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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第一部 渡水鳥
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1-6 鼓動

     ◆



 一階に下りると、薄暗い明かりの中で、番頭さんが倒れこんでいる。

 駆け寄ろうとした時、「動くな!」という叫び声が上がった。

 明かりの影のあたりに、誰かが立っている。少女の首に腕を巻き、刃物を突きつけていた。少女は番頭さんの娘で、この宿屋で働いていたはずだ。

「動くな、壁際へ行け、早く、早く!」

 やっと声に聞き覚えがあると意識が及んだ。

 昼間、火炎の代わりに腕試しをやっていた男だ。

「早く壁際に行って手をつけ! この娘を殺すぞ!」

 火炎が言われるがままに壁際へ歩き出す。相手が誰なのか、わかっているんだろう。僕もそれに従うしかない。

 人質の安全が、第一だ。

 壁にたどり着き、まず火炎が両手をついた。僕も倣う。

 例の男は、こちらに歩み寄ってくるようだ。

 背後から襲われるのは、不利だけど、理力を使えばなんとかなる。

 火炎の意思を知ろうと視線をそれとなく送るが、彼は無表情に壁を見ている。

 背後で少女が悲鳴をあげる。意外に近い、すぐそこじゃないか。

 と、湿った音と、少女の絶叫が起こり、同時に襲撃者が大声をあげた。

 火炎が弾かれたように動いた。

 振り向きざまの蹴りが、鮮やかなほど綺麗に、男の胴を捉えて、吹っ飛ばしている。その影を追うように火炎が飛びかかった。

 僕がそれを眺めていられないのは、僕のすぐ足元で、少女が倒れ込み、悶えているからだ。いや、震えているといったほうがいい。

 首元を刺されていた。男の持っていた短剣が抉ったんだろう。

 血が流れて、止まらない。深さはどれくらいだ?

「誰か! 誰かいないのか!」

 一階の広い空間に僕の声が反響する。上の階で人が動く気配。一階の奥からも、気配はあるが、恐怖のためか誰も出てこない。

 僕は両手を少女の首筋に傷口に押し付け、意識を研ぎ澄ませた。

 こんな場面、こんな状態を前にするのは初めてだけど、やれることは一つしかない。

 両手に理力が集まっていく。かすかに熱が上がるのがわかる。しかしその手は今も、赤く染まっていく。ヌルヌルとして、それが集中を乱す。少女はすでに震えていない。意識はない。

