第四話 その3
「ふっ……まさか、こんな事になるとはね!」
見上げれば、灼熱の如き熱波を放つ太陽の姿。ギラギラと暑苦しい事この上無く、約半月ぶりに浴びる日差しとしては苛烈に過ぎると言うより他は無かった。
「まさかこの私までワープしてしまうとは……さすがにこれは、誤算と言うより他は無いわね!」
炎天下、太陽に灼かれながら、白衣の女――ミューズは、高らかに嘆いた。
小一時間前――
「ふっ……とりあえず第一段階は成功ね」
転送装置の上には、既に二人の姿は無い。実験の第一目標である、装置を用いての人体の転送には成功したようだった。
「術式に乱れ、欠損は無し。魔力、電力共に安定……」
ミューズが手元の計器をチェックする。数値は全て正常。計器に表示されている計測値も、転送の成功を示していた。
「あとは本体の点検を――っと?」
点検のために装置に向かう途中、ミューズは床に散乱した何かの部品に躓いた。
転倒を防ぐために、逆足が反射的に前に出る。しかしその足の先には摩擦係数が著しく低そうなパンの包みが落ちており、それを踏みしめる事になったミューズは、案の定足を滑らせた。
「ととっ――にゃっ!?」
無様極まる舞踏の果てに――ミューズは転送装置にすとん、と尻もちをついた。
「なんたる運動不足……何故人体は頭を働かせる事で体が鍛えられるようになっていないのかしら。身体能力を維持するためとはいえ、ただ体を動かすだけの行為などまったくナンセンス…………ん?」
ミューズは尻に敷いている転送装置から、微弱な振動を感じた。
「この振動パターンは…………異常を知らせるものではないわね。魔力は正しく術式を満たし、術式は正しく装置を巡り、装置は正しく稼働している。つまりこの振動は、一度の起動を経ても装置は正しく稼働する事を意味している」
台座に光り輝く文字が浮かび、低く唸るような音が聞こえた。
「ならばもう一つ実験しておきましょう。次は大きさの限界を。どれくらいの大きさまで転送可能なのかを…………んっ、とっ?」
ミューズは装置から立ち上がろうとするが、上手くいかない。両手は計器で埋まっていて、物が散乱している床には限られた踏み場しかない。装置自体が緩やかな凹状になっている事に加え、持ち前の運動神経の無さと身体能力の低さも相まって、何をどうしても尻を支点にダルマかオキアガリコボシのようにゆらゆらと揺れるだけだった。
「…………」
ミューズは足だけで立ち上がる事を諦め、計器を床に置いた。
「最初からこうしておけば――」
そして装置に手をついて立ち上がろうとした瞬間――転送装置が起動した。
という顛末の果てに、ミューズはこうしてトゥレス領の町に立っているのであった。
「しかし設定したのはソーン領だったはず。領地一つ分飛ばして飛ばしてしまうなんて、実用化には程遠いわね。……しかし水の上でなかった事は幸運だったわ。もし足の付かない海水ないし淡水の上に転送されてたと思うと、想像するだけで恐ろしいわね!」
声高く独り言を呟くミューズ。傍を通りかかった通行人が、何事かと振り向いてはさっと目を背けた。
「さて、事実確認はこれくらいでいいわね。そして現状で私が直面している問題は、着の身着のままでワープしてしまった事にある」
今のミューズの格好は、ワープする前と同様――つまりミニスカートにロングの白衣だった。通行人が目を背ける原因はミューズの声高な独り言もさる事ながら、このクソ暑い中で長袖ロングの白衣を着用しているという事も手伝っていた。
「これが何を意味するかと言うと…………今の私は、お金を1Gも持っていない」
自宅にいながらにして、財布を常に身に付けているという人はいないだろう。信用出来ない身内がいるでもない限り、自宅における財布は鞄の中か所定の位置に置いてあるのが常だ。ミューズもその例に漏れず、彼女の白衣のポケットにはほとんど何も入っておらず、今のミューズは無一文、ビタ1Gも持っていなかった。
「さて…………どうやって帰ろうかしら」
ここはトゥレス領。ミューズの住むエルスト領からは、高速馬車丸一日分ほど離れている。例えば歩いて帰ろうとするなら、日数を計算するまでもなく今日中に力尽きる事は明白だった。
