表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第十二部 残酷な季節
83/118

12-5 再会

     ◆


 目を覚ますと、俺はどこかの見知らぬ部屋で、寝台に寝ていた。病院だろう、とすぐにあたりがついた。薬のような匂い、薬草を煎じているような匂いがしたからだ

 起き上がろうとしたが、全身が痛む。

 それでも無理やり起き上がると、寝台が軋み、そのせいだろう、隣の部屋から若い男が入ってきた。

「そのまま横になっていなさい。今、お知り合いを呼んできますから」

 そんなことを言って、男は部屋を出て行った。仕方なく寝台に戻る。その段階で、俺が全身に傷を負っていることが理解できた。

 少しの間の後、部屋に入ってきたのは同じ商隊で西方へ行った護衛の一人で、名前は、江兼という男だ。

 江兼が俺のすぐ横に椅子を持ってきて、座った。

「ここは俺の知り合いの医者のところだ。何をしたか覚えているか?」

「おおよそな」

 そう答えた俺の声はガラガラで、少しだけ喉から血の味がした。

 おおよそか、と江兼が顔をしかめる。

「はっきりさせておくが、お前は一人で悪党どもの根城だった役人の別邸に乗り込んで、全員を殺して回った。悪党はもちろんだが、役人が雇っていた下男下女もだ。一人も生き残っちゃいない」

「そうか」

「騒ぎを聞きつけて、緑地の守備隊の十人隊が出動したが、お前は全身に手傷を負いながら、二人を斬り殺し、三人を負傷させて逃げた。今もそこらじゅうで守備隊がお前を追っている」

 それは全く記憶になかった。しかしできないことでもないだろう。無意識にやった、というのはやや怖いものがあるが。

 江兼が困ったように笑った。

「仲間での話し合いが終わった時、田虞という仲間が、俺にお前の話をした。会合を抜け出した、というんだ。俺は流石に慌てて、全員を引き止めたよ。お前の援護で、賊を皆殺しにする、って意見が強くてな。しかしそれをどうにか押し留めて、半数を例の緑地に向けて進ませて、残り半分はお前を探させた。運良く、役人や守備隊より先にお前を見つけた、ってわけだ」

「迷惑をかけたな」

「迷惑なんてもんじゃない。お前は第一級のお尋ね者になっているんだぞ。匿っているのも、逃すのも大罪だ」

「でもこうして匿っている。そして逃してもくれるんだろう?」

 はぁー、っと江兼がため息を吐いた。

「俺がお前を売るとは思わないのか?」

「仲間だからな」

「それも今日までだ」

 乱暴な仕草で、江兼が立ち上がった。

「俺たちはお前を役人に売るしかない。お前の罪を俺たちが被るのは美談ではあるが、俺たちだって生きているし、未来がある。今日、日が暮れるのと同時に、守備隊に通報する。ここにお前がいる、とな。それまでに消えろ」

