12-1 砂漠
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真夏の夕方、立ち寄った村で俺と馬荘は休んでいた。
布団など必要な季節でもないので、適当な木を選んでその間に網を張って、その上に寝るのだ。海賊はこれを船の中でやったりもする。寝台に場所を取られずに済む手法だ。
「俺は南部の出ですが、火炎殿はどちらですか?」
暑い一日で、今も熱は残っている。既に夕食を済ませ、寝るくらいしかやることがないが、すぐに眠れそうもなかった。
だから馬荘もそんな質問を向けてきたのだろう。
「俺か? 俺は西部の一番果て、果ての果てみたいなところだ」
「西部ですか? 山があると聞いていますが」
「山よりも向こうだよ。砂漠ってわかるか?」
砂漠というのは言葉では知ってますよ、と馬荘が答える。
「でも見たことはありません。どんな光景なんですか?」
「果てしなく砂浜が続いているような感じだ。岩も散見されるな。砂の海みたいに波打っているが、水の海とは違うのは、波はもっと大きく緩やかだ」
見てみたいなぁ、と馬荘が呟く。
「そんな砂浜ばかりじゃ、水も貯まらないのでは?」
「砂漠のそこここにどういうわけか、緑地がある。そこには水があるんだ。砂漠を行く商人たちは、ああいう場所をいくつも知っていて、そこに寄り道して、先へ進む」
そんな話をしていると、昔のことを思い出してきた。
懐かしい、あの砂が焼ける匂い。
人々の汗の気配と、疲労を感じさせる息遣い。
俺が置き去りにしてしまった、世界。
◆
はるか西の果てで俺は生まれたが、その時は王炎と呼ばれていた。
商隊の一員だった父と母は、砂漠を大量の荷車とともに移動し続けていた。俺は歩いたり、荷車に乗ったりして、育った。
幼い頃から、商隊の護衛の男たちが俺を鍛えてくれたが、あれは暇つぶしのようなものだ。
俺には短い棒が手渡され、大人たちも棒を手にしている。しかし俺には棒は重すぎ、彼らには棒は軽すぎた。
その日の移動が終わる頃合いに、護衛たちは俺を散々に打ちのめし、笑っている。俺はただがむしゃらにぶつかっていったけど、跳ね返されるしかない。
稽古が終わると、母はいつも心配し、父に、こんなことはやめさせるように言ってくれ、と主張した。しかし父はいつも言ったものだ。
「男はこのくらいのことがないと強くなれん」
しかし、と母が口を挟もうとすると、父は俺に言う。
「炎、やめたいか? 嫌か?」
「嫌じゃない、続ける」
俺の言葉はそれほど強くはなかったが、覇気はあっただろう。母は顔を俯け、気をつけるんだよ、と言って、俺の体のあざに塗り薬を擦り込んだ。
そんな生活が十二歳まで続いた。棒を使っての稽古は休まずにやり続け、男たちは「あまり真剣になるなよ」などと言っていた。
そんな平穏とも言える生活が終わったのは、商隊が盗賊に襲われたからだ。
真夜中だった。季節は真夏で、昼間はとても移動できない。酷暑の中で動くより、少し寒いくらいの方が都合がいい。
ただ、闇だけはどうしようもなかった。
丘の陰から何かが近づいてきた、という時には、盗賊の先頭は商隊に突っ込んでいて、悲鳴が上がった。護衛たちが声を掛け合い、それが響いた時には、ほとんど乱戦だった。
商隊の連中が揃って逃げ出した。近くの緑地まで行けば、生き延びる余地はある。
その襲撃の時、俺は荷車の一つで夜空を見上げていて、喧騒が周囲に満ちても、まだ落ち着いていた。護衛たちを信じていたし、盗賊の襲撃を撃退するのも、一度ならず見ていたからでもある。
「炎、隠れなさい! 早く!」
荷車を押す役割をしていた父が叫んだ。その声の真剣さに、さすがに慌てて俺は荷車の下に隠れた。
それから俺は悲鳴の渦の真ん中で、ひたすら息を潜めていた。
