7-6 愚かさ
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村で秋を迎えようという時、やっと成雲の怪我も癒え、僕がいつまでもここにいる理由はなくなった。
そのことを峰立に訊ねると、寂しくなりますね、と微笑んでいた。
例の剣術の一件以来、彼は僕を立てるような口調になっていて、むしろこちらが恐縮するけど、彼は言葉遣いを変えなかった。
一度、秋風が吹き出した季節に、峰河が村へ戻ってきた。父親と兄との三人で何かを語り合っていたようだけど、僕はその場にはもちろん加わらなかったので、何も知らない。
峰河は二日ほど滞在し、去り際に僕を呼び出した。
「先日は失礼いたしました。身の程も弁えず、勝手なことを」
そんなにかしこまられても、僕は余計に困惑する。
「何も、失礼などありませんでした。こちらこそ、からかうようなことをして、申し訳なかったと思います」
「それだけの実力をお持ちだった」
峰河はそう言って笑った。どこか清々しい、晴れやかな笑みだった。
その数日後の夜、小屋の一つで休んでいると、遠くで騒がしい音が聞こえてきた。悲鳴も聞こえた気がする。気のせいならそれでいいが、すぐに僕は起き出した。
身支度もそこそこに外に出ると、生臭い匂いがした。これは血の匂いだ。近づいてくる。風上だろうか。かすかな風しか吹いていない。
とりあえず、そちらへ行くと、一人の男を、もう一人の男が肩を貸して近づいてくる。
「峰河殿!」
思わず声をあげていた。
支えて歩いてくる男は、成雲だ。そして支えられているのは、峰河だった。足に力が入ってない。服が黒く染まっているように見えたが、違う、血に濡れているのだ。
駆け寄って成雲から峰河の体を受け取ると、成雲がすぐに片膝をついた。彼もそこここが血で汚れている。切られたのか、返り血か。
重傷だろう峰河を彼の生家でもある村長の家に担ぎこんだ。女衆がすぐに集まり、若い男が医者を呼びに町へ走っていく。
横になって目を閉じている峰河は、肌が土気色になっている。
腹部を切り裂かれ、出血が少ないのが不思議だ。あるいはもう、流れるような血が流れきってしまったのか。そうなってはとても助かるものではない。
どこからともなく峰立が現れ、峰河の横に座り込んでいる僕の横に腰を下ろした。
「ならず者たちを追い出すことを、私たちで決めました。峰河が、決闘で白黒つける、と主張して、密かに、成雲をつけて送り出したのですが、さて、勝ったのか、負けたのか。成雲が言うには、相打ちにようなものだったらしいです」
そうですか、と思わず口から言葉が漏れていた。
僕がその役目を受ければ、こんなことにはならなかった。でも僕はこの村の人間ではない。居候だし、余所者だ。一方で、峰河は、この村の重要な立場の一人である。代表には間違い無く、峰河が適任だ。
しかし、死んでしまっては……。
死んでしまっては、すべてが虚しい。
そのうちに医者が連れてこられて、僕たちは部屋から出た。夜明けになっても、医者は部屋から出てこなかった。昼近くになって、やっと医者が疲労した様子で出てくる。詰めていた峰羽が駆け寄り、話を聞いていた。傍らには峰立も立った。
二人が繰り返し頭を下げ礼を言っているのを見て、峰河はあるいは助かったかもしれない、と僕は安堵した。
しばらく、僕は峰立の家には近寄らず、峰河の看病につきっきりの峰立の分も働いた。畑では秋の作物が収穫されていた。
峰河が意識を取り戻したという話も聞かないまま、時間だけが過ぎていく。
ある時、村人のひとりと作物を売りに町へ行った時、たまたま、波留と再会した。
茶店で働いているとは聞いていたが、何かの使いで買い物の途中だったようだ。僕たちは峰河のための医薬品を買い求めていた。峰羽は溜め込んでいた私財を全て使ってでも、息子を助けるつもりなのだ。
波留は峰河の容態を聞いて、命はおそらく助かると聞くと、かすかに表情を緩めた。心配だったのだろう。