 妥当な線だろう。

「助かったよ」

 江兼は怒りに任せて何かを言おうとしたようだったが、堪えて口をつぐんだ。その程度には分別のある、冷静な男だった。

「俺たち全員が被るはずの罪を」絞り出すように、江兼が言った。「全部、お前に背負わせて、すまないと思っている」

「俺が決めたことだよ」

 そう答える俺に、わずかに潤んだ瞳を向けてから、「じゃあな」とだけ言い置いて、江兼は部屋を出て行った。

 俺は寝台から起き上がり、自分が着ている着物が質素なものであるのに気づいた。視線を巡らせると、寝台の横の卓に服が置かれている。それと、俺が奪ったらしい剣もある。

 身支度を整え、病室を出ると廊下には窓から夕日が差し込んでいた。

 廊下に先ほどの若い男が現れた。

「これを持って行きなさい。熱が出たら飲む薬です。一日一包で、全部五つあります」

 そう言って紙袋が手渡される。

「罪人に協力していいのですか?」

 からかい半分に訊ねると、男は笑みを見せた。

「私も昔、悪党に家族を殺されたのでね、あなたの気持ちはわかる。しかし今は妻も娘もいる。二人のことを考えれば、私にできるのはこれくらいしかない」

「それでも感謝します、先生」

「お気をつけて」

 建物を出て、どうするべきか、考えた。行くべき場所はもうなくなった。帰る場所もなくなった。銭は、わずかにしか持っていない。

 何か仕事をしなくてはいけないだろう。

 立ち尽くしているわけには行かず、俺は歩き出した。

 まずは名前を変える必要があった。火炎、と名乗ることにした。

 緑地からまず隣の緑地へと逃げ、そこで商人の用心棒の仕事を少しだけした。そこでの仕事は、守備隊に目をつけられて、続けられなかった。

 別の緑地へ行き、短く働き、また逃げる。

 そうしているうちに俺は砂漠の中を彷徨い続ける、盗賊の一員になっていた。

 襲う商人を殺さない俺を、盗賊たちは最初、臆病者、と呼んでいた。だがそのうちに、手加減している、手加減して相手を退けていると気づいたようだった。

 盗賊たちは俺のことを烈火とも呼び始めたが、俺は無視していた。

 そんなことをして、十六歳の一年はあっという間に終わり、十七歳の春、俺は例によって砂漠で遠景を眺めていた。

 どこにも行けない、根無し草。

 力はあっても、目的のない、ただの嵐。

 ある時、盗賊たちの根城に、一人の男がやってきた。

 その男の姿を見た時、俺は思わず駆け寄っていた。

「司天! 司天じゃないか! そうだろ!」

 男は俺を睨みつけ、ああ、と呟いた。

「あのガキか。名前を忘れちまった」

「今は火炎と名乗っているよ。あんた、今まで何をしていた? 懐かしいな」

 何年前だろうか、四年か、五年か、すぐには思い出せない。

 仕事の話があるんだ、と司天は俺の前を離れようとしたが、足を止め、

「後でゆっくり話そうぜ、火炎」

 と、言った。

 その日の夕暮れ時、俺と司天は砂の丘の一つで、並んで腰掛け、太陽が沈んでいく様を見ていた。

 二人共が別れてからの話をしたが、司天はどうやら所帯を持ったようだった。彼は全く歳をとっていないように見えたが、それでも月日は過ぎているのだ。

 俺が司天に不満を持っていない、怒りや憎しみを持っていないのは、俺自身が不思議だった。

 きっと司天が俺の剣術の基礎を作り、あのひたすら続くかと思われた打擲が、ある種の愛情だったのではないか、と思えるからだ。

 目の前で日が暮れて、闇が押し寄せてくる。

「久しぶりに会えて良かった、火炎」

「こっちこそ。うちでしばらく仕事をするのか?」

「稼がなくちゃいけないからな」

 立ち上がった司天は、ゆっくりと盗賊どもが野営している方へ歩いて行った。

 その日の夜、眠っていた俺はハッとして目覚めた。

 血の匂いだ。

 小さな幕を張って寝ていたから、はっきりしないが、すぐに間違いではないと思い直した。

 剣を引き寄せ、足音を消し、そっと外に出た。

 一つの背中が離れていく。

「司天……」

 声をかけると、振り返った司天が、不思議そうにこちらを見る。

「どうした? 火炎。こんな夜中に」

「司天、逃げるのか?」

 逃げる? と首を捻る司天の首筋に、小さいが赤い斑点が飛んでいる。

「誰を切った?」

 やれやれ、と司天が首を振り、懐から袋を取り出すと、地面に落とした。

 だが、奪ったものを置いていくわけではない、邪魔なものを捨てたのだ。

 俺が見ている前で、司天が剣を抜いた。

「今日は真剣での、本当の命のやり取りだぜ、王炎」

 月光の中で、司天の剣が光る。

 俺はゆっくりと呼吸した。



(続く)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