第二話 その4
「……嘘でしょ」
エリザがぽつりと言葉を漏らす。
「フッ……どうか気を落とす事無きよう、エリザ氏。現実などこんなものでござるよ。などとまさかファンタジーの世界で言う事になろうとは思わなかったでござるがwwwデュフフフwww」
カールはそんな彼女に慰めの言葉をかけつつ、草を生やした。
洞窟バニットを倒し、意気揚々と隠しエリアを進んだ先。どこまでも一本道で、いつまで一本道なのかと思いながら進んだ先の到達点。一本道の終わり。
二人の目の前には、壁が立ちはだかっていた。
「…………」
ショックのあまり、エリザが言葉を失う。
まぁざっくり言ってしまえば――行き止まりだった。
一本道の行き止まり。それが意味するものは一つ。
「ともあれこれにて隠しエリアの全容解明、開拓は終了でござるな」
という事だった。
「宝箱の一つも無い、ただ魔物と一戦交えただけの開拓でござったが。チュートリアルと考えれば不足無い開拓でござったな」
「……嘘でしょ、こんな」
エリザは愕然とした。
それは、隠しエリアなどという大層な場所の割には結局何も無かったという事ももちろんあるのだが……それ以上にエリザを失意たらしめているのは、隠しエリアがあまりにも短かった事だった。
「エリザ氏なにゆえそのような顔を? これでエリザ氏の目的は達成されたはずでござるが」
「……短すぎるのよ、この隠しエリア」
エリザにとっての『開拓』はあくまで課題であり、目的は家に帰る事だ。
しかしこの短さの開拓では、とても課題をクリアしたとは思えなかった。
「そうでござるか? 拙者既に足が棒のようでござるが」
「それはただの運動不足あるいは太り過ぎ。……こんなちょっとそこまで散歩レベルの開拓じゃ、開拓したという『結果』にしかならない。お父様が私に課したのは、『成果』としての開拓なのよ」
「……フム。要するに今回の開拓はさしずめ、ご飯を用意してと言われたら本当にご飯だけしか用意しなかったといった感じでござるか」
求められているのは彩り豊かな食卓であって、茶碗に白飯のみという貧しめな食事ではないのである。と、カールはエリザにとっての今回の開拓をそのようになぞらえた。
「う、うん…………そう……なのかな?」
エリザはピンと来ていなかった。
「しかしながら、ここが一本道の行き止まりである事は厳然たる事実。掘り進みでもしない限り、此度の開拓はこれにて終了でござるよ」
「うぅっ……そんなぁ」
どうにもならない現実に打ちひしがれるエリザ。少なくともこれで、当分の間をあの廃屋で過ごす事が確定した。
「いつになったら家に帰れるのよぉ……」
「フッ……住処がどこであろうとも、心身共に健康であればそれで良し、でござるよエリザ氏」
「……なにそれ。そっちの世界の偉人の格言か何か?」
「今拙者が考えた格言でござる」
「あぁ……道理でものすごく薄っぺらいと思ったわ」
ともあれ目の前が壁である以上、いつまでもここでこうしていてもしょうがない。
二人は来た道を引き返した。
「気を落とさずに、エリザ氏。より良い明日を信じれば、その日のポカは帳消しに――」
――ブミッ
「…………」
カールの足元で、妙な音がした。
カールがそっと足を持ち上げる。すると、足の裏サイズの小さな突起物が床からせり上がってきた。
「……フム」
察するに……と言うか、どう見てもそれはスイッチだった。地面に巧妙にカモフラージュされた、足で押すタイプのスイッチが床に備え付けられていた。
いや、備え付けられていたと言うよりは、仕掛けられていたというべきか。明らかにこの設置の仕方は、関係者が必要な時に押す用のものではなく、何も知らない人が誤って踏んづける用のものだった。
要するに――そのスイッチは、非常に罠っぽかった。
――ンゴゴゴゴゴ……
「な、なんの音……?」
二人の背後から、不吉な音が聞こえた。それはまるで何か大きくて重たくて固いものが、何かに呼応して装填されたかのような音だった。
二人が振り向く。
行き止まりで何も無かったはずの場所に、通路を隙間なく埋めつくすほどの大きさの、球状の岩石が鎮座していた。
否、鎮座ではない。
ゆっくりと、着実に。徐々に速度が増しますよとでも言わんばかりに、その岩石はゆっくりとこちらに向かって転がってきた。
「…………」
「…………」
二人が顔を見合わせる。
ここまでの道のりは、分かれ道一つ無い一本道。距離にしてだいたい1キロ程度。開拓には短く、散歩にはちょっとそこまで程度の距離だ。
