表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第十部 二人の悪党の日々
67/118

10-3 塩

     ◆


 いよいよ春本番となり、のどかな光は分け隔てなく降り注いでいる、

 定輪と伏陸はいよいよ釣りに熱を上げ、ここ数日は二人で何匹釣れるか、競っていた。今も船の上に並んで腰掛け、しかし背中を向けあい、じっと湖面を見ている。

 前日の夜、夕方に魚を調理しつつ、二人が議論していたのは、釣果をどう比べるか、だった。

 釣った数を競うか、釣った重さを競うか、揉めていた。

 しかし二人ともが一致した意見は、小さい魚は逃す、ということだった。

 湖は広すぎて、とても二人だけで全ての魚を釣れるとも思えないが、やはり小魚まで釣っていては、そのうちに魚も釣れなくなる。

 二人がほとんど怒鳴り合うように意見交換し、その一点でお互いを認め合い、喧嘩も終わった。

「やっぱり塩が欲しいな」

 ぽつりと伏陸が言うと、「だな」と定輪が答える。

 ぐっと首をひねって振り向く伏陸に、彼は視線も向けずに続けた。

「黒い液体みたいな調味料とか、豆を発酵させた調味料とか、あればいいんだが、あれは専門の奴らじゃないと作れない。で、俺たちはといえば、山で採れる辛みのある実だか種だかを粉にして、それで味をつけるしかない。塩すらない」

「どこかの山で採れるって聞いたぜ。海じゃなくてな。岩みたいな塩らしい。削りとって粉にして使うと思うんだけど」

「じゃあ、明日にでもちょっと山に登ってみるか」

「あの辺りがいいんじゃないか」

 すっと伏陸が指さした方を、さすがに定輪は確認した。

 目測ではわからないが、切り立った崖があるのだ。樹木どころか、草も生えていないように見える。

「何かアテがあるのか? 伏陸」

「何もないよ。ただ、砂浜に草が生えないとと同じかな、とか思った」

「砂浜? 海辺のか? 行ったことがあるのか?」

 ねぇなぁ、と伏陸が答える。

「ただ、海のキワっていうのは、草木があまり生えないらしい。海藻とか呼ばれる、藻みたいなものは採れるが、例えば野菜は生えない。それが塩のせいだっていうんだ。塩が植物を枯らしちまうんだと」

「本当かよ。それが本当だとして、あの崖に植物が生えないのは、岩だからじゃないのか? 巨大な岩だよ」

「行ってみればわかるさ、定輪」

 そんなやり取りをしている二人だが、ちょこちょこ魚を釣り上げては、大きさを見て、籠に入れたり、湖に戻したりしている。

 結局、お互いに餌になる虫を融通しあって、餌がなくなってから、船を湖岸に漕いで行った。

「一応、断っといた方が良いだろ、婆さんに」

 そう定輪が言うのに、思わず伏陸は忍笑いをした。

「また一撃を喰らうぜ」

「あれくらい、なんでもないよ。おーい、隠者様、聞こえますか」

 婆さん呼ばわりしないのかよ、と呟く伏陸は、船が流されないように、岸の上へ一人で引っ張り上げている。

「おーい、隠者殿、聞こえないのかー」

「水の下だからな」

「おーい、隠者、婆さん、ババア! おい、聞こえねぇのか! 死んだのか!」

 聞こえないらしいな、と定輪が振り返った、まさに目の前に幻の像が立っていた。

 うわぁ、と尻餅をつく横で、伏陸が笑っている。その伏陸を恨めしそうに見ながら、やっと定輪が立ち上がった。

「驚かさないでください、隠者様。お人が悪い」

(婆さん、とか、ババア、とか、汚い言葉が聞こえたが、あれは誰に言っていたのかな?)

 目元がピクピクするのを感じつつ、定輪は何か言い訳はないか、と四方を見たが、何もなかった。

 結局、襤褸の手痛い一撃で定輪はしばらく起き上がれなかった。

「それで隠者様、少しここを離れたいのですが?」

(このババアを置いて出て行く、ということか、伏陸よ)

 自分でババアって言っているじゃないか。笑いそうになるのを堪えつつ、伏陸は遠くを指差した。夕日に照らされている崖だ。

「塩が欲しい、と思いまして、それを探しに行きます」

(あの岩山にか? そんなところへ行かんでも、近くにあるわ)

「は? 塩がですか?」

(ここで暮らすに当たって買い求めたものがな)

 あるのなら早く教えてくれよ、と思いつつ、そういえば半壊した小屋には塩の入った壺があった。それを使い切ってから四苦八苦していたが、なるほど、大元の貯蔵庫があるのだろう。

(お前たち、なぜ早く塩のことを言わないのだ? 人は塩がないと生きていけないのだぞ)

 はぁ、と伏陸は答えるしかないし、定輪はまだ足腰が立たず、倒れていた。

 それから伏陸が塩の貯蔵場所を聞いて、翌日、出向くことになった。詳細な場所は襤褸が案内してくれるというので、不安はなかった。

 定輪は留守番で、それは襤褸のお仕置きのせいではなく、襤褸の方から「お前は人質だ、と言いたいが、私の体の見張りをしろ」ということだった。

 翌日はよく晴れていた。動きやすい身支度をして、湖に行くという定輪を別れて、伏陸は一人で小屋を離れた。どこからともなく出てきた幻が、先を歩き始める。

「塩をどこで買って、どうやって運んだのですか?」

(塩の商人から買い付け、運ばせたのさ。この老婆が運べるものかね)

「この奥地まで運ばせたのですか? しかし、それでは通りやすい経路を知られてしまったのでは?」

 不意に嫌な予感が伏陸の心に立ち込めた。

 この老婆なら、口封じに人を殺すかもしれない。年寄りだろうと、あの理力という奴は侮れない。実際、体がないのに、定輪は良いようにされている。

 黙り込んだ伏陸を、襤褸が振り返った。

(別に悪いことはしていない。金を渡して黙っているように頼んだ。彼らは律儀に約束を守ったようだ。破ればたたでは済まなかったが)

 やっぱり口封じするんじゃないか。伏陸はぐっとこらえて、言葉を飲み込んだ。ついでに恐怖も。

 しかし、と幻が呟く。

(何か嫌な予感もするがね)

「なんです、その予感っていうのは?」

(わからんよ、行ってみよう)

 そうして森に分け入り、幻に導かれて伏陸は人気どころか獣の気配も希薄な場所へ、分入って行った。

 半日ほど歩くと、壁のように岩が立ち上がり、そこにある洞窟の前に着いた。

「ここですか?」

(壺で四つほど、保管しておいた)

 さっさと幻が入って行ったので、伏陸も続く。

 明かりが必要だ、と思ったが、襤褸の幻が理力なのか、光を放って周囲を照らした。

 入って行くと言っても、それほど奥ではない。

(ああ、これは参ったね)

 動きを止めた幻の向こうを見ると、どうやら洞窟の奥は崩落していた。

 足元に壺の破片のようなものが落ちていた。

「つまり、どういうことです?」

(塩はつまり、どこかに流れた)

「一つも残らず?」

(残らずだ)

 ……なるほど。伏陸は幻をじっと見据えたが、老婆には瞳がない。睨む相手がない。

「じゃあ、帰りますか」

(そう怒らないでおくれよ)

「怒っちゃいませんよ、さっさと帰って、次善の策を考えましょう」

 そうだね、と漏らしつつ、伏陸を追い抜く幻は、どこか寂しげだった。




(続く)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