第十二話 その9
「皆様、ご静聴ありがとうございました」
歌を披露し終えたライラが、観客に向けて礼をする。
次いで、湧き上がる歓声と拍手。ライラはそれに小さく手を振って応えつつ、観客をモーゼのように掻き分けて奏者と共にその場から離れた。
「……ライラ姉様」
そしてライラはその先で、リンファと対面した。
「あら、リンファじゃない。……あぁ、あなたここに住んでいるんだったわね」
歌っている時とはうって変わった、高圧的なニュアンスを含んだ言葉。
マオ家次女、ライラ・マオ。紫がかった長い髪に、抜群のプロポーション。四女であり本妻の子ではないリンファに対しては、その態度が示す通り欠片ほどの愛情も持ち合わせていなかった。
「ここに何の用? 体の弱い万年引きこもりのあなたが、まさか私に声援を送りに来たわけじゃないでしょう?」
「無論です。私はここに、歌を歌いに来ました」
「歌を……? ……ふん、腐ってもマオ家の娘という事か。まさかあなたが、私と同じ方法を思いつくなんてね……」
不敵に……と言うよりは、もはや威圧するように笑みを浮かべるライラ。敵意は剥き出し、されど自分が負けるとはこれっぽっちも思っていない、自分の土俵に上がってきた相手など取るに足らない虫けらに等しいと言わんばかりの態度だった。
(ライラ氏こんな態度取ってるけどさっきまでアイドルとして観客に愛想と媚びを振りまいていたんだよなぁ……)
それをプロフェッショナルと見るか面白おかしいと見るかは、人それぞれである。
「でも、それは予定でしょう? 私の後で……この歓声の後で歌う勇気が、あなたにあって?」
観客たちの熱狂は冷めやらない。位置的に今の会話は当然彼らにも聞こえているはずなのだが――興奮して耳に入らないのか、それはそれでという事なのか、特に彼らの熱狂に水を差すような事は無かった。
「もちろんです。そのために練習してきましたから」
リンファは真っ直ぐに応えた。
「……生意気ねぇ、その態度。けれどまぁいいわ。私の歌に失点が何一つ無い事は観客が証明している。その上であなたに何が出来るのか、ここで見させてもらうわ」
ライラが指を鳴らすと、どこからともなく現れた執事が路上に椅子を用意した。
「何をしようとも所詮は二番煎じでしかない、あなたの歌をね」
椅子に腰を下ろし、ライラは不敵に言い放った。
「…………」
リンファはライラから視線を切ると、彼女がモーゼのように割った観客の間を、彼女の足跡とは逆の方向に歩み出した。
「……勝算はあるの?」
同じくその道を歩む、演奏担当(箱開け)であるエリザが尋ねる。
「……うん」
「……そう」
リンファの短い返答に、エリザは短い相槌を返す。
しかしこの必要最低限のやり取りの中で、エリザはリンファの悲壮とも言えるような決意を感じ取っていた。
(なにをする気なのかしら、この子……)
やがてリンファは、観客を抜けた先のぽっかりと空いた空間……さながらライブステージに到着した。
リンファはくるりと転身し、観客と向き合う。
リンファの歩みに追従していた観客の視線が、一身に集まる。
その視線はどれも、『次はこの子か』と暗に語っていた。
(これじゃあリンファは、どうやったって『二番目』でしかない。こんな中で歌ったところで、努力賞は貰えてもお姉さんと順位が入れ替わる事は無い……)
リンファの歌の実力は、練習風景を見てきたエリザはよく知っている。ライラと比べると、人によってはリンファの方が上回っているかもと感じる程度で、順位が入れ替わるほどの差は無いというのが、エリザの見立てだった。
二人の立場を分かつ者は、歌を披露する順番のみ。そしてそれは、絶対に覆る事の無い決定的な差だった。
「……それでは、聴いてください」
挨拶もそこそこに、リンファがエリザに目配せをする。
その目線に小さく頷き、エリザが箱の蓋を開ける。すると、中に入っている鏡から曲が流れ出した。
