表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第十部 二人の悪党の日々
71/118

10-7 見出した希望

     ◆


 定輪は伏陸が死んだ、と思った。

 思ったが、まるで時間が止まった。

 伏陸の胸の前で矢が停止している。俺は夢でも見ているのか? それとも本当に時間が止まったのか? 定輪はじっと矢を見て、矢を射た男が悲鳴をあげたことで、時間は止まっていないし、これは夢でもない、願望でもない、と気付いた。

 伏陸の前に、滲み出すように襤褸の幻が現れ、彼女の手は矢を掴み止めている。

 二人の男が剣を構え、幻と対峙するが、襤褸は無造作に矢を投げ返す。

 まるで強弓に惹かれたように、矢が飛んだかと思うと、ほとんど胸を貫通するほど深々と、男の一人に矢が突き立った。よろめき、倒れこむ。

(さあ、まだ帰らないかい?)

 生き残った男は、ついに悲鳴を上げて逃げ出した。

 定輪がしゃがみ込み、伏陸は息を吐いた。

「助かりました、隠者様」伏陸は今になって流れてきた汗を拭う。「死んだかと思った」

(お前は度胸があるね、伏陸。それに比べてあの男は)

 二人の視線の先で、ゼエゼエと定輪が息をしている。彼が一番仕事をしなかったな、という意思を、伏陸と襤褸は顔を向けて確認した。

 死体をそのままにしておいても、野の獣の餌になるだろうが、それでは人としての尊厳がない、などと襤褸が言い出したので、立ち直った定輪と伏陸が死体を背負って、山から湖へ向かった。

 二人ともがぐったりと疲れている。

(死体は畑で肥やしにするとしよう)

「なんですって? 隠者様」

(冗談だ。埋めてやれ)

 もう少し明るい話をしやがれ、と定輪が小声で毒づく。

 やがて小屋が見えてきて、視界が開けた。

 どこに死体を埋めるか、短い議論の後、獣に掘り返されない場所を選んで、二人で協力して穴を掘った。すでに日が暮れていて、薄暗い。

 どうにか穴を掘り、死体を放り込んで、雑に埋めた。最後に伏陸がどこかから持ってきた石をその上に置き、定輪は野に咲いていた花を一輪ずつ、供えた。

 ぐったりと疲れたまま、定輪と伏陸は小屋に戻ったが、食事にするような気分でもない。

(自分で招いたことだと、わかっているかね、定輪)

 珍しく家の中に襤褸の幻が現れた。定輪が、伏陸の用意したお茶を飲みつつ、恨めしげに視線を向ける。

「わかってますよ。軽率でした。反省しています」

(そう思うなら、武術の訓練でもするべきだな、若造よ。技もなければ、度胸もない、知恵もないのだから。伏陸のことを見習うがいい)

「隠者様、それくらいでいいじゃないですか」

 襤褸はまだ何か言いたげだったが、口を閉じた。しばらくの沈黙の後、立ち上がった。

(今日はご苦労だった。ゆっくり休め)

 やっと幻が消えて、定輪と伏陸だけが部屋に残った。

「お前、なんであんなことができたんだ?」

 定輪が呟くと、うーん、などと伏陸は首を捻った。

「必死だったから、覚えてないよ」

「人を殺したんだぞ?」

「彼らも殺すつもりだった。試合じゃないよ、実戦なんだから」

 しかしなぁ、とまだ定輪は納得できないようだったが、その夜は何も言わなかった。

 翌朝、二人は死体を埋めたところに水を供えて、形だけだが拝んだ。

(ちょっとした提案だが)

 拝んでいる二人の背後に、襤褸が立った。

(お前たち、理力を学んでみるつもりはないかな)

「俺たちがですか?」

 振り返る伏陸と、前を向いたままの定輪。襤褸はじっと二人を見た。

(特に伏陸、お前には素質がありそうだ。やや年を取りすぎているが、ある程度の形にはなろうよ。やる気はあるかな?)

