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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第十二部 残酷な季節
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12-6 敗北

     ◆


 小さな音を立てて、司天が足の位置を変える。

 俺はゆっくりと歩み寄った。腰の剣の柄に手を置いて、間合いを測る。

 バッと司天が足元の砂をこちらに蹴った。反射的に剣を抜くが、目に砂が入っている。

 光が閃く。見えない、光。

 直感だった。払った剣を、司天の剣がはねのける。くそ、腕が伸びきって、力が入らない。

 砂を蹴って、後ろに飛ぶ。鼻先を金属の匂いが走り抜ける。

 転がり、どうにか起き上がったとき、視界はかろうじて回復していた。

 剣を構え、司天と向き合う。

「逃げるだけか? ガキ。一方的に切られるつもりか?」

「これでも」剣の構えを変える。「人を切るのは好きじゃない」

 司天が笑う。

「王炎という罪人のことは知っているぞ。役人が匿っていた悪党を、屋敷丸ごと全部、虐殺したな? お前には懸賞金がかけられている。お前を倒せば、俺ももう働かなくて済む」

「俺を切れるのか? 司天」

「切れるね。お前のような臆病者は、相手にならん」

 どうだかな、と低く声を発して、今度はこちらから間合いを詰めた。

 剣同士がぶつかる。弾き合い、また引き合い、弾き合う。

 切っ先が俺をかすめると同時に、俺の剣も司天の胸を切り払っている。服が切れるが、血は滲みもしない。

 もう一度、剣がすれ違う。右肩に痛みが走る。

 さらに一度の交錯。すれ違い、姿勢を整える。

「やるようになった、と言っておこう」

 頬の傷口から流れる血をそのままに、司天が笑う。

 俺には笑う余地はない。肩から流れる血が肘へ流れ、手首まで伝う。

 お互いが同時に踏み込む。剣がすれ違う。パッと飛び離れた時、脇腹に痛みが走った。

 どちらももう無言になった。

 そう長く続く戦いではない。しかし一瞬でも集中が乱れれば、それで終わる。

 踏み込もう、と思った時に、司天から強烈な気迫が発せられた。

 足がすくむほどの、圧倒的な殺気だった。

 俺のすぐ横を、司天が駆け抜けた。

 熱を感じる。パッと目の前を血飛沫が舞う。

 視線を下げると、胸を断ち割られていた。

 体から力が抜ける。

「未熟者め」

 そんな声が聞こえたが、俺の意識は途絶えていた。

 誰かが俺を揺すっている。おかしい、司天は俺の命を奪わなかったのか?

