭が痛くなっただけ。ねえ、その後は?」

「その後?」

「リリスはそれから、ずっとひとりぼっちだったの? ……俺がいなくなった後も?」

「……シオン?」

「あれ? オレ、何を言ってるんだ…?」

 シオンは不思議そうに首を傾げた。そんな彼に深く追求せず、リリスは答えた。


「友達がいなくなったあと、私は森を訪れた魔法使いに弟子入りし外へ出た。彼女についていき宮廷魔法使いになって王宮で働いた後、大戦が終わってからこの屋敷に戻ってきたんだ。ここの暮らしは長いけど、一度も外に出たことが無い…なんてことはないよ。色々なヒトとも関わってきた。今もミモザがいるから寂しくないよ」

「そっか…。良かった…」

 シオンは枕に頭を預けた。瞼が重そうで、眠たそうだった。



「オレ、孤児なんだ」

「ん?」

「身の上話だよ。人のを聴いておいて、自分だけ語らないなんて不公平だろ」


 シオンを引き取って一週間と少し、彼は自分のことを語ろうとはしなかった。

 リリスが書庫に引きこもっていた間、ミモザも尋ねたりはしなかったらしい。

 無理に尋ねることでもない、語りたいときに語ってくれたらそれでいいとミモザは言っていて、リリスも同意見だった。


「父親と母親の顔、知らないんだ。物心ついた頃には孤児院にいた。孤児院の先生たちがオレを育ててくれた。でもオレも寂しくなかったよ。孤児院には仲間がいたから。皆が家族だった。……本当の家族なんて知らないけどね」

 昔を思い出したのか、彼は少し遠い目をした。


「オレさ、昔はよく孤児院を脱走していたんだ。その度に最初にオレを見つけて連れ戻す先生がいたんだ。マリー先生っていうんだけど」

「どういった先生なんだ?」

「ちょっと口うるさい人。でも優しい。性格はミモザさんに似てるとこあるかも。あと信心深かった。食事の前のお祈りをさぼると怒るんだ。礼拝の時間をサボっても怒られた。…ああ、シオン。女神さまはこの世界をお作りになった方、感謝しないと罰が当たりますよってよく言われた」

 シオンがそのマリー先生とやらの口調をマネする。リリスはクスクスと笑った。


「君は神学校の生徒じゃなかったか? そんな態度では怒られてばかりだったんじゃないかい?」

「うん。でも仕方ないだろ? 孤児院は神学校の施設の一つで、孤児院の子どもたちは大きくなったら強制的に神学校に通わされるんだ。女神なんて嫌いだけど、決まりだったから」

「嫌いなのか。女神」

「だって女神さまがいるなら、なんで差別なんかするんだよ。オレにどうして家族をくれなかったんだ。他の皆は持ってるのに。……だからオレ、女神なんか嫌いだ」

「ふふ。私もだ」

「……リリスも?」

「ああ。女神の、人に何かをさせようとする精神が気に入らない。加護を与えて自分の代わりに人になんとかさせようとするぐらいなら、自分が行動すればいいんだ」

「へえ、女神が嫌いな大人もいるんだ。大人は皆、女神さまを信じているんだと思ってた」

 シオンも笑った。それから寝そべったまま腕を持ち上げて、ぼんやりと手のひらの紋章を見つめた。


「どうしてオレなんだろう。どうして勇者の生まれ変わりがオレなんだろう。女神なんて嫌いなのに」

 彼はぼんやりと語り始めた。


「本当に突然だったんだ。ある日、夜中に目が覚めたら、このアザが浮かんでいた。オレ、夢かと思って食堂に水を飲みに行ったんだよ、そしたら偶然、先生に会った」

「先生? マリー先生かい?」

「うん、そう。……先生にアザを見せたら、先生はオレの手を取ってまじまじとアザを見た。それから…」

 シオンは一呼吸置いた。そして次に発した声は震えていた。


「どうして、女神を信じてもいないお前が転生者なんだって言われた。驚いたよ、先生の声じゃないみたいだったから。そして先生は、オレの首を絞めた」

「な・・!? どうして…!?」

「わからない。先生はオレのこと許せなかったのかも。オレみたいなヤツが女神に選ばれた勇者の生まれ変わりだって知って。先生は女神さまのこと信じていたから」

 シオンは首をそっと撫でた。


「両手で首を絞められて、息が出来なかった。喉に先生の爪が食い込んだ感触、覚えてる。苦しくて苦しくて。暴れても先生は離してくれなくて…、先生の目は本気だった。意識が遠のいて目の前が真っ白になって死にたくないって心の中で叫んだとき、胸の中が熱くなって、気がついたら周りはガレキの山だった」


