第四話 その1
「ふ、ふふ……ついに、ついに完成したわ……!」
深夜。暗闇に支配された部屋の中で、女が歓喜に打ち震える。
机に置かれた、唯一の光源である蝋燭が机の上をぼんやりと照らす。そこには何枚もの紙が散らばっていて、その一枚一枚には、彼女にしか理解出来ない配列で幾何学的な文字がびっしりと書き記されていた。
「あとは、実験……そう、実験をしなきゃあね……」
女の口の端がにやりと歪む。元来は美しい女なのだが、連日の徹夜により多少荒れた肌とボサボサの髪と目の下のクマのせいで、まるで妙な根っことかヤモリみたいなやつの死体とかをぽいぽい投下しながら大釜をかき混ぜる邪悪な魔女のような感じになっていた。
「まずは無機物とかで…………あぁ、でも私は天才魔術師。この理論には一部の隙も綻びも無く、成功は約束されているも同然。で、あるならば、わざわざまずは失敗してもリスクの無いもので実験をするという段階を踏む必要があるのだろうか、いや無い。なので、平行して生き物の方も集めておきましょう」
女は机に散らばった、もはや無用となった紙を裏返して新たに文字を書き始めた。
ただし今度のそれは、彼女以外には到底理解不能な文字列ではなく、誰でも簡単に理解出来るものだった。
「……うん、こんなもんでいいわね」
書き上がったものを顔の高さまで持ち上げ、しげしげと眺める。
『魔法の実験のアシスタントを募集します! 未経験者歓迎!』
それは、とても冒頭の邪悪な含み笑いと笑顔からは想像もつかないような、ポップな文字と内容だった。
「今日は酒場に行くわよ!」
パンとスープの朝食を終えた後、エリザはそう宣言した。
「フム……ちょうど久し振りにモルゲヨッソの唐揚げが食べたいと思っていたところでござる。エリザ氏と同伴なら二割引きになるから非常に経済的でござるな」
「食事じゃなくて、クエストを探しに行くのよ!」
「…………生活費の蓄えはまだあるはずでござるが」
猫探しのクエストを終えてから、まだ五日しか経っていない。現状、経済的に差し迫っているという事はなく、こんな短いスパンでクエストに行く必要性をカールは感じなかった。要約すると、絶対…………は無理だとしても、なるべく働きたくないでござる!
「忘れてるかもしれないけど、私たちの最終目標は新地開拓を果たす事なのよ。そのためにはまず、遠出をする資金を貯めなければならない。だから私たちは、生活に余裕があってもお金を稼ぐ必要があるのよ」
「……ヤレヤレ、しょうがないでござるな」
カールはヤレヤレ系主人公のようにヤレヤレと肩を竦めると、どこからともなく例の空き缶を取り出した。
「ていっ」
エリザは素早くそれをひったくり、ゴミ箱に投擲した。
「ファッ!? な、何をするでござるか!?」
「KOJIKIは禁止! なんか知らないけどますます私がクエスト生活してる事が広まってるし、だとするとあんたと組んでる事も知れ渡ってるでしょうから、更にその上パーティーメンバーがKOJIKIをしているなんて事まで知られたら私のイメージが地に落ちる事になるのよ!」
ちなみにますます広まった原因は、前話参照の事。
「…………左様でござるか」
おそらくエリザが思っているようなイメージは誰も抱いていないだろうとカールは思ったが、何も言わないでおいた。ちなみにエルストの住民がエリザに抱いているイメージは、『黙って座っていれば深窓の令嬢』『紅茶よりも炭酸を飲んでいる事が多いお嬢様』『栄養が体力全振りの女』といった具合である。
「左様よ。すぐに出るからさっさと着替えてきなさい」
「…………。我々にお金が必要だというのは、理解したでござる」
「それは何よりだわ」
「であるならば、そんな現状で何故このクソ高そうなテーブルを買ったのかという当然の突っ込みが各所から入る事になるのでござるが……」
カールがテーブルを手でなぞる。元の世界ではタワマンくらいでしかお目に掛かれなさそうなテーブルだった。
