14-2 馬商人
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僕と火炎は中央天上府を後にして、ひたすら北へ走った。
中央天上府は、他の四つの東西南北にある都市の中央に位置しているけど、僅かに偏っていて、北天峻険府は四つの中で一番離れている。
時期的に、雪が降るのは避けられない。できるだけ早く進みたかった。
大度が秣も持たせてくれたし、道のそここにも草が残っている。季節はすでに暑さも落ち着きつつあり、秋だ。昼間に移動することになり、夜は休んだ。
僕たちの行動は紅樹にも伝えてあるので、彼女は夜のうちに、僕たちに追いつくか、追い越すかしているんだろう。話をすることもないけど、どこかから見られている気はする。少しも嫌な感じのない、見守るような視線だ。
馬を潰してしまうのが一番良くないけど、僕は義賊と行動する時に馬については少し知っていたので、休ませる時期を見計らい、並み足にしたり、場合によっては馬から降りて引いて歩いた。
中央天上府を抜けて五日ほどが過ぎていた。
夜で、僕と火炎は野宿をしていた。焚き火はすでに熾火に変わり、僕は横になり、天を見上げていた。火炎は屈み込んで、何かを考えている。二人ともが無言だった。
だから、その音には自然と気付いた。
人が近づいてくる。それもどこか不自然な足音をさせ、全部で、十人ほどか。
「やれやれ、性懲りもないことで」
火炎がそういった時、いきなり馬が嘶いて、繋がれているのも構わずに暴れ出した。
闇の中を何かが飛んでくる。投剣だ。
僕が愛用の剣を引き抜き、短剣を弾き飛ばす。火炎もそうしたようだ。馬はまだ暴れている。
相手は呪術で操られているだけの人間のはずなのに、投剣はいやに正確だった。
火炎も僕も闇の中に突っ込んでいる。
斬り合いは不自然なことに、誰も悲鳴を上げず、声をそもそも上げずに、粛々と進んだ。ただ、馬だけが暴れ、吠え、荒い呼吸をしている。
呪術に操られた男は全員、倒した。
「何人切った? 火炎。僕は七人だ」
「俺は五人。大規模だったな、翼王は焦っているのか」
「理由は別かもね」
焚き火の残りの明かりの範囲を横切り、二頭の馬に近づく。
どちらの馬もすでに足を折って座り込んでいる。
光の中で短い剣が光るが、ほとんど馬の体に食い込んでいるので、小さな光だ。
どうやら狙いは僕たちというわけではなく、馬なんだ。
すぐ横に火炎が立った。
「ここで馬は置いていくしかないか」
「まだ息があるから、馬の医者に見せるべきなんだろうけど、困ったな。俺たちは先へ進まなきゃいけない」
「通りかかった奴に任せるしかない。そういうお人好しもいるかもしれない。ただ、時間が、ないな。いつ誰が来るかもわからないし、苦しみを長引かせるの……」
剣を馬の体から抜くべきか抜かないべきか迷ったし、そもそも僕たちがいつまでもここで人を待つわけにもいかない。
僕と火炎は仕方なく、馬を殺すことにした。
夜の間にさばいて、お互いの知識を動員して、どうにかこうにか血抜きをして、燻製にした方が長持ちするだろう、などと意見を出し合い、夜なのに動き続けて、明け方には二人で眠い目をこすりつつ、燻される馬肉の様子を見ていた。まぁ、煙を溜め込むだけの即席の装置を見ている、というのが正確だけど。
昼過ぎに肉がおおよそ出来上がり、全てを片付けてその場を離れた。
一番近い街で馬を買い物止めるしかない。銭は紅樹に預けていたのが、僕たちの手元に戻っていた。
馬肉の燻製が極端に味が悪く、そのことでぎゃあぎゃあ文句を言っているうちに、夕方になり、やっと宿場にたどり着いた。馬は後回しに宿に飛び込み、二人で夕食もそこそこにぐっすり眠った。僕は二度と深夜に馬を捌くまい、と考えていた。
翌朝、朝食の粥をすすって、馬商人を訪ねた。宿場から少し離れたところに、小さな牧のようなものがあり、見たところだけでも十頭ほどが柵の中にいた。