 まだ、間に合うはずだ。

 両手の熱が、じわじわと少女に浸透し、僕の理力が、彼女へ影響を及ぼしていく。

 血の流れが弱くなっていく。もしかしたら、命が消えかかっているかもしれない。

 間に合え。間に合ってくれ。

 一心に両手を強く押し付けた。

 いつの間にか血の流れが止まる。少女の体が冷えていく。

 僕は理力の全てをそこに注ぎ込んだ。

 その時だけ、僕はまるで体が二つあるような、そんな錯覚を覚えた。

 片方は必死に、少女を助けようとしている。

 片方は、かすかな鼓動が今にも消えようとしている。

 二つの体の鼓動を、合わせていく。

 そうすることで、僕自身の鼓動が緩慢になり、意識が途絶えそうになった。耐えるしかない。

 やがて、少女の鼓動が一定の拍子を刻み、そしてひときわ強く、震えた。

 ハッとした時には、僕が押さえる傷口の向こうで確かに少女の鼓動が蘇っていた。

 咳き込むように呼吸が再開され、僕はやっと手を離した。

 座り込み、自分が汗をかいている、それも全身が濡れるほどの発汗だと気付き、額を拭ったら、少女の血がべっとりとついた。

 どうなった? 少女ににじり寄り、服の袖で、その首筋を拭う。

 傷口は、なくなっていた。

 流れた大量の血は、床に広がっている。でももう、傷はないのだ。

 少女は穏やかに呼吸している。顔はまだ青白いが、おそらく、生き延びる。

「何をした?」

 頭上からの声は、火炎のそれだ。

 顔を上げると、薄明かりの中で、火炎の険しい表情が見て取れた。

「言えない。ちょっとしたやり方で、彼女を助けた」

「これだけの出血で、生きているわけがない」

「生きているよ。それより、例の奴はどうなったの?」

 ちらっと火炎が視線を送った方を見ると、土間の一角で男が倒れている。動かない。

「殺したの?」

「まさか。ただ殺すのもつまらないから、生かしてある」

 屈み込んで、少女の顔を覗き込み、「嘘みたいだが、生きているな」と火炎がつぶやき、次に身振りで「あいつもどうにかできるか?」と示した先には、番頭さんが倒れている。

 慌てて駆け寄ると、どうやら殴り倒されただけらしい。目立った怪我はないし、出血もしていない。意識が朦朧としているようだが、時間とともに回復するだろう。

「運ぼう」

 そう僕が言った時、階段からこちらを覗き込む、数人の宿泊客が見えた。

 勇敢な人間は、実は社会には少ししかいないのかもしれない。

 どの部屋を使っていいかわからなかったので、火炎が少女を、僕が番頭さんを担いで、僕の部屋へ向かった。料理の器や膳を壁際に押しやり、二人を布団に寝かす。

 ここに至って、やっと他の宿の従業員がやってきた。彼らは夜の街へ散って、医者や役人を呼びに走った。一部は一階の片付けを始めたようだ。

 医者が来たのはしばらく経ってからで、酒臭かった。一杯飲んで、眠っていたのを叩き起こされたのだろう。

 まず少女を見るが、「どこを怪我したんだね?」と不審そうだった。明かりの中だと、少女の首筋にはちょっとの傷もないのだ。番頭さんの方は、しばらく寝かせて様子を見なさい、とのことだった。

 医者が去っていき、役人が来たが、それには火炎が例の男を押し付けて、そのまま役人は去っていった。

 気づくと時間が過ぎていて、明かりを消して窓の戸を開けると、朝日が差し込んだ。

「何をしたんだ? 龍青。まだ秘密か?」

 朝日の中で、穏やかに眠る少女を見ながら、火炎が僕に言葉を向ける。

「この娘が傷を負ったのは、俺の責任だ。それをお前が防いでくれた。どうやって礼をしたらいいか、わからないほど、感謝している」

「偶然に居合わせた、という幸運に感謝しなよ」

 我ながら気障すぎるかな、と思いつつ、そう答えていた。やっぱり気障だと感じたらしく、火炎は笑っている。

 宿のものが料理を運んできた時、僕が血まみれだとやっと分かり、風呂を用意してくれた。新しい服も貸してくれた。部屋に戻ると、番頭さんもその娘も他所へ移されたらしく、火炎が一人で食事をしていた。

「あれは呪術って感じじゃない」

 食事をしつつ、火炎がまたその話題に戻っている。

「呪術で他人を癒す奴なんて、聞いたことがない」

「僕もないね」

「でもやって見せた」

「あのまま死なせるわけにはいかないでしょ?」

 苦々しい表情で、火炎が粥をすする。僕はそれがおかしくて、一晩、眠らなかったせいもあってか、思わず答えを口にしていた。

「僕が使うのは、理力、と呼ばれる力だよ」

 こちらに向けられた火炎の視線は、不審さを隠そうともしていない。

「どういう力だ? 俺の剣を受け止めたのも、それか?」

「万能なんだ。でも、誰もが使えるわけじゃない」

 そいつはまた都合がいいな、と笑って、しかし火炎は、何度か頷いた。

「調べてみるよ。飯を食ったら俺は出て行く。今度こそ、お別れだ」

「面白い一夜だった」

「人が死にかけたのに、面白い一夜、か?」

 そうじゃなくて……、ともごもご答える僕に、火炎がまた笑う。

 窓の向こうから、街が動き始めた気配がした。




(続く)


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