表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第七部 社会の構造
49/118

7-6 愚かさ

     ◆


 村で秋を迎えようという時、やっと成雲の怪我も癒え、僕がいつまでもここにいる理由はなくなった。

 そのことを峰立に訊ねると、寂しくなりますね、と微笑んでいた。

 例の剣術の一件以来、彼は僕を立てるような口調になっていて、むしろこちらが恐縮するけど、彼は言葉遣いを変えなかった。

 一度、秋風が吹き出した季節に、峰河が村へ戻ってきた。父親と兄との三人で何かを語り合っていたようだけど、僕はその場にはもちろん加わらなかったので、何も知らない。

 峰河は二日ほど滞在し、去り際に僕を呼び出した。

「先日は失礼いたしました。身の程も弁えず、勝手なことを」

 そんなにかしこまられても、僕は余計に困惑する。

「何も、失礼などありませんでした。こちらこそ、からかうようなことをして、申し訳なかったと思います」

「それだけの実力をお持ちだった」

 峰河はそう言って笑った。どこか清々しい、晴れやかな笑みだった。

 その数日後の夜、小屋の一つで休んでいると、遠くで騒がしい音が聞こえてきた。悲鳴も聞こえた気がする。気のせいならそれでいいが、すぐに僕は起き出した。

 身支度もそこそこに外に出ると、生臭い匂いがした。これは血の匂いだ。近づいてくる。風上だろうか。かすかな風しか吹いていない。

 とりあえず、そちらへ行くと、一人の男を、もう一人の男が肩を貸して近づいてくる。

「峰河殿!」

 思わず声をあげていた。

 支えて歩いてくる男は、成雲だ。そして支えられているのは、峰河だった。足に力が入ってない。服が黒く染まっているように見えたが、違う、血に濡れているのだ。

 駆け寄って成雲から峰河の体を受け取ると、成雲がすぐに片膝をついた。彼もそこここが血で汚れている。切られたのか、返り血か。

 重傷だろう峰河を彼の生家でもある村長の家に担ぎこんだ。女衆がすぐに集まり、若い男が医者を呼びに町へ走っていく。

 横になって目を閉じている峰河は、肌が土気色になっている。

 腹部を切り裂かれ、出血が少ないのが不思議だ。あるいはもう、流れるような血が流れきってしまったのか。そうなってはとても助かるものではない。

 どこからともなく峰立が現れ、峰河の横に座り込んでいる僕の横に腰を下ろした。

「ならず者たちを追い出すことを、私たちで決めました。峰河が、決闘で白黒つける、と主張して、密かに、成雲をつけて送り出したのですが、さて、勝ったのか、負けたのか。成雲が言うには、相打ちにようなものだったらしいです」

 そうですか、と思わず口から言葉が漏れていた。

 僕がその役目を受ければ、こんなことにはならなかった。でも僕はこの村の人間ではない。居候だし、余所者だ。一方で、峰河は、この村の重要な立場の一人である。代表には間違い無く、峰河が適任だ。

 しかし、死んでしまっては……。

 死んでしまっては、すべてが虚しい。

 そのうちに医者が連れてこられて、僕たちは部屋から出た。夜明けになっても、医者は部屋から出てこなかった。昼近くになって、やっと医者が疲労した様子で出てくる。詰めていた峰羽が駆け寄り、話を聞いていた。傍らには峰立も立った。

 二人が繰り返し頭を下げ礼を言っているのを見て、峰河はあるいは助かったかもしれない、と僕は安堵した。

 しばらく、僕は峰立の家には近寄らず、峰河の看病につきっきりの峰立の分も働いた。畑では秋の作物が収穫されていた。

 峰河が意識を取り戻したという話も聞かないまま、時間だけが過ぎていく。

 ある時、村人のひとりと作物を売りに町へ行った時、たまたま、波留と再会した。

 茶店で働いているとは聞いていたが、何かの使いで買い物の途中だったようだ。僕たちは峰河のための医薬品を買い求めていた。峰羽は溜め込んでいた私財を全て使ってでも、息子を助けるつもりなのだ。