長期連載作品にありがちな矛盾、というやつである。特に九龍城のように設定を後付けしていくタイプの作品だと、このキャラ素性や思想が一巻の頃と全然違うやんって事が起こりがちなのである。
「…………」
冊数換算だと一巻分くらいしか進んでいない作品のキャラであるエリザは考え込み、そして矛盾の無い返答を口にした。
「欲しかったからよ!」
「…………そうでござるか」
清々しいまでの本心に、カールはもう何も言えなかった。
クエストには、大別して『ギルドクエスト』と『酒場クエスト』の二つがある。
まずギルドクエストは、一般的に難易度が高いとされている。受注条件が事細かに定められている場合が多く、依頼元も組織や機関、個人であれば上流階級のいわゆる王族や貴族といった者がほとんどだ。その分報酬も高額なのだが、中~上級職の者でなければ受注する事すら叶わない、上級者向けのクエストとなっている。
対して酒場クエストは、ギルドでは扱わないような小さなクエストが多い。依頼元はその多くが個人や小さな組合であり、それ故に依頼料も日当かそこいらの域を出ないのだが、その分受注条件が緩かったり、難易度が低い傾向にある。言うなれば酒場クエストは、初心者向けのクエストなのである。
カールとエリザが受けるのは、もちろん酒場クエストだ。開拓者とプリンセスではギルドクエストの受注条件を満たす事は非常に難しく、戦力がエリザの空手一本では討伐クエストなど自殺行為に等しいからだ。もっとも、ギルドクエストは通常5人以上のパーティーで臨む事を想定されているので、別にエリザが弱っちいとかボルゾーイ流空手がエクササイズみたいなものとか、そういうわけではない。ギルドクエストというものは普通はそれこそ一般RPGのように、火力職や補助職をバランスよく組み込んだパーティーが一丸となって行うものなのだ。
そんなわけで、二人は酒場にやってきたのだった。
「エリザ氏エリザ氏、ヴァンパイア討伐クエスト(400万G)がまだ残っているでござるぞ」
「放っておきなさい」
たまーに酒場にそぐわないクエストもあるが、それもまた風物詩。RPGでよくある、序盤から出ているのに攻略出来るのは終盤というクエストのようなものである。
「んー……ロクなのないわねぇ」
エリザがぼやく。
こないだの遺跡の調査程度のクエストならいくつかあるのだが、二人が求めているのはそういうアルバイト感覚のクエストではない。
「もっとこう、楽して大金が得られるクエストが欲しいところでござるな」
「そうねぇ……なるべく短い期間でたくさん報酬が貰えるクエストが欲しいわね」
二人が探してるのは、そんな感じのクエストだった。もちろん、カールとエリザの間には想定する労働量に大きな隔たりがあるのは言うまでも無いが。
「だったら闇クエストなんてどうですか?」
不意の声に二人が振り向くと、二人の後ろにウエイトレスが立っていた。
「ム……お主はいつものウエイトレス氏」
いつのもあんまり愛想がよくないウエイトレスだった。安酒場らしい普段着にエプロンを着用しただけという簡素な格好の、整った顔立ちではあるがさしたる特徴の無い容姿の女だ。彼女はトレイを片手に、まるで値踏みするように二人を見ていた。
「闇クエスト……って、なに?」
「大っぴらには出来ないようなクエストです。もちろん闇と言っても、あからさまな違法行為を要求するようなクエストではありません。ちょっと道徳や人道を何割か削ったようなクエストって感じですね」
「フム……それならさほど反社の匂いはしないでござるな。謝罪会見のち謹慎はしなくて済むと見た。して、その闇クエストとやらはどこに?」
「それはここに」
ウエイトレスはトレイを底の部分が上になるように引っくり返し、そこに張り付いていた紙を剥がしてカールに手渡した。
「これは……依頼書でござるな」
「どういう斡旋の仕方よ……」
「闇ですから」
あっけらかんとウエイトレスは言った。
「フム……」
カールは糊付けされていたせいで若干カピカピになった依頼書を確認した。