 彼が語った内容が、テトラ神学校半壊事件の真相だった。

 シオンは命の危機に対して生き延びるために、前世の力を無意識で覚醒させたのだ。

 そしておそらくは、彼が魔獣を倒したときの鮮やかな一撃も、同じだろう。

 大けがを負わされ意識を失った彼の表層に、前世の記憶が現れ、体を動かした。

 リリスは悟った。

 ……あのときのシオンは、アスターだったのだと。



 シオンはぼんやりとしながら、語り続けた。

「先生はガレキの山に埋もれていた。寮で眠っていた皆も埋もれていて、オレだけ立ち尽くしていた。……皆のオレを見る目が怖くて、その場から逃げ出した。その後は帰るに帰れないからフラフラしていたけど、どこからかオレのことを知った人狩りに追われた。わけのわからない力のおかげで撃退できたけど結局捕まって、それで今に至るってわけ」

「……そうだったのか。今までずっと辛かっただろう」


 リリスはかける言葉が思いつかず、代わりにシオンの頭をそっと撫でる。

 嫌がるかと思ったが彼はぼんやりとされるがままになっていた。当時のことを思い出して疲れているようだった。


「学校を逃げ出してから、眠るたびに悪夢を見るんだ」

「……悪夢?」

「さっき見ていたのと同じだよ。オレは化け物と戦っているんだ。倒しても倒しても、化け物は減らなくて戦いは終わらない。夢の中で誰かの声がオレに命令するんだ。魔王を倒しなさい。世界を救いなさいって…」

「!」


 アスターが旅立つ前、リリスに教えてくれた。女神の紋章が刻まれたとき、声が聞こえたと。シオンが夢で聴いた声は、アスターが教えてくれた言葉と同じだ。だからその声はおそらく女神の声だ。


「君が夢で見たという化け物はおそらく魔獣だ。声はきっと女神のものだ。……その夢は、君の前世の勇者の記憶…だろう」


 シオンが見ている夢は、彼の前世、アスターの記憶だ。

 命の危機を前に力を先に覚醒させたから、力に付随した戦いの記憶を思い出しているのか。


「そっか。やっぱり、そうなんだな」

 薄々わかっていたのだろう。彼は大きく息を吐いた。

「夢は段々生々しくなっていく。時々、どっちが現実なのかわからなくなるんだ。夢の中でオレは自分の名前も忘れていた」

 シオンは肩をさすった。そこに傷など無いと確かめるように。


「夢を見続けていったら、オレはどうなるんだろう。勇者の記憶を思い出してしまったら、オレはオレのままでいられるのかな。前世の勇者に人格が乗っ取られてしまうのかな」

 シオンは乾いた笑いを浮かべたが、すぐに消え、彼の両目が潤んだ。

「怖い。怖いよ、オレ。元に戻りたい。勇者の紋章なんかが現れる前に戻りたい。そしたらマリー先生に嫌われることもなかった。学校なんて退屈だったのに、今、すごくあの頃に戻りたい」

 シオンは潤んだ両目を隠すように腕で顔を覆った。


 

 リリスも疑問に思う。

 ……どうして今になって、女神の紋章が彼に現れたのだろう、と。

 シオンはある日、突然現れたと言っていた。

 そして今回の現れた魔獣。

 全ての魔族は魔王から生み出されたものであり、勇者が魔王を倒して、魔族全体は滅んだはずだ。魔族がいなくなって100年以上経つが、残党が現れたと言う話は今まで聴いたことが無い。


