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プロローグ

 コンコンと扉を叩く音がした。


「やあ、リリス。俺だよ俺。アスターだ」 


 ノックの音の後に、耳慣れた声が聞こえた。

 しかしわざわざ名乗らなくても、ノックの時点でリリスは彼だとわかっていた。

 こんな鬱蒼とした森の奥に、よほどのことがない限り人は入ってこないからだ。

 この森には白い霧が昼夜、木々の間を漂っている。霧は行く手を隠し、今まで歩いてきた道さえも見失わせてしまうほどだ。

 日の光も高く伸びた木々のせいで差し込まず、霧がわずかに差し込む光さえも吸収してしまうので時間も把握するのが難しい。

 迷ってしまうのがわかっているから、近くに住む村人たちは森に近づこうとさえしなかった。だから彼らは、こんな森の奥に誰かが住んでいるなんて知らない。

 彼女がこの森に住んでいると知っている、彼を除いて。



 リリスが扉を開けると、予想通りの人物がそこにいた。

 鳶色の髪に青い瞳。リリスが現れると目を細めて破顔した。


「久しぶりだね。三ヶ月ぶりぐらいかな。元気にしていたか」

「正確には92日ぶりだ。少し見なくなったと思ったらまた大きくなったようだな。おかげで見上げる首が痛いよ、アスター」


 約三ヶ月前に比べて、目線を会わせる位置がさらに高くなっていることにリリスは気がついた。肌は以前に比べて日に焼けており、体つきはまだ細いが逞しくなっているようだった。そして顔つきが少し大人びたように見えた。


「そうかなあ。あんまり実感無いけど。そういうリリスは出会ったときのまま変わらないなあ」

 おもむろにアスターの腕が伸びて、リリスの頭を撫でた。

「やめろ! 子ども扱いするな! 私は君と同じ18だぞ!」

「ごめんごめん。ちっちゃいから、つい。ハーフエルフって人と比べてやっぱり成長が遅いんだなあ」


 リリスは、フンと鼻を鳴らした。

 男女の差はあるにしても、同じ年だというのに、リリスの身の丈はアスターの胸の位置ほどしかなかった。

 幼い顔立ち、まだ膨らんでもいない胸。くびれの無い体型。見知らぬ人間が見たら、リリスとアスターが同じ年だと誰も思わないだろう。

 彼女の体には、長命種であるエルフの血が半分流れていた。その証拠に彼女の耳は他のエルフたちと同様、耳の先が尖っていた。

 人よりも何十倍も長く生きるエルフは成長速度が遅く、その血を引いているリリスもまた人に比べたら成長が遅い。ゆえに18だが12、3歳ぐらいにしか見えない姿をしていた。


「立ち話も何だ。まあ入れ。お茶でも出してやる」

「え? 中に入れてくれるの? 何かと追い返そうとしていた君が? ……もしかして俺に会えなくて寂しかった?」

「うるさい! 私がちょうど喉が渇いているだけだ。君はついでだ! いいから入れ!」

「またまた。92日だっけ? 俺が帰ってくるのを指折り数えて待っていてくれたんだろ? ……って、痛っ!」

 リリスはアスターのすねを蹴り上げると、やや強引に彼を招き入れた。



「で? 君、しばらく顔を出さないと思ったら、何をしていたんだ?」


 アスターに尋ねながら、リリスはティーポットの中に紅茶の茶葉を入れた。

 暖炉の上に置いたやかんが沸くのを待っていると、アスターは机に肘をついて、ぼんやりとした様子で答えた。


「ちょっと旅に出てた」

「旅?」

「うん。色々見て回りたくてさ。北の方とかひどかったよ。人気が無くなって魔獣がうようよしていた。もうすぐここにも魔族が侵攻してくるかもな」

「……君、よく生きて戻ってこれたな」

 話を聴いているとやかんが沸騰したので、リリスはお湯をティーポッドの中に注ぎ茶葉を蒸らした。



 今から10年ほど前、異世界からやってきた魔族が、突如侵攻を始めた。

 人々は現れた彼らに蹂躙され、生き残った者は土地を追われ逃げ出した。魔族に占拠された土地は枯れて人が住める土地ではなくなってしまった。

 彼らの目的は不明だ。

 魔族の長たる魔王からの要求は今だ、無い。ただ彼らの行動から見るに、この世界の侵略ではなく破壊ではないかと推測されている。

 リリスたちが暮らす、レガリア聖王国ではまだ魔族を追い返すことが出来ている。

 しかし魔族に占拠された土地は徐々に広がり続けており、魔族がリリスの暮らす森にやってくるのも時間の問題だった。



「しかし、よく君の親父殿が旅に出ることを許してくれたものだな」


 リリスはアスターの父親とは面識が無かったが、彼が漏らす話しから、厳格な人物であることは知っていた。


「……親父は死んだよ。三ヶ月前に」


 何気なく尋ねた問いに思いがけない答えが返ってきて、リリスはアスターを振り返った。彼は窓の外を見ていた。


「別に心配してくれなくていいよ。お前には才能がある。お前は魔王を殺す英雄になれるって毎日ボコってきた親父だったからさ。いなくなって清々してる。むしろ死ぬ前に殺しておけば良かったって後悔しているぐらいだよ」


