9-6 齟齬
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僕は恐る恐る、言葉を口にした。
「会った、っていう感じじゃないね」
「もし会えたら、ここに連れてきている」
何があったか教えてくれ、と促すと、わずかに紅樹が顎を引いた。
「それがね、まぁ、本当に噂程度しか掴めていないのよ。かなり前になるけど、海賊の村にそれらしい人がいた、という噂を聞いた人がいる、という遠い線でね。手繰りたくても、手繰れない、っていうのが実際のところ」
「海賊の村? そんなものがあるの?」
「絶対に秘密にするように、海賊は手を打っているわよ。だから、海賊の村があるのは知っていても、誰も場所までは知らない」
訳が分からないな。火炎が村にいることを知っているものは、村の位置を知っているのではないのか?
「口止め、って感じでもなくて、どうも海賊は色々と商売をしているらしい」
「商売って?」
「ありとあらゆるものを商っているようよ。国の一部に密かな販売の経路があって、その闇の流通がある程度の儲けになる。これには役人も抱き込まれているらしい」
ますますわからないけど、銭がものを言っている、ということだろうか。
海賊の不興を買えば、損をする、というようなことか。
「とにかく、私はすぐに海賊の様子を見てくる。あんたの話じゃ、火炎の奴は海賊を切っているわけで、敵を味方に引きずり込むとも思えないし、火炎だってなんで協力しているか知らないけど、当たるしかないわね。少し時間がかかるけど、もうしばらくはここにいる感じかしら?」
「それが、ちょっと立場がおかしくなっている」
僕は噂の話や、兵士たちの様子を紅樹に話した。彼女は黙って聞いていて、僕が話し終わると、少し黙っていた。
「ちょっとここから離れた方が良くない? 例の男、電鳴のこともあるし。あまり揉め事は歓迎できない」
「でも翼王を追わないと」
「罠かもしれないわね。どういう罠かは知らないけど。いつでも街を出られるようにした方がいいわよ」
じゃあ、と僕は荷物の中にあった銭と金の粒、銀の粒の入った袋を紅樹に押し付けた。
「最低限の生活費は別にしてあるから、それを持っていって欲しい。もし何かあって、慌てて街を出ることになったら、荷物を捨てざるをえないかもしれないし」
わかった、と紅樹は頷いて、袋を腰に下げると立ち上がった。
「私はもう行くわ。気をつけてね、龍青」
「うん、ありがとう」
じゃあね、と彼女は窓から外に身を躍らせ、気配を消した。今、下を見ても、どこにも紅樹の姿を見ることはできないだろう。
僕は一人で横になり、夜を過ごした。
翌日も、段葉のいる屯所で過ごしたが、やはり兵士たちの視線は敵意に燃えて、僕にはどうも居心地が悪かった。
「少し出てきます」
そう断って、僕は都風の病院へ向かった。中に入ると受付にいる女性が「今は、お仕事中ですから、どうぞお引き取りください」と申し訳なさそうに言う。こういう不運は連続して起きるものだ。
一人で東方臨海府の街を歩き回った。昼飯も適当な食堂で食べ、午後も歩いていた。
考えるべきことは多いのに、何一つまとまる気配もない。
そうこうしている夕方になり、太陽が沈むのと入れ違いに、ぐっと空気が冷えた。
何の収穫も、手応えもない。宿に戻ろう。その前に屯所に顔を出すか。
そう思ったときだった。
唐突に前方の地面から何かが沸き立ち、それが黒い粒子だとわかったときには、僕は剣を抜いていた。
翼王。
やはりいたのか!
切りつける前に、黒い粒子が滑るように移動していく。僕は駆け足で追うが、まるで風と競争しているようなものだ。
斜面を駆け下り、道を走った。不思議と人がいない。
前方から誰かがやってくる、気づくと同時に、影が動きを止める。
影を挟んで向こう側にいるのは、電鳴だった。彼は珍しく真っ青な顔をしている。
二人の理力使いがいれば、翼王を倒せるかもしれない。
僕は剣を構えた。
だけど、電鳴は剣を構えない。何をしている?
黒い影から哄笑が響き渡る。精神に直接、響いてくる不快な振動。
(次の戦場は中央天上府だぞ、龍青)
影の粒子が、舞い上がる。
そのまま見上げて行く先で宵の口の闇の中に消えていった。
剣を一振りすることもなく、見逃してしまった。
歯がゆいものを感じる僕に、鋭い声が飛んできた。
「おい、龍青、貴様、何をしている?」
電鳴が低い声で言いながら、こちらへ歩み寄ってくる。
「今のが、僕の追っている呪術師です」
「お前の仲間か?」
え?
思わず電鳴を見ると、彼は鬼気迫る表情で、こちらに向かってくる。
「あの影は、お前こそ呪術師の連絡役と口にしたぞ。俺には聞こえた」
「そんなわけはない、ありえないですよ」
「しかし、これでお前を切る理由ができた」
ピタリと彼が足を止める。二人が剣を抜き、向かい合っている形になる。
空気が少しずつ緊張し、張り詰めていく。
「待ってください、電鳴殿。僕は、親をあの呪術師に殺されている。協力するわけがない。僕はあの男を、滅ぼしたいだけです!」
「片腕でも切り落としてから、本当のことを聞くとしよう」
緩やかな速度で、電鳴が剣を構えを変えた。
もう会話の段階ではないのか? 僕たちは斬り合わないといけないのか?
ぐっと電鳴が地面を蹴った。
甲高い音を立てて、僕の剣が彼の剣を弾く。
二人が同時に、至近距離で手のひらを向け合う。
空気が軋むような音をして、二人の間で力がぶつかり合う。
二人が弾き飛ばされ、それぞれに地面に転がるが、受身を取りつつ、跳ね起きる。
もう一度、手を突き出す。
空気が渦巻き、力同士が相殺される。
僕は前に踏み出せなかった。だって、戦う理由はないのだ。
跳ねるように、電鳴が間合いを詰めてくる。理力をぶつけるが、回避される。
間合いが消え、剣を一度、二度と回避するも、三度目は不可能。
剣で受ける。至近距離で、僕を睨みつける電鳴の瞳には、愉悦ようなものが見えた。
きっと僕を切れることが、嬉しいんだろう。
強敵を倒す、それは確かに魅力的だ。
僕はこの人に勝てるのか、勝てないのか。
勝てないとして、父親はどうなるのか。
心が、定まった。
理力が練り上げられ、全身に行き渡る。相手を弾き飛ばし、追撃。
両者の剣が、瞬きする間に超高速でやり取りされ、剣同士が火花をあげ、理力の応酬がそれに伴う。
胸に強烈な衝撃を受け、転倒した僕の頭に電鳴が剣を突き立ててくる。
首を捻り、切っ先が耳を掠める。
構わずに電鳴を蹴り飛ばし、跳ね起きる。
両者が向かい合い、静寂がやってくる。
「終わらせようか、龍青。本気を見せてくれよ」
ぐっと、電鳴が構えを取る。
あれが来る。彼が使う理科、「翻弄の構え」だ。
僕は心を落ち着けるために、細く息を吸い、細く吐いた。
電鳴の姿が、搔き消える。
(続く)