12-7 剣
◆
砂漠地帯を抜けた時、やっと司天にたどり着いた。
街を出ようとした彼の前に立ちふさがったのは、俺と二人の盗賊だった。他の仲間はまだ到着していない。
「命を大事にしろ、王炎」
「今は火炎だよ、司天」
司天の背後には、女性が一人いる。その手はまだ幼い女の子の手をとって、守るように、隠す要因している。
その二人がそっと距離を取り、不安そうに司天を見ていた。
「手出しするな。俺だけでやる」
そう宣言して、ゆっくりと俺は司天へと間合いを詰めていった。
背負っていた荷物を地面に下ろし、司天の手がゆっくりと剣を抜いた。
俺も背中に背負っていた大剣を手に取り、上段に構えた。
「得物で俺を威嚇するつもりか?」
「まさか。こんなことで怯えるあんたでもあるまい」
間合いがお互いに踏み込めば一撃が当たる距離になる。わずかに司天の目が細まった。
殺気が俺を飲み込む。
だが俺はそれに耐えることができた。
轟! と大剣が空気を巻き込み、打ち下ろされた。
目の前にいた司天の剣が、俺の一撃を受け流すが、俺は体を回転させつつ、横薙ぎを叩き込む。
剣を立てて、司天がそれを受け止めた。
が、完全には不可能だ。地面を蹴り、転がり、起き上がった司天の脇腹が赤く染まる。
女が悲鳴をあげ、娘が泣き出す。
「構うな。黙っていろ」
そう言ったのは司天だった。姿勢を整え、傷口を押さえることもなく、剣を構え直す。
もう一度来る。今度は、最大の殺気を当ててくるはずだ。
俺は何も考えないことにした。相手を切る、それだけを考える。
命など、最初から捨てていれば、失うことが恐ろしくもなくなる。
際どい勝負だ。しかしここ以外に、勝ち目はない。
瞬間、俺の意識が司天の気迫に飲み込まれる。
何も見えなくなる。
いや、剣が見える。向かってくる。
すれ違う筋が見える。
体の感覚が蘇り、剣を振っていた。
いつの間にか俺と司天の体がすれ違う。
「凄まじい剣だ」
それが司天の最後の言葉になった。
ゆっくりと体が傾き、倒れる。それきり彼は、動かなかった。妻だろう女が駆け寄り、揺すっても反応はない。女が叫び声をあげ、娘は更に声を上げて泣き出す。
虚しい光景だ。
こんなものを見るために、剣を振るったわけじゃない。
では、何を求めて俺は剣を振ったんだ?
「行きましょう、火炎」
そう促されて、俺は女と子供を残して、その場を離れた。
鳴き声は耳に残り続けた。
◆
俺が口を閉じると、馬荘が慌てたように言った。
「え? そこで終わりですか?」
「そうだが?」
「どうやってこの国に来たんですか?」
ああ、そのことか。
「結局、砂漠地帯では俺はいつまでも追跡されて、盗賊にも疎まれて、そっと逃げ出してきた。こっちに来れば誰も俺のことを知らないしな」
恐ろしい人だなぁ、と馬荘が笑う。
話しているうちにすでに日が暮れていて、移動の時間になっていた。この辺りでも真夏には昼間は休んで夜に歩く方が楽だ。すでに集落を抜け、街道を歩いているところだった。
と、誰かが前から近づいてくると思うと、やおら短剣を抜いて突っ込んでくる。
まったく予想していなかったが、体が反射的に動いた。
振り抜いた剣で相手の短剣を逸らし、胴を切り払った。
途端、変な手応えが手元にあり、しかし相手はどさりと道に倒れて動かなくなる。
「か、火炎殿……」
「気にするな、呪術師の刺客か盗賊だろう」
「そうじゃありません、剣が」
やっと手元を見た。
俺の大剣が半ばから折れて、刃が男に食い込んで転がってる。
折れたか。長い間、使ってきたしな。
「龍青と立ち会った時、刃が欠けたんだ」思わず笑っていた。「あの時から、折れる定めだったんだよ。気にするな」
そう言って、さて、剣を捨てていくしかないか、と思っていると、にわかに剣から青い粒子が立ち上り始めた。馬荘は慌てているが俺はそうでもない。
これは隠者、襤褸が使う幻にそっくりだ。
俺の剣に宿っていたあの老婆の守護は、剣が折れたことで離れていったらしい。
思えば、俺が海に放り出された時、あの剣から何かを感じた。そして剣を握りしめた。
そのお陰で生き延びたわけで、つまり俺を救ったのは剣と、剣に宿っていた隠者の力、というわけか。
これからは自力でどうにかしろ、ということかもしれない。
「得物がないのは不便だが」手元の剣をその場に捨てる。「先を急ごう。呪術師が俺に気付いているくらいだ、龍青も察知されているだろう。この先にいれば、だが」
「え、ええ、何か今、すごく異質なものを見た気がしますが……」
世の中にはいろいろなものがあるんだ、と俺は応じて、死体も転がっていることだし、すでにこちらを遠巻きに凝視している通行人も少ないながらいる。
二人でその場を離れ、しかしどこかで剣を買わないとダメだな。
「火炎殿は、その、本当に先ほどの話にあったようなことを?」
「盗賊を皆殺しにした話か? あれは事実だよ。まぁ、証明することは無理だが」
「とても、そんなことをするような人には、見えません」
じゃあどんな風に見える? と訊ねる気になったが、やめておいた。ちょっと意地が悪いだろう。
短くない時間が過ぎて、自分でも当時の自分の不自然さが意識できる。
我を失って、感情のまま、欲望のままに体が動いた。
同じことはもうできない。体力や技量ではなく、心はついていかないだろう。
そしてあの虐殺は、あれだけ強かった司天をもってしても、できなかったはずだ。
あの時の俺は間違いなく、最強だった。
今の俺はそれと比べればだいぶ弱い。だけどその弱さは、別の強さを伴っているような気がする。
司天は最後には、家族のために剣を取った。
俺は誰のために剣を彼に向けたのか。仲間のため、だっただろうか。
きっとそれは違う。
最後には、俺の胸を切り裂いたあの司天の一撃があったがために、俺の剣は俺のためだけの剣になった。
二人のための剣と、一人のための剣。
そう考えてみると、俺がどうして勝てたのかは、不自然ではある。
何かが、勝敗に作用したはずなのに、それが運としか表現できないのは、どこかもどかしい。
運なんてものを無視するほどの、塗り潰して隠してしまうほどの、そういう強さが、俺たちの目指した場所だったはずだ。
でも最後には、強さに意味なんてないのだろうか。
では、何のために稽古を続けて、修練を重ねる?
不確実性、偶然、そういうものを潰していくためだと、今も俺は思っている。
自分が誰かに敗れた時、それは運が悪かったからだ、相手が幸運だからだ、とは考えたくない。
俺が切ってきた人間も、そんな人間には切られたくないだろう。
技量で劣った、体力で劣ったから負けた、と思う方が、よほど楽な気持ちになれるはずだ。
もっとも、死んでしまえば何も思わないのかもしれないが。
足早に先を進みつつ、俺は次の剣のことを考えた。
俺はまだ、剣を取る理由があるらしい。
友のために、そして、自分のためにも。
まだ俺には剣が出すはずの答えが、見えていないからだ。
(第十二部 了)