尼子の英傑
とある短編賞のため書き下ろした作品でしたが、橋にも棒にも掛からず落選したため掲載します。
史実に準拠してはおりますが、大部分が私の想像で書いた部分になります。
私が物心つく遥か前より、日ノ本は長い戦の渦中にあった。
この世に生を受けた時の光景を今でも覚えている。齢6歳の兄・尼子三郎四郎は私の人差し指を強く握って言った。
「おまえはわれの弟だ!おまえはつよいおとこになる。ふたりでちちうえをこえるぞ!てんかを取るのじゃ!」
当時は何を言っているのか当然理解できなかったが、何がおかしかったのか笑って同意した記憶がある。その8年後には私にも弟ができ、一切仲違いのしない良い兄弟関係だったと思う。なまじ歳が離れていたからだろう。
そして私は兄と共に尼子家の覇権維持に精力を投じる。8ヶ国守護と謳われ、山陰山陽の覇者に押し上がった尼子家、その立役者でもある父・民部少輔晴久が存命のうちは、主な敵対勢力であった成り上がりの毛利家の侵攻をよく防いだ。永禄に差し掛かるまでは全てが上手くいっていたのだ。
しかし、永禄3年にその父が天に召される。あまりにも唐突な死に、私も兄も涙こそ堪えたものの受け入れることができなかった。
それでも月日は待ってくれない。家督は迅速に兄へと継がれ、父の葬儀は本拠・月山富田城で慎ましく執り行われた。
この時点では兄も私も、今後の尼子家が失墜の一途を辿るとは思っていなかった。圧倒的な勢威を誇り、戦も連戦連勝。思えるはずもない。
ところがそんな思いとは裏腹に、尼子家は一気に崩れ始める。時期も悪かった。石見銀山での戦いが依然決着を見ていなかったのだ。弘治2年の忍原崩れや永禄2年の降露坂の戦いではいずれも毛利の侵攻を退けているが、それでも決定的な結果とはなり得なかった。
そして時期だけでなく、家中の状況も芳しくない。尼子一門で尼子家の勢力拡大に大きく貢献した精鋭部隊である新宮党が、近頃の著しい増長と多くの敬意を欠く行為によって、父によって処刑されたのだ。一族郎党が処刑あるいは自害によって壊滅したこの事件は、家中における一門衆の地位低下を招き、その状況での家督継承は大名権力に綻びが生じつつある現状が一気に明るみに出る出来事となった。
父によって抑圧を受けていた国人衆の不満が一気に膨れ、家督相続の時点ですでに義久一人では掌握しきれない事態へと発展していたのだ。
これが毛利元就にとっては恰好の隙となった。すぐさま石見銀山を攻め取るべく兵を挙げる。
もはや毛利家と対決に迎えるられる状況ではないことから、兄はすぐに戦況を見切るや否や、時の将軍・足利義輝様に仲介を依頼した。しかし、和平の条件として毛利元就が求めたのは、石見銀山を含む石見国における権益の放棄、即ち不干渉である。石見銀山は尼子家にとって財政の要でもあり、本来ならば到底受け入れることのできないものだ。足下を見た毛利に踊らされる格好であった。
だが、兄はそれを受け入れてしまう。私に一切の相談をせず、毛利に屈する形となったのだ。これが尼子を決定的に滅亡へと追いやる一手となるとも知らずに。
「兄上!これは如何なる了見にございますか!」
私はその報せが耳に入るや否や、月山富田城の謁見の間で兄を糾弾した。
「九郎四郎。今の状態で毛利と戦えば石見のみならず領国を大きく失い、尼子の名声は地に落ちよう。それを食い止めたまでよ」
「ですが、まずは某に一言あっても良いではありませぬか!」
「それはすまなかった。しかしこれも尼子のため、民のためだ」
「毛利と戦わなければこの状況が良い方に転じると、本気で思っておられるのですか?ならば兄上は大うつけにございまする!」
「口が過ぎるぞ、九郎四郎!」
謁見の間は一気に剣呑な空気に包まれた。
「いいえ、あえて申しましょう。石見銀山を捨てたのがどれほどの損失か。兄上にはただでさえ味方が少ないのです。それをお分かりですか?」
「......」
有力な一門は新宮党を処刑したことで私と、未だ童の弟・八郎四郎の父上直系の一族のほか、限られた者しかいない。私も齢十六に過ぎない。兄も二十代半ばに差し掛かったばかりの若造だ。内心で重んじられ敬われているとは思いがたい。
その上、毛利に反旗を翻していた福屋左衛門尉隆兼が尼子に見捨てられる形となったことで、福屋家のみならず石見の国人や尼子家臣が一気に追い込まれることとなった。