では果たして、その距離を走り切るにはどれほどの時間が必要となるのか。距離はここから出口まで約1000メートル、速さは分速各々。それらを『はじき』の公式に当てはめて、必要な数値を算出する。
「――――」
「――――」
そうして二人が導き出した答えは――今すぐに全力で駆け出す事だった。
そしてようやくプロローグから、今に至る。
二人は転がる岩石に追い立てられながら、遺跡を全力疾走していた。
「たっ、確かプロローグではここは薄暗い洞窟と書いてあったと記憶しているのでござるが……!」
「知らないけど……っ、洞窟も遺跡も似たようなものでしょ……!」
似たようなものなのだ。
さて。二人は全力疾走しているとあるが、しかしその内容は両名の身体能力によりそれぞれ異なっていた。
エリザは幼少の頃からボルゾーイ流空手の修練を積んでいるおかげもあって、運動能力に極めて優れている。彼女の現在のジョブはプリンセスだが、もしジョブチェンジを望むなら、こと近接系のジョブにおいては即時中級職に就く事が可能なほどだ。
対してカールは……もはや説明は不要だろう。怠惰と暴食で構築された体は、あらゆる学術的観点から見ても、運動には全く適さない。カールの体はせいぜい無人島で普通の人よりも多少長生き出来そうな程度でしかなく、運動、とりわけ走るという行為に関しては、全くの不向きであると言わざるを得ない。
まぁつまり要するに――二人の間には、足の速さ、持久力に大きな差が生じていた。
先を走るエリザ。その後ろを走るカール。両者の差は、その一歩ごとにきっちりと開いていった。
だが……ここまで説明しておいてなんだが、実はそれには大した意味は無い。
何故ならエリザの足であっても、岩石に追いつかれる前に隠しエリアの出口に到達する事は不可能だったからだ。先にぺしゃんこになるのはカールの方だという事実しか、今の説明で明らかになる事はないのであった。
「もっ、もうじき駄目でござる……!」
そもそも足の早さ以前に、カールは出口までの完走すら難しかった。マラソン大会六年連続最下位(小学四年生~中学三年生)は伊達ではなかった。
「どっ、どこかに……フヒィ! 分かれ道なぞは……フヒィ!」
カールは息も絶え絶えに、オリジン・マップを立ち上げる。しかし隠しエリアの最初から最後までは、非常に分かりやすく一本道だった。
「フッ、フヒッ……」
故に、腑に落ちない点が一つだけあった。
それはあの魔物――洞窟バニットだ。
二人は隠しエリアに入って初めて、魔物と遭遇した。それはバックアタックという形で、二人は背後から不意打ちを受けた。
そう……後ろから現れたのだ。隠しエリアは一本道で、隠しエリアに入る前の場所には魔物は一匹もいなかったのに、二人は後ろから襲われたのだ。
それを踏まえてマップをもう一度確認すると、不自然な個所があった。
この隠しエリアは、元の遺跡と同じ造りだ。天然の洞窟ではなく、人の手によって造られたものだ。足元は舗装されているし、壁も天井も整然とした石造りだ。
で、あるにもかかわらず、地図上の通路は、所々がほんの少しだけ歪んで見えた。本来ならそれは定規を引いたような直線であるはずなのに、所々が僅かに膨らんでいるのだ。
開拓者のスキル『地図作成』は歩いた場所が自動でマッピングされるというものだが、より正確に言うなら、『可視範囲及び自身を中心とした一定範囲を自動でオリジン・マップに記す』というものだ。それは見えている場所がマッピングされるという事の他に、見えていない場所も一定範囲ならマッピングされるという事でもある。
ひょっとしたら、とカールは思う。地図上の僅かに膨らんでいる箇所は壁ではなく、見えていない新たな道の入り口なのではないか、と。
しかもちょうどその膨らんでいる部分は、照明の間隔が広いせいで生じた暗闇の部分だ。もし照明の配置が意図的にそうされていたならば、そこに道があってもおかしくはない。侵入者を罠にかけるために一本道に見せかけた、ここは実は枝分かれした通路である可能性があるのだ。
などという思考を凡夫のカールが一瞬の内に出来たのは、死ぬ間際に一瞬が永遠にも引き延ばされる走馬灯的なアレのおかげであった。
兎にも角にも、ぺしゃんこの未来を回避するにはそれに懸けるしかなかった。
「えっ、エリザ氏……話があるでござる……! よってペースダウンを所望するでござる!」
「なによっ、こんな時に……! 吊り橋効果にだって限界はあるんだから、愛の告白は無駄と知りなさいっ……!」
「他に道がある可能性が浮上したでござる!」
「詳しく話しなさい!」
エリザはペースを落としてカールの横に並んだ。
