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第九話 その5

 エルスト郊外のホテルの一室。


「ただいま帰りましたわ」


 出発は明朝。今日はもうする事が無いので、ノエルはホテルに戻ってきた。

 時刻は昼下がり。夏の太陽は、まだ沈む素振りは見せなかった。


 ノエルは靴を脱いで部屋に上がり、そして左右にあるトイレと洗面所兼浴室のドアを通り過ぎた後、ベッド二つとテーブルがあるだけのワンルームに入る。


「…………」


 ベッドの上で、ダニエルが横になっていた。


「……こんな時間に寝ると夜眠れなくなってしまいますわよ」


 ノエルが嘆息混じりに声をかける。


「その点はご安心を。その気になれば某、このまま朝まで眠り続ける事も可能ですぞ」

「それは果たして安心材料なんですの……?」


 起きている事は最初から分かっていたのか、ノエルはさして驚いた様子も無く話を続けた。


「それで、某の代わりは見つかったので?」

 体をゆっくり起こしながら、ダニエルが尋ねる。


「えぇ。見た目は普通の女性でしたけど。服装はあんまり普通じゃなかったかもですが」

「ほう……ひょっとして化生の類だったりしますかな?」

「まさか。きっと高名な魔術師か何かですわ」


 実際は本当に化生の類なのだが、まだノエルにはそれを見破れるだけの実力は無かった。


「……本当に行かれるのですか?」

「くどいですわ。それに関しては何度も話し合いました」

「…………そうでしたな」


 観念したような、だけど心の端では諦めきれないといった風にダニエルは言葉を零した。


「もう一度尋ねますぞ。危険を冒す価値はあるのですか……エーヴェル家の再興に」

「…………」

「慎ましく暮らしていけば、残された財産でもノエル様が一人立ち出来るくらいまでは充分やっていけますぞ」

「…………ふん。それは認められませんわ。エーヴェル家の再興は、一人娘である私の責務です」

「……左様ですか」


 何度尋ねても、ノエルの意思は変わらなかった。


「ってか私が再興を諦めたらあなたはクビですわよ? どこの国でも慎ましい生活に執事は含まれていませんわ」

「それは問題ありません。もういい年ですので、退職金で寿命が尽きるまで悠々自適ですぞ」

「私に退職金が出せると思っているの……?」


 ノエルが自分のベッドに腰を下ろす。安普請のベッドが、綿のようなノエルの体重に軋んだ音を立てた。


「……それにこうして、ちゃんと節約していますわ」

「まずホテルを借りる事自体が贅沢なのですぞ。安ホテルだから節約していると言うのは、お金無いからジュースじゃなくて水にしてるんだよねって言いながら店で水を買っているようなものですぞ」

「よく分からない例えですわ……」

「本当に節約するつもりなら自分でお茶を作って水筒を持ち歩けという事です。つまり本気で節約するのなら、ホテルなど借りずにどこかの廃屋に寝泊まりするくらいの覚悟が必要だと某は言いたいのです」

「それはさすがにやりすぎですわ……」


 本気で食費を節約したいのならレストランのゴミ箱から残飯を漁るべきと言っているようなものだった。


(しかし……廃屋ですか)


 廃屋と言えば、エリザもマリィもそこに住んでいる。エリザに至っては、廃屋を土地ごと購入していた。


(この町の廃屋って、実は住居としてポピュラーなのでしょうか……)


 それはもちろん、エリザとマリィの事情が特殊なだけなのであった。



 廃屋(正式な持ち家)への帰り道――


「お嬢様」


 カールとエリザの前に、漆黒のスーツに身を包んだ老人が前に現れた。


「あら、セバスチャンじゃない。どうしたの?」


 老人の名はセバスチャン。ドミナリア家の執事だった。


「はっ。実は少々のっぴきならない事になりまして。つきましてはお嬢様に家に戻ってきてもらいたいのです」

「…………。それってもしかして、罰はもう終わりって事?」

「いえ、一時的なものですが」

「そうよね、知ってたわ。……それで、何があったの?」

「それが……」


 セバスチャンは事情を話した。


「……今度トゥレスの領主が私の家に尋ねてくるから、私に帰ってきてほしい、と」

「はい。トゥレスの領主がお嬢様とお話がしたいとおっしゃっておりまして、ハイ」

「私としてはボルゾーイ的にあまり顔を合わせたくない人物の一人だけど……お父様のお顔を潰すわけにはいかないわね。で、それはいつ?」

「明日にございます」

「明日!?」


 エリザが素っ頓狂な声を上げる。


「……コホン。随分と急な話ね」

「急に決まった事ですので」

「……そう。でも明日……明日は」


 言うまでも無く、明日はクエストの予定が入っている。


「……悪いけど明日は無理ね。先約があるの」


 約束の順番的に、優先すべきは父親よりもノエルだった。


「……左様でございますか。先約があるなら仕方ありませんな。今度行われるボルゾーイ流武術・全種混合対抗試合の選手候補にお嬢様の名前が挙がっているのですが、そういう事情なら先方にはよしなにと伝えておきます。では」

「は? ちょ、ちょっとセバスチャン、待ちなさい!」


 踵を返そうとしたセバスチャンを、エリザが慌てて呼び止める。


「おや、まだ何かございましたか?」

「ございますわよ! 何よその不穏なイベントは……私のいないところでどう話が転ぶかなんて想像に難くないわ」


 ましてやよしなになんて伝えられたら、間違いなく選手確定だった。


「断固拒否すると伝えなさい」

「は……しかし伝言で断りを入れたところで、話が紆余曲折して結局同じ結論になるのは明白かと」

「うぐ……それは」


 嫌よ嫌よも好きの内が成立すると未だに思っている世代の彼らに伝言で断りの旨を告げたところで、都合良く曲解されて快諾と解釈されるのは目に見えている。面と向かってきっぱりと意思表示をしなければ、真意が伝わる事は無いと見て間違いは無いだろう。


「……別に行ってしまってもいいのでは?」


 約束と身の安全の板挟みに悩むエリザに、カールが告げた。


「えっ……でもそれは」

「別に命を落とすでもなし、そう思い悩む必要は無いでござろう」

「…………。まさか、あんたからそんな言葉を聞くとはね。……分かったわ」


 そう言うと、エリザはセバスチャンに向き直り、


「家に帰るわ、セバスチャン。直接言わないと絶対に通じないでしょうし」

「……ファッ?」

「分かりました。ではさっそく参りましょう」

「ええ。……じゃあ、ノエルを頼んだわよカール。命を落とさない保証が何なのか分からないけど、帰ったら話を聞かせてね」


 カールが口を挟む間も無く、エリザとセバスチャンは去って行った。

 そして一人取り残されるカール。一陣の風がカールを撫でた。


「…………。試合に出ても命を落とす事は無いだろうから、対抗試合とやらに行ってしまってもいいのでは……と言ったのでござるが」


 その呟きは、誰に拾われる事も無かった。

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