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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第六部 衝突
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6-1 南限新府

     ◆


 南限新府が近づいて、変化したことがある。

 最初はずっと夏が続いているようで、気候が変わったのかな、などと思っていたけど、毎日のように土砂降りの夕立が降るようになった。太陽が傾くと、どこからともなく雲が湧き上がり、周囲が真っ暗になり、滝のように雨が降る。

 初めての時、僕と火炎は街道から少し外れた木立の中でうとうとしていて、いきなりびしょ濡れになり、目を白黒させた。

 それからは屋根のあるところで休むようにしている。

 川が一気に増水するのも何度か出くわした変化だった。渡し舟の船頭が仕事を止めるほど、流れが急激に速く激しく、荒々しくなるのだ。

 僕が理力で水面に立っても、足場から流されたかもしれない。

 そんな具合で、夕方には二人ともが起き出して夕立をやり過ごし、日が暮れてから水たまりがそこここにある街道を進んだ。

 紅樹はたまにやってきて、僕たちと一緒に行動するけど、いつも夜明け前には前方へ向かって駈け去っていく。昼間の居場所を確保する必要があるからだと思う。

 でもいつの間にか僕たちは紅樹を追い越していて、紅樹はいつも背後からやってくるのは、不思議だった。

 街道を行き交う人が増えて、しかも夜なのに人が動いているのは、どこか不思議だったけど、南限新府は猛暑が名物と僕もものの本で読んで知っている。旅人も、住民も昼間は動かないのかもしれない。

「あれかぁ」

 ちょっとした峠の、坂道の頂上で、火炎が遠くを見ながらそう言ったので、僕も視線の先を追った。

 そこには二重の城壁と、その向こうの街が微かに見えた。夜明け前だったから、昼間はもっとよく見通せただろう。

「遠かったが、あと二日か三日ってもんだな」

「暑いとは思っていたけど、もうここまで来たね」

「早く風呂に入りたいよ。水風呂がいい」

 二人でそんなやり取りをして、峠を下っていく。

 夜明け過ぎに平地に出て、このまま一気に進んで夕方に街に入ろう、と二人で決めた。

 それにしてもすごい日差しで、季節外れのような気もするけど、それは僕が住んでいた古龍峡が涼しかったからかもしれない。あそこは山奥だったし、湖もあった。

 夕方には目の前に巨大な壁がそびえていて、前方に門が見えてきた。

 いつの間にか街道の両脇に家が増え、様々な店を開いている。

 と、頭上で雷が鳴り、どうやら夕立が来るようだ。街道を行き交う人も、駈け出すか、近くの店に飛び込んでいる。僕と火炎も茶屋の軒下に避難した。

「お客さん、注文は?」

 いきなり店員に聞かれて動転したけど、そこは火炎が「茶をくれ。冷たい奴」と即座に応じた。その時はもう周囲は何も見えないほどの大雨で、普通の声量では会話できないほど、雫が強く地面を打っている。

 どうぞ、と店員がお茶を持ってきて、火炎が銭を払ってからそれを受け取った。一つの器は僕の手元に来た。冷たいことを期待したけど、常温だった。それもそうか。こんなに南では、氷などは貴重品だろう。古龍峡では冬の中でも特別に寒い日に氷が手に入るので、少しだけは氷室に入れておいたりもした。そうか、そのことを例の二人に伝えていない。もうどうしようもないだろう。

 火炎が、冷たくないな、などと言いつつ、お茶を飲み、急に喋り始めた。

「南限新府は南方の蛮族に対する防御のために、二重の城壁に囲まれているらしい。まぁ、今はもう蛮族も帰順して、普通に永の国民だけどな。小柄で固太りしているらしいよ」

「よく知っているね。どこで聞いたの?」

「ま、俺もちょっとは学があるってことだ」

 そんな風にはぐらかされたけど、思い出してみると、らしいばかりで付け焼き刃っぽい説明の仕方だったな。

 夕立が止んで、僕たちはいよいよ南限新府に入った。夕日が周囲を赤く染めるけど、城壁が光を遮る地帯は、もう薄暗い。

 ここまでの旅で、宿屋の料金に関しては、僕も火炎も十分に承知している。相場もわかるし、外見と値段の齟齬のようなものも見抜ける。何も知らない旅人をカモにする宿屋が、どんな宿場にも一軒や二軒はある。大抵、外見は立派だが、中身はスカスカ、という感じである。

