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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第八部 嵐の海
54/118

8-4 救い

     ◆


 誰が悪いかといえば、まぁ、俺が悪いわけだが、龍青だってむちゃくちゃだ。

 ほとんど打ち合わせもなく駆け出したあいつは、そのまま海に飛び込んだ。俺が駆け寄って下を見たときには、海賊の船を奪って矢を射っているのだから、大したものだ。

 その代わりに、俺は二人の海賊の相手をすることになった。

 はっきり言って、分が悪い。俺はあまりに疲労していたし、海の上、船の上というものに慣れていない。

 海賊の一人と鍔迫り合いになった時、もう一人の海賊が完璧な、こちらの回避を許さない一瞬で横に現れた時、俺は流石に死を覚悟した。

 その一瞬と同時に、船の傾きが元に戻らなければ、奴の短剣は俺の腹を引き裂いた、それは確実だった。

 たぶん、俺が乗っている船に衝突していた海賊の船が、離れたんだ。

 海賊の短剣は空を切っている。

 一方で、俺の目の前にいた海賊は、反動で宙に浮いていた。俺にのしかかるような姿勢になったが、相手の足は甲板を離れている。

 ここしか勝機はない。

 俺の大剣がねじり込むように海賊の剣の奥へ進み、相手の首に刃が食い込む。

 海賊が目を丸くし、その間にも剣は首を半ばまで断ち割っている。

 絶命寸前の落ちてくる海賊の体を、身を捻って上下を入れ替え、死体は甲板に叩きつけられ、俺は即座に起き上がった。

 蹴りつけられた。さっきの短剣の海賊だ。

 甲板に転がり、這うようにして剣を構える。

 海賊が低い姿勢で短剣を構えるが、その瞳に光るのは、明確な殺意だ。

 静寂がやってきたような気がした。

 二人だけが、ここにいる。

 海賊が床を蹴る。まるで計ったように、船が波で揺れた。俺は姿勢を低くして、均衡を保つ。

 すぐ目の前を短剣が走り抜ける、首を捻ると、頬を切っ先が掠める。

 横に跳び、距離を取ろうとするが、海賊も追ってくる。

 剣を振っても、海賊は鮮やかな身のこなし、よく訓練された動きで、俺の剣は掠りもしなければ、距離を作る牽制にもなりはしない。

 また甲板が揺れる。思わず片膝をついていた。

 小さく、海賊が飛び上がる。まずい、足場が悪い、踏みこめる姿勢ではない。

 海賊の短剣がすぐ目の前で光った。

 二人の体が衝突し、俺は弾き飛ばされた。体が転がり、甲板の縁に衝突して止まる。

 奴は?

 すぐ目の前だった。短剣がすぐそこだ。

 とっさに吠えながら、大剣を突き出した。

 海賊の脇腹に切っ先が入る。なぜ、避けない。

 狙っていたのだ。遅れて気づいた。

 海賊も何か吠えて、短剣を腰だめに構えて、押してくる。脇腹を裂く大剣の手応えが、不気味に感じられた。

 身を捻る、同時に大剣を捻る。

 相手の動きが鈍くなるが、勢いというものがある。

 短剣が俺の脇腹をかすめた。俺の大剣は相手の腹を半ばまで引き裂いている。絶命を必至。

 海賊が急に短剣を手放した。

 抱きついてくる。

 まさか。

 その次の一瞬には、俺の体が甲板の縁を乗り越え、海面に向かって真っ逆さまに落ちていた。

 死んだ男が俺に抱きついている。死んでいるはずなのに、両腕にはものすごい力がこもっている。

 激しい衝撃と同時に、風鳴りが消え、次には水が渦巻く音が聴覚を奪う。

 平衡感覚が曖昧になり、どちらが上なのか下なのか、そもそも自分がどういう姿勢でいるか、わからない。

 抱きついている死体を振りほどこうとするが、解けない。どんどん沈んでいく。まさか浮かんでいくわけもない。

 息が苦しくなる。息を吐きたくないのに、吐いてしまう。ゴボっと気泡が浮かび上がる。あっちが上だ、空気は上に向かう。

 しかし吐いた息と入れ違いに、水が体の中に入ってくる。

 呼吸が、完全に止まる。

 死ぬ。溺れる。沈む。

 諦めた。諦めざるをえない。もう海面まで呼吸は保たない。

 そうなっても、大剣だけは手放さなかった。

 何かが、大剣から訴えてくる気がして、ぼやける視界で、そちらを見た。

 俺の大剣から青い粒子が漏れている。それが俺の体に触れてくる。

 誰かの声がする。

 わからない。

 大剣がどこかに進み始めたような気がした。必死の思いで、柄を握りしめる。

 ただ、その感覚さえも、あっという間に消え去った。

 俺はどこかの水の中に漂っていて、体は鉛のように動かない。

 沈むしかないはずがまだ沈まないのは、なぜだ?

