9-4 理力対理力
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僕は動かなかった。
しかし、僕と電鳴の間で、瞬間、見えないものが衝突する。
駆け出した電鳴が剣を振る。僕は地を蹴っていた。
寸前までいたところを見えない刃が走り抜ける。受けていたら、体が二つになったかもしれない。
空中にいる僕に、強い振りで電鳴の手が向けられる。
こちらも片手を出す。
理力同士のぶつかり合い。その反動でさらに空中を蹴るように舞い上がり、そのまま僕は建物の一つの屋根に音もなく降り立った。
見上げてくる電鳴は、口元に愉快げな笑みを見せ、剣を構え直した。
「やめてください、僕にはあなたと戦う理由がない」
「くだらないことを言うな」
ぐっと、電鳴が身を屈める。
「理力使いと剣を向け合うなど、そうあることではない」
強く、地面が震えるほどに電鳴が踏み込んだ。
彼の姿はすぐ目の前。
僕は剣を立て、一撃を受け止める。
ただの斬撃ではない、理力が乗っている。強烈な風圧。
理力を行使し、強烈な衝撃を逃がす。
ハハハッと笑い声をあげたのは、電鳴。鍔迫り合いをしつつ、しかし着実にこちらに剣を押し込んでくる。
「今の受けはなんだ? 理科だな? なんという名前だ?」
答えないのはその余裕がないからだ。
一度、強く剣を押し込み、跳ねるように地上へ。即座に追撃の刃が迫り、転げるように逃げ回った。
距離ができ、唐突に電鳴が動きを止めた。僕は肩で呼吸しながら、じっと彼の剣の切っ先を見る。
恐ろしいほど、光って見えた。
命を消す、残酷な光。
「俺の理科を見せてやる」
不意に、脱力するように電鳴が切っ先を下げた。
「名を、翻弄の構え、という」
彼の姿が、搔き消える。
すぐ横!
向かってくる剣を跳ね返す。
が、すぐ次が来る。早すぎる!
背を逸らして目の前を切っ先が通過、空気が焦げる匂いを感じる錯覚。
が、次の一撃はもっと早い。
不自然だ。あの速度で剣を振って、あんなに早く切り返せるわけがない。
だが実際に、僕に向かって剣が伸びてくる。
ほんの瞬きほどもない、短い時間、僕は理力を高めた。
全身に力が満ち、しかしそれを待たずに体を動かす。
僕の剣が、電鳴の一撃を弾き、逸らす。だがすぐに次が来る、これも受ける。
威力はそれほどではないが、速度が出ているので、その分が重さに変わってる。
それよりも、一撃と一撃の間が短すぎる。
足を止めて、打ち合うことに決める。
理力が体の動きを加速させるが、いよいよ電鳴の連続攻撃は速さを増す。
ギリギリのせめぎ合いになり、二人の間で火花がまるで連なって瞬く。
しかし、長くは続かない。
受けが、間に合わない。
必殺の一撃が、僕の首元に伸びてくるのが見え。
人の気配がした。
一瞬で二人が冷静になった。
電鳴が跳ねて距離を取り、肩で息を始める。相当に疲れているようだ。
それを観察することもせず、僕は人の気配、というより微かな物音のした方を見た。夜の闇の中で、見通せない。僕は理力の使いすぎて集中が乱れ、その闇の奥を探れない。きっと、電鳴も同じような状況だろう。
剣を鞘に戻すと、電鳴は去って行った。何も言わず、無言でだ。
怒りに肩が震えていたようだが、どうだろう。
僕もゆっくりと剣を鞘に戻した。
「段葉殿?」
はったりでそう声をかけると、闇の奥から一人の男性が現れた。
まさしく、段葉だった。
「凄まじい剣技だったな」そう言って、彼は微笑む。「どこで割って入るべきか、迷った。失敗すれば私が切られてしまう」
「お恥ずかしい」
そう言うしかなかった。
段葉はこちらに来て、月明かりの中で僕の体を見ている。
「電鳴は私には、理力のことを教えてくれました。もちろん、仲良くなったから、とか、信用して、ではなく、斬り合いの中でですが」
「彼の剣術を凌いだのですか?」
思わず訊ねたのは、信じられなかったからだ。あれだけの高速剣術を一般人が防げるとは思えない。もしかして段葉も理力を使うのだろうか。
薄闇の中で、段葉は小さく笑う。
「まさか、最初の二回をどうにか払いのけて、次で相打ちを狙いました。不完全な姿勢だったので、私は絶対に死んだでしょうが、五分五分で電鳴も死んだでしょう。彼は私の剣を避け、そこでお互いに認め合ったのです。もう一年は前になる」
そんなことがあるだろうか。
あの嵐のような連続攻撃を受け、最初とはいえ、受けた上で、冷静に相打ちを狙う?
実は段葉という剣士は、凄まじい実力を持っているのかもしれない。
彼はやっと僕の体から視線を外した。
「あれだけの超高速の動きの中で、少しも剣を受けないとは、あなたは普通ではない。龍青殿も剣術と理力を組み合わせるのか。電鳴のような使い手は、他にいないと思っていた」
「いえ、その……」
「深い事情は今は聞きません。いずれ、話して頂けると嬉しいと思う。今日はもう誰も声をかけないと思うが、宿まで同行したほうがいいかな?」
その申し出は丁寧に断り、段葉とは翌朝、屯所で会う約束をした。
東方臨海府の街、その斜面を下りつつ、頭の中には電鳴の事しかなかった。
あんな使い手がいるのか。僕は間違い無く、段葉が割り込まなければ、死んでいた。
あの斬り合いは、間違い無く、命を取りに来たものだったからだ。
僕は果たして、電鳴に認められただろうか。
それとも、いつでも切れる相手、と見られたか。
一人きりで宿の前にたどり着いた時、部屋に入ると隅の方に腰掛けていた誰かが立ち上がった。
一瞬、電鳴かと思ったが、もっと小柄だ。
「遅れてごめん」
そういった声は、少女のそれだ。
紅樹だった。
こちらに歩み寄ってくる。疲労の色が隠しきれていない。
「紅樹、今、来た?」
「あんたの決闘を眺めてからね。潜んでいる男がいて、私は割って入らなかったけど」
なんだ、見ていたのか。
「それで、火炎はどこにいるの?」
「ああ、その……」どう答えていいか迷いながら、言葉は自然と出た。「海に、落ちた。海賊に襲われてね」
僕の前に立った紅樹を、真っ直ぐに見ることはできなかった。
「……冗談を言っている、という様子でもないわね」
「本当のことだよ。海賊の一人が、火炎に組み付いて、一緒に海に落ちたと聞いている。僕は別行動をしていて、見てないけど、でも、事実だと思う」
「あいつがねぇ……」
それきり、紅樹は黙って、「まぁ、ゆっくり話しましょう」と僕を促した。
何か、いろいろなことが起こりすぎて、頭が回らない。
一日か、一晩でも、何も考えずにゆっくりと休みたかった。
「どうしたの? 龍青」
こちらを紅樹が覗き込む。無意識に視線を逸らした。
「泣いているの? どうして?」
「泣いてなんか……」
頬を雫が伝って、僕は自分が泣いていることを知った。
歯を食いしばって、声だけは漏らさなかった。
僕は立ち尽くして、繰り返し袖で目元を拭った。
涙は次々と溢れて、なかなか、止まらない。
そんなことも、悔しかった。
僕は、弱い。
それが急に、押し寄せるように心を打った。
もっと強くなりたかった。
(続く)