9-2 協力者
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都風からの書状を受け取って、段葉は何か考え込み、顔を上げた。
「呪術師や呪術の取り締まりを、私の十人隊は請け負っています。今までに何人かも、摘発しているので、お力にはなれるかもしれない」
「そう、ですか」何か、重荷が肩から降りた気がした。「ありがとうございます」
「それで、何という者を追っているのですか?」
名前を口にするのは躊躇われたが、言わないわけにはいかない。
「翼王」
「……翼王?」
わずかに段葉が目を見開き、こちらに乗り出した。
「名前を聞いたことがある。大勢の人間に呪術を施している。この街にいるのですか?」
「よくわからないのです。どこにいる、という様子でもなく、どこにでもいる、というか……」
眉間にしわを寄せた段葉が何かを考えていたが、すぐに頷く。
「呪術には、様々な要素が含まれている。複数のところに同時に存在する。それも可能なのかもしれない」
「肉体がない、という話も聞きました」
これは信じてもらえないだろうと思っていたけれど、段葉は微かに顎を引いた。
「なんでも起こる、というのが呪術ですね」
「信じてもらえるのですか?」
「え? あなたは私に嘘を吹き込んでいるのですか?」
とんでもない、とこちらが恐縮してしまった。
そこへ春来が食事の膳を運んできた。もう夕食か。立ち上がろうとすると「ご用意しましたから」と言われてしまった。段葉も「一緒に食べましょう」と誘ってくる。
どうしても断り切れなかった。僕もどうやら、火炎がいないことが堪えていたようだ。誘いを受けてしまった。
三人で食事になる。赤子は眠っているのだろうか。
「龍青殿には、どこか不思議なところがある」
食事をしながら、段葉がそんなことを言った。
「どなたに武術を習われた? 体の動きは、明らかに武人のそれだ。相当、使うのでしょう?」
「それほどではありません」
謙遜ではなく、自然と力を隠してしまう、相手に悟られないようにしてしまうのは、あまり好きな習慣ではない。でもやめらないのだった。
「段葉殿の動きも、洗練されています」
僕がそう言うと、クスクスと春来が笑い出した。
「龍青殿を前にしては、旦那様も形無しですね」
眉をハの字にして、段葉も笑っている。
「これでも東方臨海府で五本の指に入る使い手と言われているのだ」
やっと失言に気づいた。
「失礼しました。あの、忘れてください」
頬が熱くなり、俯いてそれを隠した。
「私の剣術は実戦剣術で、あまり洗練されていないのです。その辺りで、龍青殿は私の力量を見誤ったのでしょう。もちろん、龍青の判断が正しく、私は井の中の蛙で、実は大した腕ではないのかもしれないが」
段葉が声に出して笑い、春来も笑っている。僕だけが恥ずかしがっていた。
「それで」段葉が目尻を指先で擦るようにしてから、訊ねてくる。「龍青殿は、どこで?」
「山の奥で、修行をしました」
「山の奥? 一人で?」
「師に恵まれておりました」
あまり段葉にも想像できなかったようだし、春来も不思議そうにしている。
「いつか、立ち合ってみたいものですね。いかがですか?」
そう言われて、僕は首を振って「あまり自信もありません」と答えた。
答えてから、自分が本当に弱っていることに気づいた
理力使いは、自信を失えば、それで終わりだ。出来ると思えば出来るが、出来ないと思えば出来ないのだから。僕はどうやら、気力を失っている。
食事は続き、段葉と春来が赤子について話をしていた。
だいぶ遅くなってから、「宿を取ってありますので」と屋敷を出た。見送りに来た段葉が「お気をつけて」と笑った。
「これからしばらく、お世話になります」
頭を下げると、お気遣いなく、という柔らかい返事があった。
もう一度、頭を下げ、屋敷を離れ、街を斜面の下の方へ進んでいく。
家々の間を抜けて行った時、何かが背筋を撫でた気がした。
反射的に振り返るが、何もいない。人気もない。
なんだ? 勘違いではない。間違いなく何かがそこにいた。
逃げたか、あるいは、僕を振り返らせること、僕に存在を意識させることが目的か?
腰の剣の柄に手を置いたまま、じっと周囲を伺う。やはり誰もいない。
姿勢を戻し、足早に斜面を降りた。宿にたどり着き、部屋に入っても、どこか落ち着かなかった。
誰かに見られている気がする。
戸を閉め、明かりも消した。
布団に入って、しかし目を閉じずに、闇を見透かしていた。
人の気配はない。誰も見ていない。
僕はどうも、いよいよ参っているのかもしれない。頭から火炎のことが離れない。
じっとしているうちに、浅い眠りがやってきて、しかしぼんやりとした夢の中では、雨が風とともに吹きつけ、波が押し寄せてきた。
はっとすると、まだ闇の中に自分がいる。
眠りはなかなか深くならず、そんなことを繰り返しているうちに、外で鳥が小さく鳴き始めた。起き出して戸を開けると、まだ冷たい空気が流れ込んだ。
朝食を食べに街に出て、開店準備ができたばかりの店で、穀物の粉を練ったものの小さな塊の入った汁を頼み、素早く食べた。
もう昨日の夜のような視線は感じない。
そういえば、紅樹はどこにいるのだろう? まだ東方臨海府まで辿り着いていないかもしれない。彼女は陸路でここへ来る約束になっている。
昨日の視線は、少しだけ紅樹に似ているけど、あんな敵意のようなものは、紅樹は発さない。
なら、呪術を身に受けたものが、僕を見ていた?
答えの出ないまま宿に戻ると、宿の前で段葉が待っていた。
「もう朝食を済ませたのですか?」
こちらから訊ねると、ええ、と段葉が頷く。
「子どもが朝早くから泣くので、妻も私も、早く起きるのです。では、守備隊の屯所へ行きましょうか。ここで待っています」
素早く宿の部屋に戻り、身支度をして外に出ると、段葉はゆったりとした佇まいで、そこにいた。
「お待たせしました」
「では、行きましょうか」
そうして僕は東方臨海府の一角にある守備隊の屯所に案内された。六人ほどが詰めていて、段葉が話をしている感じでは、そのうちの三人は夜勤で、これから帰るようだ。
僕が紹介され、彼らも名乗った。
「どういう剣を使うか、興味があるな」
六人のうちの一人がそう言ったけど、段葉が「無礼だぞ」と冗談っぽく言うと、その兵士も苦笑いして引き下がった。
そのうちに後から三人来て、やっと三人は仕事を終えたようで、帰って行った。
屯所に段葉とその部下の五人、そして僕になった。屯所では書類仕事があるようで、三人は机に向かっている。
段葉が、「力になる男がいます」と僕に言ったのは、昼食後のことだった。ちなみに昼食は出前が運ばれてきていた。
「誰です?」
「別の十人隊の隊長です。面白い男ですよ」
そんな具合で、段葉は僕を連れ出した。
(続く)