それを理解してのことだろう。兄上は口籠もった。
「先代の、父上の遺志を継ぐのではなかったのですか?父上を超えると、そう申していたではありませぬか」
「左様。俺とてこのまま毛利に屈するつもりなど毛頭ない。九郎四郎。抗うため、未熟な兄に力を貸してくれ。頼む」
「頭をお上げくだされ。兄上は尼子の頂に立つお方。軽々しく頭を下げてはいけませぬ」
「ふっ。お前は変わらぬな。兄を宥めてばかりだ。お前こそ尼子の当主に相応しき大器なのやもしれぬな」
「そのようなこと、間違っても家臣の面前で申してはなりませぬぞ」
「分かっておる」
私はそのように軽口を叩く兄上を戒めた。
◆
私は自分に「才」があるなどとは一度も思ったことはない。英才を持つ者は、いつでもこの世を大きく変える。遠く尾張では織田が大国今川を寡兵で打ち破ったり、近江でも浅井が六角を破り北近江での立場を強く確立したらしい。
英傑とはいつも逆境から生まれるものだ。そして民を安んじ、慕われる。数々の才ある者たちはそうあってきた。
しかし私はどうだろう。山陰・山陽の覇権を握る尼子の次男坊。その立場に胡座を掻いてはいなかっただろうか。決して油断も傲りもないつもりだった。父上が亡くなってから、尼子は常に逆境に立たされてきた。
兄の命を受け、幾度となく総大将として兄の代わりに大軍を率い、毛利に挑んだ。だがその度に勝利を収めることはついに叶わない。ついには領内でも随一の堅城である白鹿城も二度落とされた。自分が救援に総大将として向かいながら、力及ばず敗北したのだ。
相手が稀代の謀将であろうと、兄と共に力を合わせれば跳ね除けることができると思っていた。
戦場で毛利元就の姿を一目見た時に直感的に思った。これは逆立ちしても勝てぬ怪物だと。当然その時はかぶりを振ったが、今はそれが間違いでなかったと言える。
毛利元就は英傑を超える怪物であった。
「九郎四郎、相済まぬ。お主に誓った言葉、果たせそうにない」
そんな中、唐突に告げられた言葉は、気丈に振る舞い続けてきた兄らしからぬ重々しい一言であった。
広く8ヶ国を収めた尼子家も、連戦連敗で徐々に領土は閉塞の一途を辿り、奮闘虚しく本拠の月山富田城を残すまでに追い詰められていた。
「兄上、何を仰います!まだ終わってはおりませぬぞ。当主がここで匙を投げて我ら家臣は如何するのです!」
「我らはよく戦った。お前のおかげだ。報いることができず誠にすまぬ......」
「......ッ! 違う、違うのです兄上。大言壮語を何一つ為せなかった私が悪いのです」
「お前は悪くない。我が命と引き換えに、尼子を繋いで欲しい」
「我らには八郎四郎もおりまする。私は最後まで戦いますぞ! 命など惜しくはない! 己が使命を全ういたす!」
私は最後まで自分の中で折り合いをつけられず、歯軋りを響かせて部屋を後にした。
◆
倫久は塩谷口の守将として、山中鹿之助幸盛や立原源太兵衛尉久綱、秋上助次郎宗信を配下とし、吉川元春の大軍に相対した。
「皆の者! 敵は大軍だが、この城は山陰一の献上である。臥薪嘗胆を期して、我らは何日でも何年でも耐え続けてみせようぞ!」
「えいッ!えいッ!応ッッ!!!」
月並みな鼓舞だったかもしれない。しかし倫久は尼子の“希望”であり、確かに民に慕われる“英傑”であったのだ。本人がどう思っていようが、勇猛で他者想いなその姿は誰もが知るところである。
「皆の者ぉ! 掛かれぇぇ!!!! 怯むなぁぁ!!!!」
倫久は魂の叫びを城内に木霊させる。尼子を守るため、この塩谷口は絶対に死守が求められた。自ら陣頭に立ち、将兵を鼓舞するその姿は、尼子兵の士気を大きくのし上げた。
守兵は多くの敵兵を討ち取った。その中でも山中幸盛の気迫は凄まじく、一騎討ちで価値の高い首を取り、幾重にもそれを重ねていた。
そして異様なまでの気迫に気圧される形で、倫久の軍は塩谷口から吉川元春を撤退させることに成功した。
しかし良い出来事は長くは続かず、月山富田城の兵糧がついに底を突く。もはや戦い続ける余裕はないと踏んだ義久は、石見銀山の時と同様に独断で降伏を決め、自らの首を以て将兵の助命を敵大将・毛利元就に直々に願い出る。
元々尼子の家を取り潰し、血脈を断ち切る気はなかった元就は、家臣団の強い反発を受けながらも、当主の義久さえも助命すると宣った。