「俺は……」

「俺にも教えてくれ!」

 急に立ち上がり、定輪が襤褸に詰め寄った。

「俺も少しは、度胸をつけたい。ダメか? 婆さん」

(お前の度胸のなさは治らんよ)

「それでも努力したいんだよ」

 その気迫に負けたのか、よかろう、と襤褸が小さく言った。

(で、伏陸は?)

 正直に言えば、毎日、釣りをして、畑の世話をする方が自分には合っている、そう伏陸は考えていた。

 だが、定輪を放っておくことはできない。付き合うべきだろう、と伏陸は考えていたが、そんな様子を見抜いたのか、襤褸が穏やかに言った。

(無理をする必要はない。定輪は定輪、伏陸は伏陸だ)

 少し迷ってから、「習います」と伏陸は答えた。

 こうして二人の生活にはもう一つの要素が加わった。春も終わろうとしている空気の中で、釣りをして、畑をいじり、山に分け入り、そして広場では二人が棒を打ち合っている。

 幻がいくつも二人を取り囲み、思念でああだこうだと意見を口にする。

 定輪はすぐに癇癪を起こすが、伏陸はじっと話を聞き、考える素振りを見せる。

 襤褸はそれを遠くから眺めていた。

 定輪は、もう自分が守られることがないように、その一心で稽古を続けた。

 伏陸は、ただ新しいことへの興味と、定輪を助けるつもりで稽古をする。

 これもまた、一つの形だろうを思いながら、襤褸はただひっそりと、黙って二人を観察していた。


     ◆


 襤褸が理力の巨大なうねりの中に飛び込むと、無数の声が反響し、過去から未来へと続く理力使いの思念が、集まっては離れ、溶け合っては二つに、三つに、四つに、無数に分かれる。

(やはり弟子を取ったのだな、襤褸)

 慶名が襤褸に近づいてきて、二人の情報が交換される。慶名もまた、思念としてどこかの理力使いを助けていることが、襤褸に理解できた。

(見込みはないさね、あの二人は。私の暇つぶしさ)

(心にもないことを言うな、襤褸。お前は弟子を雑に扱うことはない)

 私の何を知っている? と襤褸は思いつつ、しかし思わず笑っていた。

(何がおかしい?)

(暇つぶしというのは、確かに心にもない、冗談だった。私の本心は、寂しい、ということなんだろうな)

(寂しいだと?)

(自身を理力とすれば、ここで大勢の仲間と会える。だが私もやはり、初めは普通の人間だった。自らの目でものを見て、自らの耳でものを聞き、自らの手でものに触れた。それはこの理力の場には、ないものだ。私は、現実というもの、本来いるべき場所に、未練があるのだろうよ)

 慶名の思念が漂い、しかし短く、くだらん、と吐き捨てた。それに対して、襤褸は笑って見せた。

(くだらないかもしれないな。しかし、私はあの二人に希望を見出したのだよ)

(未練など、捨ててしまえ)

(あの世界こそが、私の故郷だよ。また会おう、慶名)

 慶名から離れ、襤褸は龍青に近づいた。

 いつもよりどことなく弱い光がそこにある。呼び掛けることを、襤褸はしなかった。

 助けることができるかもしれない。

 だが、助けがないことも、ある意味では助けだろう。

 龍青には、教えられる限りのことを教えた。

 しばらく龍青を見守り、襤褸は自らが本当の場所と決めた世界へ、戻って行った。

 意識が現実を理解し、思念になって湖面に向かう。

 船が浮かんでいて、定輪と伏陸が釣り糸を垂れている。

 その様を眺めながら、襤褸はそっと声をかけた。

(釣れているかね、二人とも)

 驚きもせず、二人の男が襤褸を見て、それぞれに一方は顔をしかめ、一方は顔に笑みを見せた。

 吹き渡る風に、夏の気配がかすかに漂い始めていた。




(第十部 了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