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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第十三部 義のために
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13-1 雪花影

     ◆


 水が欲しかった。

 とにかく水だ。喉が渇いているどころではない。

 中央天上府への旅は、想定よりもはるかに難しかった。手配書が各地に通達されていて大規模どころか中規模の街でも危ない。結果、野宿を繰り返し、食事も小さな店でそそくさと済ませていたが、そんな店が都合よくあるわけもない。

 空腹はどうにかなるが、水は別だ。

 雨がたまに降れば、その水を集めて飲んでいた。川の水を飲むと腹をくだすが、沸騰させれば飲めるようだ。

 川は別の問題もあった。街道やその脇道でないと、渡し船がない。

 仕方なく、泳いで渡った。川の上を走る気にはならなかった。

 理力というものについて、考えさせられれたこともある。

 太い川は泳いでも泳いでも対岸に着かず、渡りきった時には疲労困憊で動けない。その上、川に入った地点からかなり下流に流されるのが当たり前だ。

 それはまあ、いい。

 やはり水だ。

 暑い日照りの中、俺は草原の端で横になっていた。日陰を作るために、剣をつっかえ棒にして上着を広げておいた。狭い影に頭を入れ、休む。

 全身が熱を持っているけど、風邪で発熱したような感じではない。もっと体の奥が熱いような感覚だった。

 水を手に入れたいが、雨が降りそうではない。

 まだ太陽の位置は高い。やはり昼夜兼行で移動するのは、無理だったか。

 僕は先を急ぐべく、日中も先へ進み、睡眠時間を削っていた。

 結局、こうして動けなくなるのだから、失敗だったと見るしかない。

 日陰の中で目を閉じていると、意識が朦朧としてくる。

 そこへ何か、足音のようなものが聞こえた。人の足音ではない、もっと硬質で、拍子が短い。これは、馬か。

「そこの人、何をしている?」

 高い澄んだ声だった。のろのろと起きようとしたが、つっかえ棒代わりの剣を倒してしまい、頭の上に上着が落ちてくる。

 それを撥ね退けると、真っ白い髪の毛が風にそよいでいるのが見えた。

 やはり女性だった。髪の毛は長く、ひとつに結ばれている。馬も白馬だった、立派な体格だ。

 女性はニコニコとしているが、腰には剣がある。

「何をしているのか、聞いているのよ」

「寝ていた。ちょっと疲れてね」

「ああ、あなたの顔には見覚えがあるわ」急にそう言って彼女が馬を降りた。「東方臨海府から回ってきた手配書を見た。外見、年齢、ぴったりと同じだわ。違う?」

 どうかな、と力なく答えるしかなかった。

 僕は今、疲れ切っている。この女性を切れるだろうか。もし切らないとして、走って逃げ出しても馬から逃れる方法はない。

 つまり、切れる切れない以前に、切るしかないのかもしれない。

 だが、僕はどうしてもその気にならなかった。

 もう、誰かを切れる自分はいないかもしれない。

「何よ、不思議な人ね。おとなしく捕縛される、ってこと?」

「それがいいかもな」

 女性は僕の目の前に立って、じっとこちらを見下ろしてくる。瞳には好奇心と、労わるような色がある。なぜ労わられるかは、わからないが。勘違いかもしれない。僕の弱気のせいか。

