6-7 食事
◆
俺は殺人鬼がてっきり死んだと思っていた。
だが翌日になって守備隊が発表したところによると、ほとんど崩壊寸前だった集合住宅の最上階で、拘束されている男が発見され、息があったという。
取り調べに関しては情報はないが、まぁ、大したことはわからないだろう。龍青が知っていることの方が重要だ。
その龍青はいきなり気を失って、また紅樹がだいぶ慌てたが、俺は龍青を抱えて、宿に戻った。中にいるはずの客が外にいて、しかも片方が意識を失っている。宿のものは混乱したようだが、まさか追い返すわけにも行かなかったようだ。
部屋に戻り、雑に布団を敷いて龍青を寝かせた。
紅樹は表から入るのを避けて、少し遅れて窓から入ってきた。
「どうしたの、龍青は?」
「風邪って感じじゃないな。疲れだろう」
「理力の反動、ってこと?」
まぁ、たぶんな、としか言えない。
「私にはあの場所に入る手段がなかった。切りつけたけど、まるで手応えもないし。あんたみたいにはできなかった。どういう手品?」
「俺の剣には理力使いの力が宿っているのさ。それだけだな。あまり深く考えるなよ、できることしか、人間は出来ないんだ。無理をすれば、危険だぜ」
「分かっているわよ……」
そう言ってから、かすかにうつむいて、紅樹は、悔しいだけ、と呟いた。
真面目な奴だな。
宿のものが遅れてやってきて、医者を呼ぶか訊ねてきたけど、それは断った。
ただ、きれいな布と擦り傷に効く軟膏を持ってきてもらった。それで龍青の方の傷を治療しておいて、あとはもうやることもない。
いずれ、目覚めるだろう。死にそうな雰囲気は微塵もないし。そんな具合で、その日は俺も少し横になり、朝になってから風呂に入った。龍青は置き去りだが、大丈夫だろう。紅樹がどこに消えたかは知らない。
風呂上がりに、例の殺人鬼が生きていることを知ったわけだが、宿屋の客たちはあまり気にしているようでもない。図太いか、もう過ぎたことと思っているのか、もしくは自分とは関係ない、と割り切っているのか。
大きな街だ、全てを把握することも、対処することも、一人一人の人間、それだけでは無理なのだ。
龍青は三日ほど眠っていた。風邪の時と同じく、紅樹は毎晩やってきたが、彼女にだってやれることはない。俺自身が眠りに落ちるまで、じっと彼女を観察したが、ただ座り込んでいるだけだ。
「ここは……」
声がして、俺は起き上がった。窓の向こうに朝日の気配がある。紅樹はいないようだった。
龍青のそばへ行くと、目を覚ましたようだった。
「また眠っていたんだぞ、どんな気分だ?」
「どうだろう……、少しだけ、楽になった」
「疲れが取れたってことかもな。動けそうか?」
「身体が軽すぎるくらいだよ」
そう言いながら、意外に素早く、龍青は起き上がった。ただ、やはり少し痩せている。三日も水くらいしか摂っていないのだ。そのせいで身体が軽い可能性はある。
「どうも南限新府の思い出は、ずっと眠っていた、ってことになりそうだね」
そんな冗談を言いつつ、龍青が服装を整え、「お風呂に行くよ」と部屋を出て行った。また倒れるかもしれないから、一緒に行こうかと思ったが、遠慮した。あまり病人扱いもされたくないだろうし。
部屋で待っていると、すぐに龍青が戻ってきた。髪の毛が濡れている。
「お腹が空いたよ。新しい店は見つけた?」
思わず俺は笑みを浮かべていた。
「俺は飯を食わないと飢えちまうからな。小麦粉の粉に水を入れて練ったものを入れた汁を出す店がある。味付けを選べるんだ。何より、安い」
いいね、と龍青が頷く。
こうして二人で外へ出て、目的の店で食事をした。龍青は胃腸のことを考えたのか、少しは控えたようだが、それでもきっちりと食べた。
「一度、紅樹も一緒に食事をするといいと思うけど、どうかな」
食後にお茶を飲んでいると、龍青がそんなことを言い出した。