 何も見えない。真っ暗だ。

 肌を何かがざらりと撫でた。

 目が開く。そう、目が開いたのだ。

 何かを意識する前に、咳が出る、と思ったが、出たのは咳ではなく水だった。仰向けからうつ伏せになり、俺は吐ける限りの水を吐いて、ゼエゼエとやっと呼吸を再開することができた。

 おかしい、俺は沈んだはずだぞ?

 視界が滲む。涙が流れているらしい。服の袖で目元を拭う。服が海水で濡れているので、塩気で目が痛んだ。手の甲で拭うが、目の痛みは消えない。

 ただし、俺は生きている。どうやら、助かったらしい。

 視線を巡らせると、すぐそばに男が倒れている。黒装束を着ている。動かない。呼吸をしていない。服装からして、海賊だろう。俺に組み付いて海に落ちた海賊かもしれない。

 俺の傍に、大剣が転がっていた。やれやれ、あの青い光は、まさかあの婆さんだろうか。

 隠者などと呼ばれているあの婆さんの起こす奇跡は、侮れないな。

 呼吸を整えて、座り込み、自分がいる砂浜の左右を眺める。小さい砂浜で、砂浜は木立へと続いている。俺と海賊以外に流れ着いているものはない。 

 静かだった。

 しかし、陸地というのは揺れないから、安心できるな。

 食事を丸二日ほど口にしていない。急に空腹を感じた。銭は船に置いてきてしまったから、買い物はできない。まさか船から落ちるとは、思ってもみなかったのだ。

 まぁ、こんな薄汚れた男が現れれば、善意の人間がちょっとしたものは恵んでくれるはずだ。

 傍の死体をどうするべきか迷ったが、放っておくしかない。まさか家族とも対面できないはずだ。

 やっと立ち上がり、大剣を背中に背負った。

 どちらに行くべきか。右か左か、まっすぐか。

 迷っていても無駄なので、まっすぐ進むことにした。木立に入れる道筋を探すと、人が通った痕跡があり、驚いた。それも頻繁に人が踏みしめたようで、下草の生えていない道がある。

 そこを進んでいくと、木立は林と呼んでいいものになり、見通しが悪くなる。

 しかしすぐに開けた場所に出た。家がある。小さな家だが、五軒ほどが並んでいた。

 そのうちの一軒の前で、女たちが何か、海藻のようなものをいじっている。

 どうやら飯にはありつけそうだ。

 俺が姿を見せると、女たちが一斉にこちらを見た。驚くでもないので、逆にこちらが不安になるな。

「あー」

 なんて言えばいいだろう。女たちは動きを止めて、こちらを見ている。

「腹が減っているんだが、何かあるかな」

 その一言で、女たちは視線を交わして、失笑した。

「こちらへどうぞ」

 まだ若い女が、すっと立ち上がり、建物の一つを示す。女たちに見送られる形で、家に入ると、案内した女が箪笥のようなものから着物を取り出した。

「まずはこれに着替えて。びしょ濡れよ」

「ああ、海から来たんだ」

 最高の冗談のつもりだったが、女は苦笑いしただけだった。

 女が外に出たので、一人で着替えて、もう一度、外へ出た。着物は少し小さい。

 女たちはもう俺に注意を向けもしない。

「もうちょっとでお昼ご飯だから、待ってね」

 若い女がそう声をかけてくる。

 女たちは俺が見ている前で、たまに世間話をしながら、海藻をいじり続けていた。男が一人もいない。それが不自然で、違和感を覚えさせるけど、いきなり質問するわけにもいかない。

 何より、腹が減ったな。そのせいで頭がうまく働かない気がする。

 しかし、まったく、ここはどういう場所だ?




(続く)


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