 紋章が突然浮かび上がってきたことと魔獣の出現は、ただの偶然とは思えなかった。

 女神はアスターに「魔王を倒せ。世界を救え」と使命を下した。女神の紋章はその証だ。

 その証が再び現れたということは、女神はもう一度、使命を下した…ということなのか。


 だとすればと考えて、リリスは額に冷や汗が浮かんだのを感じた。

 魔王がどこかで復活しようとしている。女神はそれを感じ、アスターの生まれ変わりであるシオンにもう一度使命を下した。魔王を倒せと。

 そう考えたくは無かったが、この考えだと全てに辻褄が合う。


 リリスは奥歯を噛みしめた。女神に怒りが湧いた。

 アスターはお前の使命に従って、魔王を倒した。そして死んだ。

 生まれ変わってもまた戦わせようというのか。



「オレ、戻りたい。……家に帰りたいよ…」

 腕で覆った目元の隙間から、涙が流れ落ちる。

 少年の声に、リリスは遠い約束を思い出した。


『約束するよ。俺は必ず帰ってくる。帰ったら一緒に暮らそう、リリス』


 まるで昨日のことのように、アスターの声が鮮やかに頭の中で響く。

 リリスは今、泣いている少年を目にして、ずっとモヤが立ちこめていた胸の内がようやく晴れたような気分になっていた。


 シオンとアスターはやはり違う存在なのだと、ようやく自分の中で折り合いが付いたからだ。

 彼が帰りたいと願うのは、自分の元ではない。神学校の寮であり、孤児院の仲間たちの元なのだ。


 シオンはそこで退屈だが平和な毎日を送っていた。

 アスターは平和な世の中で自分と一緒に暮らしたいと言ってくれた。きっと穏やかな日常を望んでいたのだろう。

 自分にしてくれた約束は叶わなかったが、彼が願った毎日をシオンは送ることが出来ていた。

 それなのに女神の紋章が現れたことによって、シオンはその日常を送れなくなってしまった。


 シオンは前世の記憶を思い出すことで自分が変わってしまうのではないかと恐れていたが、リリスは別のことを危惧していた。

 アスターは女神に選ばれたことを受け入れて、旅立ったのだ。

 シオンもまた使命に従い、旅立ってしまうのではないか…と。

 また繰り返してしまうのではないか、と。


 ……もういいじゃないか、とリリスは心の中で女神に訴える。

 アスターは決められたとおりに、ちゃんと魔王を倒した。そして相討ちになって死んだ。

 だったら、もう戦わなくてもいいじゃないか。



 リリスはシオンの額に口づけをした。

 シオンは顔から腕を動かして、リリスを見上げる。


「約束しよう、シオン。私は必ず霊薬を完成させ、君の前世の記憶を封印する。そして君が帰りたいと願う場所に君を帰す。必ずだ」


 どうか今生では幸せになって欲しい、と目の前で泣いている少年に対して願った。

 退屈を感じるほど平和な毎日を送って、寿命を全うして欲しい。

 そのためなら、前世の記憶なんて思い出さなくてかまわない。

 思い出して女神に決められた運命に振り回されるなら、その記憶を封印してやる。

 ……私の手で。

 リリスは決意した。



 シオンが顔をくしゃりと歪ませた。がばりと体を起こすと、リリスに抱きついてきた。

 胸の中で顔を埋めた少年から、ぐすぐすとすすり泣く声が聞こえてくる。その小さな背中をリリスは抱きしめた。


「オレ、学校に帰りたい」

「ああ」

「友達に会いたい」

「うん」

「先生に会いたいよ」

「わかっているとも」

「戻りたい。あの頃に」

「……大丈夫だよ。私がその願いを叶えてあげるから」


 少女の頃のリリスにとって、アスターと一緒に過ごす時間は大切なものだった。

 彼にとってもそうだったと信じている。だからアスターは魔王との戦いに赴いていった。リリスに約束を残して。

 しかしシオンはアスターではない。生まれ変わりでも魂が同じでも、今の彼の帰るべき日常は別にあるのだ。


「だから泣かないで」

 胸の中で、少年の暖かな体温を感じながら、リリスは彼の頭を撫でた。





 泣き疲れたシオンが次に目を覚ましたのは、朝だった。

 彼は自然と目を開けると、窓から差し込む柔らかな日差しに目を細めた。


「おはよう。気分はどうだい?」

 リリスが声をかけると、シオンは驚いて飛び起きた。

「……うわあ!? な、なんでここに?」

「手を離してくれなかったからね。戻るに戻れなかったんだよ」


 昨晩、不安を吐き出したシオンは、リリスの腕の中で泣き疲れて眠ってしまった。

 リリスは彼を布団に戻して部屋に戻ろうとしたが、彼の手はリリスの服の袖をぎゅっと握ったままだった。

 無理矢理剥がすこともできたが、せっかく眠った彼を起こすのは忍びなかった。

 そこでようやく、シオンは自分がリリスの服の裾をずっと握っていたことに気がついたようだ。さっと顔を赤くすると、手を離した。


「ご、ごめん」

「別に私は気にしていないよ。魔法の研究で徹夜するのは慣れているから」

 リリスは動けないので、時間を潰すために読んでいた本を閉じると、シオンの顔をまじまじと見た。


「顔色が昨晩に比べて良くなっているね。よく眠れたみたいでよかった」


 彼の顔に血の気が戻ったことに安心して口元が緩むと、シオンの頬がまた赤く染まった。彼はさっと顔を背ける。

 また悪夢を見ているのではないかと心配だったが、彼は魘されてもいなかったし寝顔も穏やかなものだった。

 そっぽを向いた彼が何かに気がついたように、ぽつりと呟いた。


「……あれ、オレ、夢見てない」

「シオン」

 リリスはイスから立ち上がった。


「私はこれから君の依頼を取りかかるから、夜も研究で起きていることが多くなる。これから私の部屋の扉は開けておく。夢を見て眠れないならいつでも来なさい。君が落ち着くまで話し相手になろう」

 そう言い残して部屋から立ち去ろうとすると、シオンが呼び止めた。


「リリス! ………ごめん!」


 何事か、とリリスが振り返ると彼は頭を下げていた。


「初めて会ったとき、傷つけようとしてごめん! ずっと言おうと思ってたけど、なかなか謝れなくて、ごめんなさい」


 リリスはくすりと笑った。


「いいよ。君だって、あのときは必死だったんだろう? ……ミモザに君が目を覚ましたことを伝えて、何か消化に良いものを作ってもらってくるよ」

 そう告げると、リリスはシオンの部屋から立ち去った。


 彼の部屋から離れた後、リリスは深く息を吐いた。頭を下げた彼を見て、アスターと出会ったときのことを思い出してしまったからだ。

 自分はアスターの記憶を封印すると決めた。彼の生まれ変わりであるシオンが普通の生活を送れるようにするために。

 感傷的な気持ちを振り捨てるようにリリスは頭を振ると、ミモザの元へ向かった。



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