『魔法の実験のアシスタントを募集します! 未経験者歓迎!』
「…………」
などという出だしから始まった依頼書は、カールの眉間に皺が寄るには充分過ぎる内容だった。
「なんでござるか、この……一行に一回以上は『絶対安全!』って書かれていたり、十数行にも及ぶ割にはその内容が終始曖昧だったりする、そこはかとなく強烈なブラック臭の漂う依頼書は」
「闇ですから」
「…………」
もっともな言い分に、カールは閉口するしかなかった。
「ちょっと私にも見せなさいよ」
エリザはカールの手から依頼書を取り上げ、その内容を確認した。
そして読み進めていく内に、みるみるカールと似たような表情になった。
「これでもかというくらい安全性を強調されているはずなのにものすごく不安になってくるわね……」
「どう考えてもこれはスルー案件でござるな」
あからさま過ぎるブラック構文に、カールは即時スルーを決断した。もちろんカールは働いた事はおろか求人すら見た事が無いので、判断材料はネットでのイメージによるものだが。
「というわけでウエイトレス氏、他の闇営業を――」
「ちなみに報酬は30万Gです」
「ファッ!?」
「さっ……!?」
カールが絶句し、エリザが言葉に詰まる。
「必要経費その他諸々は別途支払うともありますね。まぁ受けないのであれば仕方ありません、他の人に回す事に――」
「あいや待たれい」
カールは去ろうとするウエイトレスを呼び止めると、眼鏡のレンズを例の眼球が見えなくなる感じに光らせつつ、眼鏡の中央部分をクイってやった。
「……何か?」
「やっぱり受けるでござる」
そして前言を撤回した。
「えっ……正気!? 何回読んでも何やる仕事か全然分かんないのよ……!?」
「エリザ氏……そんな事は全然問題ではないのでござる。書いてある事、それが全てなのでござる」
「……と言うと?」
「そう――このクエストは、書いてある通り『絶対安全』なのでござる!」
しつこいくらいに『絶対安全!』と書かれている事を参照し、カールは力説した。同時に眼球が見えなくなる感じの眼鏡の光は消え、それにより露わになったカールの眼球には『¥』マークがくっきりと映っていた。
「露骨にお金に目が眩んでいるわね……」
「まぁ安全かどうかはさて置き、話を聞くだけ聞いてみるというのはどうでござるか? みすみす逃す手は無いと拙者は考えるでござる」
「……まぁ、話を聞くくらいなら」
しかしエリザも、はっきりとは反対しなかった。カールほどではないが、エリザも30万Gという報酬には心を揺さぶられていた。
「というワケでウエイトレス氏。その依頼、我々のパーティーが受けるでござる」
「じゃ、手続きするのでそれ持ってあちらに」
そう言ってウエイトレスは、酒場の一角にあるクエストの受付を指した。
「承知。それはそれとしてウエイトレス氏、どうして闇クエストを拙者らに紹介したのでござるか? 拙者らは特に実績もコネクションもフラグも持ち合わせてはおらぬ故、特別扱いされる覚えは無いのでござるが」
「店長命令です。エリザさんは領主の娘だから、親切にしておけば見返りがあるかもって店長が」
「……なるほど。それはこれ以上無いくらい納得出来る理由でござるな」
「闇クエストの斡旋が親切ってのもどうかと思うけどね……」
エリザは呆れつつ呟いた。
町の外れの洋館。周囲に建物の姿は無く、開発の遅れからか周囲にはぽつぽつと自然が残っている。自然の中にある洋館は何とも言えぬ不気味さがあるので、ひょっとしたら洋館の持ち主が敢えてそうしているのかもしれない。
この洋館が依頼主の家だった。エリザの実家と比べるとこじんまりとしているが、それでも一人で住むとなると人手が必要となるくらいの大きさだ。
カールはさっそく、塀の横に備え付けられたインターホンを押した。
「今何気に押したでござるが、この世界にはインターホンがあるのでござるな」
「そりゃあるわよ。でなけりゃ門から家の人を呼べないじゃない。ってか私の家にもあったでしょ」
