第九話 その16
「……そうですか」
エリザの報に、ノエルは淡白な一言を返した。
「わざわざありがとうございます。では、私はこれで失礼します」
ぺこりと一礼し、ノエルは二人に背を向けて歩き出した。
「え、ちょっと……」
まっすぐホテルに向かうと思ったが……しかしノエルが足を向けた方向は、ホテルとは違う方角だった。
そして呼び止める間も無く、ノエルの姿は角の先に消えた。
「ところでダニエル氏はどうして倒れたのでござるか?」
「……うん。実は――」
エリザはダニエルが倒れた理由を話した。ノエルには言わないでくれと口止めされていたが、カールに言うなとは言われてなかった。
もちろんそれは屁理屈というものだが、そんな大事な事を秘密にしておくというダニエルの考えが、エリザには承服出来なかった。
「フム…………なんともはや、そのような事が……いやはや」
作品カラーとはかけ離れた深刻さに、カールもどう反応していいか分からなかった。
「……しかしながらこれはノエル氏たちの問題。拙者たちが首を突っ込む事ではないでござる」
苦楽を共にした仲間とかならともかく、昨日今日会っただけの人に必要以上に親身になるのは、むしろ相手にとってもあまり心地のいいものではない。人間関係において一番重要なのは、何事にも全力で親身になる事ではなく、適切な距離感なのである。
「……そうね。私たちに出来る事は、全てが済んだ後でノエルを笑顔で迎えてあげる事よね……」
「然り。今はそっとしておくが吉なのでござる」
「でもホテルに小春置いてきたから、どのみちホテルには行かないと」
「…………」
結局、カールとエリザもホテルに向かう事になった。
部屋に入ると、そこにはベッドで眠るダニエルの姿だけがあった。
「あれ、小春がいないわ……」
「トイレではなかろうか? ノックしてもしも~し」
カールがトイレをノックするも、しかし返事は無かった。
「フム……ひょっとして帰ってしまったのでは?」
「そんなはずは……」
「んむ……今度はカール殿ですか」
目を覚ましたダニエルが、ベッドの上で体を起こす。
「これはダニエル氏…………お悔み申し上げるでござる」
「ハッハッハ、まだ気が早いですぞ」
気を悪くした風も無く、朗らかに笑うダニエル。
「……しかしながらパッと見、血色はよさそうに見えるでござるが」
その様子は、とても重病人のようには見えなかった。
「そういう病気なのです」
「……左様でござるか」
カールには異世界の病気の知識など無いので、そうときっぱり言われては返す言葉が無かった。
「しかし……やはりノエル様が心残りですな。某がいなくなった後、一人でやっていけるかどうか……」
「…………」
その答えを二人は持っていない。関係の浅い二人が何を言ったところで、気休め以上のものにはならないのだ。
「さぁ……どうなんでしょうね、それは」
その答えを持っているのは――他ならぬ彼女だけだった。
「ファッ!?」
カールが驚き振り向くと、いつの間にかノエルの姿がそこにあった。
「の、ノエル様……!? まさか、今の話を聞いて――」
「もちろん私一人でも余裕でやっていけますが…………それはまだ先の話ですわ」
ノエルはダニエルの傍まで歩み寄ると、手に持っていた物をダニエルの前に置いた。
「こ、これは……?」
それは小瓶だった。透明の小瓶で、中には青みがかった液体が入っている。
「天使の雫という名前くらい知っているでしょう?」
「……え、今天使の雫って言った?」
その名前に、エリザが反応を示した。
「……知っているのでござるか、エリザ氏」
「えぇ……万病を治すとされる、回復アイテムの中では最上級にして最高級……いえ、伝説級のアイテムよ」
「それは……ものすごそうでござるな。エリクシャー的な?」
「エリクシャーが何なのかは知らないけど、とにかくものすごいのよ。市場にはほとんど出回らないし、とても手が出るような値段じゃない。それが本物だとしたら、いったいどうやって……」
「…………。まさかノエル氏、財宝を欲した理由というのは……」
「この薬を買うためですわ」
ノエルの目的はエーヴェル家の再興などではなく、この薬を買う事だった。
「そもそも私がこの町にやってきたのは、エルストに天使の雫が売りに出ているという情報を掴んだからです。渡航費や滞在費、取り置き料、そしてクエスト報酬と、かなりの額のお金が掛かりましたが……えぇ、ようやく手に入れる事が出来ましたわ」
やってみせたとばかりに、ノエルはふふんと胸を張った。
「お、お待ちください…………ノエル様は気付いておられたのですか? 某の病気を」
ノエルが薬を買うためにここにやってきたという事は、当然ダニエルの病気の事を知っていたという事になる。しかもここまでの経緯を考えると、かなり前から。