「…………。対価を支払わずに帰るのは非常に困難であると結論付けるより他はなさそうね」
つまり帰るには何らかの対価、要するにお金を支払う必要があるという事だが、現状ミューズはそれに見合うだけのものを持ち合わせていなかった。
「…………」
いや――一つだけ持ってはいるが、それは逆に対価として大きすぎる。ミューズはお金にがめついわけではないが、かと言って安売りするつもりは無かった。
「…………。とりあえず食事にしましょう」
ポケットの中で唯一の所持品を手で転がしながら、ミューズは酒場に向かった。
酒場に入ると、やはりと言うかミューズは視線を集めた。冷房装置など設置されていないこの時期の安酒場に、長袖の白衣を着た不健康そうな女がやってくれば視線が集まるのもやむなしだが。
しかしミューズはそんな視線など全く気にも留めず、空いたテーブル……ではなく、クエストボードに向かった。
「帰るための対価……つまりお金が無いなら、稼げばいいだけの話よ」
ミューズは普段は家に籠って研究や発明に没頭するという生活を送っているが、彼女のジョブは研究者でも発明家でもなく魔術師だ。魔術師なりのお金の稼ぎ方というものを、ミューズはちゃんと熟知していた。
「ん、これでいいわね」
クエストボードから依頼書を剥がす。受けるクエストはすぐに決まった。
「はい、これよろしく」
そしてミューズは、すぐにそれを受付に持っていった。クエストボードと向き合ってからここまで、五分と掛からなかった。
「は、はぁ……」
妙な人が来たと思いつつも、受付のお姉さんは依頼書を受け取った。
「…………。ええと…………クエストに間違いはありませんか?」
受付のお姉さんは依頼書とミューズを交互に見比べて、遠慮がちに尋ねた。
「その依頼書に不備が無ければね。報酬に間違いは無い?」
「それは……はい、間違いはありません」
「ならそれで合ってるわ」
「…………」
この世界ではカールのいた世界よりも人は見かけによらないものだが、やはりそれにも限度はある。防御力1にしか見えない白衣を着た、バニット系の魔物に小突かれただけで戦闘不能に陥りそうな女がクエストを――ましてやこのクエストを受けるなんて、冗談か悪ふざけか何かの間違いとしか思えなかった。
「……それではまず、パーソナルカードを確認させてください」
クエストの受注には、パーソナルカードを提示する必要がある。クエストを受けようとする者が、そのクエストの受注条件を満たしているかを確認する必要があるからだ。実力に見合わないクエストを受けようとしても、適正が無ければここで弾かれる。
例え冗談や悪ふざけ、何かの間違いであっても、そういった者は確実に弾けるシステムになっているのだ。
「ん」
ミューズは言われた通りに、パーソナルカードをカウンターに差し出した。クエストに限らずパーソナルカードは様々な場所で提示を求められるので、この世界の人間は誰しもがパーソナルカードを常に肌身離さず持っている。例えミューズのように着の身着のままで転送される事になったとしても、パーソナルカードを持っていないという事は決してあり得ないのだ。
「それでは、確認させて――」
さて、どこの不備から突っ込んでやろうかと、受付のお姉さんはミューズのカードを確認し――彼女は目を丸くして、視線をカードとミューズの間で何度か往復させた。
「どうしたの? 条件を満たせていないという事はまず考えられないと思うけど」
「あっ、いえ…………大丈夫です。失礼しました」
はっと気を取り直して、お姉さんは作業を再開した。ミューズに対する一抹の疑わしさはすっかり消え失せ、程なくしてクエストの受注は完了した。
「こちらが前金となります」
カウンターの上に、Gの入った袋が差し出された。
「第一の目的は達成ね。まぁ、これに関してはすぐにそちらに還元する事になるけれど」
ミューズがこのクエストを受けた理由は、この前金にあった。食事をするためのお金を手っ取り早く入手するために、ミューズは前金のあるクエストを選んでいた。