「そういえばそうでござったな」
一般的な異世界の下地である中世には当然インターホンなどあるはずもなく、ではあの時代の人々はどのようにして門から遥か先にある屋敷に来客を伝えていたのだろうかとカールが考え始めた時、インターホンから声が聞こえた。
『はい、どちらさま?』
若い女の声だった。
「拙者はカール・ケーニヒ。依頼を受けた者でござる」
『あぁ、あなたが。鍵は開いてるから入っていいわよ』
ブツッ、と通話が切れた。
「フム……然らば遠慮無く」
錆び気味の門扉を押して、カールは敷地に入った。
「私はミューズ。稀代の天才魔術師よ」
二人は応接室で、洋館の主と対面した。
年齢は20代半ば。不健康そうな色白の肌に、日々の寝不足を示す目の下のクマ。ほんの少しだけ白髪の混じった黒髪は、肩口の少し上で切り揃えられている。黒のシャツにピンクのミニスカート、そしてその上から膝下までの長さの白衣を着用した彼女は、魔術師と言うよりは科学者か研究者のような風貌だった。
彼女の名前はミューズ・クルード。この洋館の主であり、闇クエストの依頼主だった。
二人は簡単な自己紹介を返して、さっそく本題に入った。
「して、依頼の内容は?」
「依頼書に書いてあった通りよ」
「依頼書には曖昧な事しか書いてなかったでござるが。はっきりしている事と言えば絶対安全という事くらいでござる。真偽のほどは別として」
「あら、分かってるじゃない。あなたたちがやる事は絶対安全な魔法のアシスタント。ちょっと実験台になってもらうだけの簡単な仕事よ」
「……ム? 今聞き捨てならない単語が聞こえたのでござるが?」
「詳しい説明はこっちでするわ」
カールの言葉を無視して、ミューズは応接室の出口に向かった。
「…………」
二人は顔を見合わせた後、なんとなくヤバそうな匂いを感じつつもミューズの後に続いた。
着いた先は、洋館の奥の部屋。客人はもとより家主でさえもあまり近付かないような、季節の節目辺りに思い出したように掃除する感じの部屋だった。極端に日が届かないのか、敢えてそうしているのか、昼間にもかかわらず部屋の中は真っ暗だった。
「まずは見て驚きなさい……天才魔術師ミューズの研究の成果を!」
ミューズがパチン、と照明のスイッチを入れると、天井の白色灯が点灯して部屋の全容が露わになった。
「うわぁ……」
思わずエリザが零す。
部屋には色々な物が散乱していた。何かの部品や、くしゃくしゃになった紙くず。何日か前のパンの包みや、包みどころか食べかけのパンそのものまで落ちている。床に落ちているいずれかを引っくり返せば、高い確率で通貨単位ではないGの姿が見られるだろう事は想像に難くなかった。
「部屋、きったな……」
綺麗好きのエリザが眉をひそめた。
そんな中にあって一際目立つのは、壁際に設置された台座だ。パンケーキのような平たい円形の台座で、側面からはいくつもの太いコードが伸びている。剣と魔法の異世界にあって、それは異様な存在感を放っていた。
「察するにあの台座が研究の成果のようでござるが、あれは?」
「聞いて驚きなさい、あれはね――転送装置よ!」
狂気を孕んだような笑顔を張りつけて(寝不足によるもの)、ミューズは高らかに言った。
「……なるほど。確かにそれっぽいでござるな」
言われてみれば、いかにもな形状だった。それはもう上に乗ったらシュンって消える以外に、用途が見出せないほどに。
「……なんかリアクションが薄いわね。世紀の大発明なのに」
「そうは言ってもでござるな……」
この手の転送装置を、カールはこれまで腐るほど見てきた。それは惑星間移動装置であったりボスラッシュであったり、時にはトラップだったりと、転送装置というものはゲームやアニメの便利装置としてそこかしこに顔を出している。そんなありふれたものに、今更新鮮な感情など抱けるはずがなかった。
「転送装置って……なに?」
