9-3 手加減
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連れて行かれた場所は、離れた場所にある屯所だった。
「誰だ? そいつは」
屯所の中にいた青年が立ち上がって段葉と僕の方へ来る。
「旅の剣士で、龍青殿だ。龍青殿、こちらは電鳴という男で、十人隊の隊長の一人だ」
電鳴というらしい男は、胡散臭そうに僕を見ている。背が高いので、見下ろすようになっている。あまり気持ちのいい視線でもない。
「剣術を使うのか?」
名乗るのでもなく、そう言われて、ちょっとたじろいでしまった。
「はい、使います。よろしくお願いします、電鳴殿。龍青と申します」
「何をよろしくなんだ? 段葉、説明しろ」
苦笑いしつつ、段葉が説明する。呪術師を追っている、と聞いて、電鳴は顔をしかめた。
「それはお前の仕事の範囲だな。うちはそんなことに構っている暇はない」
「お前はそう言うと思ったよ。でも、龍青殿を見て、俺は感じるものがあった」
「つまり?」
「電鳴、お前とどこか似ている。そう思わないか?」
これには僕はギョッとしたけど、電鳴は平然としていて、こちらを睨みつけた。
「段葉、お前の目もなかなか節穴じゃないな」
そういったかと思うと、電鳴は屯所に戻り、剣を下げて戻ってきた。
「手合わせ願おうかな、少年」
どう断ろうかと段葉を見るが、彼はニコニコしている。
いったい、何を考えているんだろう?
「まさか逃げないよな? こちらへ来い」
連れて行かれたのは屯所の裏で、たぶん稽古のためだろう、空間が開けている。
僕が何も言わないうちに、電鳴はもう剣を抜いて、構えている。
隙のない構えだ。僕は前に進み出て、しかし、剣を抜けなかった。
切れるか切れないか、それとは別に、意味もなく他人を傷つける理由はない。
「どうした? 抜け。早く」
急かされても、僕は剣を抜かなかった。
いきなり、電鳴が間合いを詰めてきた。滑るような動き。
強烈な懐かしさを感じつつ、パッと飛び離れた僕の胸を切っ先が掠める。
着地と同時に、こちらから踏み込む。
一瞬で電鳴とすれ違った。今度も彼の切っ先は、わずかに僕に届かない。
何かを感じたのか、電鳴が動きを止め、じっとこちらを観察している。
僕はまだ腰の剣を抜いていない。だけど、鞘には左手で触れていた。右手もいつでも動かせる姿勢だ。
沈黙。その中で、ジリッと電鳴が地面を踏みしめる。
刹那の中の刹那で、両者がすれ違う。
足音も気迫も、剣が風を切る音も、全部が遅れて聞こえた。
ゆっくりと僕は振り返り、痛みに顔をしかめて左肩を手で押さえた。右手がすでに血で濡れている。浅いが、確かに切られた。
「つまらん」
僕の見ている前で、振り返った電鳴が音高く剣を鞘に戻した。
彼の服の左肩が裂けている。だけど血は流れていない。
僕の方が遅かったか。あるいは、筋を見極められた。
並みの使い手じゃないのは確かだ。僕には彼の剣筋を数回とはいえ、見ることができた。その分だけ、見極めるという要素に関しては、絶対的に有利だった。その見極めを最後の一瞬、超えてきた。
それでもまだ全力じゃないだろう。
直感的にそれがわかった。
「すごい技だな、君たちは」
段葉が歩み寄ってきて、間に入るように立った。電鳴はもう屯所の方へ歩き出していて、一瞬、段葉とすれ違う時、視線を交わしていた。電鳴は口を一文字にしていて、瞳がぎらついている。段葉も張りつめた気配だが、こちらを向いた時には、もう平静に戻っていた。
「傷は深くないか?」
「ええ、しかし病院に行きます」
「そうか。しかしなぁ」
段葉がしげしげとこちらを見る。
「私にはきみの居合が見えなかった。いつ抜いたのか、いつ納めたのか、全てが一瞬で終わってしまった」
「しかし電鳴殿の方が速かった。僕は切られて、彼は服だけでしたし」
「あの男が傷を負ったところを、私たちは誰も見たことがないのだよ」
そんな人だったのか。驚きつつ、何か納得するものがあった。
電鳴の剣の筋は、僕には身に覚えがあるもので、つまり、それが答えなのだ。
段葉は詰め所に戻ると言って、僕と別れた。僕は他にあてもないので、都風の病院に向かった。助産師が傷を縫ってくれるかは、よくわからなかったけど。
訪ねると、やはり都風は書類の束を繰っていて、僕が顔を出すと、少し笑って見せた。
しかし僕の怪我を見ると、真面目な顔になり、丁寧な様子で素早く縫ってくれた。
「誰に切られたんです? 切り口には相応の実力が見えるけれど」
「ええ、その、立ち合いを求められて、お互いに手加減はしたと思いますが、こうなりました」
「相手に怪我をさせたのですか?」
「相手に僕の剣は届きませんでした。つまり、僕が負けたのです」
あらあら、と言いつつ笑って、包帯を巻いてくれた都風は、ちょっと真面目な顔になった。
「剣士というのも、因果なものですね。他人を傷つけないと、実力がわからないとは」
「剣そのものが、そういうものですから」
「何かを失うこと、損なうことが、宿命とは、愚かしい」
数年前のことが、唐突に意識に蘇った。
愚か、か……。
「どうしましたか? 龍青殿?」
顔を覗き込まれて、はっとした。どうにか、笑みを見せることができた。
「なんでもありません。以前に、人間の愚かさを話してくれた方がいましたので」
「あなたを愚かといったわけではないのですよ」
「ええ、それは、はい……」
都風はそれからお茶を出してくれて、世間話になった。段葉の世話になることにした、と話すと、それがいいでしょう、と彼女は頷いていた。
いつの間にか時間が過ぎ、夕飯を食べて行きなさい、段葉には伝言を頼むから、と言われて、その言葉に甘えて、夕方までそこに滞在していた。
夜になり、「帰り道、気をつけて」と送り出された。
ここのところ、こんな場面が多いのだ。みんな、僕によくしてくれる。僕はそんな人たちに、何を、どういう形で返すことができるだろう。
夜の街並みは静まり返っている、主要な通りの方から人の喧騒は聞こえるが、僕はそれを避けるように、脇道を抜けて行った。土地勘はまだないが、下へ降りていけば、もう覚えた街へ出るだろう。
通りに出たところだった。
「待て」
声をかけられて、振り仰いだ時には、頭上からの一撃が落ちてくる。
飛び離れて、剣を抜いた。
「さすがの反応だな」
そこにいたのは、電鳴だった。
「何をするのですか、電鳴殿」
「ここなら本気で手合わせができる。そう思っただけだ。誰の目もなければ、力を使えるだろう。違うか?」
言葉と同時に、ぐっと電鳴がこちらに手を突き出した。
見えない衝撃が僕を跳ね飛ばす。空中で姿勢を取り戻し、通りを形成する家の壁に、足から柔らかく着地し、地面に降りる。
今の力は、理力だ。
昼間、剣を合わせた時に感じたことは、やはり間違いではなかった。
彼の体の使い方は、僕と似通っている。あの理力の先生たちから受けた稽古と同質のものを、電鳴も受けたのだと、僕は直感していた。
だから、彼が理力を使うのは、不自然ではない。
「誰に教わったのですか?」
それだけが不思議だった。師匠ではないだろう。別の理力使いか。
「知りたければ」
電鳴が笑う。
「力尽くで話させてみろ」
そう言って彼が構えた剣が、月光を微かに照り返した。
(続く)