表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第六部 衝突
38/118

6-2 看病

     ◆


 こいつは参ったぞ、というのが俺の最初の感想だった。

 いきなり龍青が倒れたのだ。何かの冗談かと思ったが、意識を失っている。脈はやや早くて呼吸が荒く、熱がある。

 宿のものに頼んで医者を呼んでもらい、やけに長く待った気がするが、それは俺の錯覚だろう。

 医者は龍青の様子を見て、「風邪ですな」とさらりと診断し、薬とその調合表を書き記して、去って行った。もちろん、銭は渡したが、相場がよくわからなかった。

 ここまでの旅で医者の世話になったことなんて、一度もなかった。

 意識を取り戻さない龍青にどうにかこうにか、こちらは薬師に頼んで手に入れた薬を飲ませ、あとは見ているしかできない。歯がゆいが、まさか放って外へ出て行くわけにもいかない。

 宿を動くこともできず、しかし宿のものは事情を知っているので、それなりに気を使ってくれたようだった。もう女中が長く相手をすることもない。それは病気をもらわないためかもしれないが。

 そうして二日が過ぎ、短い時間、龍青が意識を取り戻した。瞼が開き、俺を見て、何か言おうとしたが、言葉になる前に呼気に変わり、彼はまた眠りに落ちた。

 もう一度、医者を呼ぼうか思っているところで、訪ねてきたものがいる。

 紅樹だ。

 唐突に背後に立っていて、驚いた。

「お、お前、どこから……」

 紅樹は何も言わずに、龍青のそばに座り、脈を取ったりしている。

 彼女がどこから入ってきたかといえば、いきなり天井の板の隅、端にある一枚を静かに外したらしい。俺はまった気づかなかったが、天井の板は今も外れていて、屋根裏が見えている。

「あー、薬を飲ませているから、回復すると思うぞ」

「薬?」ギロッと彼女の瞳が俺を睨み据えた。「どんな薬?」

 これだ、と医者が置いていった書き置きを渡す。彼女はじっとそれに視線を注いでいる。

「薬の知識があるのか?」

「もちろん」

 何がもちろんなんだ?

 書付が俺の手元に戻ってきて、紅樹は少し落ち着いたようだった。

「何日目?」

「三日目だ」

 紅樹は返事をしない。なんとか言ってくれよ。でもこいつが何も言わないっていうことは、問題ないっていうことだろう。

 と、前触れもなく紅樹が立ち上がった。とにかく、予測を許さない奴なのだ。

「あんたには護衛くらいしかできないんだから、しばらくここにいなさいよ」

「お前もここにいていいんだぞ」

「私は私でやることを決めている。明日の夜、また来るから」

 返事も待たずに、まるで猫のように飛び上がると、そのまま彼女は屋根裏に消え、今度こそ板はピタリと元の位置にはまった。あそこから誰かが出入りするとは、どんなに注意深い人間でも気づかないはずだ。

 しかし、やることを決めている、か。まぁ、あいつはあいつで油断がないし、任せていいだろう。

 俺はじっと部屋の隅で、龍青が目覚めるのを待った。

 日が上がって、蒸し蒸しするので、窓を開けた。日差しがきつい。龍青が汗を掻くので、水を飲ませつつ、汗も拭ってやる。借り物の団扇であおぎさえする。我ながら甲斐甲斐しいことだな。

 食事も部屋で取るし、風呂もその日は遠慮して、じっと龍青を観察する。もし急変を見逃して取り返しがつかないことになったら、俺が紅樹に殺される。間違いなく。それも残酷な方法で。

