6-6 一度目の衝突
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黒い影が、建物の部屋を包み込み、ついに壁が見えなくなり、完全に包囲された。
その時、僕の剣がかすかに光を帯び、その闇をわずかに押し返す。
師匠が言っていた、特別な処置が力を発揮し始めたらしい。
ずるっと周囲の闇から、真っ黒い影の槍が突き込まれる。剣で弾き、受け流し、両足は果てしなく足場を変え、複雑に床を打つ。
舞を習ったことはないけど、もし誰かが見ていれば、舞を踊っているように見えたかもしれない。
卓が二つ、三つと浮きあがり、こちらに飛んでくる。
一つを二つに断ち割ったけど、危うくその陰から伸びる黒い槍の穂先を身に受けそうになった。冷や汗をかきながら、床に転がり、追撃から逃れる。
僕を追ってきた卓が、床で粉々に崩れ、今度はその破片の鋭い木材のかけらが、雨のように僕を襲う。
理力を解放、障壁が展開され、触れた途端に木片がさらに細かく、塵になるまで分解される。
その代償として、僕はぐっと肩が重くなるのを感じた。理力に頼っていると、ジリ貧だ。しかしあの飛んでくる木片の密度を剣術で対処するのは不可能だ。
またも卓が飛んでくる。空中で理力の波動をぶつけて、反らす。
逆襲するしかない。
翼王がいた場所へ、一気に駆け抜けた。黒い闇色の槍の穂先は斬り払い、あるいは避けて、僕は目的の場所に躊躇いなく、剣を突き立てた。
黒い影がぞわりと揺れ、次には弾けるように、そこに空間ができた。
それだけだ。
影はすぐに元に戻り、僕は包囲された状態から逃れるのに、傷を負うこと、命を落とすかもしれない可能性を、必死に否定しないといけなかった。
どうにか理力の身体強化に頼って、間合いを取る。いや、間合いなんてない。周囲が全て影なのだ。
翼王の中心はどこだ? どこを攻撃すれば、この戦いは終わる?
(さあ、どうする? 理力使い。その力で俺を振り解けるかな)
答える義理はないが、実際には余裕がない。
片手で強く剣を握り、そこに理力を流し込む。師匠を信じるしかない。
実はさっきから、剣はかすかに発光を続けている。理力とは違うようだが、影に対抗する手段は、この武器だけだった。
僕の理力が不意に引きずり込まれるような錯覚があり、思わず、剣を見ていた。
光が溢れ、はっきりとした輪郭を持ち始める。
理力が収束され、実際の剣より一回り大きい、剣になっている。
翼王の槍による攻撃が迫る。
僕は剣を振るった。
光が、闇に触れると、ごっそりと周囲が抉られ、闇が後退する。
僕は縦横に剣を振るった。今も理力がひたすら引用されている。どういう仕組みにせよ、ここでしか勝負にならないだろう。
闇が虫食いのように欠けていき、かすかに翼王が唸った気がした。
そして、地鳴りような声。
一斉に周囲から闇が雪崩を打って押し包んできた。
切り裂く余地はない!
反射的にぐっと剣を足音に突き立て、自ら理力の全てを流し込んだ。
光が広がり、闇を押しとどめる。でも窮屈で、闇が僕の肩を撫でると、無数の虫の顎に食いちぎられるように、服がごっそりと削れ、その下の皮膚、肉も持って行かれる。
どうにか、光の球体が僕を守っているようだった。
(その程度か、龍灯の倅。理力など、所詮は心の高まりに過ぎない)
心の、高まり?
僕は今、弱気になっている?
でももう、これではどうしようももない。
諦めるつもりはない、でも反撃できない。
どこかで誰かが唸った気がした。
と、僕を取り囲んでいた闇に真っ白い筋ができ、そこから黒い球体が二つに割れた。
「何やっていやがる、渡水鳥」
そこにいるのは、火炎だった。手には大剣を下げ、周囲を睥睨している。
引き裂かれた闇が、めくれるように部屋の片隅にわだかまり、僕が体勢を立て直す時には、闇の全てが人型に凝縮されていく。
「こいつが翼王か? さっきの黒い影は、なんだ?」
「なんだも何も」呼吸を繰り返して、僕は立ち上がる。「たった今、火炎が切ったんだから、切れるものなんでしょ」
「俺の剣に隠者殿が細工したからさ」
細工? 聞いたことのない話だ。
「お前の剣と似たようなものさ」
まだ僕の剣は光をまとっている。
人型の闇が片腕を上げる、一瞬で矢のように黒が走った。
火炎が大剣で弾き飛ばし、僕も剣で受け流した。
(厄介なことだ。隠者など、野放しにするべきではなかった)
先ほどとは一転、翼王は不愉快そうだった。その黒い影がかすかに溶けていくように見えたが、錯覚じゃない。確かに薄くなっていく。
(いずれまた会おう、二人の剣士。次なる場は、東方臨海府とするか)
「逃げるのか? まぁ、こそこそするのが好きそうだが」
どういう神経をしているのか、火炎が堂々とそんな挑発をする。翼王は愉快げに笑った。
(自分が命拾いしたと、わからないのか?)
「わからないね」
(教えてやろう)
速かった。
今までで一番速い。目で追えないほどだった。
黒い影が礫のように火炎の頭を打った。
はずだった。
火炎が何かに引っ張られ、姿勢を崩さなければ、頭は粉砕されただろう。
(運のいい男だ)
翼王の体がついに完全に溶け、輪郭は消え去り、像も霧消してしまった。
「ああいう奥の手を残すあたり、不愉快だな」
「あんたがバカなんでしょ」
火炎の姿勢を崩したのは、今、すぐそばに立っている紅樹だった。思い切り腕を引いて、よろめかせたのだ。
紅樹はどこかに潜んでいたんだろうけど、ちゃんとやることを知っているあたり、僕や火炎とは違う用心深さがある。
僕たちを取り囲んでいた闇はすでにすっかり消え去り、そこにはめちゃくちゃに荒らされた酒場だけがあった。
「助かったよ、紅樹」
僕が礼を言うと、彼女はじっとこちらを見た。
「何もかもが想定外で、驚いたけど。理力使いも、呪術師も、やっぱり人間じゃないわね」
俺は人間だぞ、と火炎が呟く。紅樹は、あんたはケダモノ、とすぐにやり返した。
「ケダモノの意見としては、殺人鬼は死んじまったし、もうここに長居する理由はない。それにありがたいことに、次なる目的地も示された。東方臨海府か。こいつはまた、遠いな。このまま永の領地を西から東へ、北から南へ、歩き続けるのかねぇ?」
「でも放っておけないでしょ。違う? 龍青」
そうだね、と僕は応じて、しかし視線は手元の剣に向いていた。
光はすでに収まっている。普通の剣がそこにあった。
でもさっきは明らかに普通じゃなかった。どういう仕組みだろう。
剣を鞘に戻した。
と、いきなり気が遠くなった。疲労がいきなり僕の意識を押し潰す。
そうか、剣に残っていた理力が僕の意識を保っていたのが、剣を手から離して、理力との接続が切れたんだ。
どこかで火炎、そして紅樹が声を上げたのがわかった。
でも僕はもう、意識を失っていた。
(続く)