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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第一部 渡水鳥
5/118

1-5 火炎

     ◆


 

 宿屋の番頭さんは不思議そうな顔をしていた。

「食事を出せるかい?」

 当たり前だけど、剣を向け合っている時とは別人の様子で、火炎が番頭さんに訊ねる。

「は、はい、簡単なものなら」

「金を渡しておく」

 服の懐から、数えもせずに銭を番台において、「部屋に行くぜ」と促されるが、なんか、宿屋における僕の印象がどんどん悪くなっているのでは。

 部屋に上がり、少しすると、まずお茶が来た。

「で、お前は何者なんだ? 龍青」

「それは……、ちょっとした買い物のために、山から下りてきて……」

「山? 仙人か何かか?」

 火炎がやけに小さく見える湯飲みを揺らしつつ、問い返すけど、どう答えたらいいか……。

 理力や理力使いのことは黙っているように、と師匠に教わっている。

 でももう、僕は火炎に理力を見せてしまったわけで、それは如何ともしがたい。

「思い出した」

 急に火炎がそう言って、湯飲みを置いた。

「この辺りで、変な術を使う奴がいるという話だ。山を越え、谷を越え、空さえも飛ぶらしい」

「それはさすがに噂だよ」

「お前、空を飛べるんじゃないか?」

 まさか、と笑うしかない。実際、空は飛べない。

「呪術か?」

「呪術じゃない。怖いじゃないか、あんなもの」

「しかし、剣術を高めたくて、呪術に走る奴もいるかもしれない。それくらい、お前の剣術は異質だよ。気づいてないのか?」

「師匠に恵まれてね」

 そう応じるしかない。

 事実、僕には無数の先生がいて、彼らが全てを教えてくれた。初めからじゃなくて、ここ数年のことだけど。

「そういう火炎は、何をしているわけ?」

「話した通り、旅だよ。行くあてもないし、会いたい奴も、待っている奴もいない。ただの旅だな」

「どこから?」

「遠くだよ。東の果てだ」

 この国、永と呼ばれる大きな国の東には山脈があり、その一角はここのすぐそばで、つまり古龍峡だ。そこから連なっている峰々の向こうには砂漠と呼ばれる、果てまで砂が満ちた場所があると聞いている。でも僕は見たことはない。

「火炎は砂漠から来たの?」

「まあな」ちょっと苦い表情で火炎が応じる。「その向こうに行こうともしたが、それはできなかった」

「その向こう? 砂漠の向こうってこと?」

「そうだ。砂漠の国もこの国とは違う言葉をしゃべるが、砂漠の向こうの国も、別の言葉を使う。たまに商人がやってきたよ。なんでも砂漠の向こうにもちゃんと森や川があって、畑もあって、村も街もあって、城もあって、つまり、国がある」

 そんなこと、今まで聞いたことがなかった。

「じゃあなんで、そこへ行かなかったの?」

「だから事情があるんだよ、事情が」

 湯飲みの中身を飲み干した火炎が、急須を手に取ろうとした時、戸の向こうから声がかかり、料理が運ばれてきた。

 この宿に泊まって、初めて見るちゃんとした食事だった。

 火炎は作法も何もなく、食べ始めた。

「さあ、龍青、お前の番だぞ」

「何が?」

「話をする番ってことだ。俺は自分の過去を話した。次はお前」

 大して話していないじゃないか、と思ったけど、僕はちょっと考えて、言葉にした。

「僕は両親を知らない。ずっと昔に亡くしているんだ」

「それで?」

「どういうわけか、僕は山奥にいる親戚でもなんでもないお婆さんに預けられた。そこで今も、過ごしている。ここにいるのは、買い出しのためで、すぐに山に帰らなくちゃいけない」

 ふーん、など言いつつ、火炎は雑な手つきで焼き魚を解体している。

 真面目に聞いているのかな?

「じゃあ、その婆さんがお前の師匠か?」

「そうなるね」

「婆さんが剣術を教えられるとは思えないが、それはどう説明する?」

「でも事実だよ。山の中には僕と師匠以外いない」

 わからんな。そう呟いて、焼き魚を口に放り込むと、空いている器に器用に骨だけ吐き出している火炎も、僕からすればよくわからない。

「今更だけど、儲けた金を全部ばらまいちゃって、どうやって生活するの?」

「え? さっき、懐から金を出しただろ。見てなかったか?」

「いや、見てたけど、えっと……」

 食事中にも構わず、火炎が懐に手を突っ込み、ひと摑みの銭を床に置いた。もう一回、懐からひと摑みの銭が出てきた。これだけでも相当な額だ。

「ちゃんと必要な分は確保してばら撒いたさ」

 なんとも、要領のいい男だな。僕は感心してしまった。

「なんにせよ、お前はその山とやらに戻らなくちゃいけないんだな?」

 銭をそのままに、今度は煮物をガツガツ食べつつ、火炎が訊いてくる。ちなみに僕は行儀良く食べているので、まだほとんどの料理は手付かずだ。

「惜しいなぁ。一緒に旅をしようと思ったんだが」

「旅? さっきみたいなことをして、旅をするってこと?」

「興味あるのか?」

 ちらっとこちらに火炎の視線が向いたので、僕は素早く、そしてさりげなく見えるように視線を逸らした。

 興味が、湧いたのだ。実は。間違いなく。はっきりと。

 でもそれは僕には許されないと、すぐに押し隠した。きっと、火炎には見抜かれてしまっただろうけど。

「山に何か、重要なものがあるのか?」

 汁を勢いよくすすりながらの火炎の声に、僕は焼き魚に集中するふりをして、視線を向けずに、応じる。

「あると思っているけど、ないのかもね。でも少なくとも、あそこには師匠がいる。放ってはおけない」

「案外、師匠もお前を独り立ちさせる時期を探っているかもよ?」

「そんなこと、あるかなぁ」

 思わず笑っていた。

「大人なんて、そんなもんさ」

 そう言う火炎の口調が、まるで子どもで、外見に不似合いで、また笑ってしまう。

「僕は十六歳だけど、火炎って何歳なの?」

「俺? 十八」

 ぎょっとして彼を見ると、「年寄りに見えるだろ?」と火炎は笑っている。

「これでも苦労人でね。まぁ、そういう反応には慣れっこだ」

 どう答えることもできず、しばらく食事に意識を向けた。

 僕が食べ終わるまで、火炎はじっと待っていた。

「頭を下げてでも、頼みたいんだが、いいか、龍青」

「う、うん」

「お前がいる山を教えてくれ。できればこのままお前についていきたいが、俺には俺で用事がある。しかも一週間はかかる。用事が片付いたら、すぐにお前の後を追うよ。目印とか、方角とか、教えてくれないか?」

 ここでデタラメを教えたり、そもそも教えない、という選択肢もあった。

 でも僕は何を思ったか、古龍峡にたどり着く道筋を、かなり細かく教えていた。火炎は何かに書き付けるわけでもなく、じっと耳をすませ、覚えようとしているようだった。

 だいぶ複雑な経路なので、いきなり言葉で聞いても、わからないかもしれない。

「紙に書こうか?」

 そう訊ねると、もうわかったよ、と火炎は笑う。剛気な、気分のいい笑みだ。

「また会おう、龍青」

 そう言って火炎が立ち上がる。僕は彼を見上げた。

「また会おうって、どう答えていいか、わからないよ」

「寂しいことを言うなよ」

 笑って、火炎が部屋を出ようとした。

 その時だった。

 一階で大きな音が鳴ったのは。




(続く)

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