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第六話 その1

 時は少し遡り、小春が廃屋を訪ねている頃――


「……ふぅ。紅茶を飲むのはあの日以来ね」


 エリザは自宅……本来の自宅であるドミナリアの邸宅にいた。


「それで、お話とはなんですか?」


 エリザはカップを置き、対面に座る父に尋ねる。


 ここはドミナリア邸の客室。領主の家らしく上流層然とした、言うまでも無い事ではあるがソファや調度類といった何もかもが今現在のエリザの自宅である廃屋のそれとは大違いの部屋だった。唯一、テーブルだけは廃屋のものの方が高級ではあるが。


 その部屋で、ドミナリアの父と娘が対面していた。


「うむ。率直に言うとだ、明日からボルゾーイ流空手の合宿が始まる」

「明日から……? 確か空手の合宿は秋季のはずでは……」

「まぁ、例年はそうだな。しかし今年はボルゾーイ流忍術の方から物言いがあったのだ。どうして空手の方は秋に行われるのに、こちらは夏なのか、と」

「は、はぁ……」

「いつも忍術ばかり暑いのは不公平だとして、今年は夏に空手の方をやる事になったのだ」

「……秋の方に行ってる側から言うのもなんですが、結構しょーもないですね」

「まぁそう言ってやるな。夏場の修練の厳しさはおまえも分かっているだろう?」

「まぁ、それは……」

「両方秋にやろうにも、ボルゾーイ流は剣術や槍術、果ては魔術と多岐に渡るからな。合宿スケジュール1つが入り込める余地は無いのだ」


 ボルゾーイ流の合宿所は、一年中休む事無く稼働しているのだ。


「……で、それがどうしたというんですか? 合宿のスケジュールなんて聞かされても、私には全然全く、何の関係も無いのですが」


 関係が無い事を殊更強調するように、エリザは言った。


「うむ、それがだな……今年の合宿はおまえに行ってもらう事になったのだ」

「――――」


 ――いくら賢さの低めなエリザでも、合宿の話をされた時点でさすがに嫌な予感がしていたからだ。


「い、嫌ですわ……」


 頬に冷や汗を流しつつ、青ざめた顔でエリザは言った。


 エリザは過去に合宿に参加した事があり、その苛烈さは、当時の事を思い出すと吐き気を催してしまうほどのものだった。


(食べなきゃ持たないと頭では分かっていても、胃が受け付けない……うぷっ)


 体力お化けのエリザをもってしてもそうなってしまうような、ボルゾーイ流空手の合宿は苦行を通り越してもはや拷問とさえ言えるような内容なのであった。


 そんな様子のエリザに対し、父は神妙な表情で切り出した。


「それがそうもいかなくてな…………今回おまえが参加する運びとなったのは、毎年善意で合宿を取り仕切ってくれているトゥレスの領主直々のご指名からなのだ」

「トゥレスの領主、って……」


 その名は記憶に新しかった。トゥレスの領主とエリザは、こないだの夏イベ(第4話)で顔を合わせていた。


 その時に少しだけ合宿の話をしたのだが、もしそれが原因でこのような事態になったのだとしたら、エリザはトゥレスの領主を始めとするその時の関係者に憤りを覚えずにはいられなかった。


(あの領主余計な事を……あと秘宝を隠蔽した町長とトゥレスに来る原因を作ったミューズとついでにカールも)


 このように憎しみの権化と化してしまいそうなくらい、エリザは合宿に参加するのが嫌なのであった。


「てゆーか地獄の合宿の原因はあの領主だったのですね……」

「とまぁ、そういうわけだ。さっそく合宿所に発ってくれ」

「…………。えっ、今から?」

「合宿メニューは早朝からあるからな。今から出ないと明朝メニューに間に合わないではないか」

「そんな、今日は久し振りにふかふかのベッドで眠れると……いやそもそもまだ行くとは言ってませんが」

「未だおまえは罰を受けている身、開拓を果たすまでベッドはお預けだ。まぁ、或いは今回の合宿で、己の実力を開拓するというのも良いやもしれんぞ?」

「え、合宿って開拓にカウントされるんですか?」

「いや、されないが」

「…………」


 紛らわしい言い方をする父にも、憤りを覚えずにはいられなかった。


「話は以上だ。……セバスチャン」

「はっ、ここに」


 ボストンバッグを肩に、老齢の執事が音も無く現れた。


「たまにマジで心臓に悪いのよねぇ……」

「お嬢様、これを」

「……これは?」

「お嬢様の着替えその他諸々の外泊セットにございます」

「…………」


 エリザはバッグを受け取り、中身を確認した。


 バッグの中には歯ブラシから下着まで、外泊に必要な全てが一切の不足無く揃っていた。


「……これを用意したのは誰かしら?」

「僭越ながら、このセバスチャンが。あぁ、下着の件ならご安心を。このセバスチャン、寄る年波には勝てず耄碌しておりますので、下着の色は完璧に忘却致しております」

「それはそれで要介護か否かの話になるのですが…………いやそもそも白以外持ってないし」

「なんだ、そうなのか。母さんはたくさん持ってたぞ。黒とか赤とかいろいろな」

「お父様はデリカシーという言葉をご存知ですか?」

「もちろんだ。それがどうかしたか?」

「…………いえ、別に」


 今までこの父と一緒に暮らしていてよく嫌気が差さなかったなぁと、今更ながらにエリザは思ったのであった。




 そして翌日。カールと小春が古城の調査のために馬車に乗っている頃――


「…………」


 エリザは道着姿で、グラウンドに佇んでいた。


 ここはトゥレス領にある、流派ボルゾーイの合宿所だった。民宿風の宿泊施設、その正面には広大なグラウンドがあり、更にその先には、流派ボルゾーイのプライベートビーチである砂浜がある。