 夜になり、かすかな音ともに天井からまた紅樹が降りてきた。

「風呂にでも入ってきなさいよ。私が見ているから」

 感謝して、俺は実に二日ぶりに風呂に入ったが、どうも落ち着かない。

 それでもと湯に浸かっていると、例の商人がやってきた。四十か五十程度の男で、頭が禿げ上がってる。腹には贅肉が垂れ下がっている。

「おや、お兄さん、まだこちらに?」

「連れが倒れまして」

 正直に打ち明けると、それはそれは、と彼は少し顔をしかめた。

「昨日も例の殺人鬼が出ましてね。守備隊が動いているそうです」

 へぇ、としか答えられない。

 守備隊は永という国の軍隊の一つで、五つの都市を中心に展開する、治安維持のための部隊が、守備隊と呼ばれる。最精鋭ではないが、ぬるい戦力ではないだろう。

「こうなっては犯人ももうおしまいでしょうが、物騒ですなぁ。私も早く、次の仕事に向かいたいですよ」

 そんな具合で、話が長くなりそうだったので、俺は「あまりゆっくりすると連れの様子が不安なので」と湯船を出た。商人は恐縮した様子だった。

 部屋に戻ると、紅樹が龍青のそばに座り込んでいる。手には水差しがあり、水を飲ませているようだ。こちらをちらっと見て、

「遅い」

 と、低い声で言った。

「知り合いに会ってね。殺人鬼の噂の続報を聞いた。お前、知っているか?」

「それを探っていて、ここに来るのが遅れたのよ。不覚だったわ」

 なんだ、知っているのか。

「翼王の手先だと思うか?」

「あまり確信が持てないけど、普通ではない。調べる必要はあるわね」

「とりあえずは、龍青の回復が先だな」

「あんたがここを守るんだからね。あまり手抜きしないで」

 別に手抜きなんかしちゃいないが、わざわざ言う必要もないだろう。あまり紅樹を刺激したくないし。

 彼女は夜明け間近までそこにいて、後を任せると言って、また天井に消えた。さすがに元盗賊なだけはある。

 龍青が倒れて五日目の昼間、パチリとその瞳が開いた。もう薬が終わりそうで、手配するか迷っていたところだった。

「ああ……」いきなり龍青が言った。「夢か」

 にじり寄ると、彼がこちらを見た。

「ずっと眠っていた気がする。何日経った?」

「五日ってところだな。気分は悪くないか?」

「すっきりしているよ」

 ゆっくりと龍青が起き上がり、一つ、深く息を吸い、吐いた。

「お腹が空いたよ」

「そりゃそうだ。何かもらってくるよ。何が食いたい?」

「肉かな。実はこの前は、良く味わえなかった」

「わかった。ちょっと待ってろ」

 部屋を出て、調理場に顔を出して、すぐに出せる料理を頼んだ。できれば肉が欲しい、と伝えて、銭も多めに払った。

 部屋に戻ると、龍青は布団を離れて、窓際に腰掛け、外を見ていた。

 変に、憑き物が落ちているというか、落ち着いていて、神々しさのようなものがあった。思わず足を止めるほどに。

 気を取り直して歩み寄る。

「料理は頼んできたぜ。紅樹が心配していた。今夜にもまたやってくるだろう」

「うん、彼女の気配も感じたことには、感じていたよ。謝らないと」

 俺も窓際に立ち、外を見た。

「そういえば、夢を見ていたようなことを口走っていたな。どういう夢だ?」

「うん。古龍峡の夢だよ。あそこの湖、僕は長いこと浮かんでいた」

「隠者殿のいる湖か?」

 そう、と龍青が頷いて、こちらを見た。

 困ったように、笑っている。

「懐かしかった。まだほんの半年ほどなのに。僕も病気で気弱になったかもしれない」

「おいおい、まだ何も始まっちゃいない。先は長いぜ」

 ちょっと気合いを入れ直すよ、と龍青は笑みを深くした。

 女中が料理を運んできて、龍青はいつになくガツガツとそれを平らげて、また布団に戻った。少し休む、と言っていたが、俺は正直、不安だった。

 でも眠り込んだ龍青の様子は今までとは違い、少しも苦しそうではないので、不安は少し和らいだ。

 夜になり、紅樹がやってきて、しかし龍青を起こすことはなかった。

 明け方、目覚めた龍青がまだ留まっていた紅樹を見て、

「心配させて、ごめん」

 と言うと、紅樹は首を横にぶんぶん振って、立ち上がり、逃げるように屋根裏に消えた。

 なんなんだ?

 龍青がまた困ったような顔をして、俺を見ていた。

 そんな顔されても、俺には何も言えんぞ。

 とにかく、龍青は回復したのだ。それでよしとしよう。



(続く)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