「名前は?」

「手配書に書いてあるはずだ」

「自己紹介は大事よ。私は遊林。あなたは?」

 もうどうとでもなれ、と僕は答えた。

「龍青。水をくれないか? 少しでもいい」

 今は物乞いなのね、と笑いつつ、遊林は腰から水筒を外し、こちらへ投げてきた。受け取り、少しだけ水を口に含む。全身にそれが染み通るのがわかる気がした。

「ちょっとうちに来てみない? 龍青」

「うち? 家ってことか」

「バカ言わないで。私たちの仲間にならないか、ってこと」

「悪いが、用事がある。急いでいるんだ」

 あんたねぇ、と呟いて遊林は膝を折って、僕と視線を合わせた。

「そんなボロボロで、どんなことができるっていうのよ。私はあんたに興味がある。仲間もそうだと思うわよ」

「仲間っていうが、何の仲間だ?」

「馬賊よ」

 なるほどね、だから馬に乗っているわけか。

「犯罪に手を貸せと?」

「私たちはただの馬賊じゃない。義賊よ。社会のシミみたいな不愉快な連中、間違っている連中からしか奪わない。それが絶対なの」

 そんなものか、と思いつつ、僕はもう一口、水を飲んだ。立ち上がれそうだった。

 ゆらゆらする体で起き上がるが、すぐに足から力が抜けてしまった。

 さっと遊林が僕を支えたのがわかった。

 抵抗しようとしたが動けないし、声も出なかった。

 何かに揺られている時間が続き、しかし意識は曖昧なままで漂っている。どこかで誰か、人の声がした。

 いきなり全身が冷えて、目が覚めた。悲鳴も上げていた。

「起きたようだな、賞金首」

 僕は下着だけになっていて、しかも全身がずぶ濡れだった。

 周囲を見ると、河原で、僕の前には見知らぬ男が立っている。片手に桶を持っていた。

「起きたか? 体はどうだ?」

 そんなことを急に言われても、とにかく体が濡れて、風を受けるだけで冷えていく。顎がガクガクしそうだった。すでに日が暮れているのにも気づいた。

「あ、あんたは、誰だ?」

「ああ、俺か? 大度というものだ。で、お前は龍青で間違いないか?」

「ああ、そうだ、僕が龍青だ。服を返して欲しいんだけど」

 手ぬぐいが僕の手元に投げられ、次に服も戻ってきた。

 どうにか服を着ると、僕の剣を大度が鞘から抜いて、しげしげと見ている。

「返してくれるかな、僕の剣だ」

「いや、返さん」

 ピタリ、と大度が剣を構えた。

「返して欲しければ、自分で取り返してみな」

 そういうのと同時に、大度が一息に前に出てくる。切っ先が僕の首をかすめる。体を開かなければ、致命傷だ。

 河原の砂利に足を取られつつ、連続攻撃を回避していく。理力が体を躍動させる。

 強く地面を蹴り、舞い上がる。

 大度が笑ったのが見えた。

 その手が霞む。高速の斬撃の連なり。

 僕の意識が極端に集中を高める。

 両拳が動いた。僕の体を切りつけるはずの剣を、刃に触れないように手で最小限に払いのけ、それでできた空間に降り立った。

 拳を繰り出すのと、大度が剣を繰り出すのは同時。

 お互いが静止する。

 僕の拳は大度の胸に触れんばかりだが、彼の手にある剣は、まだ僕に触れるには距離がありすぎる。

「拳で俺を殺せると?」

「やってみても良いよ」

 そういう僕の前で、大度がゆっくりと肩をすくめ、一歩だけ下がると鞘に剣を戻し、こちらに渡してくる。

「助けてやったんだぞ、龍青。少しは感謝しろ」

「あんたが義賊なのか? えっと、遊林という女性から聞いた」

「雪花影から聞いたか」

 雪花影というのが遊林のあだ名らしい。大度が何度か頷く。

「俺たちは悪党だが、正義というものを標榜している。お前を役人に差し出さない程度に悪人だがな」

「そうですか、でも、僕が先を急ぐ必要は変わりませんね」

「今の状況で、お前がどうやって中央天上府に入れる? 俺たちが入れてやるよ。その代わりに、俺たちにも協力しろ。適当な取引だ」

 僕が答えに迷っていると、「まずは飯にしようぜ」と大度が背を向ける。

 ついていくべきか、迷った。

 迷ったが、ついていくしかない。そう心を決めた。

 河原から近くの木立に入ると、少し開けたところを選んで幕が張られ、数人の男女が料理をしていた。その中に白い髪の女性がいる。遊林だ。

 こちらを振り返ると、彼女は軽く手を振ってくれた。

 そうして僕は馬賊だか義賊だかに加わることになってしまった。




(続く)

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