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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第十部 二人の悪党の日々
65/118

10-1 秘境の生活

     ◆


 古龍峡にも春がやってきた。

 定輪と伏陸が古龍峡に襲撃をかけてから、一年になろうとしていた。

 二人がまずやったことは、小屋を建て直すことだった。材木になる木はすぐそばにあるが、いかんせん、人出が二人しかないので、相当に苦労した。

 春が終わり、夏が終わっても、二人とも野宿していたのだ。

 最初からあった小屋をそのままにしたのは、取り壊すのが面倒だからで、使えそうな材木もなかった。土間が破壊されなかったことで、かまどが生きていたので、そこだけは二人とも利用していた。

 冬の寒さを感じ、いよいよ野宿が死に直結すると身にしみて感じた頃、二人の努力は報われて、小屋が完成した。

 ちなみに、連日、小屋を建てる努力をしたわけではない。

 二人は気分転換に舟を作っていた。小屋を建てる材木のあまりを活用して作ったのだが、これが意外にうまくいった。ちゃんと水に浮くようになり、櫂も作った。

 二人で手分けして山に分け入り、木の実や果物を手に入れる中で、たまたま伏陸が竹やぶを見つけたのには、二人共が歓喜した。

 竹は、竿にできる。

 こうして要素は出揃った。

 小屋が出来上がったことで、もうやらなければいけないことはない。

 寒風が吹く中、二人は舟に乗って湖に漕ぎ出し、適当な場所で釣り糸を垂れた。

 だいぶ前に使っていたのだろう、小屋にあった壊れていた甕を流用した火鉢も積み込んでいる。

 しかしなかなか釣果は上がらない。

「冬になると魚は美味くなるんだがなぁ」

 定輪がぼやく。

 そんな具合で、二人は冬の間の長い時間を釣りに費やし、畑仕事は放り出していた。もっとも、冬にやることはない。畑は夏から秋まで、放置され、たまに野菜が入用になると収穫されたが、それっきりだ。

 二人は同じ盗賊団の一員だったが、壊滅してしまい、やけっぱちでここに来たが、二人の間には上下関係はない。どちらも下っ端だったし、年齢も近い。何より、不慣れな建築を半年以上、協力して行ったおかげで、信頼感が固く二人を結びつけていた。

 季節は冬を越え、春になったが、二人はいい加減、釣りに興じていた。

 食料は半年前、二人で穀物を買って、運び込んでいた。これで主食は問題無い。あとはそれに何をつけるかで、山菜のこともあれば、少ない釣果の魚のこともある。

 春の湖で、伏陸は手応えもないまま釣り糸を引っ張り上げ、いつの間にか何もついていない釣り針に、新しく虫をくっつける。糸を湖に戻すと錘の力で針は沈んでいった。

 静かである。二人が黙ると、もう聞こえるのは遠くで木々が揺れるかすかな音くらいだ。その音さえも、まだ葉が茂っているわけではないので、かすかなものだ。

 まるで時間が止まったようで、不安になるのは、定輪も伏陸も同じだ。

「あの二人は、いつ帰ってくるのかなぁ」

 自然と、伏陸がそう呟くと、「わからんな」と言いつつ定輪がかすかに竿を動かす。

「俺たちには、理力だの呪術だの、よく知らんものだからな。龍青殿が水の上を歩いたのだって、今になってみれば、夢だったかもしれない」

「あの婆さんの幻もか?」

「幻は幻、夢は夢。俺は今も、眠っているのかもしれない」

 そんな定輪の言葉に、軽く伏陸が拳を突き出し、頬を打った。

「痛いか? 痛いなら、夢じゃないな」

「てめえ」

 今度は伏陸が殴られる。二人が途端に険悪なムードで視線を交わす。

(あんたたちも暇なもんだねぇ)

 いきなり声が聞こえ、二人はハッとして周囲を見る。相手は船のすぐそばに立っていた。

(黙って聞いていれば、人を婆さんなどと呼びおって)