エリザはエリザで、転送装置という単語が聞き慣れなさすぎて驚く段階に達していなかった。
「よくぞ聞いてくれたわね……転送装置っていうのは、物体を遠くに運ぶ装置よ! 距離に関係無く、一瞬にしてね!」
手のひらを前方に翳し、あたかも決め台詞であるかのように言い放つミューズ。
「な……、なんですってー!?」
その言葉に、エリザは驚愕の声を上げた。
「ふっ……ようやく期待通りのリアクションを見せてくれたわね」
「……いやまぁ、勢いに乗せられてびっくりしたけど。……本当なの?」
「天才に不可能は無いわ」
「……うーん」
にわかには信じられない、といった様子のエリザ。口だけならなんとでも言える、というやつである。
「ふっ……にわかには信じられない、といった様子ね。だがそれはすぐに払拭される事になる。何故ならこれから――」
「あの、ちょっとよろしいですか?」
カールがおずおずと挙手する。
「どうぞ」
「拙者たち既にテレポートを体験しているのでござるが、転送装置ってそれほど大層な発明なのでござるか?」
以前にカールとエリザは、小遺跡ロロンドの隠しエリアからの脱出にテレポートを使用していた。
ミューズが言うほど、カールは転送装置に一大発明感を感じられなかった。
「ってかエリザ氏も一緒にいたでござるよね? 一緒にテレポートしたでござるよね?」
そしてそれは、エリザも同様であるはずなのだが……
「そうね。でもそれはそれ、これはこれよ」
「……えっ?」
「それはそれ、これはこれ」
「…………」
これも、長期連載作品にありがちな矛盾というやつである。連載初期ではどれだけ連載出来るか不透明であるが故に何が出来て何が出来ないかの線引きが曖昧なので、人気が出始めて長期連載が見込めるとなって設定を詰めた際、初期の設定と矛盾してしまう事がままあるのだ。
それをこの作品に当てはめると、初期は転送関連の設定が無かったので何の気無しにテレポートを使用したが、長く連載しようと設定を詰めた際に転送関連の魔法は実現が非常に困難であるとしたせいで、初期の話と矛盾してしまった……というわけだ。
(いや、だから冊数換算だとまだ本一冊分しか連載してないでござる。『というわけだ』で済まさないでほしいでござる)
とにかく、今後は転送関連の魔法や技術は実現が不可能なレベルで困難なものという事で進んでいくので、ご了承ください。
「というわけで、あなたたちにはこれを使って遠くにワープしてもらうわ」
ミューズの口から依頼内容が語られる。
それは、この転送装置を使って実際に転送してもらう、というものだった。
「……拙者、魔法のアシスタントと聞いてやってきたのでござるが」
「アシスタントよ」
「それは実験台というやつでは?」
「アシスタントよ。魔法の実験のアシスタント。何もおかしいところは無いわ」
「…………」
全くもって腑に落ちなかったが、カールはそれ以上の追及はやめておいた。
「まぁ、それはともかく……質問よろしいですか?」
「許可するわ」
「過去にこれでワープした者はいるのでござるか?」
「人間は、という話であるなら、いないわね。あなたたちが人類初よ」
「…………。そもそも何かをワープさせた事はあるのでござるか?」
「あなたたちが依頼を受ける前に、石ころとかリンゴとかで実験はしたわ。100個ほど使って試したけど、ちゃんとワープには成功しているわ」
「……ワープ、には? には、とは?」
「……別に、100個中20個がどこにワープしたか分からないってだけの話よ。言葉尻を捕まえるほどの事ではないわ」
「それは…………壁の中とか次元の狭間的な場所に迷い込んだという事では?」
「さぁ……? 見つかってないから何とも言いようが無いわね」
「――――」
ギャグ全振り作品ならともかく、人間が壁の中や次元の狭間にワープしたら大概はデッドエンドとなる。この作品も一応ギャグ寄りではあるが、それでもそんな風になって生き残れるほど物理法則は崩壊していない。この条件で生き残るには、宇宙空間をクロールで泳ぎ進むくらいの世界観でなければならないのだ。