 一見するとリゾート地と見紛うほどの、喧騒から隔絶された風光明媚な場所だが…………しかしここは日夜壮絶で凄絶な修行風景が連日繰り広げられる、現代の地獄なのであった。


 ……で、あったはずなのだが。


(いつからこんな事に……)


 何十人と列を成していた門下生は、たったの四人。その顔触れも、合宿にさほど意欲があるような様子ではない。いやそれどころか、武道の心得があるかすら怪しかった。


 今のこの合宿所には、かつての面影はどこにも無かった。


(言葉では聞いていたけど、実際に目の当たりにすると虚しさすら覚えるわね……)




 遡る事半日ちょっと。


 合宿所に到着したエリザは、そのロビーでトゥレスの領主と会った。


 そこで恨み言の1つや2つやそれ以上を十数分くらいかけて浴びせてやろうとエリザが思っていた矢先、トゥレスの領主はこう告げた。


「今回は一門下生としてではなく、師範代として合宿に参加してはくれまいか?」

「……はい?」


 エリザが首を傾げると、トゥレスの領主は言葉を続けた。


「実は近年、ボルゾーイ流空手の女子の入門者が減少してのぅ。女子が素手で戦うなどナンセンス、現代には武器や魔法があるのだから、男子より力の弱い女子はそちらを選んだ方がいいのでは……という風潮が広まってしまったのだ」

「まぁ、それは…………むしろどうして今までそういう風潮ではなかったのでしょうとしか」


 それに伴って、合宿の参加者も大幅に減ってしまったとの事。


 今思えば、確かに合宿の内容はとても女子がやるようなものではなかった。無論、きちんとこなせばエリザのように齢17にしてスキル:ボルゾーイ流空手Bに到達出来るほどの実力を備える事が出来るが、そんなエリザでさえ吐き気を催すような合宿の内容は、二週間の全行程をこなす事が出来る者は片手で数えられるくらいしかいないほどのものだった。それでは人が減るのも致し方なし……と言うより自明の理だった。


 ちなみにこれは女子の話であり、男子に関しては例年通りたくさんの参加者が集まっていた。集まっていたというか男子は25歳までは合宿に強制参加であり、合宿所もこんな一見するとリゾート地に見えるような場所ではなく無人島を一島丸々修行場にしていると言えば、男子の合宿内容がどれほどのものかは想像に難くないだろう。


「このままではボルゾーイ流女子空手の命脈が途絶えてしまう。そこで、今年は嬢ちゃんに任せようという運びになったのだ」

「命脈が途絶える事とそこで私が出てくる事の因果関係がよく分からないのですが……」

「嬢ちゃんが適任という事だ。合宿に最終日まで残ってこれたタフさと、筋肉は絶対に外見が変わるほどは付けないという十代乙女の意識を併せ持つ嬢ちゃんなら、合宿のカリキュラムを常識的な範囲にまで薄めてくれるだろう。合宿の参加者が拳も握った事の無いごく普通の女子であっても、最終日まで残れるくらいの薄さにな」

「…………」


 要約すると、エリザなら厳しくない合宿が出来るだろうというわけだ。


 確かにいつもの師範では、最初は加減してても絶対に途中から我慢出来なくなっていつものメニューになるだろう。それに対して、筋肉が付かないように絶妙に手を抜けて、且つ地獄の合宿という痛みを知るエリザなら、やり過ぎるという事は無いだろう。


 そんなエリザが師範代を務めるなら、参加者が普通の少女であっても逃げ出さないような合宿を行う事が出来るだろうと、トゥレスの領主は考えたのであった。


「……私より適任の人がいるのではないですか? 例えば…………サリーナとか」

「彼女も数少ない合宿完遂者の一人だが…………いや、あれは無理じゃろ。彼女はまともに合宿をこなし過ぎているからの……」

「……そうでしたね」


 かつてのサリーナの姿を思い出すように、エリザは遠い目をした。


「そもそも彼女は…………いや、今は関係無いか」

「……?」

「まぁ、それはともかくだ。どうしてもと言うなら、無理にとは言わん」

「そうですか。それなら……」


 人に空手を教えた経験なんて無いし、師範代を務めるなら人を預かる責任も発生する。誰かに変わってもらえるならそうした方が双方のためになるだろうし、何よりエリザはとっとと帰りたかった。


「無理なら無理で――いつも通りの合宿を執り行うだけだがの」

「…………」

「無論、此度の参加者には帰ってもらうより他は無い。そして明日からは例年通りの合宿が……あぁ、今年は師範も他の参加者もおらんし、嬢ちゃんは儂とマンツーマンの合宿という事になるのか。……ふむ、ちょっとテンションが上がってきたわい」


 トゥレスの領主がハッスルし出した。


「――――」


 エリザはトゥレスの領主との二人っきりの合宿を想像……するまでもなかった。字面だけでもうお腹いっぱいだった。




 というわけで、エリザは整列する四人と対面する位置に立つ事になったのであった。


(でもまぁ、やるからには…………期待に応えるのもやぶさかではないし)


 酷い交換条件で師範代を務めるハメになったとはいえ、信頼されるというのは悪い気はしない。将来的にこの道に進む事はあり得ないが、エリザは気持ちを入れ替えて臨む事にした。


 しかしエリザのやる気とは裏腹に、トゥレスの領主は1つだけ見落としていた。


「じゃあまずは…………早朝だし準備運動がてら、グラウンド30周してきてください」


 エリザの思考回路も、合宿を乗り越えた者らしくちゃんと脳筋なのであった。

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