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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第八部 嵐の海
51/118

8-1 海

     ◆


 目の前の光景に、さすがに息を飲んでしまった。

 小さな峠の上から見える、地平線まで続く一面の水。

 海か。

「広いなぁ」

 思わず声にすると、そうだな、と茶屋で買った、串に刺した鶏肉を焼いたものを齧りつつ、隣で火炎が答える。あまり感慨深げでもないな。

 何限新府から東方臨海府に向かうに当たって、二人で相談して、街道を使うよりは海路を使ったほうが早い、と結論を出した。東方臨海府は海に面してあると聞いているし、海路を使えば距離はぐっと短くなる。

 遠くに望む海を見ると、少し波が高そうだ。冬は海が荒れるとどこかで読んだ。季節はそろそろ雪が舞おうか、という気候になっている。

「行くぜ」

 肉を頬張りながら火炎が坂を下り始める。横に僕は並んだ。

「火炎は船に乗ったことはある?」

「川船程度だな。海は初めて見た。こんなに広いとは思わなかった。船に乗るとして、どれくらい銭を渡せばいいんだろうな? 高いのかな」

「川の渡し船なんかとは比べ物にならないと思うけど」

 思わずそういうと、そりゃそうだ、という返事だった。

「船の上で何日も過ごすっていうじゃないか。ちょっと川を渡るようにはいかないし、宿に泊まるくらいの金が必要じゃないか?」

「旅客船はそれくらいだろうけどね」

「なんだ、お前、どこぞの輸送船に紛れ込むつもりか。僕は荷物でござい、って感じにか?」

 いけないかな、と火炎を見上げると、彼は顔をしかめている。

「何か、変な悶着が起きそうな気がするけどなぁ。それに、俺たちには水夫をやるような技能がまったくない。一方で、海運をやっている奴らは、専門職だろうさ」

「なんとかならないかなぁ」

「善意に期待するしかないな」

 峠を下りて、日暮れまで進んで、小さな宿場に着いた。宿場とは名ばかりで、宿は二軒しかない。料金が安い方を選んだ。

 海が近いせいか、不思議な匂いが漂ってくる。生臭い、というか、何か粘っこいのような香りだ。潮の香りだろうか。

 ここのところ、どこの宿に泊まっても食事は魚が多くなっている。今日も煮魚だった。それほどの銭を取らないのと比例して、煮魚は小骨を取るのに苦労した。火炎はといえば、口から次々と小骨だけを吐き出している。

 夜はゆっくりと休み、早朝、粥を食べてから出立した。

 昼間には、港に着いていた。港というのも、初めて見る。見上げるほど大きな船が何層も桟橋に横付けされている。どれくらいが海面の下に沈んでいるのか、想像もできない。

 荷夫と呼べばいいのか、大勢の男たちが木箱の山をどんどん船に積み込んだり、逆に船から降ろしたりしている。

 そのうちに水夫の大声が響き渡り、そのやり取りの後、大型船の両舷から突き出している櫂が動き始め、巨体が桟橋から離れた。

 まるで奇跡のように、船は離れていき、ぐるりと方向を変えると、海に向かって進んでいった。

 入れ違いに大型船がやってきて、一度、港の外で停船し、小舟が下されて数人が港にやってくる。何をしていると思うと、桟橋のどこを使うか、確認したようだ。

「行くぜ」

 いきなり火炎がそう言ったのは、小舟から降りた三人のうちの一人を残して、小舟が大型船に戻り始めた時だった。残った一人は桟橋に立って、大型船が入港するのを待ち構えている。

