第八話 その1
深夜――
「――――」
不意に聞こえた足音に、エリザは目を覚ました。
この時間に足音が聞こえる事自体は、さほど珍しい事ではない。同居人であるカールがトイレに行くか、はたまた空腹でリビングに食べ物を取りに行くか…………この時間帯の足音は概ねそのどちらかであり、そしてそういった理由での足音にエリザが目を覚ます事は無い。
今の足音は、そのどちらとも違った。
端的に言い表すなら、その足音は軽かったのだ。カールのような体型体重の者が立てるような重量感のある足音ではなく、ごく普通の……自分と同じくらいの体型の者が歩いた時に鳴るような、そんな足音だった。
(これは…………不法侵入者!)
厳密に言えばエリザもこの廃屋にとっては不法侵入者なのだが、それはさて置き。
エリザは瞬時に意識を平常時レベルにまで覚醒させ、静かに体を起こす。そして足音が部屋の前を通り過ぎるのを耳で確認した後、静かに自室のドアを開けた。
(こんな時間に人の家に上がり込むなんて、きっとロクな奴じゃないわね……)
厳密に言えば以下略。エリザはいつでも暴力を行使出来るよう気構えて、侵入者の足跡を辿るように静かに歩く。
そして侵入者の足音がリビングの中央辺りで止まったのを確認し、素早くリビング内へ身を躍らせた。
「こんな時間にいい度胸ね、覚悟なさい!」
「ひゃあぁぁぁぁぁっ!?」
エリザが殺る気満々の口上を述べると、侵入者は甲高い悲鳴を上げた。
(お、女…………の子?)
それは、年若い女の声だった。
暗闇の中で目を凝らすと、その声に相応しい容姿の少女が、表情を驚きに引きつらせて立っていた。
片目が前髪に隠れた、細身の少女。背丈はエリザと同じくらいで、半袖のシャツにショートパンツという簡素な服装。無頓着に伸びた髪は、夏場には少々暑苦しく見えた。
総じて、少々特徴的ではあるがごく普通の、とても人の家に泥棒に入るようには見えない少女だった。
「……ん? あれ、あなた……」
そしてエリザは、そんな少女に見覚えがあった。
「えっ……? な、なんですか、不審者に知り合いはいませんよ……!?」
「立場的に相手を不審者と思うのはこっちなんだけど、まぁそれは置いといて。あなた、こないだの合宿にいたわよね?」
「え、合宿…………って、あれっ? あなたは……」
そして少女も、記憶の中でエリザの顔を見つけた。
「えっと、確か…………エリちさん?」
「エリザよ。そういうあなたは…………リーシャだっけ?」
「はい。その節はどうも」
彼女は先日のボルゾーイ流空手の合宿で、一般参加枠として参加していた内の一人だった。
「ところで……なんでエリザさんはここにいるんですか?」
「なんでも何も、ここに住んでるからよ」
「えぇ……」
リーシャがドン引きした。
「じ、事情があるのよ……」
よくよく考えれば、乙女がこんな廃屋に住んでいるのはドン引きされるくらい異常な事だった。
「あなたこそ何しに来たのよ。こんな夜中に廃屋に」
「私ですか? 私は単にここを今夜の寝床にしようとしただけですけど……」
「よく私に対してドン引き出来たわね、そんな理由で……」
事も無げ風なリーシャのセリフには、いろいろと察するものがあった。
「まぁ、そうね……夜も遅いから話は明日にしましょう。ソファとか適当に使っていいわよ」
「ありがとうございます。見たところソファは腐ってるみたいなので床をお借りしますね」
「あと私の部屋の隣の部屋には絶対に入らないように」
「……? それはどうしてですか?」
「話が長くなるからよ」
「は、はぁ……?」
お約束の勘違いと面倒な訂正は、深夜にはしんどいのであった。
明朝。
八時間の睡眠を経て、カールは起床した。
「ふっ……今日もいい朝でござるな」
窓から差し込む光に、カールが目を細める。
「どうでもいいけど漫画のキャラってよく起き抜けに『あーよく寝た』って言うけど、現実ではそんなセリフ絶対に言わないでござるよな」
などと本当にどうでもいい事を呟きつつ、そしてそろそろカーテンを買うべきではないかと思案しつつ、カールは朝食を摂りにリビングへ向かった。
「……ム?」
リビングに入ったところで、カールの目に床に転がる不審物が飛び込んできた。
「え、何これは……」
仰向けに転がる不審物。凹凸の少なめなスレンダーなボディが、へそを丸出しにしながら寝息を立てていた。
「…………」
これにはさすがのカールも言葉を失った。
それは見知らぬ少女が自分の家で眠っていた(寝っ転がっていた)から…………ではない。
(それはこの後の顛末が、手に取るように分かるが故にでござる……)
程なくして少女に目を覚まされ、悲鳴からピタ〇ラスイッチの如く展開が進み、結果としてエリザにボコられる事になる――そんなお約束の展開が、未来視の如く脳裏に映ったからだ。
(それの何が不味いのかと言うと、痛いのは無論の事……エリザ氏がまた暴力を振るうのがよくないのでござる)
今時……と言うかぶっちゃけ昔から暴力系ヒロインってだいたい不人気なので、エリザにあまり理不尽及び勘違い系の暴力を振るわれると、本作のメインヒロインが不人気ヒロインになってしまう恐れがあった。いくら金髪ポニテの美少女でも、限度はあるのだ。
(故に拙者が取るべき最善は……今日一日、家から姿を眩ます事でござる)
カールはエリザが暴力を振るわなくて済むよう、とっとと外出する事にした。
(と、その前に朝食でござる)
カールは息と足音を殺して、冷蔵庫へ向かった。
ところでこの家は廃屋である。築年数は相当なものであり、歩けば床が鳴るという事は日常茶飯事である。
――ギシシ、バキッ!
