12-5 再会
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目を覚ますと、俺はどこかの見知らぬ部屋で、寝台に寝ていた。病院だろう、とすぐにあたりがついた。薬のような匂い、薬草を煎じているような匂いがしたからだ
起き上がろうとしたが、全身が痛む。
それでも無理やり起き上がると、寝台が軋み、そのせいだろう、隣の部屋から若い男が入ってきた。
「そのまま横になっていなさい。今、お知り合いを呼んできますから」
そんなことを言って、男は部屋を出て行った。仕方なく寝台に戻る。その段階で、俺が全身に傷を負っていることが理解できた。
少しの間の後、部屋に入ってきたのは同じ商隊で西方へ行った護衛の一人で、名前は、江兼という男だ。
江兼が俺のすぐ横に椅子を持ってきて、座った。
「ここは俺の知り合いの医者のところだ。何をしたか覚えているか?」
「おおよそな」
そう答えた俺の声はガラガラで、少しだけ喉から血の味がした。
おおよそか、と江兼が顔をしかめる。
「はっきりさせておくが、お前は一人で悪党どもの根城だった役人の別邸に乗り込んで、全員を殺して回った。悪党はもちろんだが、役人が雇っていた下男下女もだ。一人も生き残っちゃいない」
「そうか」
「騒ぎを聞きつけて、緑地の守備隊の十人隊が出動したが、お前は全身に手傷を負いながら、二人を斬り殺し、三人を負傷させて逃げた。今もそこらじゅうで守備隊がお前を追っている」
それは全く記憶になかった。しかしできないことでもないだろう。無意識にやった、というのはやや怖いものがあるが。
江兼が困ったように笑った。
「仲間での話し合いが終わった時、田虞という仲間が、俺にお前の話をした。会合を抜け出した、というんだ。俺は流石に慌てて、全員を引き止めたよ。お前の援護で、賊を皆殺しにする、って意見が強くてな。しかしそれをどうにか押し留めて、半数を例の緑地に向けて進ませて、残り半分はお前を探させた。運良く、役人や守備隊より先にお前を見つけた、ってわけだ」
「迷惑をかけたな」
「迷惑なんてもんじゃない。お前は第一級のお尋ね者になっているんだぞ。匿っているのも、逃すのも大罪だ」
「でもこうして匿っている。そして逃してもくれるんだろう?」
はぁー、っと江兼がため息を吐いた。
「俺がお前を売るとは思わないのか?」
「仲間だからな」
「それも今日までだ」
乱暴な仕草で、江兼が立ち上がった。
「俺たちはお前を役人に売るしかない。お前の罪を俺たちが被るのは美談ではあるが、俺たちだって生きているし、未来がある。今日、日が暮れるのと同時に、守備隊に通報する。ここにお前がいる、とな。それまでに消えろ」
妥当な線だろう。
「助かったよ」
江兼は怒りに任せて何かを言おうとしたようだったが、堪えて口をつぐんだ。その程度には分別のある、冷静な男だった。
「俺たち全員が被るはずの罪を」絞り出すように、江兼が言った。「全部、お前に背負わせて、すまないと思っている」
「俺が決めたことだよ」
そう答える俺に、わずかに潤んだ瞳を向けてから、「じゃあな」とだけ言い置いて、江兼は部屋を出て行った。
俺は寝台から起き上がり、自分が着ている着物が質素なものであるのに気づいた。視線を巡らせると、寝台の横の卓に服が置かれている。それと、俺が奪ったらしい剣もある。
身支度を整え、病室を出ると廊下には窓から夕日が差し込んでいた。
廊下に先ほどの若い男が現れた。
「これを持って行きなさい。熱が出たら飲む薬です。一日一包で、全部五つあります」
そう言って紙袋が手渡される。
「罪人に協力していいのですか?」
からかい半分に訊ねると、男は笑みを見せた。
「私も昔、悪党に家族を殺されたのでね、あなたの気持ちはわかる。しかし今は妻も娘もいる。二人のことを考えれば、私にできるのはこれくらいしかない」
「それでも感謝します、先生」
「お気をつけて」
建物を出て、どうするべきか、考えた。行くべき場所はもうなくなった。帰る場所もなくなった。銭は、わずかにしか持っていない。
何か仕事をしなくてはいけないだろう。
立ち尽くしているわけには行かず、俺は歩き出した。
まずは名前を変える必要があった。火炎、と名乗ることにした。
緑地からまず隣の緑地へと逃げ、そこで商人の用心棒の仕事を少しだけした。そこでの仕事は、守備隊に目をつけられて、続けられなかった。
別の緑地へ行き、短く働き、また逃げる。
そうしているうちに俺は砂漠の中を彷徨い続ける、盗賊の一員になっていた。
襲う商人を殺さない俺を、盗賊たちは最初、臆病者、と呼んでいた。だがそのうちに、手加減している、手加減して相手を退けていると気づいたようだった。
盗賊たちは俺のことを烈火とも呼び始めたが、俺は無視していた。
そんなことをして、十六歳の一年はあっという間に終わり、十七歳の春、俺は例によって砂漠で遠景を眺めていた。
どこにも行けない、根無し草。
力はあっても、目的のない、ただの嵐。
ある時、盗賊たちの根城に、一人の男がやってきた。
その男の姿を見た時、俺は思わず駆け寄っていた。
「司天! 司天じゃないか! そうだろ!」
男は俺を睨みつけ、ああ、と呟いた。
「あのガキか。名前を忘れちまった」
「今は火炎と名乗っているよ。あんた、今まで何をしていた? 懐かしいな」
何年前だろうか、四年か、五年か、すぐには思い出せない。
仕事の話があるんだ、と司天は俺の前を離れようとしたが、足を止め、
「後でゆっくり話そうぜ、火炎」
と、言った。
その日の夕暮れ時、俺と司天は砂の丘の一つで、並んで腰掛け、太陽が沈んでいく様を見ていた。
二人共が別れてからの話をしたが、司天はどうやら所帯を持ったようだった。彼は全く歳をとっていないように見えたが、それでも月日は過ぎているのだ。
俺が司天に不満を持っていない、怒りや憎しみを持っていないのは、俺自身が不思議だった。
きっと司天が俺の剣術の基礎を作り、あのひたすら続くかと思われた打擲が、ある種の愛情だったのではないか、と思えるからだ。
目の前で日が暮れて、闇が押し寄せてくる。
「久しぶりに会えて良かった、火炎」
「こっちこそ。うちでしばらく仕事をするのか?」
「稼がなくちゃいけないからな」
立ち上がった司天は、ゆっくりと盗賊どもが野営している方へ歩いて行った。
その日の夜、眠っていた俺はハッとして目覚めた。
血の匂いだ。
小さな幕を張って寝ていたから、はっきりしないが、すぐに間違いではないと思い直した。
剣を引き寄せ、足音を消し、そっと外に出た。
一つの背中が離れていく。
「司天……」
声をかけると、振り返った司天が、不思議そうにこちらを見る。
「どうした? 火炎。こんな夜中に」
「司天、逃げるのか?」
逃げる? と首を捻る司天の首筋に、小さいが赤い斑点が飛んでいる。
「誰を切った?」
やれやれ、と司天が首を振り、懐から袋を取り出すと、地面に落とした。
だが、奪ったものを置いていくわけではない、邪魔なものを捨てたのだ。
俺が見ている前で、司天が剣を抜いた。
「今日は真剣での、本当の命のやり取りだぜ、王炎」
月光の中で、司天の剣が光る。
俺はゆっくりと呼吸した。
(続く)