8-6 慟哭
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その男は、海楼と名乗った。どうやら頭領らしい。
「四日前、仲間が六人ほど死んだ」
海楼は酒を飲んでいて、横では李李が酌をしている。二人は夫婦だと聞いた。
「六人ってことは、この集落以外にも、潜んでいる場所があるんだな?」
「それをお前が知る必要はない。俺たちは今、お前を殺して海に放り込みたい」
「ガラにもないことを言うなよ」
俺は思わず笑っていた。
「そんなことを考えているなら、俺はここにはいない」
「俺たちが本気じゃない、と?」
「少なくとも、あんたたちは戦いってものが分かっている雰囲気だ。剣を向け合うっていうのは、殺し合いだからな。仲間が切られるのを覚悟しなくちゃ、戦いなんてできない」
達観しているな、と言って、にやっと海楼が笑う。
ぐっと盃を干した。
「ちょっと試してみよう」
いきなり、どんと海楼が床を叩いた。
小屋の中にどやどやと六人ほどが入ってきて、剣を抜いた。
李李は落ち着いて、離れていった。海楼が守るように立っている。
六人に囲まれて、俺はそっと周囲を確認した。全員が殺気立っている。ちょっとしたいたずら、ちょっとした脅し、という感じではない。
殺す気だな。
立ち上がろうとした時には、二本の剣が差し込まれている。
足で床を蹴り、片腕で倒立し、切っ先を避ける、
腕の力で跳ね上がりつつ、もう一方の手では自分の剣をすくい上げるように手に取っている。
着地の瞬間を狙う三つの攻撃を、身を捻って避け、剣で弾く。
六人はじりじりと間合いを作り、俺は部屋が狭いため、背後に壁を背負う形になった。
ワッと六人が間合いを詰めた。
集中が、限界まで高まる。
六本の剣を弾き飛ばした時には、一人にピタリとくっつき、当身で倒す。
その体を片手で襟首を掴んで引っ張り、残り五本の剣を遠ざける。
五人の殺気に変化はない。もしかして、仲間を見捨てるつもりか?
もう一度、今度は五人で間合いを狭めてくる。
俺は意識のない男を、盾にするのはやめた。
脱力している男を放り出し、五本を凌ぎきり、一人を当身で、もう一人を投げ飛ばして床に叩きつけた。
「よせ」
静かな声が部屋に響いた。
海楼だ。
男たちが間合いを取る。介抱してやれ、と海楼が指示を出すと、倒れている三人が運び出された。どっかりと海楼が腰を下ろす。彼は剣を抜かずに酒の瓶を手に持ったままだった。
すぐに自分の手で酌をして、飲み始める。李李は俺が倒した男たちと一緒に部屋を出て行った。海楼はしばらく黙っていた。
「死んだ仲間は、運がなかった。そして、あんたは運が良かった。そういうことだな」
「ま、そうなるかな」
俺も剣を傍らにおいて、腰を下ろしていた。
「強運な男は好きだ。一番好きだよ」
ゆっくりと盃が傾けられる。
ぎょろっと、強い視線がこちらに向けられた。
「仲間にならないか?」
「仲間? 海賊にか? 俺が?」
「働いて欲しい場所はいくつかある」
どう答えていいものかな。
「どうも、俺は船が苦手だ。すぐに具合が悪くなるし、あの揺れが激しい足場、グラグラするのも、好きじゃない。慣れていないんだ」
「さっきはだいぶ見事な大立回りだったが?」
「陸地だからな」
何が面白いのか、海楼は声もなく、笑っている。不気味な奴だ。
「というわけで」俺は話を進めた。「俺は海賊には向かない。迷惑ばかりかけたが、さっさと先へ行かせてくれ」
「そういうわけにもいかない」
何故だ? と視線を向けると、海楼の顔は真面目なものに変わっていた。
「広場に寝かされている男、お前と一緒に流れ着いた男だが、あの男は俺たちの仲間で、奴の妻がこの集落にいる」
やはり、としか思わなかった。ありそうなことだ。
「……その女に謝罪しろ、ということか?」
「謝罪など、何の意味もない。男はそう考える。しかし女は違う。男が帰ってくるのを、彼女たちはずっと待ち続けている。何をしているかわからない男の無事を祈り続けてだ。それがどういうものか、わかるか?」
わからなくはない。もし俺に、そういうことをしてくれる女がいれば、また違ったことを考えそうなものだが、今は、女たちの不安と、そして絶望はよく想像できた。
「男の名前は、厚保だ。女は相金という。祈りの一つでもするんだな」
「それで俺を解放する感じでもないが?」
「そういう姿勢で祈るような奴なのか?」
真剣に、心の底から祈れ、ということらしい。
「まぁ、そういう奴かもしれない」
「それでも祈れ。で、俺たちに手を貸せ」
そういうことになるのは、わからなくはない理屈だ。等価交換。命を奪った代わりに、命をかける。
「海の上の俺は使いものにならないぞ、それだけは先に言っておくし、俺はおめおめと力を出せずに死にたくはない」
「考えておくよ」
しばらく二人で黙っていると、李李が戻ってきた。海楼が「相金の元へ連れて行ってやれ」というと、李李は無言で頷き、俺に「こちらへ」と強張った声で言った。
外へ出ると、周囲は真っ暗で、夜になっていた。小さな松明を李李が握り、先へ進んでいく。
広場の真ん中の火は残っていたが、遺体はそこにはない。家の中に入れられたようだった。
案内された家に入ると、かすかな腐臭がする。広間の奥に遺体が寝かされ、しかし体全部を覆う布がかけられている。
すぐそばで女が俯いていた。
李李が声をかけると、やっとこちらに気づいた様子で、ゆっくりとを顔を上げ、俺をぼんやりと見た。
立ち上がる女になんと声をかけるべきか、迷っていたが、女が奇声をあげて飛びかかってきたので、それどころではなくなった。
彼女の右手には短剣が光っている。瞬間、俺は彼女の手首を掴んで、短剣を止めていた。
が、その手から短剣が溢れ、左手が掬い上げる。
素早く、今度は左手首を掴み止める。
股間を女の足が蹴り上げてくるが、一瞬早く、俺が彼女の軸足を払い、両手も振り回して、やや強く床に叩きつけた。
李李は無言だった。
目の前に組み伏せた女、相金は泣いていた。声もなく、しかし悲しんでいる顔でもない。
憎悪にかられた、醜い顔だった。
こんな顔を、だいぶ前に向けられたものだ。何度、体験しても、この憎悪という奴に慣れることはない。
しばらくもがき続ける相金を押さえ込んでいたが、体から力が抜け、表情が悲しみのそれに変わる。
まるで咆哮するように、彼女が泣き始めた。
彼女を解放し、頭を下げる。相金は体を丸めて、まだ泣き続けていた。
部屋の奥、布に隠された男、厚保のそばに膝をついて、瞑目する。
これ以外にできることはない。お互い、難儀な役回りだな、と思ったが、これは死者に対して失礼だろうか。
相金が泣き続けている。李李は寄り添うように膝を折っていた。
俺はその泣き声を聞きながら、死体の前でこうべを垂れ、動きを止めていた。
泣き声は、掠れても、響き続けた。
俺を恨む心がそこには確かにあった。
(続く)