7-5 手合わせ
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深夜、そっと起き出して、外に出た。
「待ってくれ」
村を出ようとしたところで、声をかけられたけど、彼がそこにいるのを僕はちゃんと知っていた。驚きもせずにゆっくりと振り返る僕に、逆に相手が驚いているようだ。
「待ってくれ、龍青」
そう言いながら、峰立が小屋の一つの陰から進み出てくる。月明かりの中で僕たちは向かい合った。
「僕がどこへ行くか、知っているんですよね、峰立」
「知っている。連中のところだろ?」
「そうです。あの盗賊から、取り返すものを取り返します」
それをやめて欲しいんだ、と彼が小さな声で言った。
「何故ですか? あれは、この村のみんなが正当に手に入れたものだ。それを横から奪うことなんて、許されない」
「許されるとか、許されないんじゃないんだ。あれが彼らのやり口で、私たちの安全策なんだよ。今のままがずっと続けば、誰も損をしない。それでいいと私は思っている。平穏なんだ。今のままが」
怒りが沸騰して、頭が破裂するかと思った。
「連中は何もやっていない! ただ甘い汁をすすっているだけだ!」
僕の声が響き渡っても、峰立は無言でそこに佇んでいた。
その頭がすっと下がり、深くこうべを垂れた。
「すまない、龍青。何もしないでくれ。頼む。頼む……どうか……」
激しく巡る怒りが、僕の思考を塗り潰しかけていたけど、静かに頭を下げ続ける峰立を見て、ひやりと何かが心に差し込んだ。
強く息を吸い、吐いた。空気と一緒に何かが体から出て行ったような気がした。
「彼らは何者なんだ?」
ゆっくりと歩み寄りながら訊ねると、峰立が顔を上げ、しかし表情は夜闇で見えなかった。
「ならず者だよ。何年も前にこの近くに住み着いて、勝手に自警団を名乗って、私たちに見返りを求めてくる。確かに彼らが居座っていることで、他所から悪事を働きに来るものは減った。ただ、それはならず者同士が争って、金品を奪い合っているだけで、私たちにもいずれ、害になるかもしれない」
「追い払うべきだ」
「私たちにはそんな力はない」
やってみればいい、と思ったけど、言葉にしなかったのは、荷車の前に立ちふさがった男たちが真剣を抜いていたからだ。
あの剣で切られれば、傷を負う、場合によっては死ぬかもしれない。
そんな場面に臨んで、実際に踏みこめるものは、少数だろう。それは僕でもわかる。
二人ともが黙っているうちに、小さく峰立が息を吐いた。
「君と弟はウマが合うだろうね」
「弟?」
「峰河という名前で、年齢は十六歳になる。町で剣術の修行をしている。もう一年ほどになるかな。私より良くできた奴だ」
初めて聞く話だった。峰立が天を仰いで、呻くように言う。
「この村は、あいつが継ぐべきなのに、あいつはここにいない。俺は文字も読めないダメな人間で、ただ体を動かせるだけ。ならず者に刃向かうこともできず、ただ言いなりになる。何が正しいのか、わからなくなるよ」
それが峰立の本音だったらしい。
しばらく夜の屋外に佇んでいて、どちらからともなく、小屋に戻った。
それから数日後、また町へ野菜を売りに行った。荷車が空になる頃、「弟を紹介するよ」と峰立が僕を連れて行ったのは、小さな道場だった。
道場だとわかったのは、そう看板が出ているだけで、玄関を抜けると、広い板敷きの間があった。そこで数人の男が棒で打ち合っている。倒れて動かないものを、立っている方が小突いて、立ち上がろうとすると、すぐに打ち倒し、また床に這わせた。
あまり、というか全く、どういう意味のある稽古か、わからない。それが正直な感想だった。
峰立と二人で黙って、眺めていた。と、倒れた男を打ち据えた男がこちらを見た。よく見ると僕や峰立とそれほど年の変わらない少年だった。
「兄上」滑るような足取りで、彼がこちらに来た。「そちらの方は?」
「龍青殿だ。今、村で助けてもらっている」
いえ、こちらこそ、と僕が言うと、少年は穏やかに微笑んだ。
「峰村のために、ありがとうございます」
「足手まといになっていないか、不安です。迷惑をかけていなければいいのですが」
ニコニコしながらこちらを見る少年に、頭を下げる。どうやらこの少年が峰河で、確かに峰立と顔立ちが似ていると思えた。
「剣術をやられますね、龍青殿」
「やめなさい、峰河」
素早く峰立が止めようとしたが、素早く峰河は僕の腕を掴んでいる。そのまま道場の中に引っ張り込まれた。
「一度、どちらかの棒が当たったら、それで終わりです」
棒を押し付けられ、僕たちは距離をとって向かい合った。
完全に想定外で、どうするべきか、迷った。
迷っているうちに峰河が打ち込んでくる。遅い。余裕を持って避ける。そこへ怒涛の勢いで峰河が棒を繰り出してくる。身を捻り、逸らし、避ける。
気づくと、道場にいた門人だろう男たちが凝視しているのが肌に感じられた。こちらから彼らを見る余地はない。
一度、峰河が距離をとった。微かに息が上がっている。
「なぜ打ってこないのですか、龍青殿。ふざけているのですか?」
「いえ」
棒を避けることより、言葉を口にする方が難しい。
「本気です。打ち込む間がない」
納得してくれるわけもない言い訳が、口から出た。峰河が眉間にしわを寄せる。
「俺がひたすら打ち込んでいる、という意見か?」
どうやら峰河はイラついてきているようだった。僕の言葉は無意識に彼を煽り立てていたようだ。反省したいが、後で反省するしかない。今は、まずは終わらせることだ。
「どうぞ、打ち込んでください」
フッと峰河が息を詰め、間合いを詰めた。
素早い三連撃を僕は紙一重でかわし、一撃をそっと彼の肩に当てた。
ぐらつきもしない、弱い打ち込みだったが、打ち込みは打ち込みだ。
呆気にとられた様子で、峰河がよろめく。きっと僕の棒が消えたように見えたはずだ。
ポカンとしてこちらを見ている峰河に頭を下げ、門人の一人に木刀を返し、玄関へ向かう。峰立も驚いていた。行きましょう、と外へ出て、しばらくしてから峰立がやっと言葉を思い出したように、呟いた。
「素晴らしい剣術でした。どこで修行されたのですか?」
どうやら、口調が変わるほどの驚きらしい。
「いえ、その」
どう答えるべきか、やはり言葉を選ぶのは僕には難しい。
「育ての親の知り合いに」
はぁ、としか峰立は答えなかった。あまり想像できなかったのだろう。でもまさか、理力の幻と剣術の訓練を積んだ、などとは言えない。
荷車に戻り、穀物を手に入れ、村へ戻る。
ならず者は近づいてこなかった。夕方には村に着き、夕飯を食べ、風呂が用意された。
風呂上がりに峰立がやってきて、二人でお茶を飲んで話をした。峰河のことを、色々と教えてくれたが、彼がここら一帯では剣術で抜きんでて、神童、と呼ばれていたと聞いて、少し驚いた。
「これで少しは本気になるでしょう」
そう言って、峰立は笑っていた。
(続く)