化け物退治
リリスが外に出ると、一人の大人の獣人が倒れており、数名が賢明に手当てをしていた。
そんな彼らの近くで、別の大人たちが集まって何やら話し合っている。それぞれ手には剣や斧、中には農作業で使う鍬まで手に持っている者もいる。
物々しい雰囲気に中庭で遊んでいた子どもたちが不安げに様子をうかがっていた。
「どうした? 何があった?」
「り、リリスさま! お騒がせしてすみません! それが…」
リリスが近づくと、一人の獣人が近づいて、倒れた者に目線を向けながら説明してくれた。
「あの者は森に薪を拾いに出ていたのですが、大けがをして戻ってきたのです。何があったのか聴いたところ、気絶する前に一言、化け物に襲われた…と」
「化け物? どういうことだ?」
「わかりません。この近隣に我々を襲うような生き物はおりません。たまにイノシシが出て、農作物を荒らすぐらいで……」
リリスは手当を受けているロップ族の獣人に近づいた。傷は深く、茶色の毛並みや服が血で真っ赤に染まっている。
意識はないが苦悶の表情を浮かべていて、呼吸が荒かった。傷口を見ると、毛で覆われているからわかりにくかったが、傷口が紫に変色していた。
「……毒に犯されている。回復魔法をかけるから、少し下がってくれ」
リリスは傷口に手のひらをかざした。
「治癒の光よ」
軽く詠唱することで、集中する。
回復魔法は、自身の魔力を分け与えることで相手の怪我を治す術だ。リリスはイメージする。手のひらに熱が集まり、暖かな光が毒を浄化することを。
かざした手に光が集まると、傷から血が止まった。変色した色も抜けていく。
毒が浄化されたことで大分苦しみから解放されたのか、怪我人が薄く目を開けた。
「り、リリスさま…。化け物が…」
「わかっているから喋らなくていい。じっとしていなさい」
リリスは手をかざし魔力を流し続けた。徐々に傷口も小さくなっていく。
「森に、赤ん坊の泣き声が…」
「!」
その言葉を発した後、怪我人はまた意識を失ってしまった。
「まさか、誰かが森に取り残されているのか…?」
様子をうかがっていた背後のロップ族たちの誰か一人が、そう言った。
その言葉をきっかけに、ざわめきが広がっていった。
武器を持った大人たちが、各々顔を見合わせる。未知の化け物が現れ、村人の一人が襲われた。恐怖に怯えた顔をしているが、先ほどの怪我人の言葉に覚悟を決めたように、武器を強く握りしめていた。
「た、助けに行かないと…」
「それは私が行く。お前たちは残ってくれ」
だが、リリスは止めた。
リリスは怪我人の傷口が塞がったのを確認すると、立ち上がった。
一瞬、血の気が引き視界が揺れた。怪我の治癒に思った以上に魔力を使ってしまったからだ。しかし自身の不調を周囲に悟らせないように、ぐっと足に力を込めた。
「安心してくれ、みんな。私が森に行き、誰か残されていないか見てくる。ついでに化け物とやらも退治してこよう」
「わ、我々も…!」
「いや、私一人で大丈夫だ。何かあったとき一人の方がやりやすいからな」
周囲を安心させるよう笑って見せたが、内心、リリスは嫌な予感が止まらなかった。
農作物を荒らすイノシシぐらいしか害をなす獣がいない森に、毒を持つ獣がいるわけはない。
化け物。そして赤ん坊の泣き声。
リリスはその正体に思い当たる節があった。しかしそれを口に出せば、周囲が今以上に混乱するだろう。
さすがリリスさま、なんと頼もしい。口々に讃えるロップ族たちの間を縫って、シオンが近づいてきた。
「オレも行く。ちょっと剣を貸してくれ」
シオンが近くに居たロップ族の手から、剣をひったくるようにして持ってきた。
「君は剣は使ったことがあるのか?」
「無いよ。剣術も習ったことが無い」
リリスが問いかけるとシオンはそう答え、彼女は思わず頭を抱えた。