屋敷に向かい、声をかける。
「どなたかいらっしゃいますか?」
戸を叩いて声をかけると、女性の返事があった。
戸が開けらえると、そこには十代だろう少女がいた。
「なんでしょうか?」
「馬を買いたいのだが、ご主人はいるかな」
女性はちょっと申し訳なさそうな顔になったが、奥へ、と導いてくれた。
建物に入り廊下を進み、突き当りの部屋に通された。男が一人、縁側に腰掛け、牧の方を見ている。
「申し訳ありませんが、馬を売っていただけますか?」
男は反応しない。視線の先を追うと、女性が牧の中の馬の世話をしている。その様子を見ているのだろうか。
すっと横に進み出て、膝を折る。
「馬を売っていただけますか?」
「ん。売らん」
やっと返事があったがこちらを見ようとしない。
さっきの女性が戻ってきて、僕と火炎、そして男の横に湯飲みを置いた。男が大きな手で湯飲みを手に取り、無造作に口に運んだ。
「金彩、この二人にお引き取り願え」
金彩、というのが女性の名前らしい。はい、と小さな声で応じ、「どうか、お引き取りを」と僕たちに言った。
「金ならいくらでも出す」
いきなり火炎が声を発した。金彩も男も彼を見た。そして男が笑みを見せる。挑戦するような笑みだ。
「いくらでも出すのか?」
「言ってみな」
「金の粒をそうだな、あれいっぱい持って来い」
そう言って男が指差したのは、部屋の隅に置かれている火鉢だ。ひと抱えはある大きいものだ。とてもじゃないが僕たちに用意できる量ではない。
「あんたはいつもそんな商売をしているのか?」
「まあな。これでも儲かるんだ」
怒りに駆られたらしい火炎は立ち上がると、乱暴な大きい足音をわざとさせて、さっさと部屋を出て行ってしまった。
「兄さんは帰らないのか?」
「馬を見せてもらってもいいですか?」
「売らんぞ」
「見るだけです」
良いだろう、と言われたので僕は外へ出て、柵に沿って歩いていく。今、若い女性が一人で馬に乗って、走らせている。すぐ僕に気づき、近づいてきた。
「あんた、どこの人?」
「旅をしています。龍青と言います」
「私は、戸蝶。馬を買いに来たんだね。あの人は認めた人間にしか売らないよ。だから貧乏をしている」
「どうやったら認められますか?」
戸蝶が笑ってこちらを見る。
「ひとつだけだけど、馬に乗れるかどうか」
「あの屋敷にいた女性も馬に乗るのですか?」
「金彩のこと? あの子は例外」
例外があるのか。じゃあ、どうにかなるかもしれない。
「馬に乗せてください」
「裸馬でも良い?」
「贅沢は言いません」
良いね、と笑って戸蝶は離れたところにいた黒毛の馬を、自分は馬に乗ったまま引っ張ってきた。僕は一息に飛び乗った。嫌がるように体を振るのを首筋を撫でつつ、語りかけ、なだめる。
馬には理力はほとんど通用しない。馬との意思疎通は、純粋に僕の技だ。
黒馬は嫌がるようにウロウロしていたが、足を緩め、止まった。
そんな様子に、戸蝶が目を丸くしている。
「ちょっと走らせていいですか?」
「ああ、ああ、そりゃ、もちろん」
僕は太ももで軽く締め付けてやる。よく調教されていて馬は少しずつ足を速め、最後にはかなりの速度で走った。かなりいい馬で、僕が感じたことのない速さだ。
でも振り落とされるとは思わなかった。
牧を一周し、元いた場所に戻る。一息に馬を降りた。
「ありがとうございました」
「おい」
声の方を見ると、例の男性がやってくる。僕は待ち構えた。
「名前は、兄さん」
「龍青と言います」
「さっき帰ったでかい男も兄さんくらい乗りこなすのか?」
「いえ、無理だと思いますが」
そんな僕の返事に何か迷ったようだが、すぐに結論は出たらしい。
「明日からうちの屋敷へ来い、龍青。俺は、猛鉄という」
まったく、ややこしい人だな、この人も。
そう思いつつ、表情には笑みを浮かべておいた。
うまくいきそうだ。
(続く)