「…………。え、まさか隠しているつもりだった……というわけではありませんわよね?」
「なっ……」
意外そうに表情を固めるダニエルに、ノエルは呆れたようにため息を1つつく。
「あのですねぇ……生まれた時から一緒にいるのに、私があなたの変化に気付かないわけがないでしょう?」
「――――」
「……もしかして、このところ私に対する態度が妙だったのもそれのせいですか? ……まさかとは思いますが、もうじき自分がいなくなるから、別れが悲しくないようにわざと素っ気ない態度を取った……なんて事はありませんわよね?」
「そ、それは……」
咎めるようなノエルの視線に、ダニエルの目が泳ぐ。
ノエルはそれを返事と捉え、もう一度ため息をついた。
「まったく……これだから旧世代の男性は。そんな事をしてこちらが喜ぶとでも思っているのですか? 別れなんて結局悲しいに決まっているのですから、そんな思い出に傷を付けるような真似は無粋であると言わざるを得ませんわ」
ノエルの言葉に、エリザがうんうんと頷いた。
「の、ノエル様……某は」
「不出来な執事へのお説教は後ですわ。まずはそれをお飲みなさい」
「は、はい」
ダニエルは小瓶の蓋を外して、中身を一気に飲み干した。
「……どうですの?」
「む……なんだか体が軽くなったような気がしてきましたぞ」
「……それじゃあ」
「にわかには信じ難い事ですが、某の病気は――ぐぅっ!?」
元気になったのも束の間、ダニエルが急に苦しみ出した。
「ど、どうなさいましたの……!? まさか副作用が……」
「い、いえ、違います。これは…………いつもの痛みです」
「いつもの……という事は、まさかこのお薬は偽物……」
「いえ、間違いなく効果はありました。……ただ、某の病は手遅れだったというだけです」
天使の雫にも、治せないものはある。
その内の1つが、手の施しようが無いほどに進行した病気だった。
「そ、そんな……じゃあもう、どうすれば……」
放心したように、呆然とするノエル。
天使の雫が効果が無いとなれば、もはや打つ手は無かった。
と、その時――
「ただいまー……って、人の家でただいまはおかしいか」
そんなのん気なセリフと共に、小春が戻ってきた。
「あ、エリザさん……と、カールさんも。……じゃあそっちの人はノエルって人かな?」
「小春……あんたどこ行ってたのよ」
「喉渇いたからジュース買いに行ってた。この辺お店無いし、自販機なんてのも当然無いから、結構遠くまで行くはめになっちゃった」
「あぁ、そう……」
この状況であっけらかんと言う小春に、エリザは何を言う気力も無かった。
「……で、何かあったの?」
「見ての通りよ」
病気の事を知っている小春に、ダニエルの様子を視線で指す。
そこには、ベッドの上で表情を歪めるダニエルの姿があった。
「……あー。なんか大変みたいだね、よく知らないけど」
「大変ってあんた、そんな軽く――」
「ぎっくり腰ってさ、言葉とは裏腹になかなかヤバいらしいね。いや、知らないけどさ」
「言う事じゃ…………、……ん? ……え、小春、今なんて言った? ダニエルさんがなんだって?」
「ぎっくり腰?」
「…………。あ、小春の知り合いにいるね、ぎっくり腰の人が」
「うん……知り合いってかダニエルさんだけど。妙な言い方するね、どうしたの?」
「…………」
エリザが小春以外の人物に視線を向ける。
皆一様に、ぽかんと目を丸くしていた。
「え、どうしたのみんな……」
「……小春氏。どうしてダニエル氏がぎっくり腰だと?」
「エリザさんが出てってから、どんな病気なのかなってダニエルさんをスマホで調べてみたの。そしたら長旅の疲労とぎっくり腰ってこれに」
小春がスマホを小さく掲げる。
「…………」
小春のスキル……チートスキルで調べたというなら、これ以上の信憑性は無いだろう。吸血鬼のステータスを模倣出来るほどのスキルが、人の病状を読み違えるわけがない。
ダニエルが治らないのも当然の話だった。天使の雫にとって、病気ではないぎっくり腰は専門外だった。体が軽くなったような気がしたのは、長旅の疲労が解消されたからだ。
「あ、あれ……? ボクなにかやっちゃいました?」
なんとも言えない空気に、小春が戸惑う。
「ダニエル……あなたって人は……!」
そんな空気をぶち壊したのは、わなわなと拳を震わせるノエルだった。
「ま、まさか某もぎっくり腰だったとは皆目見当も……」
「あなたって人は、本当に……!」
ダニエルはノエルの雷が落ちるかと身構えたが――ノエルはふっと力を抜いて、拳を緩めた。
「……まぁ、いいですわ。大事無いならそれで」
「の、ノエル様……」
怒りと呆れがない交ぜになったような、けれどどこかほっとしたように、ノエルは表情を緩めた。
「まったく…………あんまり心配かけないでよね、じい」
そして安堵したように、小さくそう言ったのであった。