ちなみに第二の目的は帰りの交通費だ。前金があって、帰りの交通費に足る額の報酬。この二つを満たしているクエストを、ミューズは選んだのであった。
「一刻も早い解決を、どうかお願いします」
受付のお姉さんは椅子を立ち、深々と頭を下げた。
「任せておきなさい。食事が済み次第すぐに取り掛かってあげるわ」
その様子が少々気にかかったが、ミューズは不遜な笑みを浮かべてそう返事をした。
「……ところで」
ミューズはパーソナルカードに記録されたクエストの内容を、改めて――いや、初めて目を通す。
「これはどういったクエストなのかしら?」
ミューズはクエストを選ぶ際に前金の有無と報酬しか見ていなかったので、その内容は全く理解していなかった。
「えぇ……」
すっかり消え失せたはずの疑わしさが、お姉さんの中で再び芽生え始めた。
【緊急クエスト】
盗まれた秘宝の奪還。
役所の倉に保管されていた町の秘宝が、何者かに盗み出されました。すぐに町の出入り口に検問を敷き、町の中や周辺を捜索しましたが、犯人の姿はおろか痕跡も無し。おそらく犯人は、海底遺跡に逃げ込んだものと思われます。秘宝は三日後に控えた祭りで展示するので、それまでに奪還してください。
「ふっ……まさか緊急案件だったとはね」
空になった皿の前で、ミューズは今しがた内容を確認し終えたパーソナルカードを弄ぶ。
受付のお姉さんの畏まった態度にも合点がいった。どうやら盗まれた秘宝はトゥレスの領主から直々に下賜されたもののようで、年に一度の祭りの日に展示するのが習わしなのだそうだ。もしそれが展示出来ないという事になったら、町長には厳しい罰が下る…………とは明言されてはいないが、もちろん良い顔はされないだろうし、表向きは軽いお叱りで済んでも裏では更迭の根回しがされるかもしれない。しかも今年は領主が祭りにやってくるらしく、直々のお説教を恐れて町長は不安で夜も眠れないらしい。
そんな事態にならないよう、祭りの日までに秘宝を奪還してほしいとの緊急案件だった。
(緊急クエストとして出した時点で盗まれたと公言しているようなものなのは大丈夫なのかしらね)
盗まれたという事を知られた時点で挽回不能のような気がしないでもなかったが、よくよく考えれば実にどうでもいい事だったのでミューズは気にしない事にした。帰りの交通費さえ稼げれば、この町の事情などどうでもよかった。
(しかし奪還クエストとはね……報酬以外もよく読んでおくべきだったわ)
例えば討伐クエストなら標的の生息地に行って倒せばそれで終わり、調査クエストなら指定の場所に行って依頼された通りの事をすれば終わりだが、奪還クエストは最初の一歩から違う。消えた何かを探すクエストというのは、まず指定された物の場所を探す事から始めなければならない。前者二つと比べて、手間が一つ余計にかかるのだ。しかもちゃんと現存しているならまだしも、破損や売却により既に失われている可能性もある。そうなると最悪の場合、存在しない物を延々と探すという事になり兼ねず、それはもはや徒労以外の何物でもないのである。
「……まぁ、なるようになるでしょう。ならなかった試しがないのだし。天才故に」
酒場で貰った前金で酒場での食事代の支払いを済ませ、ミューズは酒場を後にした。
その遺跡は、町の中心部にあった。
「随分と小さいけど……海底遺跡という話だったわね」
それは遺跡と言うよりは小さな祠のように見えたが、この遺跡のフロアは海底の更に下に広がっている。小さい祠の部分は、入り口を示すオブジェクトに過ぎないのだ。
祠の周りには柵と扉が設置されていた。この遺跡は普通のダンジョンと同程度には危険なので、自由な出入りは許可されていなかった。
そして扉の傍の詰所には見張りの兵士が常駐しており、遺跡に入るにはまず彼らの許可を得る必要があった。
(ふむん……一般人でもその気になれば簡単に突破出来そうなセキュリティね)
2メートル程度の高さの木製の柵は、並程度の運動神経があれば乗り越えるのは容易いだろう。この柵は一軒家の塀と同じで、侵入を拒む障壁ではなく侵入禁止の意思表示なのだ。
(兵士が巡回しているという事も無いし、後ろ暗い人間が誰にも気付かれずに侵入するのは容易いでしょうね)
