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鳥と雷  作者: 和泉茉樹
第五部 理力を使うものたち
31/118

5-2 渦

     ◆


 春になった。

(休憩だ、小僧)

 僕は額の汗を服の袖で拭って、棒の構えを解いた。

 もう先生たちの打撃を受けることは滅多になかった。冬の間、必死の稽古を続けたのが、形に結実しつつある。

 近くに置いていた水筒から水を飲みつつ、遠くの山で桜が咲き誇っているのを見た。

 いきなり、先生のうちの一人がこちらへ滑るように近づいてきた。

 不意打ちも稽古のうち、ともう僕も知っている。

 右へ左へと避け、間合いを取る。

 何かが先生の手から飛び出してくる。理力の塊だ。

 こちらも拳を突き出す。

 次に起こることを、はっきりとした形で想像する。

 力同士がぶつかり、弾ける。それを強く強く、心に描く。

 拳と力がぶつかり、バチバチと手が痺れるが、先生の発した力は消えた。

 息を吐いて、先生に向かって肩を竦める。

「手加減していますか?」

(小僧が言うようになったものだ)

 先生たちが笑い出したので、僕も思わず笑い、そして水筒をすっと地面に置いた。

 剣術の稽古に一年、理力の稽古に半年が過ぎ、僕はどうやら両方の基礎的な部分は押さえる事ができたようだった。

(三対一でやるぞ)

 先生のうちの三人が進み出て、光の棒を構えた。僕も棒を手に取り、くるくると振り回してから、構えを取った。

 きっかけは何もなく、しかし四つが同時に動き出す。

 僕の打撃は先生には効果がない。そして僕の棒は先生の棒を弾き返せない。むしろ逆に弾かれる。

 求められるのは避けること、棒を触れ合わせないこと。

 この稽古は乱取りのようで、一方的に僕が集中し続けることが要求される。

 乱暴で、無意味なようだけど、僕には必要なことだ。

 理力を行使するにあたって最も必要とされる集中は、実はいとも容易く崩れてしまう。

 それこそ、自分が打ち据えられるかもしれない、という恐怖心が動揺につながり、動揺は理力の破綻につながる。

 今、三対一という数の差を物ともせずにしのぎ切れるのは、理力の補助があるからだ。

 その理力の維持を学ぶため、身につけるための、三対一だった。

 きわどいところを光の棒がすり抜ける。大丈夫、見えている。

 頬を光がかすめる、それが見える。

 急旋回した棒の切っ先を背を逸らして避け、そのまま地面を蹴って跳躍。空中で身を捻り、二本同時の突きをやり過ごした。

 だけど着地と同時に、棒ではない、理力の塊が打ち出されている。

 姿勢は不完全、回避は不可能。

 打ち落とせるか?

 考える間もなく、棒を打ち振るっている。もちろん理力を流し込んでいる。

 激しく僕の棒が動き、理力の礫を端から叩き落とし、あるいは間に合わなければ、回避する。

 ギリギリ、間に合うか……、間に合え!

 最後の一発を受け損ねて、それが僕の胸で炸裂した。吹っ飛んで地面を転がり、止まったところで、やっと息を吐いた。

 ゼイゼイと呼吸しつつ、空を見上げる。

 もっと体を加速させることができただろうか。いや、それ以上に棒をもっと上手く捌けたかもしれない。

 この一年で学んだことの一つに、答えはない、というものがあった。

 幻の棒で打ち据えらえても、見えない礫を食らっても、それはもう変えられない事実だし、あの時にこうしていれば、ああしていれば、と考えても、それはただの空想だ。

 もっと別のことを考えるべきだと、わかり始めた。でもそれが何かは、わからない。

(悪くない動きをするな)

 先生の一人が、倒れこんだままの僕のそばへやってきた。

(お前の理力と剣術の融合には、特異なものがある)

「それは、その、ありがとうございます」

(理力の真理に触れたいと思うか?)

 起き上がって、彼を見上げると、真剣な表情をしている。

「それを知れば、もっと強くなれますか?」

(強さとは無関係だ。恐怖し、怯え、剣どころか棒も振れなくなるかもしれない)

 それは困るな。

 でも、理力というものは知りたかった。剣術は、体の動きの延長線上にあり、例えば関節を逆方向に曲げるような技は存在しない。

 体という限定された装置をいかに使うかが、剣術の命題であって、理力というものは、その体の限定をわずかに広げる役に立つ。

「教えていただけますか?」

 先生たちが集まってきて、僕を中心に円を作るように立った。

 何かがぞわりと背筋を撫でる。

 それを理解した時には、僕の意識は肉体を離れ、何か巨大なものに飲み込まれていた。

 どこかで誰かが、何かを叫んでいる。一人じゃない、数え切れないほどの大勢が、叫び、喚き、泣いている。

 巨大な力が天へと駆け上がり、渦を巻き、降り注ぐ。

 その力は常に巡り続け、万物の間を行き来している。

 ところどころで、強い光が瞬く。

 力が理力で、瞬きは人間か?

 自分が何かに引っ張られるのを感じた時、僕自身も力の一部となり、天へと引きずり込まれていた。

 また誰かが叫ぶ。見えない。僕にはもう何も知覚できず、自分というものがなくなっている。

 あるのは力の一部という認識と、無数の思念が寄り集まってできる、巨大な雑念のようなものの一部に自分が含まれているという気配だけだった。

 数え切れない大勢の人の絶望が僕を打ち据えた。

「龍青! 戻ってきなさい!」

 いきなりの声と同時に誰かに手を引かれた。

 目を開くと、僕は地面に寝かされていて、すぐそばに師匠がいた。

 珍しく狼狽した様子で、僕が上体を起こすと、ホッとした様子で雰囲気が少し穏やかになった。

「理力に深入りするのはやめなさい。お前にはまだ早すぎる」

 僕は返事をしようとした。

 でも、声が出なかった。おかしいな、何も違和感はないのに。何度も言葉を口にしようとしたけど、結局、僕の声は出ないままになった。

 師匠は誰もいないところに悪罵を投げつけ、僕を支えて小屋へ戻った。

 その日の夜は師匠はずっと僕に理力を注ぎ続け、声の回復を図ってくれたけど、声は出ないままだった。

 僕は紙に筆で自分の意思を伝え、そのうちに治るはずだから、気にしないでください、と書くと、師匠は思い切り僕を殴りつけた。いや、手加減したんだろう。

「二度と理力に取り込まれるんじゃないよ。あそこは生身の人間が触れる場所ではない」

 わかりました、とすら声が出ないので、頷いて見せる。

 翌日からまた先生たちと稽古を続けた。

 棒を振れなくなることはなかったし、僕は理力も今まで通りに扱えた。

 ただ、先生たちはどこか落ち込んでいるようだった。僕の声を気にしているんだろう。

 気にしないで、と地面に木の枝で字を書くと、彼らはわずかに頷いた。

 春はそんな具合で過ぎ去り、畑での作業と稽古の日々が続いた。

 夏になろうかというある時、稽古の場に師匠がやってきて、

「そろそろ次の段階に進むかね」

 と、言い出した。

 僕の声はまだ治らないままで、わずかな音さえも喉から出ることはない。

 頷いて、師匠の後についていくと、そこは小屋のすぐそばにある湖だった。正確に言えば、湖に近いところに小屋を作ったんだろうけど。

 でもなんで湖なんだろう?




(続く)


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