 彼の父親は、アスターに魔王を倒させようと修行をさせていたらしく、過酷なものらしかった。

 リリスの元に訪れるときのアスターは大抵傷だらけで、見かねたリリスが薬を塗って手当してやるほどだった。


「あ~あ、いっそ、ここでリリスと一緒に暮らそうかなあ」


 リリスはティーカップに蒸らし終わった紅茶を注いでいると、アスターがそう言った。リリスはポットを落としそうになった。


「な、突然何を言い出すんだ!」

「だって誰もいない家に帰っても仕方ないだろ」


 椅子の背もたれに体重を預け、ぼうっと天井を見上げていたアスターは、面白いことをひらめいたといわんばかりにリリスに向き直った。

「前から思っていたけど、こんなところで一人暮らしって大変じゃないか? 男手とか欲しくない? 俺、狩り得意だよ?」

 机に体重を乗せ、前のめりにこちらを見つめる彼の瞳は輝いていた。リリスは思わずたじろいでしまう。


「え、え、え…と」

「もちろんただで住むなんて言わない。家賃は払うよ。でも仕事って何をしたらいいんだろうな。そうだ、リリスは森の薬草で薬を作るのが得意だろ。俺、それを売ってくるよ」 


 彼は早口で喋り、リリスは相槌も打てなかった。

 だから自然と想像してしまった。彼がいる生活を。

 共に寝起きをし、食事をし、生活をする毎日を。

 共に暮らすことになるのだから、当然、彼は毎日自分の隣にいる。そう考えると、リリスは自然と顔が熱くなるのを感じた。


 その様子がおかしかったのか、アスターはくすくすと笑った。

「なんてね、冗談」

「……わかった」

「え?」

「父さまと母さまの分の生活品がそのまま残っているから、しばらくはそれを使ってくれ。必要なものがあるとしたら、街に買いに行こう。……君となら一緒に行ってやってもいい」


 自分から言い出したことなのに、アスターはきょとんとした。

「リリス。今日、本当におかしいぞ。やっぱり俺がいなくなって寂しすぎたのか?」

 違うと反射で声を上げそうになってリリスは抑えた。これ以上彼のペースに乗せられてはいけない。

「おかしいのは君だよ。鏡を見ていないのか? ひどい顔をしている。……父親が死んでつらいのだろう?」


 何も言わずに三ヶ月もの間、旅に出かけて。帰ってきたと思ったら、一緒に暮らしたいなんて言い出したのも。

 いつもと変わらず明るい調子だが、ふとした拍子に目が虚ろになっていることにリリスは気がついていた。

 なんだかんだ言ってはいるが、父親の死が堪えているのだ。


「無理して明るく振る舞おうとしなくていいよ。私も父さまや母さまがいなくなって一人きりになったとき、辛かった。だから、君の気が済むまでここにいてもいい。ずっといたいなら、それでもいいよ」

「………」


 リリスはアスターの前に、紅茶を注いだカップを差し出した。

 目を合わせようとしたらアスターは顔を背けてしまった。彼はそのまま手を伸ばしてカップを受け取ると、口につけた。

 その右手の甲に白い包帯が巻かれているのに、リリスは初めて気がついた。


「どうしたんだ、それ。怪我でもしているのか」

 リリスが指摘すると、アスターの手からカップが滑り落ちた。床に落ちたそれは音を立て、中身をまき散らして割れてしまった。


「悪い! ……いて!」

 アスターは落としたカップを片付けようとして、破片で指を切ってしまったようだった。

「大丈夫か? 慌てるからだぞ、見せてみろ」

 リリスが彼の手を取ると、人差し指の先が切れて、赤い線が走っていた。そしてじんわりと血が傷口からあふれてきた。

 しかしその血はリリスが見ている間に、すぐに止まってしまった。そして時間が巻き戻るように赤い線も消え去った。あふれ出た血がこぼれ落ちて無くなると、怪我などはじめからなかったかのようだった。