「エリザ氏、帰るでござる」
総括すると、口ではアシスタントと言いつつもその実やっぱりただの悪質な実験台に他ならなかった。
「そうね……破格の報酬とはいえ、さすがに二割で即死するクエストは受けられないわね」
「というわけで、他を当たってほしいでござる」
二人はミューズに背を向けて、部屋を後にしようとした。
「40万出すわ」
「――――」
カールの足がぴたりと止まった。
「……ちょっと」
「い、いや、大丈夫でござる。さすがに二度目の異世界転生は無さそうでござるし」
そう言って、再び一歩を踏み出そうとしたところで、
「じゃあ50万でどう?」
「――――」
カールは回れ右をした。
「ちょっ、カール!? 冷静になりなさいよ、二割で死ぬって事ちゃんと理解してる?」
「もちろん理解しているでござるよ、エリザ氏」
そう言ってエリザに振り向いたカールの目は――案の定『¥』になっていた。もはや眼鏡ごと『¥』になっていた。
「二割死ぬという事は、つまり八割生きるという事でござる。八割とはつまり80%、これは確率論的観点からすると、ほぼ100%に等しいでござる。そう、つまりこのクエストは、落ちてる50万Gを拾うのと何ら変わらないのでござるよwwwフォカヌポゥwww」
目を『¥』に輝かせながら、カールは盛大に草を生やした。
「ダメだわ、完全にお金に目が眩んでいる……」
こうなった時のカールは、普段以上に使い物にならない。お金のみに目が行って、完全に回りが見えなくなるのだ(そもそも眼球が$なのだから当たり前だが)。
「それにエリザ氏。ひょっとしたら未開拓の地に行けるかもしれないでござるよ?」
「……えっ?」
今度はエリザが足を止める番だった。
「壁の中や次元の狭間というのは数ある可能性の一つでござる。見つからなかった二割は、ひょっとしたら誰も知らない未開拓の地にワープしたからこそ見つからなかった、という可能性もあるのでござる」
「…………」
エリザはちらりとミューズを見た。
「それは面白い可能性ね。存在するかも分からない次元の狭間なんかよりもよほど可能性があって、浪漫に溢れているじゃない」
カールの仮説に、ミューズは楽しげに笑みを零していた。
「で、ミューズ氏。マジで50万G貰えるのでござるか?」
「いいわよ別に、私天才だからお金持ちだし」
「であれば詐欺の疑い無しと断定。となると、あとはエリザ氏の御心次第でござるが、如何に?」
「…………」
エリザが考え込む。もはやこれは、無条件で一蹴していい話ではなくなっていた。
「――――」
否。これは既に、考え込む話でもなくなっていた。
(いったいどれだけのクエストをこなせば、未開拓地域へ行く資金が貯まるかという話よ……)
未開拓の地とは、決して旅行気分で行けるような場所ではない。特にスキルもツテもコネクションも無い二人が行こうと思うなら、旅費に加えてそれらをお金で解決出来るくらいの資金を貯めなければならない。現状では、その金額の想像すらもついていない段階だ。
故に、50万Gという破格の報酬を前に迷う理由など無い。八割成功するのであれば、それに飛びつかない理由など無い――などという事は、エリザは一切考えていなかった。
このクエストを受けるべき理由は、未開拓地へ行くための資金の大きな足しとなる、破格の報酬ではない。ワープに失敗した時に、途方も無い額のお金を貯める事無く未開拓の地に行ける可能性があるからこそなのだ。
もちろんリスクはある。ワープに失敗した時に、未開拓地ではなく地中深くや海の底といった、即死する場所に飛ばされる危険性がある。資金繰りや手段をすっ飛ばせる代わりに、このクエストには非常に重いリスクが課せられているのだ。
だからエリザは、こう考える事にした。
(二割の失敗の内、取り返しがつかなくなるか否かが五分五分だとすると…………不利益を被らない確率は、九割になる――)
