9-7 逃げ
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間合いが消え、切っ先が向かってくる。
迎撃、弾き飛ばし、剣が翻る。
次、弾く、次、弾く。
火花が連続し、拮抗する。
僕は今、自分の理科の実力を試していた。
名前は「雨の構え」とつけていたが、自力で練り上げているので、未完成だ。
とにかく超高速で連続攻撃を繰り出すが、短時間しか維持できない。呼吸を止めているし、体も限界を超えている。
しかしこの理科以外に、電鳴の理科に対抗できる理科は僕にはない。
超高速に超高速を当てる。
お互いの剣がすれ違い、お互いの体が切り裂かれる。しかしどちらも浅い。
まだ戦いは続く。
どれくらいが過ぎたのか、僕にもわからなかったし、電鳴にもわからなかっただろう。
甲高い音を立てて、剣が折れた。
電鳴の剣。
それでも彼が深く踏み込み、逆転の一撃を繰り出した。
それよりわずかに早く、僕の剣が彼の胸を切り裂き、走り抜けている。
最後の一振りで、電鳴の手に残っていた剣も弾き飛ばし、彼は緩慢に倒れ込み、動かなくなった。
僕自身も体がよろめき、耐えきれずに倒れこんだ。
きわどい勝負だった。
速度はほとんど同じ、精度もほとんど同じ。
何が明暗を分けたかは、よく分からない。持久力だろうか。しかし僕ももう、動けない。
紙一重、運が僕に味方したようなものだ。
横になったまま荒い呼吸をしていると、人の気配がした。起き上がると、そこには段葉と、彼の部下の二名が立っていた。部下の一人が灯りを持っていて、それが周囲を照らしていた。
「龍青殿、何ということを……」
段葉の顔は、十分ではない灯りの中でも、強張っているのは明らかだ。
どうにか立ち上がった僕の目の前で、倒れている電鳴に段葉が歩み寄り、かがんで脈を取っている。死んでいるだろう。彼から流れ出た血は、段葉の足元に達して、大きく広がっている。
そっと手を離し、段葉が立ち上がった。
こちらを見るその表情は、感情がうかがえない。
「あなたをこのまま放っておくことはできなくなった」
「僕は……」
言葉が見つからない。でも、黙ってもいられない。
「切りたくて、切ったわけではない」
「私もあなたを切りたいわけではない。ただ、友の仇を打つ必要はある」
そう言って、段葉がゆっくりと腰から剣を抜いた。
避けられない戦い、なんだろうか。
もしここで僕が逃げ出せば、段葉を切らなくて済むだろうか。
それが一番賢い選択かもしれない。
かもしれないのに。
僕は剣を構えていた。
段葉がじりじりと間合いを詰めてくる。お互いに一歩踏み出せば、剣が当たる距離まで、間合いは狭まった。
僕の正眼に構えた剣に対し、段葉は上段に構えている。さすがに理力使いのことを知っている。速さが最も理力使いが苦手とするものだ。
息が苦しい。先ほどの理科の影響で、呼吸が乱れたまま、整わない。この呼吸は段葉にも聞かれているだろう。
呼吸を読まれるのは好ましくない。だけど、僕の肩の上下は抑えることができない。
わずかに段葉が横に踏み出す。僕も踏み出し、両者はじわじわと円を描くように立ち位置を変えていく。
半周して、守備隊の兵士が僕の背後に立つ位置になったが、遠い。それに段葉はそんな卑怯な手は使わないだろう。
さらにお互いが進む。
いきなり段葉が動いた。
上段からの一撃、速い。
僕は半身になってそれを避け、反撃を繰り出している。
強く地面を蹴り、段葉が間合いを取る。
ここで攻めるしかない。
駆け寄りながら、引き寄せた剣を最短距離で繰り出す。
が、段葉が何かを投げた。
短刀。いや、投剣か。三本。
こちらは踏み込みの姿勢で、避けるのが間に合わない。
片腕を掲げると、衝撃と痛みが走る。理力が乱れ、姿勢もそれに伴い、乱れる。
横薙ぎの一撃がくる。
