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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第十二部 残酷な季節
79/118

12-1 砂漠

     ◆


 真夏の夕方、立ち寄った村で俺と馬荘は休んでいた。

 布団など必要な季節でもないので、適当な木を選んでその間に網を張って、その上に寝るのだ。海賊はこれを船の中でやったりもする。寝台に場所を取られずに済む手法だ。

「俺は南部の出ですが、火炎殿はどちらですか?」

 暑い一日で、今も熱は残っている。既に夕食を済ませ、寝るくらいしかやることがないが、すぐに眠れそうもなかった。

 だから馬荘もそんな質問を向けてきたのだろう。

「俺か? 俺は西部の一番果て、果ての果てみたいなところだ」

「西部ですか? 山があると聞いていますが」

「山よりも向こうだよ。砂漠ってわかるか?」

 砂漠というのは言葉では知ってますよ、と馬荘が答える。

「でも見たことはありません。どんな光景なんですか?」

「果てしなく砂浜が続いているような感じだ。岩も散見されるな。砂の海みたいに波打っているが、水の海とは違うのは、波はもっと大きく緩やかだ」

 見てみたいなぁ、と馬荘が呟く。

「そんな砂浜ばかりじゃ、水も貯まらないのでは?」

「砂漠のそこここにどういうわけか、緑地がある。そこには水があるんだ。砂漠を行く商人たちは、ああいう場所をいくつも知っていて、そこに寄り道して、先へ進む」

 そんな話をしていると、昔のことを思い出してきた。

 懐かしい、あの砂が焼ける匂い。

 人々の汗の気配と、疲労を感じさせる息遣い。

 俺が置き去りにしてしまった、世界。


     ◆


 はるか西の果てで俺は生まれたが、その時は王炎と呼ばれていた。

 商隊の一員だった父と母は、砂漠を大量の荷車とともに移動し続けていた。俺は歩いたり、荷車に乗ったりして、育った。

 幼い頃から、商隊の護衛の男たちが俺を鍛えてくれたが、あれは暇つぶしのようなものだ。

 俺には短い棒が手渡され、大人たちも棒を手にしている。しかし俺には棒は重すぎ、彼らには棒は軽すぎた。

 その日の移動が終わる頃合いに、護衛たちは俺を散々に打ちのめし、笑っている。俺はただがむしゃらにぶつかっていったけど、跳ね返されるしかない。

 稽古が終わると、母はいつも心配し、父に、こんなことはやめさせるように言ってくれ、と主張した。しかし父はいつも言ったものだ。

「男はこのくらいのことがないと強くなれん」

 しかし、と母が口を挟もうとすると、父は俺に言う。

「炎、やめたいか? 嫌か?」

「嫌じゃない、続ける」

 俺の言葉はそれほど強くはなかったが、覇気はあっただろう。母は顔を俯け、気をつけるんだよ、と言って、俺の体のあざに塗り薬を擦り込んだ。

 そんな生活が十二歳まで続いた。棒を使っての稽古は休まずにやり続け、男たちは「あまり真剣になるなよ」などと言っていた。

 そんな平穏とも言える生活が終わったのは、商隊が盗賊に襲われたからだ。

 真夜中だった。季節は真夏で、昼間はとても移動できない。酷暑の中で動くより、少し寒いくらいの方が都合がいい。

 ただ、闇だけはどうしようもなかった。

 丘の陰から何かが近づいてきた、という時には、盗賊の先頭は商隊に突っ込んでいて、悲鳴が上がった。護衛たちが声を掛け合い、それが響いた時には、ほとんど乱戦だった。

 商隊の連中が揃って逃げ出した。近くの緑地まで行けば、生き延びる余地はある。

 その襲撃の時、俺は荷車の一つで夜空を見上げていて、喧騒が周囲に満ちても、まだ落ち着いていた。護衛たちを信じていたし、盗賊の襲撃を撃退するのも、一度ならず見ていたからでもある。