「アスター、傷が」

「……できれば、バレたくなかったなあ」


 彼はぽつりと呟くと、彼女の目の前で右手に巻いた白い包帯をほどいて見せた。

 リリスは驚いた。彼の右手の甲に花を模したような紋章が刻まれていたのだ。

 アスターとの付き合いは長い。怪我をした彼を手当してやったこともたくさんある。

 だから彼の右手に、そんな紋章が無かったことを知っている。少なくとも、三ヶ月前には無かったはずだ。


「親父が死ぬ前、俺は女神の神殿に連れて行かれたんだ」


 アスターは静かに説明をし始めた。

「そこは魔族が侵攻してきたせいで神官さまが見捨てて、すっかり寂れた神殿だった。その神殿の奥にある女神像の前で親父は叫んだ」

 彼は息を吸うと、父親を再現するかのように大声を出した。 

「我が息子は類い希なる才能の持ち主。他の者にはない力を持ち武芸に秀でております!私は息子を魔族からこの世界を救わせるために育て鍛えました! この者は必ずや魔王を倒します! だからどうか、アスターにあなた様の加護をお与え下さい!」

 空気がビリビリと震えているかのようだった。言い終えると、アスターは静かな口調に戻った。


「しばらくしたら頭の中で声が聞こえたんだ。魔王を倒しなさい。この世界を救いなさい…ってさ。あれは女神ってヤツの声だったのかな? 右手が熱くなって、気がついたらこの紋章が刻まれていた」

 アスターは紋章に視線を落とした。

「コレを見た親父は笑っていたよ。お前は選ばれたって、笑って笑って狂ったように笑い続けて、その日の夜、満足したみたいに死んだ」

 そのときのことを思い出したのか、アスターは口の端を歪めた。


「紋章が刻まれてから、さっきみたいに俺は怪我をしてもすぐ治るようになった。きっとこれが女神の加護ってやつなんだろう。……もう、君の手当は必要なくなっちゃったな」


 リリスは呆然とアスターを見上げる。アスターはどこか寂しそうな顔をしていた。

 しばらく沈黙が続いた。

 彼の言葉を理解するのに、時間が掛かった。

 自分もアスターも敬虔な女神教徒ではない。彼の父親がアスターに魔族と戦うための修行をつけているのは知っていたが、アスター自身は乗り気では無かった。

 そんな彼が、どうして女神に選ばれた?

 いや、今は理由なんてどうでもいいだろう。彼は女神から使命を賜ってしまった。だとしたら、彼は魔王を倒しに行ってしまうのか。

 リリスの口から、無理だという言葉が自然とこぼれ落ちた。


「君に魔王を倒せるわけが無い」

「どうして?」

「魔王に挑んでどれだけの人間が死んだと思っているんだ!? 誰も魔王にはかなわなかったんだぞ!」


 魔族に侵攻されてから、人は黙って滅ぼされるのを待っていたわけでは無い。有名な英雄たちが魔王を倒そうと立ち向かっていった。しかし誰も魔王を倒せなかった。

 でも、とアスターが言い返す。


「俺は女神に選ばれたから、勝てるかもしれない」

「本気で言っているのか…?」

「俺だって嫌だよ。クソ親父に決められたとおりに魔王を倒しに行かないといけないなんて。勝手に人を選んだ女神にもムカついてる。どうしてお前の言うことを訊かなくちゃいけないんだよ。ふざけるな」

「だったら…」

「でもね、リリス。俺、わかったんだ。俺はリリスと一緒にいたい」

 紋章から目線を上げて、アスターがまっすぐにリリスを見つめた。


「本当はずっと迷っていたんだ。勝手に決められた通りに魔王を倒しに行かないといけないのか。それとも無視して好きに生きようか。旅をしていたのも逃げていただけなんだ。でも今日、君に会って覚悟が決まったよ。俺、リリスと一緒に暮らしたい」

 どこか虚ろだった彼の瞳には、いつの間にか光が灯っていた。


「どうせなら平和な世の中で、魔族なんかに怯えずにずっと一緒に。そう思ったら、この世界を守りたくなった。……だから俺、行くよ。魔王を倒しに」


 アスターがリリスの手を掴むと、ぐいっと引っ張った。

 気がつけばリリスはアスターの腕の中に閉じ込められていた。

 突然のことにリリスの体は固まり、きつく抱きしめられたわけでもないのに指の一本も動かせなかった。


「約束するよ。俺は必ず帰ってくる。帰ったら一緒に暮らそう、リリス」


 リリスの耳元でアスターはそう言った。

 彼の吐息が触れた箇所から熱が全身に広がっていき、心臓の音がうるさく鳴り響いていた。

 何も答えられずにいると、アスターがゆっくりとリリスを放した。

 頭がくらくらした。呼吸をするのを忘れていたようだった。

 耳まで顔を真っ赤にしてカチカチに固まっているリリスを見て、アスターは小さく笑った。


「それまで待っていてくれ」


 最後にそう言うと、アスターは背を向けてその場を離れようとする。

 リリスは、はっとした。

 ……止めないと、彼は行ってしまう。

 慌てて手を伸ばしたが、彼の服の裾さえ掴めなかった。


 ――待って、アスター! いかないで!


 彼の姿は白い光に包まれて消えた。そして追いすがるリリスの視界もまた白い光に覆われて……。

 リリスは目を覚ました。





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