「ならず者たちはどうなったのですか?」
彼女の問いかけに僕と一緒にいた村人が答える。
「どうやらどこかへ逃げたようだ。最近は全く見ていない。決闘はうまくいったんだろう」
「立派なこと。でも、虚しいわ」
心がビリっと痺れた気がした。
虚しい。波留の感覚は、僕と近いのではないか。
虚しさというものを意識できる、価値観、とでも呼ぶべきだろうか。
「生きているのです」思わず口から言葉が出た。「生きているのなら、虚しくはない」
波留がわずかに表情を陰らす。
「殺し合いが、虚しいのです。しかし、そうですね、生きているのなら、虚しくはない。失言でした」
「いえ……、出過ぎたことを、言いました」
「いつかお店にいらしてください。では、失礼します」
深々とお辞儀をして、波留は去って行った。
「あんなにお話しするところを、初めて見たよ」
村人が顎を撫でつつ、不思議そうにそんなことを言った。
穀物を満載した荷車を押して、村へ戻る帰りに、想定外のことが起きた。
ならず者たちが、僕たちを取り囲んだのだ。人数は減っている、十人だった。
脅すとか、そういう段階がなかったのも、想定外だった。
十人はあっという間に剣を抜き、押し包んできた。僕も相方も殺してしまえ、という意図しかなかった。
どう戦ったかは、覚えていない。
気づくと、珍しく肩で息をしている自分がいて、周囲に人が倒れている。カラスが声高く鳴き、羽ばたいていく。空を見上げて、もう一度、周りを確認した。
十人は倒れているが、死んではいない。
相方は腕を浅く切りつけられて、そこを押さえる手が血に染まっているが、少しの出血だ。
僕は意識して呼吸を深くして、心を落ち着けた。
「立てますか?」
相方は明らかに怯えていた。ならず者に、ではなく、僕にだ。カクカクと頷いて、立ち上がり、こちらを見ないように荷車の後ろへ回った。僕も荷車を引き始める。
「あ、あんたは……」荷車の後ろから声がかけられた。「人間じゃないのか?」
「人間です」
おそらく、と危うく付け加えそうになって、グッとこらえた。
村に着いて、僕は自分がやったことを峰立に話した。理力のことは教えずに、ただ僕が十人なりを圧倒したことだけを報告した。峰立は黙って聞いてから、頷いた。
「すまないが、ここにあなたがいるわけには、いかなくなってしまった」
「ええ、わかっています」
僕が頭を下げる番だ。心を込めて、深く、床に額が触れるほど頭を下げた。
「長い間、お世話になりました」
「こちらこそ。早く発たれるのがよろしい。明日の朝にでも」
「はい」
そっと立ち上がり、僕は居候させてもらっていた小屋に戻り、荷物をまとめた。短い眠りの後、早朝に、誰にも何も告げずに村を出た。
ならず者に襲われた場所に通りかかるが、誰も倒れていない。
そのまま町まで下りていき、その頃には朝になった。
いつか波留が働いていると聞いた茶屋に向かったのは、どういう理由かは、僕にはわからなかった。店に入って、席に着いてから、やっと考えが形を持ち始めた。
「こんなお早くに、何かありましたか?」
波留が近づいてきた。お茶が僕の前に置かれる。
「村を出ることになりました。峰河殿が目覚められたら、お伝えして欲しいことがあります」
なんですか、と波留がこちらに耳をすませる。
僕は頭の中にある言葉を整理して、短くまとめた。
「生きてください。そう伝えてください」
「それだけ?」
「それだけです」
僕はお茶に口をつけた。波留はまだそこに立っていて、こちらを見ている。
静かな声で、彼女が言った。
「生きるなんて、みんな、当たり前にすることです」
「でも人は、時折、命を投げ出してしまう」
愚かです。そう波留が呟いた。
「人間はみんな、愚かなのですか? 龍青殿」
僕は何も言わずにお茶を飲み干し、立ち上がった。
「失礼します」
波留は何も言わずに、そこに立ち尽くしていた。
(続く)