 瞼がものすごく重たいが、どうにか持ち上げた。

 ぼやける視界の中で、盗賊の一人の顔がそこにある。

「起きたか、火炎、傷は痛むか?」

 いや、と反射的に言おうとして、胸に激痛が走った。

 傷は縫い合わせて、もう三日になる、と声がかけられた。

 頭が痛い、いや、体が熱いのだ。堪えきれずに瞼を閉じるが、声は続く。

「医者が言うには、熱が出ると危ないらしい。しかし薬がないんだ」

 薬か。

 俺は朦朧としている意識で、俺の荷物にある薬のことを伝えた。だがうまく伝わったかわからないし、俺がそれを飲んだかも、意識がはっきりしないので、確信がなかった。

 次に目が醒めると、意識は比較的すっきりしていた。体も動く。

 起き上がった途端、すぐ横の椅子に腰掛けてい見知らぬた若い男が驚いて転がり落ち、盛大な音が上がった。

 ここは、盗賊の拠点ではない。建物の中で、空気には植物の匂いがする。つまり、緑地のようなちゃんとした場所だ。

 若い男も、盗賊ではない。身なりが違う。

 先生を呼んできます、と言い置いて、その男は部屋を出て行った。

 俺は一人で起き上がり、胸の傷を見てみようとしたが、包帯がグルグルに巻かれている。まだ痛みもある。

 どうして司天が俺を殺さなかったのかが不思議だ。あの一撃で俺が死ぬと勘違いしたのか。

 そんなことがあるだろうか。

 若い男が老人を連れてきて、その老人は何かモゴモゴと口にしながら、俺の脈を測ったり、熱を手で触れて確かめたりしている。

「あの薬はどこで?」

 かろうじて聞こえる声で老人がそう言った。以前にとある医者からもらいました、と答えると、すごい医者だ、と、やはりモゴモゴと言っていた。

 それから俺の胸の傷はしばらく安静が必要だ、と言って、老人が若い男から差し出された器を俺に渡す。

 その中に入っている軟膏を毎日塗って、傷口に当てる布も毎日変えるように、と指示された。

 一晩をそこで過ごし、翌朝、身支度を整えると、盗賊の一人がやってきた。例の薬の話をした相手だ。

「よく死ななかったな、烈火」

「薬が効いたようだね。ここの医者は誰の知り合いかな?」

「あの爺さんが、昔は親方の仲間だっただけさ。今は堅気だよ」

 なるほど、と納得して、二人で外へ出る。初めて見る緑地だ、おそらくだが。

 二人で食事をすることになり、そこで、親方と呼ばれていた盗賊の頭領が、司天に殺されたことを知った。その時、司天は銭を持って逃げたらしい。

 あの司天がそんなお粗末なことをするとも思えなかったが、事実らしい。

「お前以外、誰も気づかなかったよ。烈火はさすがに一流だ」

「一流がこんなところにいるかよ。で、司天を探しているんだろ?」

「もちろん。しかし、あいつも逃げているようで、追いかけるのに苦労している。東へ向かっていて、永の人混みに消える算段らしい。それまでに追いつくつもりだがな」

 そうか、としか返事ができなかった。

 食事が終わってから、「お前の得物を手配するように、仲間に言われている」と話があった。

「すぐそばに武具を商っている知り合いがいてな。そこに行こう」

 案内されたのは廃屋のような店だったが、入ってみると、工房独特の匂いが立ち込め、鋼が鍛えられ、研がれる独特の空気があった。

 盗賊の男が店主らしい男に声をかけ、何か交渉を始めた。

 俺は一人で店内に飾られている剣を眺め、そこで一本の剣に注意を引かれた。

 かなり巨大で、板のようだ。重いだろうか。

 柄を掴んで、持ち上げてみる。振れなくはない。石切場の大きな槌のような印象だった。

「おいおい」

 声に振り返ると、店主がこちらを見ている。

「そいつはただの飾りだ」

「でも切れるんじゃないのか?」

 思わず訊ね返すと、店主が苦い顔をする。

「今からきっちり研いでやるから、明日の夜にまた来いよ」

 盗賊が値段の交渉を始めるが、俺はしばらくその大剣の重さを確かめていた。

 誰を切るにしろ、この剣なら負けないような気がした。

 ただ大きさに依存している気がするが、気持ちが大事だ。

 脳裏に司天の気迫が蘇り、冷や汗が滲んで、そっと剣を棚に戻して額を拭った。

 あの気迫に勝てなければ、今度こそ死ぬだろう。

 技量でも、体力でも、おそらくは互角だったのだ。

 しかし最後の最後に、心で負けた。

 繰り返し繰り返し、あの瞬間を思い出しても、不安になるだけで進歩がないが、俺は店を出ても、ずっと司天の幻を反芻し続けた。

 剣を振るうよりも強力な圧力。

 まるで心を心で切られたようだったのだ。

 時間をかけて、俺はそのことをどうにか飲み込もうとした。

 翌日の夜、武具屋を訪うと大剣は綺麗に研ぎ上がっていた。こんな剣、切るんじゃなくて潰すって感じだけどなぁ、と店主がぼやきつつ、きっちりと銭を払ったので、それ以上は何の言葉もなかった。

 夜の緑地に出て、盗賊が言った。

「じゃ、さっさと仕事を終わらせるか、烈火」

 仕事とはつまり、司天を切ることだった。

 俺に、切れるのか?

 かすかに胸の傷が痛んだ。



(続く)


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