 そのピリピリした雰囲気の男に、声をかけるらしい。

「ちょっとよろしいですか?」

 火炎が声をかけると、男はまず火炎を、次に僕を見て、

「後にしてくれ」

 と、にべもない。

 火炎は無理押しせずに、男の背後に立って黙った。

 やがて大型船が桟橋に着いて、荷の積み下ろしの準備が始まる。

「いいですか?」

 悪びれた様子もなく、荷夫たちの仕事を監督している男に、火炎が声をかける。男は不機嫌そうだ。

「なんだ? 何の用だ?」

「荷夫は足りていますか? どこかで働かせて欲しいんですが」

 ジロジロと男は火炎を見て、「旅人か?」と言った。火炎が頷くと、またジロジリと視線を向ける。

「その剣は飾りか?」

「いや、本当に使えます。こいつもですよ」

 隣やや後ろに立つ僕を、火炎が指差す。僕に向けられる視線には、どうだかな、という色がはっきり見えた。まぁ、確かに僕はひょろひょろしているし。

 男はしばらく黙ってから、

「死んでもいいならついてこい」

 と、身振りで僕たちを促した。

 どういうわけだか、働けるようだ。しかし死んでもいいならなんて、荷夫の仕事で、命の危機なんてあるのか?

 案内された先は入港したばかりの船で、桟橋から甲板まで渡された板で乗り移った。急勾配だ。

 甲板の一角で話っている男二人に引き合わされたけど、片方の男を見たとき、僕の心は一気に引き締まった。火炎も何も言わず、しかしかすかに緊張している。

 男は腰に剣を下げていて、今も船はかすかに波で揺れているのに、重心が乱れることがない。重心が逆に不自然に見えるほど、ピタリと止まっている。

「谷来殿、こちらの二人をどう見ますか?」

 案内してくれた男が、武人らしい男に声をかける。谷来という名前なのか。

 谷来は静かな瞳で僕たちを見て、「悪くはないですな」と低く濁った声で言った。

 それから男たちが何か話し合いを始め、最終的には谷来が、僕たちを船の護衛に加えると、宣言した。

 谷来に案内された船内の部屋は、酒場のようだった。四人の男が卓を囲んで、笑っている。谷来が歩み寄ると全員が少し居住まいを正した。

「この二人を部下にした。名乗ってくれ」

 促されたので、火炎です、龍青です、と答える。よろしくお願いしますと、二人ともが付け加えたけど、実際、僕にはあまり状況がわからない。

 四人も名前を教えてくれた。

「最近、海賊が横行している。前の航海で二人が死んでね、その補充がお前たちだ」

 やっと谷来が説明してくれた。そういう事情かと腑に落ちた。谷来は、僕たちに「こいつらから事情を聞いておけ」と言って、部屋を出て行ってしまった。

 四人の男たちが言うには、海賊は船をすぐ横につけて、飛び移ってくるらしい。死んだ護衛の一人は、海賊に切り倒されたということだった。

 もう一人は、海に突き落とされ、そのまま回収できなかったようだ。

「落ちた奴は探したが、縄を投げる間もなかったよ」護衛の一人が気軽な調子で言う。「まぁ、よくあることさ。戦いの中で選択肢の一つなんだ、海に突き落とすっていうのは。覚えておくといい」

 そんなこと言われても、人を海に突き落とすというのは、どこか残酷な気がして、今は思いきれるかは謎だった。

 装備について確認すると、剣だけで、鎧は身に付けない、と返事があった。それは都合がいい。僕も火炎も、鎧はないのだ。

 護衛の一人がじっと火炎を見る。

「そのでかい剣は置いていった方がいいな。邪魔になるし、重いだろ」

「これが俺の唯一の得物だよ。これ以外を使うことはない」

「海に落とすのが関の山だ」

 ワッハッハと護衛たちが笑うが、火炎もどういうわけか笑っていた。

 荷の積み込みが終わったと、水夫の一人が報告に来た。護衛たちは返事をしただけで、動こうとしない。僕たちは断って部屋を出て、甲板に上がった。

 水夫たちが大声で意思疎通をしている。

 船の揺れが少し変わって、桟橋が離れた。いつの間にか碇も舫い綱も外したらしい。

 僕と火炎は甲板で、陸地が離れていくのを眺めていた。




(続く)


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