5-1 稽古の始まり
◆
南限新府までの旅の途中で、火炎が訊ねてきた。
「いつから剣術の修行をしている?」
時刻は明け方で、真昼の日差しを避け、夜に歩いているのは変わらない。
今夜は暗殺者の襲撃はなかった。
「いつからって、十歳くらいかな」
「隠者殿が教えたのか?」
「いや、別の人だけど。それがどうかした?」
ううむ、などと火炎は唸っている。
「お前の剣は非常に筋が良い。自己流と思えないし、しかしそれほどの使い手はそこらにいない。だから、気になった。どういう人間が教えたんだ? あの山にいたのか?」
どう答えるべきか迷ったけど、正直に答えることにした。
「理力使いの人の思念に、教わったんだよ」
「思念? あの隠者殿の幻像と同じようなものか?」
「まさにね」
わからん、と火炎が唸るように言う。僕は苦笑いして、歩きながら話し始めた。
◆
十歳の僕は、師匠に連れられて小屋のそばの開けた場所に立っていた。
手には木の棒があり、しかしカタカタと震えていた。
理由は単純だ。僕の前に四人の人間が立っていて、その四人ともが半透明の、光の像なのだ。
「この方々がお前の稽古をつける」
師匠は平静な声で言った。
「特に名はない。先生、と呼べばいい。まずは剣術からだ」
幻の一人が進み出て、その手に光の棒が生まれた。
(打ってきなさい)
見た目の年齢と相応の、巌のような声だった。ただし、空気の震えではない。
そんなことを考える間もなく、相手が光の棒を振るって、僕を打った。
衝撃と、強烈な痺れが打たれた肩口で起こる。
悲鳴を上げて転がると、(立て)と容赦なく棒を突きつけられる。
歯を食いしばって泣き出したいのを堪えて、立ち上がり、打ちかかる。
幻の先生はそれをさっと避けて、また僕を打った。弾かれ、転倒し、痺れが残る。
(隠者よ、これでは稽古にならん)
「お任せします」
そういったかと思うと、師匠はあっさりと小屋の方へ行ってしまった。僕はそれを見送り、幻を見上げ、ゆっくりと立ち上がろうとした。
(遅い)
「ぎゃ」
足を払われ、転倒する。もう一度、立ち上がろうとするが、また足を払われる。
(動きが遅い。集中していない。間抜けな顔をしている)
それから同じことを八回ほど繰り返し、耐えきれずに涙を流しながらも、僕はどうにか立ち上がった。
(馬鹿め。泣くものがあるか。何かを失ったか? 今、お前が失ったものは弱さと呼ばれるものだ。失って当然、むしろ失うべきものだ。喜べ。泣くな)
先生の一人が平然とそううそぶく。僕は何度も目元を服の袖で拭ったけど、涙は止まらなかった。そして先生もやめるつもりはないようだった。
(基礎的な動きから始める。私の動きを真似てみろ)
こうして僕はそれから毎日、棒を振るうことになった。畑の世話があるけど、午後になると休みなく、幻たちに見守られながら、体を動かし続ける。
師匠が何をしているか、それは知らない。僕の様子を見ているようでもなかった。
季節の変化が緩慢に感じられ、まるで自分がいつまでも棒を振り続けなくちゃいけないような気もした。
やがて春の終わりは夏に変わり、強烈な日差しが僕を焼き、やがて日差しも穏やかになり、山も色づいた。
(打ってこい)
ある時、先生の一人が僕の前に進み出てきて、棒を構えた。
僕には自信みたいなものは全くなかったけど、従わないわけにはいかない。
この時もやっぱり、僕の棒は当たらずに、先生の光の棒が僕を打ち据えた。それも徹底的に、今までにないほど執拗に打たれた。全身が痺れて、起き上がれないほどだった。
これにもやっぱり、耐えきれずに僕は泣いた。
なんでこんな痛い思いをしなくちゃいけないのか、なんで剣術なんて習わないといけないのか、それがわからなかった。
先生たちは僕を囲んで佇み、しゃくりあげる僕を見下ろしている。
一人として、こちらに手を差し伸べなかった。
その理由にはまだ僕はとても理解が及ばず、非情な人たちだ、血が通っていない、それは幻だから当たり前か、などと考え、どうにか気力を取り戻した。
冬も近くなり、空気が冷え込んできても、僕は剣術の稽古を続けていた。畑の世話はおおよそ終わり、今までだったら師匠が書見などをさせてくれたはずだ。正直、そちらの方が好きだった。剣術は好きになれそうもない、自分には向かない、そう思っていた。
ある晴れの日、師匠が珍しく稽古に顔を出し、「理力を学べ」と言い出した。
「理力?」
その時はまだ、僕には理力の本質もわからなかったし、理力という言葉それ自体も馴染みがなかった。ただ、師匠の両目を見えるようにする不思議な力、そして僕に剣術を教える幻の男たちが行使する力、と認識していただけだ。
自分にそれが使えるかもわからなかった。
「あの石を見なさい、龍青」
指差された先には、僕の拳ほどの石が落ちていた。小さくもないが、大きくもない。
その石の方に師匠が手を向け、わずかに手のひらが力んだ気がした。
グラリ、と地面の石が転がったかと思うと、浮かび上がった。
もちろん、誰も触れていない。触れていないのに、石は僕の目の前を通過し、さらに高く浮かび、しかし力を失い、転落した。
「これくらいはできなくてはな」
ニヤッとこちらを師匠が見る。
「見よう見まねでやってみなさい」
そんな無茶な……。
早く、と急かされたので、手を向け、僕はじっと念じた。石が浮き上がる様子を思い描く。
だが、動かない。
動くわけがない。
せめて転がるくらいなら……、少し動くだけなら……。
石が、かすかに揺れた。心底からびっくりした。師匠も黙っている。
動け、動け、動け。
しかしもう、石は動かなかった。
「稽古を続けなさい、龍青。結果はいずれ、ついてくる」
さっさと師匠はまた小屋の方へ行ってしまった。
(意外に素質があるな、小僧)
先生の一人がいきなり、そう言ったので、驚いた。そんな言葉をかけられたのは初めてだった。僕の視線を受けて、先生の一人がかすかに笑っている。
(心を鍛えるのだよ、小僧。剣術も理力も、同じことだ。迷いを振り払い、思い描いたことを信じる、ということだな)
信じること。
その日も剣術の稽古をして、先生たちに泣かされた。
その後にさらに理力の訓練も始まった。全く目的のわからない稽古で、じっと座って、目の前に落ちている石を動かすように念じろ、という。
石が動くわけがない。
それでもじっと見ているわけだけど、先生の一人がそのうちに話し始める。
(動かすのは無理だとして、では揺らすのはどうかな。わずかに力を加えるだけでいい。指で少し押すことを思い描け。軽く押すところからだ)
もちろん、できない。
雪が降る時期になり、しかし僕は外で稽古を続けた。体が震え、息は白くなる。
剣術はわずかに上達してきた。体が棒の扱いに慣れ、身体の均衡を支配し始めた。
先生たちの棒を際どいところで回避し、逆に棒を突き出すが、当たることはない。
理力は、ほとんど変化がないのが、歯がゆかった。少しも石は動かない。
稽古が終わり、小屋に帰るとき、雪がちらほらと舞い始めた。
頭上を見上げ、僕はじっと視線を凝らした。
雪が自分を避けて舞い散る様子を、じっと想像した。
雪が、僕を避けるよう動き始めた気がした。
(続く)