 そういう青い光の幻は、老婆の姿をしている。

 襤褸という名前を名乗っていると、定輪も伏陸も聞いているが、二人とも隠者様と呼ぶように心がけていた可能な限り、だが。

 最初こそ、婆さんとか、場合によってはババアなどと平然と呼んでいたが、古龍峡の真冬のあるときに堪忍袋の緒が切れたらしい幻に攻撃され、その筆舌に尽くしがたい苦痛のために、二人ともが態度を改めた。

 だが、幻がいないところだと途端にその態度が緩んでしまうあたりが、いかにも育ちの悪さが出ている。

「いえ、隠者様、そう言ったのは伏陸ですから」

 さっさと保身に走る定輪は、もうそっぽを向いている。

(連帯責任という言葉を知っているかね)

「いや、知りませんね」

 無学なこと、とつぶやいた幻は、しばらくそこに立ち尽くしていた。

「あの、隠者様、何かご用があるのですか?」

 ちらりと伏陸の方を幻が見やるが、その両目は空洞だ。ただし、不思議と視線というものを感じる。錯覚だろうか、といつも伏陸は思う。しかしある時、定輪にその話をすると、俺も視線を感じる、という返事だった。

 幻に見据えられて落ち着かない二人に、かすかに幻が頷いた。

(私はちょっとの間だが、忙しくする。あんたたちに構っている暇もないだろう)

「俺たちは構ってもらっている意識がありませんが?」

 伏陸がやり返すつもりでいうと、鼻で笑われてしまった。

(これでもお前たちの身の安全は守っているつもりだ。古龍峡を管理しているのは私だしね。もし不届き者がやってきたら、自力でなんとかするんだよ)

「こんなところに来る奴なんかそうそういませんよ」

 定輪の言葉に、そうだそうだ、と伏陸が頷く。幻の老婆は、あんたたちはやってきたじゃないか、という表情をするが、二人とも気にもしていないようだった。

(とにかく、気をつけなさい。あんたたちには一応、留守番であると同時に、私の体を守る役目があるのだから)

「あの水死体ですか?」

 定輪がそう言った瞬間、幻が腕を上げ、その手の先から雷光が走る。ギギギとしか聞こえない悲鳴をあげて、定輪の体が痙攣し、竿を取りこぼす。

(まだ生きているんだ。死体じゃない)

「でも一年も水に沈んでいるんですぜ?」水面に落ちた釣竿を素早く伏陸が拾い上げる。「よく腐っちまわないな、と不思議ですよ」

(それが理力の起こす奇跡なのさ)

 へえー、などと気のない様子で言いながら、まだ痺れてるのだろう手をさする定輪に竿を渡す伏陸である。

(どちらにせよ、注意を怠るんじゃないよ。じゃあ、私は行くよ)

 すうっと老婆の幻は足元から消えていき、最後にはキラキラと粒子を光らせ、完全に消滅した。

「あの婆さん、いつか仕返ししてやる」

 完全に幻が消えたのを確認し、定輪が呟く。できるかなぁ、と思いつつ、その隣で伏陸は黙っていた。

 と、その伏陸の竿の先が曲がる。糸が引っ張られている。

「お、来たぞ、来たぞ」

 魚が暴れているのを竿を通して感じつつ、伏陸は身構えて、竿を立てたり寝かせたりする。釣りの技は自然と身についていた。

 かなり強烈な引きで、今にも糸が切れそうだった。舟の上で踏ん張っていると、少しずつ舟が動くほどの引きだった。

 おいおい、と定輪は湖面をのぞき込んでいる。

 大きな影が過ぎった。ひと抱えはありそうな影だった。

 それから長い間、格闘していたが、最後には結局、糸が切れた。

 舟に座り込んで、額の汗をぬぐいつつ、伏陸がぼやく。

「もっと強い糸が必要だな、あれを釣るには」

 すでに日が下がり始めている。予備の糸をつけているだけでも時間がかかるので、伏陸は陸に戻ることを提案し、定輪は頷き返す。

 ゆっくりと伏陸が漕いで、舟が陸に向かい始めた。




(続く)


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