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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第十部 二人の悪党の日々
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10-4 選択

     ◆



 結局、伏陸の報告と襤褸の謝罪により、定輪はそれほど怒りも見せず、「では山に行くか」とあっさりと言い出した。

 翌日の朝、食料を用意して揃って小屋を出た。襤褸の幻も進んでいる。

 林をひたすら掻き分けて進み、そのうちに木がまばらになる。さらに進めば岩場に出て、頭上に崖がそびえている。

(こんなところ、滅多にこなかったねぇ)

 なぜか感慨深く襤褸が呟いている。

「で、塩の在りかはわかるんだよな、婆さん」

 堂々と定輪がそう言っても襤褸は理力をぶつけたりしない。どうやら反省しているらしい、と伏陸はその様を見ていた。

(わからんよ、残念だが。ひたすら探るしかあるまい)

「幻なんだから、さっさと上に上がって、探しておくれよ」

(老婆をこき使うんじゃないよ)

 そんな返事をしつつ、襤褸の幻はひらひらっと宙に舞い、崖際を舞い上がっていき、ついに二人の視界から消えた。

「で、伏陸、いつまでこんな山奥にいるつもりだ?」

「え? 何? 定輪はここを出て行くつもりか?」

「もう魚釣りにも飽きたし、いるのはババアの幻と、お前くらいだ。女がいないのも、そろそろ限界だ」

 そんなものかなぁ、と思いつつ、伏陸は返事をしないままで、二人ともが歩き続けている。崖から張り出した足場をたどって、上がっていく。

「じゃあ、ちょっと下に戻して貰えばいいじゃないか」

 伏陸がやっと応じると、定輪は崖を上りつつ答える。

「それでまた戻ってくるのか? こんな山奥に? なんの義理がある?」

「そりゃ義理はないけどなぁ」

 ちょっと足場が崩れて、伏陸がよろめくのを、素早く定輪が支える。表情は冷静そのものだ。

「悪い、助かった」

「いや、気にするな。で、お前はここにいたいわけか?」

 どうだろうねぇ、と言いつつ、また前進を再開する。伏陸は考えつつ、言葉を口にした。

「まぁ、俺の意見だけど、古龍峡のあの小屋とか湖は、あまりに俺に馴染みすぎているよ。もう第二の故郷みたいなものだ」

 それは、と定輪がつぶやき、しかし続きはなかなか口にから出なかった。

 定輪と伏陸はそれぞれに元は農民の次男坊、三男坊で、それぞれに家族と共に農地を耕し、作物を作り、年貢を納めていた。

 しかしそのうちに重税が課せられ、生活は苦しくなり、二人とも自然と家を出た。

 家を出て、それぞれに様々な仕事をしたが、最後には盗賊に加わったりして、悪への道に踏み出したのだった。

 伏陸の言葉に反論できないように、定輪も古龍峡の景色に、愛着を感じ始めていた。

 二人にはそれぞれに故郷はある。だが、その故郷には暗い思い、嫌な記憶が染みついている。そして二度と戻れないのだ。

 だけど、あの湖、自分たちで建てた小屋は、もう二人の生活の場になっていた。

 実は、定輪が女などと口にしたのは、ほとんど言い訳だった。定輪は自身でも気づかないうちに、何か理由を欲していたのだろう。しかし女は確かにいない、と定輪は胸の内でつぶやき、本当なこの時、同時に伏陸も、女はいないな、と心中で呟いた。

 崖をある程度、上がると、開けた場所に出た。二人とも立ち止まり、眼下を見下ろす。吸い込まれそうになるのを感じつつ、そこには湖が一望に出来、二人が建てた家が小さく見えた。

「女のことを隠者様に話したらいい」

「どうだかな」

 伏陸に、定輪が肩をすくめた。

「あのババアは枯れていて、男の欲望なんて忘れているわな、あの様子だと」

 それから何故か卑猥な話になり、二人とも言いたい放題に言ったが、それこそ女がそばにいて聞いていれば、二人を軽蔑して、冷たい視線を向けるか、あるいはさっさと逃げ出しただろう。

