1-7 追っ手
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服を汚してしまったので、新しい服を手に入れる必要があった。
番頭さんは襲撃の翌日には意識を回復したし、娘さんもすぐに意識を取り戻した。首筋が痛むらしいけど、もちろん、傷はない。
宿の従業員たちが、何人かは泣きながら、二人の無事を喜び、僕に礼を言った。
でも僕は間接的に騒動を招いたわけで、逆に申し訳なかった。火炎を連れてこなければ、起こらなかったはずのことなのだから。
借りた服が大きすぎるので、新しく服を買いに行こうとすると、番頭さんがお金を渡してくれた。この程度では足りないが謝礼だ、という。
受け取らないと引っ込みがつかない様子だったので、受け取り、それでも店で一番安い服を買った。
宿に戻り、借りていた服を返した。
「いつかまた、お礼をさせていただきます」
番頭さんが深く頭を下げる横で、娘さんも頭を下げた。
その日は宿の部屋でゆっくりと過ごし、翌朝、僕は部屋を片付け、荷物をまとめて宿を出た。宿泊料を払わなくていい、と言われたけど、「これで体に良いものを食べてください」と無理やりにいくばくかの銭を残した。
通りを歩いて行く時、ふと気になって、火炎が手下を使って腕試しさせていた場所に行ってみた。
誰もいない。人だかりもできていない。
しばらくそこに立っていたけど、火炎と会うことはなかった。
街を出る前に、昼食を買いに小さな食堂に入り、饅頭を三つ、手に入れた。手にぶら下げて、街を出た。
が、すぐに背後から誰かが付いてくるのに気づいた。
火炎ではないだろう。彼がそんなことをする理由がない。古龍峡の場所も教えたし、彼は覚えたといった。何より、こそこそするわけがない。
このまま誰かを引っ張って山に戻るのも良策ではない。
不審がられないように、街道を進み、脇道へ逸れて行く。これは今まで通りだ。
村のひとつに入り、僕は宿屋に部屋を借りた。相羽の街の宿屋の半分ほどしかない小さな建物だ。
しばらく部屋にいてから、こっそりと裏口から外へ出た。荷物は持っていないけど、剣は腰に下げておいた。
裏道からぐるっと遠回りをして、宿屋が見張れる位置を確認すると、一人の男がじっと宿屋の方を見ている。葉巻を吸っている、という様子だが、不自然だ。
全くの素人なのかな。
そっと歩み寄り、気付かれずに背後についた。肩を叩いてやる。
振り向いた男の口を押さえて塞ぎ、当身で失神させた。まさか路上にいるわけにもいかないので、抱えるようにして路地に運び、横たえておく。
さて、ここで活を入れてもいいわけだけど、僕もあまり考えての行動ではない。
そもそも誰が僕の後をつけて得をするんだろう?
この男の目的はなんだ?
しかし聞き出さないことには、わからないか。
男をうつ伏せにして、背中に膝を当てて、グッと活を入れてみた。なかなかやったことのない技なので、失敗したら目も当てられないが、男が急に咳き込んだので、成功らしい。
呼吸困難で喘いていた男が、どうにか呼吸を整えるまで待っていた。
ちょっとした恫喝の意も込めて、剣の柄に手を置いて、たまに少し抜いたり戻したりしていたけど、なんとも不毛だ。
男が真っ青な顔で、あとずさるのを、荒々しい火炎を意識した動作で、蹴りつけておく。
「何か僕に用事ですか?」
乱暴な口調は慣れないので、いつも通りに喋ったけど、逆に恐怖を煽ったらしく、男はもう失神寸前に見えた。まぁ、また活を入れるまでだけど。
「あ、あ、あんた……」
じゃきっと剣を抜き、ばちんと鞘に戻す。それで男はいよいよしゃべる気になった。
「ら、雷士の仲間だろうっ? た、タダじゃおかないぞ!」
「雷士? 火炎のことか? あの巨大な剣を持った?」
「そうだ! あいつは賞金首だ! 雁県で大罪を犯して逃亡中なんだぞ! 他にもいくつかの組織が追っている! 俺たちもだ!」
雁県という地名は、知っている。隣の県だ。
しかし、大罪? 火炎が? 確かに血の気の多い様には見えたけど、一方で稚気に富んだ男でもある。大罪というのはなかなか、火炎の様子とは一致しない言葉だった。
「それで、どうして僕を追いかけるのですか?」
「雷士のいく先に先回りするためよ。俺をこんなことにして、すぐに後続がやってくるぞ。覚悟しろ!」
「ああ、そう」
他にどう答えようがあっただろう。僕は無関係なんだ。
「僕としてはあまり後をついてこられたりされると、困る。そのお願いは、聞いてもらえるのかな」
「バカ言うなよ」
そう男が口走った直後、剣を鞘走らせてやる。
切っ先が男の鼻先を掠め、大げさに悲鳴を上げて倒れ込む。じたばたしているけど、切っ先の先の先すら触れていない。
「僕は本気で言っているんです。後をついてこられるのは困る」
男が逃げようとするので、先回りして通せんぼした。なにせ男は這って逃げようとするので、遅い。
男の眼前に剣を突きつける。
「聞こえてますか? 後をつけられると、困る。困るんです」
いよいよ男は土気色の顔で後ずさる。
仕方なく、剣を持ち上げてみたが、男は今度こそ切られると思ったのか、ついにもう一度、気を失った。
もう構っていても仕方ないので、僕は路地に男を置き去りにして、宿へ駆け戻った。
荷物をまとめて、一泊もしていないのに、銭を払って宿を出た。
村を出て、細い街道を進むが、それは古龍峡へ向かう道ではない。付近の地図は頭に入っているので、遠回りして帰るしかない。追っ手を撒くにはそれ以外にない。
夜になった。明かりがない。そもそも、枝道のようなところで家もない。
夜明けまで歩き続けて、また徹夜か、とちょっとウキウキしている自分に気づく。
昼間、名前しか知らない村にたどり着き、そこで服装を変えた。剣もそうとわからないように荷物に入れた。支度が済んだら深夜まで休み、夜中に宿を発つ。
翌日の昼間に、また小さな村に出る。誰も僕を知っている人もいないし、僕が知っている人もいない。
追っ手はもういないようだった。さすがに追えなかったか。
服装も荷物も変えないまま、脇道から山へ上がっていく。ここからは前と同じだ。人がたどった痕跡が可能な限り残さないように、進んでいく。
方角を見失えば、山の中で迷う。人の出入りがまったくないので、もし迷えば、それきりだ。
川に出て、水を飲んだ。冷えていて、美味い。その川を越えて先へ。
傾斜が急になり、峰を越え、谷間を抜け、また斜面を上がる。
日が暮れて、野宿とも言えない、ただ木の幹の根元に屈み込んで眠る時間を取る。目が醒めると、少しだけ体が楽になっているが、凝っているところもある。ほぐして、方位を確認し、歩みを再開する。
そうしてもう一晩を山の中で過ごし、ついに見覚えのある場所にたどり着いた。
あとは知っている道筋だ。
どうにかこうにか、古龍峡に辿り着いたことに安堵している僕は、前方から歩いてくる人影に気づいた。
(第一部 了)