(――ファッ!?)
いつもの床鳴りに、ちょっとした炸裂音が追加された。これもまた廃屋あるあるである。
「……むー」
おそらくその音で目を覚ました少女が、むくりと体を起こす。
「……むぅ?」
そして視線を巡らせて――少女がカールを視界に捉えた。
「――――」
(あっ……(察し))
少女の息を吸い込むモーションが、やけにゆっくりに見えた。
エリザが事情を知っていた事もあって、カールが懸念したような事にはならずに済んだ。
「なるほど……かくかくしかじかという事情でエリザさんとカールさんは一緒に暮らしているんですね」
お約束の勘違いと面倒な訂正(+目覚めたリーシャとカールの一悶着)を手早く終えた後、エリザはさっそく本題に入った。
「それで、なんでまたエルストに? 確か出身はソーン領だったわよね?」
「はい……実は私、人に追われてて。ソーンにはいられなくなってしまったんです」
「それは穏やかじゃないわね。今すぐあなたを追い出した方がいいのかしら?」
「そ、そんな……困ってる人は見捨てておけないんじゃなかったんですか?」
「そんな事言った覚えは無いんだけど……」
「まぁまぁエリザ氏。それもまた主人公一味の務めでござるよ」
「また意味の分からない事を……あと一味って言うな」
困っている人を見捨てないのは、主人公勢の基本姿勢なのである。
「どういった人物に追われているのでござるか?」
「うーん……一言で言うなら怖い人です。こう、暴力を生業としていそうな感じの……」
「フム……暴力ヒロイン以外で暴力を生業としているのは反社会勢力と相場が決まっているでござるが……お主何かやっちゃいました?」
「恨まれるような事はしてない……と思います。300万Gの借金があるだけで、特に何かしたという記憶は……」
「フム…………フム?」
カールが首を傾げる。
「300万の借金があると聞こえたのなら幻聴ではないわ。何故なら私にもそう聞こえたから」
「…………。もしかして自業自得なのでは?」
「そ、それは違いますっ!」
バンッ、とリーシャが廃屋には不釣り合いな高級テーブルを叩く。
「騙されたんです、私! 悪い人が私を罠に嵌めて、借金を背負わせたんです……!」
「フム……何やら悲しい過去がありそうでござるな」
「私、カジノでイカサマを仕掛けられて、それで借金漬けにさせられたんです。返そうにもお金なんて無いから返済は滞って、それで私は逃げるようにしてエルストに来たというわけなんです……」
涙ながらに語るリーシャ。
「…………」
「…………」
そんな悲しい過去を、二人はどういったテンションで聞けばいいのかまだ少し測り兼ねていた。
「……それはどこのカジノ?」
「ソーンにあるプラチナヴィーナスってところです」
「プラチナヴィーナス、って……あのプラチナヴィーナス?」
「一番有名なプラチナヴィーナスの事ならそのプラチナヴィーナスですね」
「…………」
プラチナヴィーナス――それは、大陸最大のカジノ施設。カールの世界で言うところの、ラスベガスにあるようなカジノだ。
そんなカジノなので――少女一人を嵌めるような、ケチなイカサマを行うとは考えにくかった。
「えっと……イカサマって、具体的にどんな?」
「スロットで私だけ当たりが出なかったり、ポーカーで私だけ弱い役ばっかりだったり、ルーレットの一点狙いが全然当たらなかったりって感じで……あからさまに私が負けるよう仕向けられていたんです」
「…………」
話を聞く限りでは、普通にギャンブルに負けただけの人だった。
「フム……つまり総括すると、ギャンブルでこしらえた借金から逃げるためにエルストにやってきたと、そういう事でござるか?」
「イカサマギャンブルで嵌められて借金を背負わされて、なんとか返済しようと思ったけど首が回らなくなって逃げるしかなくなった……というのが事の顛末です」
「ちなみにいくら返済したのでござるか?」
「え……0Gですけど。お金無いので」
「ちょっと先鋭的過ぎるでござるなぁ……」
リーシャのヒロインとしての在り方に、カールは製作者に物申したい気持ちになった。
「うん……やっぱり追い出した方がいいみたいね」
「そ、そんなっ……! お願いします、300万G用意してください! 報酬として10万Gお支払しますので!」
「あなたに渡す事無く300万Gそのまま懐に入れた方が実入りがいいわね。ってかそれだと差し引き290万Gで借金の完済は無理なんだけど」
「あ、それもそうですね。ええと、じゃあ310万Gにして報酬を10万……いや、いっそ400万Gにして報酬を100万Gにすれば依頼としての見栄えが……」
「その計算は要らないわよ、何故なら誰もやらないから」
「フム…………無い事も無いでござるぞ」
エリザが匙を投げている最中、カールが静かに言った。
「え、何が?」
「300万Gを用意する手段でござる」
「ほ、本当ですかっ!?」
身を乗り出すリーシャに、カールがウム、と頷く。
「いやいや……そんな手段があるならどうして今まで黙ってたのって話になるんだけど」
「黙っていたわけではござらぬよ。その手段はエリザ氏も知るところであり、単に無意識に選択肢から除外していただけの話でござる」
「要領を得ないわね……はっきり言いなさいよ」
「ウム。その手段とは――」
カールは手短にそれを話した。
「…………。あー……うん。それは……」
それは、エリザが無意識に選択肢から除外していたというカールの談が、これ以上無く納得出来るような手段だった。