失敗の二割の内、一割が成功だとするならば、元の成功率である八割と合算して、成功率は九割になる。
「……やるわ」
九割というのは、かなり信頼の置ける確率だ。スパ〇ボの命中率でもない限り、信じるに充分値する。仮にこの小説が実効命中率制を取っているとするなら、九割というのは実に98%を超える確率となる。98%というのは、もはや100%と同義だ。98%で失敗する確率というのは、一般的なソシャゲの単発ガチャでSSRが出る確率よりも低いのだ。
よってエリザにとってこの話は、考えるまでもなく即断すべきものだった。失敗しても五分五分で即死しないというところから既にガバガバ計算式のような気もするとか、この小説では実効命中率など採用されていないとか、九割って実はそこまで信用出来ないとかいろいろあるが、とにかく受けるべきなのだ。
「よろしい。それじゃあさっそく飛んでもらいましょう」
二人が決心したのを確認し、ミューズは準備に取り掛かった。
カールとエリザが並んで台座に立つ。
「おっけー、それじゃ動かないでね」
ミューズはタイプライターのようなコンソールを叩き、コードの先の転送装置へ術式を入力していった。
「ペンで文字を書くなどナンセンス! 私が開発したこの端末を用いれば、キーを叩くだけで文字が書けるのよ! ふっ、やはり美少女天才魔術師の名は伊達ではないわね……」
自画自賛しつつ、ミューズ(26)はブラインドタッチ(に相当する技術)でキーを高速タイピングしていく。極度の寝不足とようやく人体実験が出来る嬉しさで、ミューズはマッドなサイエンティストチックにハイになっていた。
「ちょっとした旅行に破格の報酬が付いているとは、さすがは闇クエストでござるなwwwwドゥフフwwww」
カールはクエストのあまりのチョロさに、いつも以上に草を生やしていた。
そんな二人を横目に、エリザは言い知れぬ不安に襲われていた。
(理論上は成功するはず……)
失敗の二割の内、取り返しのつかない事になる確率は五割……というところからして、根拠の無い推測に過ぎない。ひょっとしたら二割全部が取り返しのつかない事になるかもしれないし、未開拓の地に行ける事は無いのかもしれない。実際の成功率は、数字として絶妙に信用しきれない80%ポッキリなのかもしれない。
(成功するはずなのに、何故かしら…………どうしようもなく失敗するような気がする)
――などという理屈の及ばぬ領域で、エリザは不安を抱えていた。
実験に胸を躍らせるミューズ。成功を信じて疑わず、いつもより多めに草を生やすカール。
(こういうのって…………あぁ、なんて言うんだっけ)
カールがよく口にしていた……なんだっけ。
「ねぇカール。こういう状況ってなんだっけ、その……」
「ム? 50万Gもあるなら、今度はソファーを買うのもいいという話でござるか? もちろん拙者は賛成でござるぞwwwフヒヒwww」
依然金に目が眩んでいるカールは、よりにもよって取らぬ狸の皮算用をしていた。
その様子に更に不安が増したエリザは、懇切丁寧な説明を付けて再度尋ねた。
「なんだっけ、この…………頭のおかしめな魔術師が人体実験が出来るとはしゃいでたり、高額な報酬の割にものすごく簡単で、だけど低確率で取り返しのつかない事になるクエストに対して、そんな低確率な事は絶対に起こらないと余裕かまして報酬の使い道を考えたりしているこの状況って、なんて言うんだっけ……?」
「なんだ、そんな事でござるかwwwそれはもちろんww……」
エリザの質問に答えようとしたところで、カールの草が枯れ始めた。
「……もちろん?」
「――フラグでござるな」
カールの顔がさっと青ざめた。もはや草は枯れ果てていた。
「ミューズ氏、拙者クエストの受諾に関して再度一考したく――」
「よし、ポチっとな(死語)。ちゃんと転送先の地名を確認してから帰ってきてね」
――術式入力完了。転送装置起動。
「待っ――」
台詞の切れ端を残して、カールとエリザの姿は台座から消えた。