 崖の頂上に立つと、幻が二人を手招きしている。

 駆け寄ると、襤褸の幻が足元の岩を指差している。

(これを削って舐めてみなさい)

 奇妙に白っぽい石で、何かの結晶が張り付いている。

 取り出した短剣で伏陸が表面を削って手のひらに落とす。白い粉を軽く舐めてみる。

「お!」思わず伏陸が定輪を仰ぎ見た。「舐めてみろよ、定輪!」

 疑わしげに定輪が屈んで、やはり岩を削って舐めると目を丸くしている。

「こんな山の上に塩があるんだな。驚いたよ」

「じゃあ、この岩を抱えて帰るとしようか」

「え? お前、そういう算段だったのか?」

 驚く定輪をよそに、すでに伏陸は岩の様子を仔細に眺めている。ひと抱えもないので、運び下ろすのもそれほどの負担ではないだろう。

 周りを削って、ごっそり地面から岩を取り外すのに、それほど時間はかからなかった。

 一旦、昼飯にしようぜ、と定輪が言って、二人は近くの岩に腰下ろした。

「あの、隠者様、ちょっといいですか?」

 伏陸が声をかけると、消えていた幻が蘇った。すぐそばに太陽の日差しの中でかろうじて見える程度の、光の輪郭が浮かんだ。

(なんだね?)

「先ほど、定輪を話をしたんですが」

 伏陸はそっと視線で定輪に、安心しろ、と伝えつつ、遠回りに言葉を選らんで、下界に降りたい、と説明した。女の話はせず、料理の話もせず、ただ人と接したい、などと曖昧な形になったが、伏陸の口調には真に迫るものがあった。

 短い話だったが、襤褸が返事するのには間があった。二人はその間に、昨日の夜に用意した饅頭を食べている。だいぶ硬いので、自然な様子で二人はひたすら饅頭のかけらを噛み続け、話を待った。

(良いだろう)

 それが襤褸の返事だった。

(私も耄碌していたやもしれないな。人間、いつかは死ぬ。そしてお前たちはまだ生きている。自由に、行きたいところへ行くべきかもしれない。こんな奥地に縛り付ける理由は、私や龍青の傲慢かもしれない)

 いつになく、なよなよしいことを言う、と伏陸は目を丸くしたし、定輪もこの言葉に驚いたようだった。

「ば、婆さん、本当に耄碌しているのか」

 すっと幻がそう口走った定輪の方を向く。

(人間はみんな、年老いていくものさ。あんたたちもよく覚えてなさい。で、いつ出て行くんだね?)

 予定外の展開に、伏陸どころか、定輪も反応が遅れた。その様子を見て襤褸が笑い声をあげる。

(ゆっくり考えておきなさい)

 昼食が終わり、岩のような塩を二つに割って、それぞれに定輪と伏陸が背負って崖を降りた。

 夕暮れが過ぎ去り、宵闇の中で二人は小屋にたどり着いた。

(また話に来なさい。湖にいる)

 そう言って、襤褸の姿が消えた。その様子や口調は、どことなく寂しそうだったが、伏陸はそれを考えないことにしたし、定輪は逆に不安になっていた。

 ただ、翌日に釣りに行った時、定輪は襤褸を呼び出し、はっきりと告げた。

「三日後にここを出て行くよ。今まで世話になったな」

(そうかい。こちらこそ、ありがとうよ、定輪)

「楽しい思い出ができたよ。幻の婆さんと暮らしたと、語り継いでやるから安心しな」

 くつくつと襤褸は笑い、しかしそれ以上は何も言わなかった。

 定輪が出て行く日になり、小屋の前で伏陸は彼を見送りに出た。

「お前はここに残るのか?」

「わからないよ。考えている」

「そうか」すっと定輪が手を差し出す。「また会うかはわからないが、達者でな」

 頷いて、伏陸は彼の手を握った。

 こうして定輪は小屋に背を向け、そのまま山の中に消えていった。

 一人で伏陸は湖を見た。

 どういうわけか、襤褸は姿を見せなかった。




(続く)


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