周到なことに、投剣を腕で防いだことにより、その腕が邪魔になって、僕には段葉の動きのほとんどが陰で見えていない。
直感に頼るしかない。
そして、ここで相手を倒すしかない。
段葉を殺すのか? 頭の中で問いが爆発する。春来の顔、赤子の顔が頭を占めた。
しかし、僕が死んでしまう。
一瞬の中のさらに一瞬に、全てが、言ってしまえば未来が、凝縮された。
脇腹を剣が走り抜けた。
何かが宙に舞い、回転して落ちた。人の腕だった、剣を握っている。
僕の目の前で、段葉が呻き、同時に液体が激しく地面を打つ。
僕が数歩下がって、脇腹を押さえた時には、すでにぐっしょりと濡れ、血が足へと伝っている。
理力の集中を高めるが、治癒には時間がかかる。あるいはそれまでに失血死する可能性もあった。
段葉の部下が声を上げて、剣を抜いた。
目の前にいる段葉は右腕を肘の上から失い、そこを押さえながら、こちらを見ていた。
なんという言葉で表現できるだろう。
憎悪、憤怒、それらの向こうで、諦めも見えた。
僕は剣を鞘に戻し、脇腹を押さえながら走った。
追っ手はすぐにはかからないはずだ。あの二人の兵士が、片方は段葉を介抱し、片方は屯所へ走るはずだった。
僕は街を駆け抜け、とある場所へ駆け込んだ。
「遅い時間に来たかと思えば」戸を開けた寝間着姿の都風が、顔をしかめる。「怪我人になっているじゃないの」
「すみません、他に、頼れる場所もなくて……」
「上がりなさい。早く」
すぐに僕は出産のためだろう部屋に連れて行かれ、寝台に寝かされた。
都風は手早く傷を塗ってくれた。
「内臓はたぶん、大丈夫。もし死んだとしても、私を恨まないでね」
「いえ、これで十分です」
手術の間に、だいぶ呼吸が落ち着き、理力の引用もできるようになった。治癒力を高めれば、このまま死ぬことはない。
寝台の横の椅子に腰掛け、わずかに都風が声を潜めた。
「あなた、誰に切られたの? あなたの身のこなしからすると、並の相手はものともしない感じだけど」
「段葉殿です。行き違いがあって、電鳴殿を切ったために、段葉殿は仇を討つとおっしゃって」
それはまた、律儀なこと。
都風はそう言っただけで、明け方に呼びにきます、と立ち上がった。
「あなたはこの街を出た方がいいでしょう。私にはあまり繋がりはありませんが、夜逃げ、などと呼ばれる、言って見れば逃亡ですが、それを助ける男たちがいます」
「いえ、自力でどうにかしますから、お気遣いなく」
少し何かを考えてから、都風は部屋の隅の戸棚へ行き、小さく紙に包まれた薬を寝台のすぐそばの卓においた。
「ここにある薬を、一日に一包みずつ、飲みなさいね。それでだいぶ楽になるはず」
「ありがとうございます」
「また明日の朝ね。何かあったら、そこの鐘を鳴らしなさい」
確かに寝台の横に鐘が吊り下げられている。こちらにうっすらと笑みを見せ、都風は静かに病室を出て行った。
一人きりになって、理力をより高めて、脇腹を意識した。
明け方になる前、まだ薄暗いうちに僕は起き出して、自分の服が血まみれなのを確認し、それはどうしようもないと決めた。
薬の包みをまとめて懐へ入れて、立ち上がる。もう脇腹は痛まなかった。
剣を掃いて、外へ向かう。
玄関から出ようとすると、そこに都風が立っていたのには、驚いた。
「まったく、難儀な人ですね、あなたも」
そう言って都風が指差したところには、男性用の着物が畳んである。
「それに着替えて、出て行きなさい。私のことは考えなくていいからね」
ゆっくりと都風が僕とすれ違い、奥へと去って行った。
僕は頭を下げて素早く着替えると、そのまま外へ出た。
まだ空気に残っている冬の冷たさが、頬をピリピリさせた。
僕は夜の街を駆け出した。
中央天上府に向かうしかない。
一人だけで、誰も味方はいない。
でも僕は、前に進むしかなかった。
(第九部 了)