「反対する理由はないな。仲間だし、たまにはそういうことも必要だと俺も思う」
「お店を探しておいて」
「探すまでもなく、もう候補はいくつかあるよ」
それからちょっと打ち合わせをして、宿に戻り、引き払う手続きをした。今夜が最後になる。
龍青はまだ本調子じゃないのか、横になっていて、俺は窓際で今日も始まった夕立をじっと見据えていた。
日が落ちて、天井から紅樹が降りてくる。
「今日は夕食会だぜ、闇夜豹」
「夕食会?」
「打ち上げってことさ」
龍青も起き上がって、身支度を整え、俺たちは三人で出かけて行った。今度はちゃんと宿のものには断りを入れた。
向かった先は、肉料理屋で、他にも南方の蛮族の料理も出す店だ。
「値段が張りそうね」
それが紅樹の第一声だった。金の心配なんかするなよ、食べづらいだろ。
三人で連れ立って中に入る。店員がすぐに予約を確認し、俺の名前を見つけたようだ。
案内された個室に、すぐに料理が運ばれてくる。紅樹はキョロキョロしているが、狭い部屋なので、それほど見るべきものもない。
料理は小さな皿で、様々なものが出た。もっと多く食べたい、と思うものが一品、二品あったが、そこは龍青と紅樹に遠慮して、俺は追加を頼まなかった。
三人で話をすると、どうしても理力の話になってしまう。俺もまだ不思議に感じているし、紅樹だってまだ飲み下せていないだろう。
「奇跡を自在に起こせるのね?」
鳥の骨つき肉を片手に紅樹がそう言うと、龍青は苦笑いだ。
「できないことも多いけどね」
「致命傷を治癒させて、人間の意識や記憶をのぞき込めるのに、何ができないっていうの?」
「空を飛べない」
紅樹が俺を見てくる。肩をすくめてみせる。
俺は空を飛びたいと思ったことはないが、あるいは、龍青はあるのかもしれない。
「空を飛びたいわけ? 龍青は。なんで?」
「え? 空を飛びたいっていうのは、例えであって、別に飛びたくはないよ。ただそういう風に、できないこともあるってこと」
「これから訓練しても、できないってこと?」
「たぶんね」
わからないな、と言いつつ、紅樹が肉を噛みちぎる。龍青の方がそんな紅樹に苦笑いだ。
「そういう紅樹だって、何もない壁を這って登れるじゃないか」
「あれは呪術で、奇跡じゃないし、努力で身につけたものでもない」
思わず俺は声を上げて笑ってしまった。
「理力っていうのは効率が悪いな。何年も修行して、やっと呪術とどっこいか」
そんなものだよ、と龍青がニコニコと笑っている。
「保証されない代わりに、理力は、絶対に裏切らない」
呪術だって裏切らないわよ、とぼそっと紅樹が呟いて、龍青はちょっと眉をハの字にした。
「こいつが水の上に立ったところを見たことがあるか?」
思わず俺は口走っていた。
「ないわね。でもできると私は信じている」
「信じている? なぜだ?」
「どうしてかしらね。龍青は、それができるって、なぜか確信がある。不思議……」
信用とか信頼っていう奴かもな、と思ったが、俺はそれは口にせず、別の話題を提供し、場は比較的盛り上がった。
料理を全部食べ尽くし、お茶を飲んで雑談しているうちに、夜明けが近づいてきた。
「今日はありがとう」紅樹が席を立つ。「こっそり見守っているけど、気をつけて」
「こちらこそ、いつもありがとう、紅樹」
龍青が頭を下げる。俺が黙っていると、紅樹が冷たい目でこちらを見た。
「そちらさんは何もないわけ?」
「この前は助かった。危うく死ぬところだったよ」
俺は口角を軽く持ち上げる。
「お前が死にそうになったら、助けてやるよ」
「そんなヘマはしませんよ。じゃあね」
紅樹は部屋を出て行った。部屋には俺と龍青だけになる。
「迷惑をかけてごめん、火炎」
少し龍青が顔を俯かせている。俺は奴の肩を軽く小突いた。
「気にするな」
うん、と頷いて、しかし龍青はしばらく動かずに、湯飲みの中を覗き込んでいた。
どこか遠くで、鶏が鳴いた気がした。
(第六部 了)