表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第十二部 残酷な季節
85/118

12-7 剣

     ◆


 砂漠地帯を抜けた時、やっと司天にたどり着いた。

 街を出ようとした彼の前に立ちふさがったのは、俺と二人の盗賊だった。他の仲間はまだ到着していない。

「命を大事にしろ、王炎」

「今は火炎だよ、司天」

 司天の背後には、女性が一人いる。その手はまだ幼い女の子の手をとって、守るように、隠す要因している。

 その二人がそっと距離を取り、不安そうに司天を見ていた。

「手出しするな。俺だけでやる」

 そう宣言して、ゆっくりと俺は司天へと間合いを詰めていった。

 背負っていた荷物を地面に下ろし、司天の手がゆっくりと剣を抜いた。

 俺も背中に背負っていた大剣を手に取り、上段に構えた。

「得物で俺を威嚇するつもりか?」

「まさか。こんなことで怯えるあんたでもあるまい」

 間合いがお互いに踏み込めば一撃が当たる距離になる。わずかに司天の目が細まった。

 殺気が俺を飲み込む。

 だが俺はそれに耐えることができた。

 轟! と大剣が空気を巻き込み、打ち下ろされた。

 目の前にいた司天の剣が、俺の一撃を受け流すが、俺は体を回転させつつ、横薙ぎを叩き込む。

 剣を立てて、司天がそれを受け止めた。

 が、完全には不可能だ。地面を蹴り、転がり、起き上がった司天の脇腹が赤く染まる。

 女が悲鳴をあげ、娘が泣き出す。

「構うな。黙っていろ」

 そう言ったのは司天だった。姿勢を整え、傷口を押さえることもなく、剣を構え直す。

 もう一度来る。今度は、最大の殺気を当ててくるはずだ。

 俺は何も考えないことにした。相手を切る、それだけを考える。

 命など、最初から捨てていれば、失うことが恐ろしくもなくなる。

 際どい勝負だ。しかしここ以外に、勝ち目はない。

 瞬間、俺の意識が司天の気迫に飲み込まれる。

 何も見えなくなる。

 いや、剣が見える。向かってくる。

 すれ違う筋が見える。

 体の感覚が蘇り、剣を振っていた。

 いつの間にか俺と司天の体がすれ違う。

「凄まじい剣だ」

 それが司天の最後の言葉になった。

 ゆっくりと体が傾き、倒れる。それきり彼は、動かなかった。妻だろう女が駆け寄り、揺すっても反応はない。女が叫び声をあげ、娘は更に声を上げて泣き出す。

 虚しい光景だ。

 こんなものを見るために、剣を振るったわけじゃない。

 では、何を求めて俺は剣を振ったんだ?

「行きましょう、火炎」

 そう促されて、俺は女と子供を残して、その場を離れた。

 鳴き声は耳に残り続けた。


     ◆


 俺が口を閉じると、馬荘が慌てたように言った。

「え? そこで終わりですか?」

「そうだが?」

「どうやってこの国に来たんですか?」

 ああ、そのことか。

「結局、砂漠地帯では俺はいつまでも追跡されて、盗賊にも疎まれて、そっと逃げ出してきた。こっちに来れば誰も俺のことを知らないしな」

 恐ろしい人だなぁ、と馬荘が笑う。

 話しているうちにすでに日が暮れていて、移動の時間になっていた。この辺りでも真夏には昼間は休んで夜に歩く方が楽だ。すでに集落を抜け、街道を歩いているところだった。

 と、誰かが前から近づいてくると思うと、やおら短剣を抜いて突っ込んでくる。

 まったく予想していなかったが、体が反射的に動いた。

 振り抜いた剣で相手の短剣を逸らし、胴を切り払った。

 途端、変な手応えが手元にあり、しかし相手はどさりと道に倒れて動かなくなる。

「か、火炎殿……」

「気にするな、呪術師の刺客か盗賊だろう」

「そうじゃありません、剣が」

 やっと手元を見た。

 俺の大剣が半ばから折れて、刃が男に食い込んで転がってる。

 折れたか。長い間、使ってきたしな。

「龍青と立ち会った時、刃が欠けたんだ」思わず笑っていた。「あの時から、折れる定めだったんだよ。気にするな」

 そう言って、さて、剣を捨てていくしかないか、と思っていると、にわかに剣から青い粒子が立ち上り始めた。馬荘は慌てているが俺はそうでもない。

 これは隠者、襤褸が使う幻にそっくりだ。

 俺の剣に宿っていたあの老婆の守護は、剣が折れたことで離れていったらしい。

 思えば、俺が海に放り出された時、あの剣から何かを感じた。そして剣を握りしめた。

 そのお陰で生き延びたわけで、つまり俺を救ったのは剣と、剣に宿っていた隠者の力、というわけか。

 これからは自力でどうにかしろ、ということかもしれない。

「得物がないのは不便だが」手元の剣をその場に捨てる。「先を急ごう。呪術師が俺に気付いているくらいだ、龍青も察知されているだろう。この先にいれば、だが」

「え、ええ、何か今、すごく異質なものを見た気がしますが……」

 世の中にはいろいろなものがあるんだ、と俺は応じて、死体も転がっていることだし、すでにこちらを遠巻きに凝視している通行人も少ないながらいる。

 二人でその場を離れ、しかしどこかで剣を買わないとダメだな。

「火炎殿は、その、本当に先ほどの話にあったようなことを?」

「盗賊を皆殺しにした話か? あれは事実だよ。まぁ、証明することは無理だが」

「とても、そんなことをするような人には、見えません」

 じゃあどんな風に見える? と訊ねる気になったが、やめておいた。ちょっと意地が悪いだろう。

 短くない時間が過ぎて、自分でも当時の自分の不自然さが意識できる。

 我を失って、感情のまま、欲望のままに体が動いた。

 同じことはもうできない。体力や技量ではなく、心はついていかないだろう。

 そしてあの虐殺は、あれだけ強かった司天をもってしても、できなかったはずだ。

 あの時の俺は間違いなく、最強だった。

 今の俺はそれと比べればだいぶ弱い。だけどその弱さは、別の強さを伴っているような気がする。

 司天は最後には、家族のために剣を取った。

 俺は誰のために剣を彼に向けたのか。仲間のため、だっただろうか。

 きっとそれは違う。

 最後には、俺の胸を切り裂いたあの司天の一撃があったがために、俺の剣は俺のためだけの剣になった。

 二人のための剣と、一人のための剣。

 そう考えてみると、俺がどうして勝てたのかは、不自然ではある。

 何かが、勝敗に作用したはずなのに、それが運としか表現できないのは、どこかもどかしい。

 運なんてものを無視するほどの、塗り潰して隠してしまうほどの、そういう強さが、俺たちの目指した場所だったはずだ。

 でも最後には、強さに意味なんてないのだろうか。

 では、何のために稽古を続けて、修練を重ねる?

 不確実性、偶然、そういうものを潰していくためだと、今も俺は思っている。

 自分が誰かに敗れた時、それは運が悪かったからだ、相手が幸運だからだ、とは考えたくない。

 俺が切ってきた人間も、そんな人間には切られたくないだろう。

 技量で劣った、体力で劣ったから負けた、と思う方が、よほど楽な気持ちになれるはずだ。

 もっとも、死んでしまえば何も思わないのかもしれないが。

 足早に先を進みつつ、俺は次の剣のことを考えた。

 俺はまだ、剣を取る理由があるらしい。

 友のために、そして、自分のためにも。

 まだ俺には剣が出すはずの答えが、見えていないからだ。




(第十二部 了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