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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第五部 理力を使うものたち
35/118

5-6 見守り

     ◆



 山の中を進み、途中で日が暮れてしまったので野宿になった。

 食べ物に困りそうなものだけど、一日くらい食べなくても構わない。夜の闇の中で、じっと僕は空を見上げて、地面に寝そべっていた。野獣の類は活発に動きそうなものだけど、理力を使いこなす僕には敵わないし、そもそも近づくこともできない。

 感覚は研ぎ澄まされて、辺り一帯を隈なく把握できた。

 木々の隙間には星空が見えるけど、見えるのはほんの一部だ。開けた場所で見上げれば、はるかに果てしなく空が広がっているのがよくわかる。

 夜空は必ず、山の稜線で途切れているけど、山がなければその向こうにも星空があるはずだ。では地面がなければ? この地面の裏側にも、夜空があるのか?

 とりとめもなくそんなことを考えて、時間を過ごした。

 夜明けが来て、僕は跳ね起きると、澄んだ空気の中を進んでいった。

 小川を越え、斜面を登る。さらに先へ進むと、崖に出た。そこからは古龍峡がよく見える。何度か来たことのある場所だ。

 気分が高まったせいか、崖の斜面を降りることにした。普通の人間は途中で立ち往生するか、足を滑らせて落っこちるだろう。

 でも僕には理力があった。

 そして、自信も。

 それでも少し緊張しながら、慎重に、ゆっくりと僕は崖を降りた。

 幸い、転落死することもなく崖下に辿り着けた。これで古龍峡の湖はすぐそこだ。

 木々の間を抜け、開けた場所に出る。僕が先生たちと訓練を繰り広げた空き地だ。そこだけは草がほとんど生えず、地面がむき出しになっている。繰り返し踏みつけられたせいだ。

 先生の姿は見えない。幻に休憩もいらないのはずだけど、あるいは必要なのか。

 小屋の方へ行くと、外に一人で師匠が立っていた。怒っているようでもないが、嬉しそうでもない。それもそうか、いきなり三日も、顔を見せずどこかに行っていたのだ。むしろ怒る方が自然だ。

「ただいま、戻りました」

 他に何も言いようがなく、そう言うと、師匠が微かに頷いた。

「声を取り戻したか。あの猟師のおかげかな」

「見ていたのですか?」

「私の瞳を甘く見るな。無理をすれば、地の果てでまで見通せるのだぞ」

 恐れ入りました、と頭を下げるしかない。

 師匠が歩み寄ってきて、ポンポンと僕の腕を叩いた。

「嬉しそうな顔をしているな。いいことだ」

 思わず手で自分の顔を触ってしまったが、それで何かがわかるわけでもない。

 ふふふ、と師匠が微笑み、訊ねてくる。

「この場所の狭さがわかったであろう。この世界には大勢の人間がおり、様々なことを考える。複雑な仕組みがあり、単純な理屈がある。興味を持っただろう?」

「はい。正直に言えば、外を知りたいと思っています」

「いつか、機会もあろう。しかしお前はまだ未熟だと、私は思っている。ここで待て」

 背を向けて、さっさと師匠は小屋の中へ入ってしまった。どうしたのかと思えば、すぐに戻ってきて、僕に何かを差し出した。

 受け取ってみると、それは銭だった。十枚ほど、ある。

「お前はまだ商売というものの理屈を知らないな? この銭は非常に少ない額だが、銭は銭だ。お前に渡しておく。何かの折、今度のように山に迷い込んだ者がいれば、その銭も使える。一度だけのやり取りでも良い、銭の使い方を覚えろ」

「わかりました」十枚の銭を僕は懐に入れた。「勉強します」

 頷いた師匠が、またこちらに手を向けるが、その手は空だ。

「なんですか?」

「猟師から袋をもらったな? 渡せ。調味料だろう?」

 何から何までお見通しらしい。でもちょっと探るくらいは、許されるだろう。

「もしかして遠くの人間の声も聞こえるのですか?」

「声は聞こえない」

 そう答えてから、師匠が不敵な笑みを口元に浮かべる。

「しかし口の動きは見える。唇から言葉を読むことができる。あの猟師は、香草の話をしたな? 違うか? 香草と塩が入っているはずだ、その袋に」

 やれやれ、本当にこの人は、侮れない。

 僕は懐に入れていた猟師からもらった袋を、渋々渡すという姿勢をはっきり見せて、師匠の手に置いた。すぐに師匠が中を改め、頷いている。

「私たちでも作れるように、よくよく吟味するとしよう。商売といえば、この調味料と同じものを作れれば、それを売って金にできるかもしれないな。商売とは、そういうものだ。わかるかな?」

「銭を払いたいものがいるものは、全て銭に変わる、ということかと。そして銭さえあれば、何もかもが手に入る。そう解釈しています」

「やや違うな。金で手に入らないものの方が、多いように私は感じる。金では買えないものにこそ、真の価値があるのだ」

 難しい話になりそうだったけど、師匠は「いずれわかる」とその話を打ち切った。

 こうして僕の生活は元通りに戻った。声が回復したので、もう文字を書いて筆談する必要は消えた。ここ一年は紙と筆、墨を使うのを避けて、板に炭を塗りつけ、その表面に先を尖らせた木の枝で傷をつけ、それで字を書いていた。

 ものすごく不便だったのは最初だけで、すぐに慣れたけど、もうその必要がないとなると、どこか寂しい。

 畑仕事を続けながら、暇な時間には先生のうちの二人とひたすら乱取りをするけど、ほとんど互角だ。先生たちは、これほどの使い手はいない、とか、天才、とか、そんなことを言うけど、きっと世界には僕よりも強い人、上手い人は大勢いるだろう。

 山に分け入ることも増えて、これにはたまに師匠もついてくる。僕にどれが目当ての香草か、伝えるためだ。元から師匠には香草に関する知識があったようだけど、詳しくは僕も知らない。

 あの猟師からもらった調味料は、少しずつ使ったけど、絶品だった。後になって自分たちで似たものを作っても、どこか味が違う。材料が違うのか、処理が違うのか、配合が違うのか、僕と師匠はああでもない、こうでもない、と長い間、再現に四苦八苦した。

 もちろん、本当に苦しんだわけではなく、楽しく模索を続けた、という感じだけど。

 そうこうしているうちに、秋を過ぎ、冬になる。僕は十四歳になった。




(続く)


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