盗賊たちが何かを叫び合い、物が動く音が連続し、俺の潜んでいる荷車のすぐそばに人が立ち、荷車自体がガタガタ揺れた。そうして最後には静寂がやってきた。
俺はこっそりと荷車の下から這い出したが、そこに一人の男が立っていた。
夜の闇の中でも輪郭ははっきりと見え、口元に赤い点がある。葉巻を吸っているのだ。
なぜか吐き出された煙がはっきりと見え、その男は呆然とする俺に視線を向けた。
「ガキまでは殺さんよ」
そう言われてやっと男の腰に剣があるのに気づいた。
そして周囲を見て、唖然とした。
人が無数に倒れている。十人や二十人ではない。
盗賊は、商隊を殺戮してしまったようだった。
何も悪いことなんてしていない。ただ荷物を運んで売り買いしていただけだ。
なのに、殺された。徹底的に、容赦無く。
目の前の男の他に人はいないが、そんなことは構わなかった。
すぐそばに倒れている死体を見て、俺に剣術を教えてくれた護衛の一人だと意識し、しかし悲しいとか憤るとか、それ以前に、彼の手元の剣に手が伸びた。
駆け出しつつすくい上げ、葉巻を吸っている男の襲い掛かった。
対応は至って簡単だ。
俺の手の剣が触れる前に、手首を蹴りつけられ、自分が振った勢いも相まって、手から剣がすっ飛んだ。
「死にたいのか? ガキ」
言いながら、男はゆっくりと腰の剣を抜いた。
それがこちらに向けられ、切っ先が月光を反射した。
両親は生きているだろうか。死んでいるだろうか。
どちらでもいい。
目の前の男は、仲間を奪った。だったら、報いを受けさせるべきだ。
剣が届かないのなら、爪で。爪が無理なら、噛みちぎってでも、倒す。
相討ちでも。
切っ先はピタリと俺の目の前で止まり、しかし俺は男の顔を睨み続けた。
男の青い瞳には、感情がない。
殺す。それしか考えなかった。殺してやる。
不意に男が気配を緩め、剣を引いた。
俺は容赦なく、飛びかかった。
組みつこうとしたところを、また蹴られる。それでももう一度、組みついた。蹴り飛ばされる。
「落ち着け。命を無駄にするな」
男がそんなことを言う。そんなことを言う資格はない。お前が、仲間を殺したんだぞ!
全身をたわめて、全力で襲いかかろうとした。
「ただ隠れていただけの奴が、一丁前なことをするんじゃない」
その一言で、体から、力が抜けていた。
そうだった。俺は、隠れていた。仲間が襲われても、隠れ続けていた。
戦わなかったのだ。
仲間と一緒に、戦うこともできたはずなのに。
脱力した俺に、男は小さく笑い、「こんなところにいても仕方がない」と言った。顔を上げると、男はそっぽを向いていた。
「剣術は好きか?」
どう答えることもできなかった。男がさっき蹴り飛ばしたばかりの剣を拾い上げると、俺の横を抜け、死体から鞘を引っ張り出した。鞘に剣を収め、それが俺の前に放り出された。
「持っていろ」
俺は急に痛み出した手で、その剣を掴んだ。
さっきは全く感じなかった重さに驚いていると、男が俺の腕を掴んで、引きずり始める。
「こんな砂漠の真ん中にいても、無駄死にだ。ついてこい。そして自分で歩け。手が疲れる」
何度か足を空転させつつ、どうにか砂を踏むと、俺は男の後を追うように歩き出した。
「名前は?」
男がぶっきらぼうに訊ねてくる。
「王炎」
「死ぬなよ、王炎。生きているということが、最も高い評価なんだ。死体など、ゴミだ」
どう答えることもできずに歩き続けた。
日が上がった時、遠くに緑が見えた。もう男は無言のままで、ひたすら歩いている。彼も俺も汗をかいていた
緑地に着いたのは真昼間で、通りには人の姿はない。暑すぎるのだ。
「あとは自由に生きろ、王炎」
男はひらひらと手を振って、どこかへ去ろうとした。
俺は思わずそれを追って、手を掴んだ。すぐに振り払われたが、もう一度、掴んだ。
男はため息を吐いて、こちらを見下ろした。
そうして俺の生活は一つ、変化を迎えた。
(続く)