「な、なんだよ。行くなら一人より二人の方がいいだろ!? 剣だって護身用に持って行った方がいいし…」
「使い慣れていないものを持って行くのは返って危険だよ。私は大丈夫だ」
「……でも顔色、さっきから悪い」
こっそりとシオンは言った。よく見ているなと内心思いつつも、リリスは微笑む。
「私は銀の魔女だよ。心配は無用だ。君は子どもたちを頼む。ミモザ」
「はい。お気をつけください。リリスさま」
離れて様子をうかがっていたミモザがシオンに近づき、離れるように促した。
リリスは杖を召喚した。身の丈ほどの長さの杖を水平にして浮かすと、その杖に腰を下ろし、空中に飛び立った。
応援するロップ族たちの声が遠ざかっていく中、シオンはずっと自分を見上げていた。
そんな彼を眼下に残して、化け物が出たという森を目指した。
集落の近くの森に近づくと、リリスは杖から降りて、中に足を踏み入れた。
この森は近隣のロップ族たちによって手入れされているため、木々はほどよく枝を落とされ、日の光が入ってきて明るい。彼らが踏み固めた道を歩きながら、リリスは妙な違和感を覚えていた。
森の中がやけに静かなのだ。鳥のさえずり一つしない。周囲は明るいのに、空気が重い。
「誰かいないか? いるなら返事をしてくれ!」
呼びかけた声が、森の中にこだまして、木々たちに吸収されるように消えた。
……ぎゃあ。おぎゃあ、おぎゃああ…
赤ん坊の泣き声が、返事をするように鳴り響いた。
リリスは周囲を見渡したが、木々の間で反響しているせいで、位置がわからなかった。声はどんどん大きくなっていく。リリスは杖を強く握った。
気配は上空から降り立った。
「雷の剣よ!」
その場を飛び退きながら、杖を振るう。
呪文と同時に晴天に雷鳴が轟いた。剣の形をした白い光が、上空から襲いかかってきたソレの首に落ち突き刺さる。ソレは光の剣によって地面に縫い付けられた。
「奇襲は通じないよ。お前たちは赤子の泣き声をまねて人を誘い出すこと、私は見知っていたからね」
リリスはソレに近づいた。ソレは顔面の嘴をだらしなく開けて泡を吹き出し、絶命していた。
嘴はあるが体型は狼に似ている。しかし狼よりも巨大でヒトの成人男性ほどの身の丈をしていた。背中にはコウモリのような羽が生えており、体毛は赤黒く禍々しい。
そして頭部には二つの角が生えていた。
「やはり、魔獣だったか…」
怪我人が毒に犯されていたこと。そして赤ん坊の泣き声が聞こえたと言う証言から、正体はこの魔獣なのではないかと薄々目星がついていた。
だが、それを口にすれば集落が混乱に陥ることは想像に難くなかった。だからリリスは口にしなかったし、一人で森に向かうことにした。
なぜなら魔獣はもう絶滅しているからだ。勇者アスターが魔王を倒したその日に。
「問題はどうして魔獣がいるのか…だな」
魔獣は魔族の中での下位の存在だ。知能が低く獣の姿をしている。魔族は人の姿に近づくに連れ知能が高くなり、下位魔族を従えることが出来る。人の姿に似た魔族は魔人と呼ばれていた。
魔獣であれ、魔人であれ、魔族全体の共通点として、皆、角を持っている。遠く離れていても魔王の命令を受け取るための器官だと言われていたが、実際はわからない。
魔族の支配者は魔王だが、魔王が魔族全体を生み出したと言われている。まず自分と同じ似姿をした魔人を生み出し、次に魔獣を生み出したのだと。
全ての魔族は魔王につながっている。だから魔王が滅びたとき、魔族全体も消滅した。
そして魔王のいない現代は、魔獣がいない。過去のものになったせいで、魔獣を見てもそれだとわからず、襲われた彼は化け物としか説明できなかったのだ。
……ぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ…!