「かくかく……ッフヒッ、ヒッ……しかじ……ゴホッ……しか……ブフィッ、フヒィ……しかじかで……分かれ道があるかもでござる!」
「かくかくしかじかをそこまでして言い切る必要性があるのかはともかく……それは本当なの!?」
「然り。それを発見に至った経緯でござるが、まず魔物との遭遇の時に――」
「どこにあるか言いなさい! 今すぐ!」
岩石はすぐ後ろにまで迫っていた。もはや何秒の猶予も無い。
「そこの暗がりでござる」
「直前じゃないのよ、もう!」
カールとエリザは、その暗がりに飛び込んだ。本当に道があるのか、そう思っているだけで壁なんじゃないか、もし違ったら壁に弾かれて岩石に轢かれて即座にぺしゃんこになるじゃん怖い……などといった葛藤をしている時間的余裕は無かった。信じる信じない以前に、二人はもはやそうするしかなかった。
果たして二人の体は――暗闇に飲み込まれるようにして、岩石の進路を外れた。
二人が地面に体をしたたかに打ちつけた直後――二人のすぐ近くを、ものすごい勢いで岩石が通り過ぎていった。
「……た、助かった……のよね?」
「当面の間、岩に潰される心配は無くなったと見てよさそうでござるな……フヒィ」
無事を確認し、二人は倒れたままの格好で安堵の息を吐いた。
「さすがに今のは危なかったわね……マジで死ぬかと思ったわ」
ぶるっ、と身震いするエリザ。これまでお嬢様育ちだったエリザは、命の危険に晒されたのは生まれて初めてだった。
「フッ……これが『開拓』というものでござるよ、エリザ氏」
眼球が見えなくなる感じに眼鏡を光らせて、カールは言った。
「……うん? あんた歴戦の開拓者か何かだったっけ?」
「開拓に関しては固有スキルのみでターンエンドでござるが」
「そうよね……開拓に関しては私と同レベルのズブの素人よねあんた。なんでそんな奴が上から物を言えるのかしら……」
エリザは立ち上がり、服に付いた砂埃をぱんぱんと払った。
「それより、今後の行動方針についてでござるが……」
地べたに座ったままカールは尋ねた。
「まだ開拓を続けるつもりでござるか?」
「そんなの当たり前じゃない。一本道で絶望していたところに新しい道を見つけたのよ? 今度こそ『成果』としての開拓が出来るわ……!」
期待に胸を膨らませるエリザ。ついさっき死にかけた事など綺麗さっぱり忘れたかのようだった。
「フッ……エリザ氏は強いでござるな。拙者とても真似出来そうにないでござる故、自宅にて無事を祈る次第でござる」
「もちろんあんたも来るのよ。でないと開拓にならないわ」
地図作成スキルの無いエリザ一人では、開拓をしても地図に残せないのだ。
「……フッ、やれやれでござるな」
カールは立ち上がり、やれやれ系主人公のように肩を竦めた。
「あんたがそれやると無性に腹立つわね……」
その仕種はクール系イケメンにしか許されていないので、カールに対するエリザの苛立ちは正当な感じ方だった。
「でも新たな道はお先真っ暗でござるぞ。まるでエリザ氏の現状のようでござるなwwwコポォwww」
「えいっ」
「ン゛ン゛ッッ! ぼ、暴力はいけない……」
エリザの蹴りで脚と草を刈られ、カールはその場にくずおれた。
「だいたいねぇ……カモフラージュされていたとはいえ、ここはちゃんとした通路なんだから……」
太腿を押さえて痙攣するカールを尻目に、エリザは壁を手探りで調べ始めた。
「まるで壁にセクハラしているかのようでござるな」
「美少女の行為はセクハラには当たらないのよ。……ここは通路なんだから、真っ暗なままであるはずが……あ、あった」
エリザはざらついた石の壁から、手触りが滑らかな箇所を見つけた。
そしてそこを押し込むと、真っ暗だった通路にパパっと照明が灯った。
「こんな風に、照明があって然るべきなのよ」
視界が利くようになった新たな通路は、他と同様の造りだった。ちゃんとした目的を持って造られた、ちゃんとした通路だ。しかも元々カモフラージュされていたとなれば、先ほどのような肩透かしな結果にはならないだろう。
少なくとも、エリザにとっての『成果』になる事は充分期待出来た。
「さぁ、先に進むわよ!」
ここを開拓すれば今度こそ家に帰れると、エリザは意気軒昂と歩き出した。
「しかしエリザ氏。先刻死にかけた割には随分と士気が高いでござるな」
「ん? そりゃそうよ。あんな目に遭ったのに生きてるって事は、滅多な事では死なないって事だもの。もはや岩石が転がってくる程度では、私は死ぬ事は無いのよ」
「それは随分と脳筋な理論でござるな……」
エリザを先頭に、二人は新たな道に足を踏み出した。