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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第七部 社会の構造
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7-3 巡り合わせ

     ◆


 どうやら荷車を押していた方の男性が、何かに足をとられて足首を挫き、膝も捻ったようだった。立ち上がるのにも苦労している。

 自然と、手を貸しますよ、と言っていた。

 二人は恐縮した様子だったが、このままでは荷車を動かすことができない。

 最後には二人ともが平謝りしながら、僕の申し出を受けてくれた。

 負傷した男性を荷車に乗せ、無事な方の男性が荷車を引っ張る。僕はそれを後ろから押した。

 理力を使えば、軽々と動かせるけど、そうはせずに、自力で押した。それが誠意というものだろうと、考えたのだ。

 やがて荷車は街道から脇道に入り、日が暮れてもまだ目的地には着かないようだった。

 周囲が薄暗くなった頃、荷車が止まったのは、小さな集落で、どうやらやっと到着したらしい。気候のせいもあって僕は汗水漬くだった。

「風呂を用意させます」

 荷車の前の方から引っ張っていた男性がやってくる。彼も服が汗で濡れて、体に張り付いている。

「川があれば、そこで汗を流してきます」

「それはあまりに失礼というものです。どうか、こちらへ」

 彼はそう言いながら、負傷した相方を抱え上げ、小屋の一つへ向かっていく。

 僕たちのやり取りする声が聞こえたのか、小屋の戸が開いて、その向こうから明かりが差した。人の声がして、二人ほどが飛び出してくる。怪我人は彼らに預けられ、そして僕のことも身振りで何か、伝えている。

 中年の女性が僕のすぐ前にまでやってきて、

「成雲がご迷惑をおかけしました」

 成雲というのはあの負傷した男性の名前だろう。

「いえ、困っている方を見過ごすのが、できなかっただけです」

 我ながら別の言い方もありそうなものだったけど、言葉は浮かばなかった。女性は微笑むと、こちらへ、と僕を小屋へ連れて行こうとする。

「川は近くにありますか?」

「まあまあ、暗いと危ないですから、裏に湯を用意させます」

 逆にこちらが申し訳なかったけど、小屋に入った。

 成雲の足を先ほどの女性の夫だろう男性が治療していた。と言っても、何かの塗り薬を塗っているだけだ。骨に異常はないことは、荷車を動かす前に、僕ももう一人の男性も確認していた。

 僕はすぐに裏に連れて行かれ、どういう早業か、湯が用意されている。一人が入れる程度の湯船から湯気が上がっている。

 感謝しつつ汗を流している途中で、若い娘がやってきて、湯を足しますから、と断って、大きな鍋を抱え上げて、湯船に中身を流し込んだ。一気に湯が熱くなった。

「ありがとうございます」

「いえ」

 少女は短く返事をして下がっていった。恥ずかしかったかもしれない。僕も少し恥ずかしい。

 風呂を出ると、新しい着物が用意されていた。さっきまで着ていた服がどこに消えたのか、ちょっと不安に思いつつも、着替えると、一緒に荷車を運んだ男性がやってきた。

「名乗りもせず、申し訳ありません。私は峰立と言います」

「僕は龍青です」

「龍青殿、父がお話をしたいと言っています」

 どういうことだろう、と思っていると、峰立が申し訳なさそうな笑みを見せた。

「父はこの村の長でして、礼を言いたい、それだけです」

「それほど丁寧にしていただかなくても。すぐに去る身ですから」

「義理堅い人なのです。どうか、付き合ってあげてください」

 そうして引き合わされた峰立の父親だという男性は五十代くらいの外見で、しかし声には覇気があった。体もがっちりしていて、髭が濃い。名前は峰羽というらしい。

 自分では酒を飲みつつ、僕に感謝の言葉を告げ、なぜか成雲を批判して、次に峰立を批判し始めた。どういうことかよくわからないまま、同席している峰立をそれとなく横目で見たけど、穏やかに微笑んでいる。

 そのうちに、峰羽は首が座らなくなり、そのまま眠り込んでしまった。その大きな体を、隣の部屋に峰立が運んでいった。そしてすぐに戻ってくる。布団が用意されていたんだろう。

「あまり気持ちのいいものではなかったでしょう? 申し訳ない。しかし、年をとるとああなるようですよ、龍青殿」

 峰立が僕の前に腰掛けて、そう言った。手は父親が残していった瓶や盃を片付けている。

「殿、などとつけず、呼び捨てにしてください、峰立殿」

「じゃあ、私のことも呼び捨てにしてください、龍青」

 僕たちはどこか共犯者めいた笑みを交わした。

「どこかへ旅をしている途中ですか? 龍青は」

「旅というほどではなく、ただ、市井を見ている、という感じです」

「その歳で? その、ご両親は?」

「いません。育ての親に、送り出されたのです。捨てられたわけでもないのですが」

 へぇ、と峰立が声を漏らした。

「龍青は何歳ですか?」

「十四です。峰立の方がいくつか上でしょう」

「十八です。龍青、ちょっとこの村に留まってはどうかな」

 僕はどう答えるべきか、迷った。それを知っているようで、峰立は穏やかに話を続けた。強制したり、無理やりに押し流したりするような要素は微塵もなかった。

「ちょっと人手が欲しかった。農作業や荷運びです。成雲の代わり、と思ってくれればいいんですが。報酬を約束できないのが申し訳ないが、しかし、毎日の寝床と食事は用意できる。どうだろう?」

「ええ、それは……」

 どうやら僕も少し、疲れていたらしい。

「では、お引き受けします」

 パッと峰立が笑みを見せ、よろしくお願いします、と頭を下げた。

 それからまた成雲の家に戻り、そこで寝床が用意されていた。成雲の母親らしい女性が、僕が着ていた着物は、明日にでも洗濯して干しておく、と教えてくれた。

 翌朝になると、いきなり仕事が始まった。

 朝食は質素で、すぐに峰立が迎えに来た。他にも数人の村人も、三々五々に散っていくのが見えた。僕と峰立で揃って、畑の一つに向かい、そこでは古龍峡で繰り返し続けていた畑仕事と同じものが待っていた。

 昼間まで働くと、村の若い娘が数人、昼食を配りに来た。水筒も付いている。

 僕と峰立のところに来た娘は、昨日の夜、風呂にお湯を足してくれた娘だと、急に気づいた。

「昨日はありがとうございました、その、お湯を」

 そう声をかけると、彼女はこちらをじっと見て、軽く頭を下げ、去って行った。どうやらまだ、僕は受け入れてもらえていないらしい。

「波留がやってくるとは、珍しいことですよ」

 少女がいなくなってから、食事をしつつ、峰立がそう言った。

「波留? さっきの女の子ですか?」

「普段は、近くの町で、茶店で働いています。村に帰ってくると、大抵、何もせずにだらけているのですが、どういう風の吹き回しやら」

 僕にはよくわからない事情だった。

 午後も畑仕事をして、夕方に村に戻った。僕の服は綺麗にたたまれて、用意されていた。借り物の野良着からそれに着替えると、ちょっと落ち着いた。

 夕飯になり、すぐに明かりが消された。今日は風呂はないらしい。昨日は偶然だったのだろう。古龍峡でも風呂は毎日ではなかった。

 翌日も良く晴れて、畑仕事をした。

 昼間に波留はやってこなかった。何を思ったか、峰立が「波留は町に戻りましたよ」と教えてくれたけど、どういう顔をすればいいか、わからなかった。

 そんな僕の顔を見て、峰立がクスクスと笑った。




(続く)


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