当然ながら倫久も兄と弟と共に生き延び、その代わりに厳重な監視の下安芸の円妙寺に幽閉されることとなる。
(もはや我が一生に一片の悔いなし。冥府でどのように父からお叱りを受けるだろうか)
そんな生活が何年も続いた。
毛利元就が自ら訪ねてきたのは、いつもと変わらぬ日課を送っていた時である。
「お主の名は何度も聞いた。民から慕われる名君だったと」
「ふふ、稀代の英傑たる少輔次郎様からそのように言って頂けるとは、恐悦至極に存じまする」
「儂が、憎くないのか?」
「憎くない、と申せば嘘になりましょう。某には尼子の民に希望をもたらす責務があり申した。その憎しみを失えば、薄情で何もない人間になりさがりましょう」
長く続く幽閉生活で倫久は人生の光明を失った。それでも後悔は一切なく、目の前の英傑と戦えたことを誇らしくも思っていた。
「ふっ、斯様な狭い空間に何年も閉じ込めていたのだ。もっと何かないのか?」
「某にいずれ少輔次郎様を討ち果たそうなどという想いは欠片もございませぬ。1人の男として、信念を持って最後まで己を貫いたのです。たとえ望まぬ結果になろうとも、この生涯に悔いはありませぬ」
「ふっ、ふはは。面白い男だ。流石はあの民部少輔の息子と言うべきか」
「お褒めに預かり光栄にございます」
「お主に吉報がある。確かお主は妻帯しておらなんだな」
「はっ。左様にございまする」
「お主の想いはしかと受け取った。ここで徒に時間を捨て、才を潰すのはあまりにも勿体ない。我が家臣の娘を娶り、客将としてお主を迎え入れる」
「なっ......」
「委細は後日伝えさせよう。3日後に登城するのだ。よいな」
有無を言わせぬといった表情で倫久を射抜いた元就は、愉快そうに口角を歪ませて立ち去っていった。
◆
このまま独身で生を終えると思っていたが、唐突に私の嫁取りが決まった。幸運なのだろう。私はあの毛利元就に認められた。
相手は山内刑部少輔元通の娘で、山内深玖といった。漆塗りのように艶のある綺麗な黒髪に、牡丹のような卓抜した秀麗さの目鼻立ちに目を奪われる。私にはあまりにも勿体ない。
「九郎四郎様のご活躍はかねがね聞いております。その九郎四郎様に嫁げるなど、望外の幸運にございます」
「皮肉でもそう言ってもらえると嬉しいものだな」
目の前の少女に、私の姿はどのように映っているだろうか。覇気のない冴えない男だと幻滅しているか。彼女の瞳の裏にどのように映っているかは窺えない。好意的に映っているとは言えないはずだ。
「皮肉だなんて、そんなはずございませぬ」
それでも、深玖は間髪入れず首を横に振る。
「少輔次郎様に必死に抗って、敗れ続けた男だ。そのように私を立てる必要はない」
「立てているわけではございませぬ!本心から、こう申しているのです。山内の家は元々尼子に属していたと聞き及んでおります。少輔次郎様に果敢に挑み、諦めず戦い続けたのでしょう?何に落胆する必要がありましょうか。私は貴方様を誠心誠意お支えします」
「立場は弱い。下の下だ。お主を幸せにできる自信がない」
「その程度の逆境、九郎四郎様ならば容易に跳ね返せると信じています」
英傑とは逆境にこそ真価を発揮するものだ。私はこれまでその逆境を跳ね除けることができなかった。静かに余生を過ごしたいと思っていた。でも目の前の少女の真っ直ぐな、そして初対面にも関わらず私を強く惟う双眸を見てしまうと、否定の言葉は口から出てこない。
命を救われ嫁を貰い、立派な住処まで授かった。これは“恩”だ。これを返すには、御家に尽くすしかない。
「私にできるだろうか」
「できますよ」
「お主の目を見てるとできないとは言えないな」
「ふふっ」
円妙寺で兄と別れの言葉を交わした時、このように言っていた。
「お前は俺の代わりだ。尼子の誇りを決して忘れず、これよりは毛利の下で力強く邁進せよ。良いな。これが未熟な兄からの願いだ」
私は兄の代わりに尼子を繋ぐ役目がある。ここで勝手に諦めて、深玖をも不幸にするわけにはいかない。
私は強く気持ちを引き締めた。
2人で外に出ると、透き通るような群青の空に、山の方を遠く見据えると、鰯雲が連なっていた。
見える景色が大きく変わった。ここまで晴々とした気持ちはいつ以来だろう。兄と無邪気に笑い合っていたあの頃に戻ったように錯覚する。
私は無言で隣に佇む深玖の肩を抱き寄せた。