 波留は峰河の容態を聞いて、命はおそらく助かると聞くと、かすかに表情を緩めた。心配だったのだろう。

「ならず者たちはどうなったのですか?」

 彼女の問いかけに僕と一緒にいた村人が答える。

「どうやらどこかへ逃げたようだ。最近は全く見ていない。決闘はうまくいったんだろう」

「立派なこと。でも、虚しいわ」

 心がビリっと痺れた気がした。

 虚しい。波留の感覚は、僕と近いのではないか。

 虚しさというものを意識できる、価値観、とでも呼ぶべきだろうか。

「生きているのです」思わず口から言葉が出た。「生きているのなら、虚しくはない」

 波留がわずかに表情を陰らす。

「殺し合いが、虚しいのです。しかし、そうですね、生きているのなら、虚しくはない。失言でした」

「いえ……、出過ぎたことを、言いました」

「いつかお店にいらしてください。では、失礼します」

 深々とお辞儀をして、波留は去って行った。

「あんなにお話しするところを、初めて見たよ」

 村人が顎を撫でつつ、不思議そうにそんなことを言った。

 穀物を満載した荷車を押して、村へ戻る帰りに、想定外のことが起きた。

 ならず者たちが、僕たちを取り囲んだのだ。人数は減っている、十人だった。

 脅すとか、そういう段階がなかったのも、想定外だった。

 十人はあっという間に剣を抜き、押し包んできた。僕も相方も殺してしまえ、という意図しかなかった。

 どう戦ったかは、覚えていない。

 気づくと、珍しく肩で息をしている自分がいて、周囲に人が倒れている。カラスが声高く鳴き、羽ばたいていく。空を見上げて、もう一度、周りを確認した。

 十人は倒れているが、死んではいない。

 相方は腕を浅く切りつけられて、そこを押さえる手が血に染まっているが、少しの出血だ。

 僕は意識して呼吸を深くして、心を落ち着けた。

「立てますか?」

 相方は明らかに怯えていた。ならず者に、ではなく、僕にだ。カクカクと頷いて、立ち上がり、こちらを見ないように荷車の後ろへ回った。僕も荷車を引き始める。

「あ、あんたは……」荷車の後ろから声がかけられた。「人間じゃないのか?」

「人間です」

 おそらく、と危うく付け加えそうになって、グッとこらえた。

 村に着いて、僕は自分がやったことを峰立に話した。理力のことは教えずに、ただ僕が十人なりを圧倒したことだけを報告した。峰立は黙って聞いてから、頷いた。

「すまないが、ここにあなたがいるわけには、いかなくなってしまった」

「ええ、わかっています」

 僕が頭を下げる番だ。心を込めて、深く、床に額が触れるほど頭を下げた。

「長い間、お世話になりました」

「こちらこそ。早く発たれるのがよろしい。明日の朝にでも」

「はい」

 そっと立ち上がり、僕は居候させてもらっていた小屋に戻り、荷物をまとめた。短い眠りの後、早朝に、誰にも何も告げずに村を出た。

 ならず者に襲われた場所に通りかかるが、誰も倒れていない。

 そのまま町まで下りていき、その頃には朝になった。

 いつか波留が働いていると聞いた茶屋に向かったのは、どういう理由かは、僕にはわからなかった。店に入って、席に着いてから、やっと考えが形を持ち始めた。

「こんなお早くに、何かありましたか?」

 波留が近づいてきた。お茶が僕の前に置かれる。

「村を出ることになりました。峰河殿が目覚められたら、お伝えして欲しいことがあります」

 なんですか、と波留がこちらに耳をすませる。

 僕は頭の中にある言葉を整理して、短くまとめた。

「生きてください。そう伝えてください」

「それだけ?」

「それだけです」

 僕はお茶に口をつけた。波留はまだそこに立っていて、こちらを見ている。

 静かな声で、彼女が言った。

「生きるなんて、みんな、当たり前にすることです」

「でも人は、時折、命を投げ出してしまう」

 愚かです。そう波留が呟いた。

「人間はみんな、愚かなのですか? 龍青殿」

 僕は何も言わずにお茶を飲み干し、立ち上がった。

「失礼します」

 波留は何も言わずに、そこに立ち尽くしていた。



(続く)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