箱から音楽が流れ出すという奇術めいた光景に、しかし観客はそれに対して特に関心を示さなかった。エルストでは小春が鏡で動画を配信しているので、それ系の出来事には既に驚きを感じなくなっていた。
(今のところ全部予定通りだけど、ただ普通に歌うだけじゃ……リンファ)
エリザの心配を他所に、リンファが歌い出す。
そして――エリザはすぐさま異変に気付き、はっとした表情をリンファに向けた。
「――ファッ!?」
その異変には、当然カールも気付いていた。
箱から流れるのは、ポップでキュートな、ちょっと電波の入った楽曲。
その曲に乗って、それに相応しい歌詞がリンファの口から紡がれていた。
「こ、この歌詞は…………没になった、元々の歌詞!」
リンファが曲に乗せて歌うそれは、メッセージ性皆無の、語感と雰囲気だけの歌詞だった。
「ふっ……なによあの歌、何を伝えたいのかまるで分からないわ」
ライラが呆れるように言った。
それは観客も同様だった。呆れるほど空っぽなその歌詞に、嘲笑や苦笑いを漏らす者ばかり。
「――――」
そんな中で、カールだけが別のものを見ていた。
急遽歌詞が変更されたという異変に気付いたのは、カールとエリザの二人。
だがその先の未来を垣間見たのは、カールただ一人だけだった。
リンファは賢い娘だった。
ライラの歌を聞いた瞬間、先を越されている自分に勝ち目が無い事を瞬時に悟った。
なのでリンファは、予定していた歌詞を捨てて元の歌詞――内容がアレすぎる、電波な歌詞に変更する事にした。
理由は2つ。1つは前述した通り、予定通りの歌詞では絶対に勝てないから。
そしてもう1つは――その歌詞に、リンファ自身が何かを感じ取ったからだった。
一瞬で没と断じた元の歌詞。だがそれが書かれた紙は何故か捨てられず、ふとした合間に何度か読んでいく内に――リンファは自分の胸に、名称不明の感情が芽生え始めた事を感じた。
それが何なのかは未だ分からない。
ただ、今になって思うのは――姉に勝つには、これしかないだろうという事だった。
それは、一番のサビを終えた辺りからだった。
観客の表情に変化が表れ始めた。苦笑し、嘲笑していた観客たちが、皆一様に惚けたような表情に変わっていた。
「な、なによ……なんなのよ、これはっ!?」
その変化は、ライラにも起こっていた。困惑が強いため表情がそうなる事は無かったが……ライラは自分の胸に、正体不明の感情が芽生えている事を感じた。
「フッ……知りたいでござるか?」
ライラの座る椅子の傍に、カールがのそっとやってきた。
「あ、あなたは…………え、誰?」
「リンファ氏のプロデューサーのカール・ケーニヒでござる」
「あ、そう。……いや、それよりあなたは知っているというの……これを、この感情を!」
「然り。それは拙者の世界では実にポピュラーなものでござる。いや、最近は死語になりつつあるでござるが」
「お、教えなさい……! なんだっていうのよ、なんなのよこれは……!」
「フッ……リンファ氏をよく見るでござる」
カールがステージで踊るリンファを指す。
ポップでキュートでほんの少し電波な曲に合わせて、内容ゼロの歌詞を曲に乗せるリンファの姿。
決意はしたもののやはり恥ずかしいのか、堂々たるその表情には恥じらいが混じっている。歌っている最中、恥ずかしそうに目を伏せる一瞬は、見る者の胸に名状し難い感情を起こさせる。
加えて、彼女の容姿だ。おしとやかな美人系の顔である彼女がこんな歌を歌うというのは、見る者に強烈な違和感を与える。だがそれは決して収まりが悪いものではない、新たな境地という肯定的な意味を持った違和感だ。
「あ、あれがなんだって……」
ライラがそう強がるも、正体不明の感情は強まる一方だった。見れば見るほどに、これ以上はマズいと思っていても目を離せない。
カールは眼鏡の中央をクイっとやって、その感情の答えを口にした。
「皆が抱いているその感情…………それは『萌え』でござる」
――この日を境に、この世界の『萌える』という言葉に、もう1つの意味が追加される事となった。