もちろんミューズには後ろ暗いところは無いので、普通に許可を求めに詰所に向かった。
「クエストの件で来たわ。中に入れてもらえる?」
こんこん、と詰所の窓を叩き、兵士を呼び出す。
「ん? ……あぁ、あの依頼の」
兵士の男は手元の雑誌から視線を外し、窓を開けた。
「…………あんたが?」
そしてミューズの姿を確認すると、初見時の酒場の受付のお姉さんと同じような表情を浮かべた。
「そうよ。何か?」
「何かって、なぁ……」
兵士の男が窓枠越しにミューズを上から下まで眺める。肌も服も真っ白で、クエストどころか遺跡みたいな場所に足を踏み入れる……どころか、夏場に外に出るようにすら見えなかった。
どう見ても彼女は一日中部屋に籠って研究や実験をしているタイプであり、そしてそんな兵士の抱いた印象は概ね当たっていた。
「……随分と暑苦しい格好をしているな」
「涼しいものよ」
涼しげに答えるミューズ。
ミューズの言葉と態度の通り、彼女は暑がる様子どころか汗一つかいていなかった。それはあまりの暑さに発汗機能が機能不全に陥ったとかそういうのではなく、単に今のミューズには汗をかく理由と意味が無かった。
もちろんそんなミューズの事情など知る由も無い兵士の男は、目の前の女は暑さで頭がやられているのだなとしか思えなかった。そしてその印象は、この町でミューズを見かけた住民全員の総意でもあった。
「まぁ、とりあえずこれ」
ミューズはパーソナルカードを提示して、クエストを受けた事を示した。
「あん? それが――」
それを見た兵士の男はみるみる表情を変え、慌てた様子で手元の帳簿を開いた。
「し、失礼しました……! では、名前と職業を」
「名前はミューズ・クルード。職業は天才魔術師よ」
「ミューズ・クルード。魔術師、と……」
先ほどとはうって変わった態度で、兵士の男は粛々と手続きを始めた。
(あれは……いわゆる入場者名簿ね)
兵士がペンを走らせる帳簿には、これまで遺跡に入った者の名前と日時が記されていた。日付の数字は飛び飛びで、同じ月に二つ以上の名前がある事さえ稀だった。
「ここにはほとんど誰も立ち入らないのかしら?」
「まぁ……遺跡って言っても普通のダンジョンですし」
この遺跡は観光名所でもレジャー施設でもない普通のダンジョンなので、興味本位や行楽目的で入ろうとする者は皆無だった。
「そうね……」
ミューズは適当に相槌を打ちつつ、帳簿に目を落とす。ぱっと覗き見た感じ、ここに記載されているのは町長を始めとする町の関係者ばかりで、身元が曖昧な人物の名前は無かった。
(正面から堂々と遺跡に逃げ込んだという事は無さそうね)
名前が書かれている人物はどれも身分がはっきりしていて、ある日突然姿を消したら騒ぎになる事は間違いない。そもそもミューズの名前の一つ上は半月前のものなので、例え怪しかろうが盗まれた時期とは重ならないのだが。
(実は帳簿に犯人の名前が書いてあった……という展開ではなさそうね)
帳簿の中に手掛かりは無かったが、しかしそもそもミューズは元よりそんなものをあてにはしていなかった。もし手掛かりを求めているのであれば、酒場を出てから一直線にここではなく、まずは役所の倉庫や町長の家に行って調査をしているところだ。そうしなかったという事は、そうする必要性をミューズは感じていなかったという事に他ならない。
もちろんその理由は、彼女が天才だからである。
程なくして手続きは完了し、ミューズは遺跡探索の正式な許可を得た。
「一応訊くけど、怪しい人物は見ていない? 盗難があったのは一昨日だから、その日から今日までの間で」
「そういった人物は見ていませんが…………少なくともこの扉から遺跡に入った人はいませんね。扉が開くとすぐに分かるようになってるんで」
「そう……」
やはり犯人は、人目を忍んで遺跡に入ったという線で決まりだった。
(それならそれで、遺跡に逃げ込んだ後どうするのかという話だけど……)
それは遺跡の捜索をしながら考える事にした。
ミューズは兵士が手ずから開けた扉を潜って、遺跡の入り口である祠に足を踏み入れた。