再び赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
「まだいるのか!? …!」
リリスが声をした方に魔法を放とうとして、すんでに止めた。
そこにいたのは、赤ん坊を抱きかかえて逃げようとしたロップ族の獣人だったのだ。
赤ん坊がいないわけではなかったのだ。取り残されていたものは確かにいた。
「リリスさま…! 後ろ…!」
目の前の彼女が、叫んだ。
重々しい気配が背後に降り立つのを感じた。
取り残されていた者に気を取られていたのが、一瞬の遅れになった。
二体目がいたと気づいたときには、視界の端に魔獣の爪が迫ってきていた。振り返るのが遅く、攻撃が間に合わない。リリスは切り裂かれる覚悟を決めた。
「―――リリス! 危ない!」
しかし肉を切り裂く痛みは来なかった。彼女は突き飛ばされ、爪の一撃から回避できたからだ。
体を起こして驚いた。リリスをかばうように倒れていたのはシオンだったからだ。
「……っ!」
シオンが盾になりリリスは魔獣の攻撃から逃れたが、代わりに切り裂かれた彼の背中の傷は深かった。体から溢れる血が地面に赤い染みを広げていく。
「どうして追ってきた! 残れと言っただろう!」
シオンの右手には剣が握られていた。危険だと彼もわかっていたから、ロップ族から借りたのだろう。護身用で使われていないため、剣は錆び付いている。
「あ、あのバケモノ、夢の中で出てきたヤツと同じ…だ…」
シオンは脂汗を浮かべながら目を閉じ、うめき声を上げた。
このままでは出血多量で危険だ。リリスは血を止めようと回復魔法を発動させようとしたが、上空から鳴き声が降ってきて中断せざるを得なかった。
おぎゃあ…!
上空へと一旦舞い上がった魔獣が再度、急降下しようとしている。リリスはシオンを抱えながら、杖を魔獣に向けた。
しかし止めるように腕を力強く握られた。抱きかかえたシオンだった。
「……いてえ」
シオンがリリスを軽く押して、立ち上がった。
「無理をするな! じっとしていろ!」
背中の傷の出血は未だ止まっておらず流れ続けていて、彼はふらりと体を揺らし、たたらを踏んだ。今にも倒れそうだった。
立ち上がった彼は、迫り来る魔獣に気づくとそちらに体を向けた。
リリスはシオンの前に出ようと動こうとしたが、逆にシオンが制止するように片手を出した。そしてもう片方の手で剣をしっかりと握ると構える。
剣先を魔獣に向けた。そして彼は走り出した。
リリスは叫んだ。
「何をしている! 戻れ!」
「……邪魔だ」
二つの体が交差する刹那、魔獣の首が切り飛ばされた。
首は放物線を描いて上空高く舞い上がった後、地面に落ちた。首を失った巨体から少し遅れて血が吹き出し、倒れた。
「……!」
―――今、何が起こった?
シオンが剣を振るい、魔獣の首を落とした。
しかしそう認識はしても、理解が追いつかない。リリスは今見た光景が信じられなかった。
彼はまだ子どもだ。筋肉がついていない小柄な体。細い腕。その細腕が剣を振るい、魔獣の首を切り落としたのだ。
もちろん魔獣の皮膚は分厚く、子どもが傷を負わせられるものではない。
シオンの背中の傷はいつの間にか塞がっていた。血が止まっている。女神の加護が作用したのだ。
勇者の力かとリリスは思い至った。神学校を半壊させた力、そしてリリスの屋敷で暴走した力を一点に込めて魔獣を切り裂いたのだ。
あの力を剣に集中させたら、ただの錆びた剣でも魔獣を殺せるだろう。その証拠に力に耐えきれなかった剣は、刀身にヒビが入り割れてしまった。
「シオン」
呼びかけると、ゆっくりとシオンが振り返る。魔獣の返り血を浴びた彼は、全身を真っ赤に染めていた。
その異様な様相もあるが、リリスは彼の雰囲気がおかしいことに気がついた。
目の前の彼は確かにシオンだ。けれど、どこかおかしい。
彼は落ち着いていた。静かだったのだ。
化け物と向き合ってどうして落ち着いていられる? どうして立ち向かおうとした? そしてこの攻撃…。まるで慣れているような…。
「誰…?」
彼はリリスに向かって、そう言った。
夢を見ているような、ぼんやりとした青い瞳が徐々に見開かれていく。青空のような瞳がまっすぐに自分を見つめ、リリスは吸い込まれそうな錯覚に陥った。
「リリス?」
その一言を最後に、シオンの体がぐらりと傾いた。
リリスは急いで近づくと、彼の体が地面に倒れる前に受け止めた。
シオンは意識を失っていた。