「炎、隠れなさい! 早く!」

 荷車を押す役割をしていた父が叫んだ。その声の真剣さに、さすがに慌てて俺は荷車の下に隠れた。

 それから俺は悲鳴の渦の真ん中で、ひたすら息を潜めていた。

 盗賊たちが何かを叫び合い、物が動く音が連続し、俺の潜んでいる荷車のすぐそばに人が立ち、荷車自体がガタガタ揺れた。そうして最後には静寂がやってきた。

 俺はこっそりと荷車の下から這い出したが、そこに一人の男が立っていた。

 夜の闇の中でも輪郭ははっきりと見え、口元に赤い点がある。葉巻を吸っているのだ。

 なぜか吐き出された煙がはっきりと見え、その男は呆然とする俺に視線を向けた。

「ガキまでは殺さんよ」

 そう言われてやっと男の腰に剣があるのに気づいた。

 そして周囲を見て、唖然とした。

 人が無数に倒れている。十人や二十人ではない。

 盗賊は、商隊を殺戮してしまったようだった。

 何も悪いことなんてしていない。ただ荷物を運んで売り買いしていただけだ。

 なのに、殺された。徹底的に、容赦無く。

 目の前の男の他に人はいないが、そんなことは構わなかった。

 すぐそばに倒れている死体を見て、俺に剣術を教えてくれた護衛の一人だと意識し、しかし悲しいとか憤るとか、それ以前に、彼の手元の剣に手が伸びた。

 駆け出しつつすくい上げ、葉巻を吸っている男の襲い掛かった。

 対応は至って簡単だ。

 俺の手の剣が触れる前に、手首を蹴りつけられ、自分が振った勢いも相まって、手から剣がすっ飛んだ。

「死にたいのか? ガキ」

 言いながら、男はゆっくりと腰の剣を抜いた。

 それがこちらに向けられ、切っ先が月光を反射した。

 両親は生きているだろうか。死んでいるだろうか。

 どちらでもいい。

 目の前の男は、仲間を奪った。だったら、報いを受けさせるべきだ。

 剣が届かないのなら、爪で。爪が無理なら、噛みちぎってでも、倒す。

 相討ちでも。

 切っ先はピタリと俺の目の前で止まり、しかし俺は男の顔を睨み続けた。

 男の青い瞳には、感情がない。

 殺す。それしか考えなかった。殺してやる。

 不意に男が気配を緩め、剣を引いた。

 俺は容赦なく、飛びかかった。

 組みつこうとしたところを、また蹴られる。それでももう一度、組みついた。蹴り飛ばされる。

「落ち着け。命を無駄にするな」

 男がそんなことを言う。そんなことを言う資格はない。お前が、仲間を殺したんだぞ!

 全身をたわめて、全力で襲いかかろうとした。

「ただ隠れていただけの奴が、一丁前なことをするんじゃない」

 その一言で、体から、力が抜けていた。

 そうだった。俺は、隠れていた。仲間が襲われても、隠れ続けていた。

 戦わなかったのだ。

 仲間と一緒に、戦うこともできたはずなのに。

 脱力した俺に、男は小さく笑い、「こんなところにいても仕方がない」と言った。顔を上げると、男はそっぽを向いていた。

「剣術は好きか?」

 どう答えることもできなかった。男がさっき蹴り飛ばしたばかりの剣を拾い上げると、俺の横を抜け、死体から鞘を引っ張り出した。鞘に剣を収め、それが俺の前に放り出された。

「持っていろ」

 俺は急に痛み出した手で、その剣を掴んだ。

 さっきは全く感じなかった重さに驚いていると、男が俺の腕を掴んで、引きずり始める。

「こんな砂漠の真ん中にいても、無駄死にだ。ついてこい。そして自分で歩け。手が疲れる」

 何度か足を空転させつつ、どうにか砂を踏むと、俺は男の後を追うように歩き出した。

「名前は?」

 男がぶっきらぼうに訊ねてくる。

「王炎」

「死ぬなよ、王炎。生きているということが、最も高い評価なんだ。死体など、ゴミだ」

 どう答えることもできずに歩き続けた。

 日が上がった時、遠くに緑が見えた。もう男は無言のままで、ひたすら歩いている。彼も俺も汗をかいていた

 緑地に着いたのは真昼間で、通りには人の姿はない。暑すぎるのだ。

「あとは自由に生きろ、王炎」

 男はひらひらと手を振って、どこかへ去ろうとした。

 俺は思わずそれを追って、手を掴んだ。すぐに振り払われたが、もう一度、掴んだ。

 男はため息を吐いて、こちらを見下ろした。

 そうして俺の生活は一つ、変化を迎えた。



(続く)


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