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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第八部 嵐の海
56/118

8-6 慟哭

     ◆



 その男は、海楼と名乗った。どうやら頭領らしい。

「四日前、仲間が六人ほど死んだ」

 海楼は酒を飲んでいて、横では李李が酌をしている。二人は夫婦だと聞いた。

「六人ってことは、この集落以外にも、潜んでいる場所があるんだな?」

「それをお前が知る必要はない。俺たちは今、お前を殺して海に放り込みたい」

「ガラにもないことを言うなよ」

 俺は思わず笑っていた。

「そんなことを考えているなら、俺はここにはいない」

「俺たちが本気じゃない、と?」

「少なくとも、あんたたちは戦いってものが分かっている雰囲気だ。剣を向け合うっていうのは、殺し合いだからな。仲間が切られるのを覚悟しなくちゃ、戦いなんてできない」

 達観しているな、と言って、にやっと海楼が笑う。

 ぐっと盃を干した。

「ちょっと試してみよう」

 いきなり、どんと海楼が床を叩いた。

 小屋の中にどやどやと六人ほどが入ってきて、剣を抜いた。

 李李は落ち着いて、離れていった。海楼が守るように立っている。

 六人に囲まれて、俺はそっと周囲を確認した。全員が殺気立っている。ちょっとしたいたずら、ちょっとした脅し、という感じではない。

 殺す気だな。

 立ち上がろうとした時には、二本の剣が差し込まれている。

 足で床を蹴り、片腕で倒立し、切っ先を避ける、

 腕の力で跳ね上がりつつ、もう一方の手では自分の剣をすくい上げるように手に取っている。

 着地の瞬間を狙う三つの攻撃を、身を捻って避け、剣で弾く。

 六人はじりじりと間合いを作り、俺は部屋が狭いため、背後に壁を背負う形になった。

 ワッと六人が間合いを詰めた。

 集中が、限界まで高まる。

 六本の剣を弾き飛ばした時には、一人にピタリとくっつき、当身で倒す。

 その体を片手で襟首を掴んで引っ張り、残り五本の剣を遠ざける。

 五人の殺気に変化はない。もしかして、仲間を見捨てるつもりか?

 もう一度、今度は五人で間合いを狭めてくる。

 俺は意識のない男を、盾にするのはやめた。

 脱力している男を放り出し、五本を凌ぎきり、一人を当身で、もう一人を投げ飛ばして床に叩きつけた。

「よせ」

 静かな声が部屋に響いた。

 海楼だ。

 男たちが間合いを取る。介抱してやれ、と海楼が指示を出すと、倒れている三人が運び出された。どっかりと海楼が腰を下ろす。彼は剣を抜かずに酒の瓶を手に持ったままだった。

 すぐに自分の手で酌をして、飲み始める。李李は俺が倒した男たちと一緒に部屋を出て行った。海楼はしばらく黙っていた。

「死んだ仲間は、運がなかった。そして、あんたは運が良かった。そういうことだな」

「ま、そうなるかな」

 俺も剣を傍らにおいて、腰を下ろしていた。

「強運な男は好きだ。一番好きだよ」

 ゆっくりと盃が傾けられる。

 ぎょろっと、強い視線がこちらに向けられた。

「仲間にならないか?」

「仲間? 海賊にか? 俺が?」

「働いて欲しい場所はいくつかある」

 どう答えていいものかな。

「どうも、俺は船が苦手だ。すぐに具合が悪くなるし、あの揺れが激しい足場、グラグラするのも、好きじゃない。慣れていないんだ」

「さっきはだいぶ見事な大立回りだったが?」

「陸地だからな」

 何が面白いのか、海楼は声もなく、笑っている。不気味な奴だ。

「というわけで」俺は話を進めた。「俺は海賊には向かない。迷惑ばかりかけたが、さっさと先へ行かせてくれ」

「そういうわけにもいかない」

 何故だ? と視線を向けると、海楼の顔は真面目なものに変わっていた。

「広場に寝かされている男、お前と一緒に流れ着いた男だが、あの男は俺たちの仲間で、奴の妻がこの集落にいる」

 やはり、としか思わなかった。ありそうなことだ。

「……その女に謝罪しろ、ということか?」

「謝罪など、何の意味もない。男はそう考える。しかし女は違う。男が帰ってくるのを、彼女たちはずっと待ち続けている。何をしているかわからない男の無事を祈り続けてだ。それがどういうものか、わかるか?」

 わからなくはない。もし俺に、そういうことをしてくれる女がいれば、また違ったことを考えそうなものだが、今は、女たちの不安と、そして絶望はよく想像できた。

「男の名前は、厚保だ。女は相金という。祈りの一つでもするんだな」

「それで俺を解放する感じでもないが?」

「そういう姿勢で祈るような奴なのか?」

 真剣に、心の底から祈れ、ということらしい。

「まぁ、そういう奴かもしれない」

「それでも祈れ。で、俺たちに手を貸せ」

 そういうことになるのは、わからなくはない理屈だ。等価交換。命を奪った代わりに、命をかける。

「海の上の俺は使いものにならないぞ、それだけは先に言っておくし、俺はおめおめと力を出せずに死にたくはない」

「考えておくよ」

 しばらく二人で黙っていると、李李が戻ってきた。海楼が「相金の元へ連れて行ってやれ」というと、李李は無言で頷き、俺に「こちらへ」と強張った声で言った。

 外へ出ると、周囲は真っ暗で、夜になっていた。小さな松明を李李が握り、先へ進んでいく。

 広場の真ん中の火は残っていたが、遺体はそこにはない。家の中に入れられたようだった。

 案内された家に入ると、かすかな腐臭がする。広間の奥に遺体が寝かされ、しかし体全部を覆う布がかけられている。

 すぐそばで女が俯いていた。

 李李が声をかけると、やっとこちらに気づいた様子で、ゆっくりとを顔を上げ、俺をぼんやりと見た。

 立ち上がる女になんと声をかけるべきか、迷っていたが、女が奇声をあげて飛びかかってきたので、それどころではなくなった。

 彼女の右手には短剣が光っている。瞬間、俺は彼女の手首を掴んで、短剣を止めていた。

 が、その手から短剣が溢れ、左手が掬い上げる。

 素早く、今度は左手首を掴み止める。

 股間を女の足が蹴り上げてくるが、一瞬早く、俺が彼女の軸足を払い、両手も振り回して、やや強く床に叩きつけた。

 李李は無言だった。

 目の前に組み伏せた女、相金は泣いていた。声もなく、しかし悲しんでいる顔でもない。

 憎悪にかられた、醜い顔だった。

 こんな顔を、だいぶ前に向けられたものだ。何度、体験しても、この憎悪という奴に慣れることはない。

 しばらくもがき続ける相金を押さえ込んでいたが、体から力が抜け、表情が悲しみのそれに変わる。

 まるで咆哮するように、彼女が泣き始めた。

 彼女を解放し、頭を下げる。相金は体を丸めて、まだ泣き続けていた。

 部屋の奥、布に隠された男、厚保のそばに膝をついて、瞑目する。

 これ以外にできることはない。お互い、難儀な役回りだな、と思ったが、これは死者に対して失礼だろうか。

 相金が泣き続けている。李李は寄り添うように膝を折っていた。

 俺はその泣き声を聞きながら、死体の前でこうべを垂れ、動きを止めていた。

 泣き声は、掠れても、響き続けた。

 俺を恨む心がそこには確かにあった。



(続く)


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