 そんなハズレをひかないように吟味して、中程度の宿屋を選んだ。火炎がどうしても水風呂に入りたい、と言って聞かないので、僕が折れた形だった。

 料金を払い、部屋に案内される。女中がすぐに酒と女はいるか、聞いてくる。これはある程度の宿屋になると自然なやり口だ。当然、僕も火炎も断ったし、火炎に至っては「水風呂はすぐ入れるか?」と逆に聞いていた。

 さっさと水風呂へ出かけて行った火炎を放っておいて、僕は部屋で横になって目を閉じていた。初めての長距離の移動で、少し疲れたかもしれない。体が熱くて、不自然に熱がこもっている気がした。

 僕も水風呂に入った方がいいかもな。

 起き上がって水差しから湯飲みに水を注いで飲んでいると、火炎が戻ってきた。

「面白い話を聞いたぜ」

 部屋に入って戸を閉めるなり、火炎がそう言ってから、わずかに声をひそめる。

「どうも南限新府で殺人鬼が出るらしい」

「へぇ。どこで聞いたの? お風呂?」

「一緒に水風呂に入った商人が言っていた。夜が明けると死体が転がっている、って話だ。悲鳴を聞いた奴も、争うところを見た奴もいない。まぁ、夜中に外を眺めている奴も珍しいが」

 それはそうだ、と思いつつ、僕は器に水を注いで、火炎に差し出した。

「その殺人鬼と僕たちに何の関係が?」

「人間じゃない、という噂もあるらしい」

「翼王だ、って言いたいの? 翼王が何のために人を殺す?」

 忘れたのかよ、と言ってから、一息に火炎は水を飲み干した。

「俺たちに手下をぶつけてきているだろ。何人切ったか、覚えているか?」

 実は覚えていた。けど、なんかそれだとカッコがつかないので、知らないふりをする。

「俺は数えちゃいないが、両手じゃ足りないどころの話じゃない。殺人鬼に殺された奴っていうのは、もしかしてお前の父親に切られた翼王の手下じゃないか?」

 筋が通らないこともないけど、そんなことがあるだろうか。

 翼王が一人ずつ、暗殺者を差し向ける意味がない。僕だったら数で押し包んで、そのまま揉み潰すことを選ぶ。

 それができない理由があるのか、それとも全く別の何かなのか。

「とにかく、調べておこうぜ。まずは飯だな」

 と、まるで狙い澄ましたかのように戸の向こうから声がして、女中が食事の膳を運んできた。

 どういう料理が出るか、あまり想像もしていなかったけど、肉料理が多いようだ。海は遠いし、近くに大きな川もないからか。あるいは南部の蛮族がその手の料理をするのかもしれない。

 女中がなかなか帰らずに、南限新府は初めてですか? とか、どちらからおいでです? とか、武者修行ですか? とか、とにかく質問を続けるのには閉口したけど、僕が黙っている横で、火炎は時折、冗談を交えつつ、返事をしている。

 結局、僕たちが食事を終えるまで、女中はしゃべり続け、僕はどこか具合が悪くなったほどだった。

 やっと落ち着いて、風呂に行く気になって、立ち上がったところまでは覚えている。

 でもどこかで僕は意識を失ったようだった。

 夢を見ている、と分かりながら、なぜかいつでも目覚めることができると思った。

 夢の中で僕は湖の上をゆっくりと漂っていた。

 体が半分、水に没して、その水が僕をピタリとそこに固定している。



(続く)


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